(8)
ユーマは一人、悲痛な声で叫ぶ。
「エンノイアさん!」
焦っていた。
必死だった。
「エンノイアさん、しっかりして下さい!」
額からは冷や汗が流れ落ちる。
服の下も、汗でびっしょり濡れていた。
幾ら叫んでみても、エンノイアから返事はない。〈レーベンワール〉に異変が起こった瞬間、彼女はふらりとよろめいた。「これは、な、なんだ……?」と、小さな疑問の声が最後の呟きだった。次の瞬間には気を失った彼女を、ユーマが咄嗟に抱き留められたのは不幸中の幸いであるけれど――しかし、彼女は目覚めないのだ。
普通ならば、医者に預けるべきだろう。
だが、ユーマは既に気付いていた。
何が起こっているのか――。
だから、焦っていた。
必死だった、怖かった。
このままでは、彼女は死ぬ、と――。
誰にも、どうにもできない、と――。
「目を、覚まして……」
悪足掻きと知りながら、ユーマはエンノイアの手から杖を引き剥がそうとする。だが、触れられない。杖の先端にある〈デバイス〉が強烈な輝きを放っていた。一瞬、強引にその手に触れてみるものの――すぐに、ユーマは悲鳴を上げた。
焼け付くような痛み。
触れた所、ユーマの指の皮が爛れていた。
一瞬だからこの程度で済んだけれど――。
強引に触れ続ければ、骨まで溶かされる。
ユーマにはわかっていた。
拒絶の光――。
エンノイアの心が拒んでいるのだ。
否。あるいは、その心に浸食する何かが拒んでいる。
「あ……。ああ。どうしよう、どうしよう……どうすれば――?」
ズキリ、と。
こんな時に、頭が痛んだ。
「う、ぐ……」
激しい痛み。
ユーマは倒れそうになるけれど、どうにか耐える。
耐えなければいけない――そう思っていた。引き金を引いたのは、他の誰でもなく自分であるから。ユーマは先程からずっと、ひたすら自分を責め続けている。
本気を出した。
全力を尽くした。
それが、礼儀と思ったから――。
だが、結果はこれである――。
「ぼ、僕のせいだ……」
ユーマが操る〈イストアイ〉の一撃により、〈レーベンワール〉はエーテルフレームに致命傷を負った。ユーマのように〈デバイス〉を握り込んでいないとは云っても、その杖を握るエンノイアにはダメージのフィードバックもあったに違いない。そして、コントロールは失われた。傷付いたエーテルフレームに、まだ大量の〈魔力〉を残したままで――。
縛るもののなくなった〈レーベンワール〉は――。
否。
その内に潜んでいた何かは――。
だから、覚醒したのだ。
「僕のせいだ」
もしも、〈レーベンワール〉にあれ程のダメージを与えなければ――。
ダメージを与えずに、圧倒するぐらいの実力があれば――。
最初から、〈レーベンワール〉に潜んだ危険に気付いていれば――。
そうなのだ。ユーマが何もかも、もっと上手くやっていれば――。
「こんな事には、ならなかった」
絶望が、そこに生まれていた。
嘘のように、静か。
何も聞こえない。
聞こえるものと云えば――。
キルキリ・キラリリ、と……。
鳴き声。エーテルフレームの鼓動が空気を震わせているのだ。そのために、かん高い金属音のような鳴き声が生じている。不吉で、不快な音。キルキリ・キラリリ。世界の犯される音でもある。美しく、大いに穢されていく。
大地が、大気が――。
結晶化を始めていた。
キラキラと美しいその輝きは、死の輝き。
動植物の生存が許されない世界に変わっていく。
漆黒の異形を中心として――。
――Another Dimension Automatic Monster
異世界からの侵略者、機械生命――その見た目こそ、エーテルフレームがドス黒い輝きに染まっただけの〈レーベンワール〉にしか見えないけれど、気配が違う、臭いが違う。どれだけ信じたくない事でも、ユーマは絶対に間違うはずがなかった。
それは、ADAM――。
人類を滅ぼすに足る、災厄。
「ああ、う、嘘だ。嘘だ、どうして、どうして……」
ユーマは呆然として呟いた。
認めたくない。
だが、認めるしかない。
人類が背負うべき絶望を、この瞬間、ユーマは一人だけで背負うしかなかった。理解しているのは、自分だけなのだから。戦えるのは、自分だけなのだから。他の誰ができると云うのだろうか。誰にもできないのだ。
勝てるだろうか。
勝てない、だろう――。
「でも、それでも……」
ユーマは、杖を掲げた。
「僕が、僕しか……」
誰にもできないから――。
ユーマが、やるしかないのだ。
あの日の絶望と――今再び、一対一で対峙する。




