(5)
サンダー・デニス現象は、ゴーレムの開発・運用が開始されてからしばらくの後、各地で散発的に確認されるようになった不可思議な現象の事である。
ゴーレムの周囲に起こる謎の発光と異常なスペックアップ。
原理は未だに解明されていない。
最初期に研究を行った魔術師カーリー・デニスの観測実験によると、発光体はエーテルフレームの内部から漏れ出しているものであり、あらゆる物理現象から影響を及ぼされないという特徴を持っていた。目には見える。だが、触れる事はできない。仮に、すぐ目の前に発光体が出現したとして、触ろうとしても、その手は何もない所を通過した時のように一切の感触を得る事ができないのだ。
広く支持されている仮説は幾つかある。
エーテルフレームの輝き、パーソナルカラー。それが操者の心の色である事もまた、他の魔術師の研究による仮説の一つではあるけれど――サンダー・デニス現象の生み出す発光体は、パーソナルカラーの正体でもあると云われていた。
すなわち、〈魔力〉である。
魔力は、人に宿るもの――そもそものゴーレムの動く原理というものが、人の内に存在する魔力がエーテルフレームに干渉し、そして支配しているからと考えられていた。
結局、全ては仮説である。
観測実験で事実として確認された事柄もあるけれど、まだまだわかっていない事の方が圧倒的に多いのだ。
魔力という便利なキーワードによる、ゴーレムの動く原理。
それが根本的に間違っていると知っているのは、バーナードぐらいである。
「こ、これ、サンダー・デニス現象? でも、これだけの規模の……」
上擦った声を漏らしているのは、トオミである。
彼女に対し、バーナードは静かに呟いた。
「トオミ君。これは、サンダー・デニス現象ではない」
「……え、先生?」
「これは、その先にあるものだ」
バーナードは多くの事を知っている。
本来ならば、わからないはずの事を――。
敬愛すべき彼の主人は、教えてくれたのだ。
一冊の、そのノート。
記されていた数多の叡智――残念ながら、バーナードの理解が及ぶのは、その内のわずかな部分だけである。悔しかった。だが、それでも救われた。微かに指が届いた叡智の端切れ。ほんの少しの理解でも、バーナードは多くを学べたのだから。
例えば――。
魔力。
その真の正体が〈グノーシス粒子〉と呼ばれるものであったり、〈グノーシス粒子〉の拡散に伴う特殊な力場の形成がサンダー・デニス現象であったり――。
バーナードは思わず口に出していた。
「プレローマ超量子場」
「プレ、プレロロ……何ですか、それ?」
「……さあ、何だろうな」
「先生?」
バーナードは首を横に振る。
「わかるのは、騎士エンノイアと〈レーベンワール〉が引き起こしているのが、それだという事だよ。そして、宙に浮かぶなんて不可思議も、所詮はきっちりと科学で説明できる現象に過ぎず――だから、ここで驚き、戸惑い、目の前の現実から子供みたいに目を逸らすなんて馬鹿をしてはいけない。そんな醜態を晒すのは、魔術師として敗北を認めるようなものなのだから」
紅蓮の世界。
ゴーレム〈レーベンワール〉を中心として、その周囲は世界が紅蓮に染め上げられている。漆黒の死神は、死神らしく浮かんでいた。くるり、くるり、と。軽々と大鎌を回していた。何でもない事のように、当然のように。〈レーベンワール〉はやがて、空中から大鎌を〈イストアイ〉の方に突き付けた。
見上げたまま動かない〈イストアイ〉。
操者であるユーマは呆けたまま、身体を震わせていた。
「すごい、たった一人で……自分の力だけで、ここまで――」
彼女の歩んだだろう道に、ユーマは自身を重ね合わせる。
誰にも教えられず、誰にも導かれず――孤独に歩み、孤高に至った。そんなのは普通無理だ。ユーマはそう思った。少なくとも、自分にはできない事である。だから、これ以上ない賛辞の想いを抱く。ユーマは一人ではなかったから。孤独は感じていたけれど、たった一人、何よりも大切な人は居てくれたから――。
フィオナ。
彼女が教えてくれた、いつも導いてくれた。
叱られて、怒られて、泣かされて、励まされて――。
笑われて、笑わされて――。
愛し、愛されて――。
そんな風に歩んだ事を、ユーマは思い出していた。
しかし、この時はまだ、そもそも思い出したという事実に気付いていない。余りに自然に思い出してしまったから。ユーマは後々知るのだ。既に、ゆっくりと記憶の蓋が開きかけていた事を――。〈レーベンワール〉と〈イストアイ〉の戦いが、身体の奥底に刻み付けられていた本能と記憶を呼び覚まし始めていた。




