(7)
「こ、これは、マズイぞ!」
真っ先に叫んだのは、筆頭魔術師であるバーナード。闘技場に多数詰め掛けた人々の中でも、誰よりもゴーレムに詳しいからこその悲鳴である。
くるくる、と――。
子供が投げ捨てたおもちゃのように空を舞ったゴーレム〈レーベンワール〉の左腕。装甲だけでなく、エーテルフレームまで叩き斬られていた。
エーテルフレームは、ゴーレムの心臓でもある。
それが傷付く事は、ゴーレムに多大なダメージを与えた。
ましてや、一部が欠損する程となれば――。
それだけでもう、修復不可能と云われても不思議ではなく――。
「そんな、嘘……レーベンワールが、壊れて……」
バーナードに続いて、トオミもショッキングな声を漏らしていた。
彼女が顔面蒼白になったのは、魔術師として当然の想いからだ。
魔術師として制作に携わったゴーレムは、さながら我が子のようなものである。試作機である〈レーベンワール〉はワンオフの機体でもあるから、想い入れは余計に強い。それがこんなにも早く、最期を看取る事になるなんて――。
悲鳴を上げそうになった。
だが、トオミは寸前でそれを呑み込む。
「え、あれは……」
本来ならば、深く傷付いたエーテルフレームは輝きを失い、無色透明の常態に戻っていき――そして、ゴーレムは二度と輝かない〈死〉を迎えるものだ。だが、今この瞬間、トオミの眼前では見た事のない不可思議な現象が〈レーベンワール〉に起こっていた。
「どうしたの、レーベンワール……?」
蠢くもの。
片腕を失った〈レーベンワール〉は、まるで痛みに狂う人間のようにもがいていた。悲鳴はない。だが、悲鳴が聞こえるような暴れ方である。叩き斬られた場所から、紅蓮の輝きが勢いよく吹き出している。まるで、血のように。それが拡散していく。広く、広く――そして、それらは次々と小さな虫のような蠢いていくのだ。
紅蓮の輝きが失われていく。
黒く、黒く――。
穢れていく。
「まさか!」
呆けていたトオミは、バーナードから突き飛ばされた。
よろめきながら振り返れば、バーナードはトオミの事なんてまったく眼中にない様子。異常に陥った〈レーベンワール〉を血走った眼で見つめていた。抗議の声を上げようとしたトオミであるけれど、その様子を見て思わず口を閉ざしていた。
怒り出す代わりに、恐る恐る尋ねてみる。
「あの、先生……これは一体、何が、起こっているんですか?」
バーナードはしばらく答えなかった。
なぜならば、彼にもまだ正確な答えは出ていなかったから――目の前の異様な光景と、脳内でそれに照らし合わされているのは一冊のノート。そこに書かれていた説明文とスケッチを必死に思い出していたのだ。
禍々しく、恐ろしく、滅亡の予言のようなその内容を――。
そして、バーナードは呻き出す。嗚咽のように言葉を吐き出した。
「あ、ありえない。まさか、生き返るというのか……騎士エンノイアの魔力があまりにも強大だったから? それを糧にしたというのか? エーテルフレームが傷付いたために、それで支配が解けてしまい、目覚める契機を与えてしまったと……そんな、そんな――」
頭を抱えるバーナード。
トオミは怪訝そうな視線を向けるが、もちろん、彼が何に苦悩しているのか想像できるはずもなかった。
トオミは、この時代には過ぎたる叡智が記されたノートの存在を知らない。
さらには、〈レーベンワール〉と〈イストアイ〉のエーテルフレーム――その素材として使用された超高純度の〈宝玉髄〉を筆頭魔術師が何処から入手してきたのか、それもまた知らされていないのだから。
宝玉髄は特殊な鉱物である。
入手するためのパターンは、大きく三つに分かれる。
(1)魔物を討伐し、その核を精製する。
(2)鉱脈から発掘する。
一般的なのは、この二つのパターンである。
鉱脈から採掘される宝玉髄の方が、品質は一定であり安定している。ただし、魔物が強大になればなる程に宝玉髄としての質は上がっていくため、一概にどちらの方が良いとは云い切れなかった。
品質が格段に違うのは、三つ目のパターンである。
(3)原石を発見する。
原石――正確には、それを宝玉髄と呼んでいいのか、魔術師の間でも意見が分かれたりする。原石は、宝玉髄の鉱脈の奥深くで発見される事が多いものの、古い遺跡や海底、平原にある洞窟等、これまでに発見された場所は多種多様である。
魔物や鉱脈から採れる宝玉髄は、宝石のような美しい鉱物であるけれど――。
原石は、見た目からまったく異なった。
最初から、エーテルフレームの形――すなわち、人の骨格に似た形をしているのだ。大きさもまた、エーテルフレームと同様である。そして、宝玉髄は他の鉱物と調合されて、魔術師が様々な儀式を行う事でようやくエーテルフレームとして完成されるものであるけれど、原石には手を加える前からその性質を有しているものがあったりするのだ。
原石の研究こそが、そもそものゴーレム誕生の契機である。
エーテルフレームの素材として、原石は特に優秀なものだった。
素晴らしいゴーレムを作るためには必須の素材と云えるけれど――残念ながら、その絶対数は非常に少ない。市場で巡り合うようなチャンスは滅多にない上、個人では到底買えないようなデタラメな値が付いている。
バーナードは、〈レーベンワール〉と〈イストアイ〉のためにそんな原石を入手した。
もちろん、一筋縄ではいかなかった。
予算の多くを費やした上に、かなり危険な――非合法な領域に足を踏み入れて、命の危険すら感じさせるような連中としばらく付き合わなければいけなかった。
しかし、その甲斐はあったと云える。
原石を、二体分も入手したのだから――。
思い出す、その時の感動を――そして、薄暗い倉庫に運び込まれた〈レーベンワール〉と〈イストアイ〉のの原石の元々の姿を――。死神と天使。そのようなデザインを注文したのはバーナードである。量産に向けた試作機なのにまったくデザインが異なるのは、原石の頃の見た目をバーナードが忘れられなかったためである。
そうなのだ。〈レーベンワール〉と〈イストアイ〉――エーテルフレームの素材とされた原石は、それ自体が死神と天使のような見た目をしていた。
死神――。
そんなものを使うべきではなかった。
今ならば、バーナードは十分に理解できる。
ノートを見てしまったから――。
不吉な見た目が、何を意味していたのか。
バーナードは全て理解する。
己のエゴが、世界を滅ぼす災厄を招いたという事を――。
「ユーマ様!」
絶叫した。
「も、申し訳ございません! わ、私は、私はなんという事を……」
泣き崩れる、その向こう側では――。
戦場。
ゴーレム〈イストアイ〉は両手にソードを構えたまま、ゴーレム〈レーベンワール〉を――否、〈レーベンワール〉であったはずの何かと対峙していた。ユーマとエンノイアの戦いならば、先の一撃で決着が付いたはずだ。だから、ここから先は〈拝杖の儀〉ではない――ここから先は、生死をかける戦いになっていく。
世界の命運すらも、これからの戦いに託されようとしていた。