(4)
エーテルフレームはゴーレムの骨格であり、筋肉であり神経であり、そして心臓である。常態は、無色透明のクリスタル。しかし、杖の〈デバイス〉による干渉を受けた途端、操る者の心の色――〈パーソナルカラー〉に染め上げられる。
先に動いたのは、〈レーベンワール〉。
漆黒の体躯に、パーソナルカラーは紅蓮。エーテルフレームは剥き出しの部分が多く、紅蓮の輝きはその全身を炎に包んでいるようにも見えた。漆黒の装甲は肩や腕部を厚く覆っているものの、一方で、胸部から腰元に至る所は冗談のように弱点をさらけ出しており、あばら骨のようなデザインのエーテルフレームが丸見えになっていた。
アンバランス。
武器もまた、異形――。
三日月のような大鎌。
濡れたように艶やかな刃に、エーテルフレームの紅蓮の輝きが照り返している。まるで、血に染まっているようだ。さらに、血を――。エーテルフレームが明滅している。心臓のリズムのようだ。〈彼女〉は訴えっている、操者であるエンノイアに対して。血を。そして、死を。死神のように音のない一歩を、〈レーベンワール〉が踏み出した。
一方の〈イストアイ〉と云えば――。
動かない。
凪いだ海のように、静か。
そうして構えるは、二本のソードである。
大鎌のように特注の武器ではない。単純な造りのソードは、ゴーレム〈サーラス〉も一般的に用いている王剣騎士団の標準装備である。たたし、それを二本――。〈イストアイ〉は左右の手にそれぞれ構えていた。
二刀流――。
それもまた、これまでのゴーレムには見られない異形のスタイル。
純白の体躯と黄金の輝き、ゴーレム〈イストアイ〉は二刀を下段に構えたまま動かない。天使。気高き乙女。〈レーベンワール〉に比べると、装甲は標準的に全体を覆っており、尖った所のないすっきりとしたデザインで落ち着いていた。顔のフォルムは女性的で、それはまるで兜を被った戦乙女のような印象を与える。
「……行くぞ」
「はい」
エンノイアは呟き、ユーマは静かに頷く。
ゆらりと、〈レーベンワール〉は二歩目を――。
ゆらりゆらりと、三歩目を――。
四歩目。そこで、加速した。
「……な、なんだ!」
その瞬間、驚きの叫び声は観客席のあちこちで上がっていた。
騎士であるクレートも、思わず叫んでしまった内の一人。いきなり顎が外れそうな表情であるけれど、王剣騎士団の面々は大体が似たような反応である。ゴーレムを操る事に関してのエキスパートである彼らは、それゆえに〈レーベンワール〉の動きに――かつての披露会で見せたポテンシャル以上の踏み込みの速度に、危うく腰を抜かしそうになっていた。
なぜならば、速い。
速すぎた。
「嘘だろ?」
クレートは叫んだ。
「〈サーラス〉を十体も、それも無傷で倒しておきながら……それなのにまだ全然、エンノイア隊長は本気じゃなかったのかよ!」
手加減した戦闘ですら、畏怖の念を抱かせる程だったのに――。
それ以上があると云うならば、もはやどんな風に驚けば良いのか――。
だが、そんな事を考える暇もない。
それぐらい、これまでの騎士の常識を壊してしまうぐらいのスピード。
気が付いた時には、間合いの内であり――。
そして、〈レーベンワール〉は――。
身を屈めていた。
前傾姿勢。地を滑るような動き。〈レーベンワール〉は倒れ込むように上半身を前に倒すと、大鎌の握りを変えた。右腕だけで柄を持ち、左腕は地面に突く。バランスをそれで保ちながら、地面すれすれの所を一気に大鎌で薙いだ。
長柄の大鎌と、標準的なソードの間合いの差は歴然としている。
反撃はできない。防御も間に合わない、と――。
誰もがそう思った。
歓声よりも、悲鳴の方が大きかった。
闘技場にひしめく全ての人々が、大鎌の一撃で引き倒される〈イストアイ〉を想像したのだ。常識的に考えて、一対一の戦闘で地面に倒されたならばそれで決着である。人間同士の戦いでもそれだけの隙を見せたならば危険であるし、ゴーレムの動きは人間よりも遥かに鈍重なのだから。
国家間の〈遊戯戦争〉と異なり、〈拝杖の儀〉はあくまでも実力を確かめる事が最大の目的である。相手のゴーレムを破壊する事は目的ではない――というよりも、破壊しては自国の多大な損失になってしまう。本気の戦闘であるから多少のダメージは仕方ないと考えられているものの、間違っても大破させるような事があってはいけないのだ。勝敗が明らかな状態になれば、通常はその時点で〈拝杖の儀〉は終了になる。
地面に倒れるというのも、勝敗を決する条件として十分なものだ。
呆気ない幕切れか、と――。
多くの者がそう思った。
何と云っても、ゴーレム〈レーベンワール〉を操るのはアルマ王国最強の騎士であるエンノイア・サーシャーシャ。一方で、ゴーレム〈イストアイ〉は同じくアルマ王国の次期正式量産型の試作機であり、スペック的に見劣りはしないものの、それを操るのは見習い騎士――それも、入団して一ヶ月も経たないユーマ・ライディングなのだ。
もちろん、彼に関する噂ならば王都の人間は誰でも少なからず耳にしている。〈杖の儀式〉で闇夜を切り裂く凄まじい光を放ったゴーレム〈サーラス〉。今こうして〈拝杖の儀〉が執り行われている事実もそうだ。期待を高める要因ならば幾つもあったけれど――しかし、さすがにエンノイアを相手にするには早過ぎたかと、力不足だったかと――。
そんな想いから、たくさんの悲鳴が上がっていた。
甘い。
甘かった。
「ああ……」
誰も、わかっていないのだ。
わかっているのは、戦場に共に立つエンノイアぐらいで――。
「素晴らしい」
誰よりも早く、彼女は感動の呟きを漏らしていた。
ユーマはそれと意識しないまま、全ての人々の頭をぶん殴る。
衝撃。
常識を破壊する一撃。
ユーマは見せつけたのだ。
己の才能と、実力を――。
黙らせる。
悲鳴を、歓声に――。
驚愕と熱狂の歓声に――。
その一瞬で、全員の目を覚まさせた。
「美しい」
エンノイアが蕩けるような表情で呟く。
彼女のゴールドの瞳は、広々とした青空を映していた。
青空を背景に、高々と跳び上がった〈イストアイ〉を映していた。
――ジャンプ。
何が起こったかと云えば、そんな簡単な一言で云い表せる。
大鎌は空を切っていた。〈イストアイ〉はその瞬間、空中を舞ったからだ。高く跳躍するために踏み付けられた大地が砂土を巻き上げている。確かに、それなりの身体能力を持った人間が跳んだ時ぐらいの動きであるけれど――ゴーレムの全高は、20メートル近い。それだけの大きさのものが跳んでいるのだ。呆れる。誰にも言葉はない。その瞬間、闘技場の時間はわずかにストップし、その後もしばらくはスローモーションのままで動き続けた。
動じていないのは、ユーマと――。
晴れ晴れと笑い続けるエンノイア。
二人は止まらない。
二人の時間だけが流れ続ける。
ジャンプした〈イストアイ〉は、そのまま〈レーベンワール〉に攻撃を繰り出した。左右のソードを落下の勢いも加えて振り降ろす。地を這うような姿勢の〈レーベンワール〉は隙だらけ。だが、上手かった。長柄の持ち手の部分を使い、二刀を同時に受け止める。
まだだ。
どちらも、まだ止まらない。
姿勢を正しながら、さらに上体を捻って攻撃を受け流す〈レーベンワール〉。
一方、防御された〈イストアイ〉もそれで終わらず、着地と同時にステップした。
間髪入れず、大鎌の横薙ぎが襲い来る。
交差させた二刀で受け止めた。
防御に片方を使ったまま、もう片方をすかさず袈裟斬り――。
だが、〈レーベンワール〉はバックステップ。
間合いを広く取った所で、大鎌が左右に荒れ狂う。
止める、止める、止める――。
火花が、無数に。
獲物の大きさが違うから、ソードの一本だけでバカ正直に受け止めれば押し切られる。わかっているから、ユーマは〈イストアイ〉の足を決して止めない。二刀を重ねて受け止めるのはギリギリの時だけである。あくまでも受け流しが基本でなければいけない。
しばらく、攻防は続いた。
「あは」
笑った。
エンノイアが。
ユーマも、にやりと――。
「楽しい」
「楽しい」
同時にそう云って、さらに激しく――。
激しく、刃をぶつけ合い。感情を叩き付けて。笑い声を。止まらない、止まらない、止まらない。エンノイアがさらに杖を高く掲げた。そして、吠える。獣のように。激しさを増したその攻撃に対し、ユーマは、止めて、止めて、止めて、受け止めて、激情も冷静に受け流して――「今!」と、ほんの一瞬の隙を狙って踏み込んだ。
タイミングは、完璧。
春なのに、今日は暑い。
でも、刹那、空気が冷えた。
全身でぶつかるような動きで、〈イストアイ〉は二本のソードを〈レーベンワール〉の急所である胴体に突き出す。肉を切らせて、骨を断つ――そんな覚悟。わずかな隙を狙ったものの強引な踏み込みである事は間違いない。大鎌の反撃を受ける可能性は十分にあった。
だが、大鎌はそもそも、中距離の間合いから繰り出し、勢いを付けなければ本来の攻撃力を発揮しない武器である。近距離での反撃は大したダメージにはならない。特に、全身を装甲に覆われて弱点らしい弱点のない〈イストアイ〉ならば、それだけで致命傷を受けるとは思えなかったのだ。
窮地に陥ったのはこの場合、やはり〈レーベンワール〉の方で――。
剥き出しのエーテルフレーム。
排熱や軽量化の関係だろうが、弱点は弱点である。
胴体部分のエーテルフレームに直接の一撃を受ければ、〈レーベンワール〉は確実に動作不良を起こす――最悪、ゴーレムとしての〈死〉に至るかも知れない。ユーマはもちろん、そこまでやるつもりはなかった。狙いはあくまで、弱点を庇うためにエンノイアが大きな隙を見せてくれる事――わずかなチャンスがあれば、それで勝負を決められると思っていた。
「なるほど」
エンノイアの呟き。
追い詰められた者とは思えない、その落ち着いた声色に――。
ユーマは瞬間、悪手を打った事に気付くけれど――。
「ああ、残念」
見透かされる。
「遅い」
紅蓮の輝き。
ソードが今まさに貫く寸前だった、〈レーベンワール〉のエーテルフレーム。吠えるように輝いた。さらに強く、強く――。輝きが溢れ出していく。刹那で漲ったかと思えば、紅蓮の輝きは〈レーベンワール〉の周囲にも拡散を始めて――。
世界すらも、紅蓮の輝きで浸食していく。
「え……?」
ユーマは呆けた。
驚いたのだ。
純粋に。
「……あ。すごい」
そう云った。
「ありがとう」
エンノイアは静かに答える。
「でも、そう云ってる場合かな。……君、死ぬよ?」
もしも、これが人間同士の生身の戦いだったならば、何が起こったか、ユーマにはすぐにわからなかったかも知れない。
視点の違いである。
操者であるユーマとエンノイアは、〈イストアイ〉と〈レーベンワール〉から離れた場所で杖を握っている。遠くから全体を俯瞰しているため、何が起こっているのかは常に一目瞭然だった。もしも、自分自身が戦場に立っていたならば、目の前から敵が急に消えたように思えただろう。ユーマはその事実に気付いた時、さすがにゾッとしたものだ。
舞踏のようである。
くるり、と。
回転する動きで、〈レーベンワール〉は軽やかに〈イストアイ〉の突撃を避けていた。それだけではない。そのまま、〈イストアイ〉の背後にあっさりと回り込んでいた。
速い。
これまでの動きも速かったはずなのに――。
段違いに、〈レーベンワール〉は速さを増していた。
「さて、そろそろ本気を出そうか?」
エンノイアの声と、光。
本気と、そう云っただろうか――。
シンプルな事実である。
彼女は、これまで本気ではなかった。
ユーマは驚きから覚めないまま、ひたすら紅蓮の輝きを見つめ続ける。
――サンダー・デニス現象。
「さあ、どうする?」
ユーマは窮地に陥っていた。〈レーベンワール〉は〈イストアイ〉を背後から抱き締めるような恰好で、片手で持った大鎌をゆったりと首筋に当てている。
「チェックメイトを宣言しても良いけれど……」
勝敗が明らかになった時点で、〈拝杖の儀〉は終了である。
だが、エンノイアは誘うような声で続けた。
「まさか、これで終わりではないだろう?」
ユーマは答えない。
無言のままに動いていた。
考えるよりも、反射的に――。
「アイ!」
叫んだ瞬間、〈イストアイ〉にソードを捨てさせる。
空っぽになったその両手――。
そのまま、〈レーベンワール〉の腕を掴ませた。
ユーマは杖を強く握り込んだ。
綺麗に、一本背負い。
投げ飛ばした。
「……は?」
さすがに、エンノイアも驚きの声を漏らす。
大陸は広い。遠い異国には、格闘技を身に着けたゴーレムも存在するらしい。それぐらいの噂ならば、ユーマやエンノイアだけでなく、闘技場に詰めかけた大衆の中にも耳にした事のある者は多いだろう。だが、そうした特殊なゴーレムだろうと、攻撃の要はあくまでパンチやキックのような単純な打撃であり――投げ技なんて複雑な動作を用いるという話は、誰一人、風の噂にも聞いた事がなかったのだ。
高く、空中に投げ飛ばされた〈レーベンワール〉。
先程の〈イストアイ〉のジャンプ以上の高さである。このまま地面に叩き付けられれば、大きなダメージは必至である。そうして倒れた所に〈イストアイ〉が追撃したならば、決着が付いたと見なされても文句は云えない。
ユーマの形勢逆転に見えた。
だが――。
「いや、驚いた」
エンノイアは、のんびりとした声。
「そして、楽しい」
あくまでも、のんびりと――。
「もっと楽しくなるために……」
笑った。
「もっともっと、本気を出そうか?」
空気が変わる。
雰囲気が、がらりと――。
戦場は遠いけれど、ユーマとエンノイアは真横に立っている。だから、肌で感じられた。ぞくりと背筋を走り抜けたものは何か。不吉な予感か。単純な恐怖か。違う。ユーマはこれを知っている。幾度も経験してきたからだ。
強敵の気配。
経験した。
確かに。
経験したのだ。
いつの事だろうか。
いつ、何処で――。
ズキリ、と。
こんな時なのに頭が痛んだ。
「邪魔、だ……」
耐える。
「い、今は、まだ……」
目の前に集中する。
目の前の出来事だけに――。
なぜならば、それが礼儀だと思ったから。
誠意を尽くすとは、たぶんそういう事なのだ。
本気を見せてくれるエンノイアに対し、ユーマは真摯に向き合おうとしていた。アルマ王国で最強の騎士――彼女がそんな風に呼ばれるようになったのは何年前の事だろうか。どれだけの時間、好敵手を見つけられないまま寂しく過ごして来たのだろうか。それを思えば、ここで目を逸らすなんて馬鹿はできなかった。
ユーマは、悲しみすら覚えていたのだ。
エンノイアの孤独を想った。
これだけの力を持ちながら、それに気付いてくれる人もいなかったなんて――。
「ああ、なんて……」
ユーマは手放しで、感嘆の声を上げた。
「なんて、凄いんだ!」
それは、まるで紅蓮の三日月である。
エーテルフレームがこれまで以上に激しく輝き、吠え猛るような明滅を繰り返していた。〈レーベンワール〉の周囲には、無数の粒子が――〈魔力〉と呼ばれるものが浮かぶ。レベルの高い騎士が、稀に引き起こすサンダー・デニス現象。ユーマも〈杖の儀式〉の時に同様の現象を引き起こし、その果てに〈サーラス〉を修復不可能にしてしまったけれど――。
安定している。
問題なく、制御できていた。
「正真正銘、これこそがボクの本気だよ」
闘技場のざわめきは止まらない。
当然である。
浮いているのだから。
ゴーレムが。
形勢逆転の一本背負いで宙に投げ出された〈レーベンワール〉であるけれど、そのまま地面に叩き付けられるなんて事はなかった。なぜならば、空中で制止したからだ。泳ぐ魚のように、ふわりと空中で体勢を整えてみせた。
浮かんでいる。
くるりと、大鎌を宙で回した。
「ユーマ。いい加減、本気になれ」
エンノイアは当然のように云った。
「君も、これぐらいはできるだろう?」




