(2)
大陸の北部に位置するアルマ王国。辺境の小国ではあるものの、歴史は古く、この王都も三つの区画から成る立派な大都市である。ユーマとレイティシアが暮らすのは第三王壁区画であり、王都の中では最も新興の区画、外周部に位置していた。
「さあ、行くわよ」
ユーマは、レイティシアから手を引かれる。
デートという建前の何か――。
目的地は、第一王壁区画である。
本日は、祝祭日。
大通りに出ても、普段の活気には程遠い。
商店の大半はブラインドが降りたままであるけれど、それでも、働いている者だって少なからずいる。通りに並んだガス灯を、専門の点消士が消して回っていた。朝にはお馴染みの光景である。一方でやはり、普段は工場地帯からもうもうと上がっている蒸気の煙が見当たらず、青空が静かに、すっきりと広がっていた。
石畳で舗装された大通り。
色鮮やかなレンガの建物が左右に並ぶ。
第三王壁区画は新市街とも呼ばれており、前々王の時代からある旧市街――第二王壁区画と比べると、随所に真新しい文化や文明の手が加わっている。ガス灯や蒸気によるタービンやポンプ。極一部であるけれど、試験的に電灯の導入も始まっていた(最初の試験点灯の際には、まるで祭りの日のように見物客が押し寄せたものだ)。
二人は第三王壁区画の大通りを真っ直ぐ進み、そのまま第二王壁区画に入った。
年季の入った建物が立ち並び、静かで落ち着いた雰囲気。第二王壁区画には古い建物が多く、その住人も昔からのアルマ王国の民がほとんどである。他国から流れてきた商人や冒険者の類はまず見当たらない。
そんな第二王壁区画の通りも、ユーマとレイティシアはどんどん歩いて行く。
王都は、王城を中心として円状に広がった三つの区画から為っている。
第二王壁区画と第三王壁区画は、どちらも市井の者が暮らす場所であり、身分的な格差や経済的な格差はあまりない。新しいか、古いか――実質、違いはそこだけである。
それら二つの区画に比べて、第一王壁区画はがらりと様相が異なった。
第一王壁区画は、貴族を始めとした富裕層が暮らす場所である。そのため、豪奢な屋敷が並び、細い路地まで石畳できっちりと整備されていた。もちろん、警備も厳重である。多数の衛士が絶えず巡回しているため、どんな悪ガキでも第一王壁区画で悪戯するようなことはない。すぐに見つかってしまう上、叱られるだけでは済まない大事になるからだ。
「……ユーマ、これはもう悪戯では済まないわよ?」
レイティシアは、ドン引きの表情である。
ユーマは眼鏡を押し上げながら、素っ気なく云ってやる。
「そうだよ。これは悪戯じゃない、犯罪だから……」
そう云った瞬間、ガチャリと思った以上に大きな音を立てて錠前が外れた。
レイティシアはきょろきょろと周囲を見渡している。誰もいないことを確かめているのだ。幸いなことに、第二王壁区画、第三王壁区画と違い、第一王壁区画にはひと気がなく、シンと冷たい静けさが立ち込めていた。
「レティ。見つからない内に行くよ」
鍵の開いた扉をゆっくりと押し開き、ユーマは不法侵入の一歩目を踏み出した。
「まさか、こんなにも馬鹿な計画だったなんて……」
レイティシアから盛大に文句を云われる。
「わかっていたら、デートに連れて行けなんて云わなかった」
「それは、嘘だ。レティは、それでも付いて来たに違いない。どんな状況になっても、最後には全部僕のせいにすれば逃げられると思っているはずだよ?」
レイティシアは反論しなかった。どうやら、図星のようである。
建物の中に誰も居ない事を確認しながら、二人は螺旋階段を上り始めた。
「鍵は、どうやったの?」
「針金で型を取って、自分で複製した」
「呆れた。禁固刑ね」
特別な今日という日のため、ユーマは一ヶ月以上前からコツコツと準備してきた。第一王壁区画で不法侵入などという罪を犯せば、子供だからと云って許されるものではない。誰にもバレないように、綿密に計画を立てて行動してきたけれど――。
さすがに、家族であるレイティシアには全てを隠すことはできなかったようだ。
詳細までは知られなかったものの、何かをやっていることまでは隠せなかった。
デートという建前に隠された、その実質は共犯者――。予想外の展開ではあったけれど、何にしろ、無事に目的が達成できるならばそれで良い。ユーマはそう思っていた。レイティシアは相変わらず背後でぶつぶつと文句を云っているけれど、それももう終わりである。
螺旋階段のゴール。
青い空が見えてきた。
「わあ、すごい!」
目的地に辿り着くと、レイティシアはまず歓声を上げた。
ユーマですら、柄にもなく叫びそうになったものだ。
城下町の中で一番高い建物が何かと云えば、それは教会である。普段は地上から見上げることしかできない教会の尖塔――天空に突き刺さるような高さの塔の天辺に、ユーマとレイティシアは罪を犯してまで上って来たのだ。
「ねえ。ユーマ、見えるわよ」
レイティシアが柵から身を乗り出した。
ユーマも急いで、そのスペースに並んだ。
目もくらむような高さである。普段暮らしている街中が点描のようにしか見えない。風が強く、今にも飛べそうなぐらいだ。本当ならば鐘を打ち鳴らす者が一人しか立てないだろうスペースに、押し重なるように二人。「重い、レティ」とユーマが思わず云えば、無言で尻を叩かれた。
王城が見える。
原則として、王城よりも背の高い建物を建ててはいけない。権威の最高峰として、王城は他の何ものよりも大きく存在を誇示しなければいけないからだ。
唯一の例外が教会である。
教会の塔は城郭よりも遥かに高く、中央宮の天守に並んでいる。それはすなわち、王であろうと神には恭しく従うという信仰心を示すものだが――しかし、ユーマとレイティシアにはそんな難しい社会のパワーバランスの話はどうでも良かった。
この瞬間、二人にとって何よりも大事なのは――。
王城の内側にある闘技場が、ここからならばよく見えるというシンプルな事実だ。
「見えたわ、あれが……」
「そうだ、あれだよ」
ユーマとレイティシアは同時に指差していた。
華やかな王城の風景の中、大きな虫食いの穴のように見えるのが闘技場である。
幾つかの大国ではコロッセオという名で民衆の見世物になっているらしいが、残念ながら、アルマ王国では軍事上の機密が優先されている(あるいは、興業にするだけの余裕がないとも考えられるが)。
遠目にも多くの人々が集まっている。貴族や有力な商人――。まるで秋の収穫祭のようにも思える賑わいだが、それ以上の興奮が遠目にも伝わってくる。
彼らの視線は、闘技場の中心に向けられていた。
ユーマとレイティシアも、息を呑んでそこを見つめる。
「なんて数だろうか。あんなにも沢山の〈サーラス〉が……」
遠くから眺めているから、臨場感なんて伝わって来ない。
それでも、間近で見ていたならば圧倒的な光景だろうと思った。
多い。
そして、大きい。
アルマ王国における現行の正式量産型ゴーレム――。
――戦術級魔法兵器〈サーラス〉。
戦術級魔法兵器、ゴーレム。
魔力をエネルギーとして動く、巨大な人型兵器。アルマ王国の量産機である〈サーラス〉は、ゴーレムとして平均的な18メートルの全長を持つ。数字だけではピンと来ないが、王壁に匹敵する高さと云われれば、それだけの大きさのものが人間のように動き回っていること自体が奇跡のようでもある。
十年程前に完成された〈サーラス〉は、所詮は弱小国であるアルマ王国が近隣諸国に一躍名を轟かせる事になったぐらいの名機である。だが、今となってはさすがに旧式の汚名は拭い難く、ここ最近は隣国の最新鋭機〈リル・ラパ〉に連戦連敗の有り様だった。
安定性が売りの時代は終わったのである。
濃緑のカラーリングに、丸みを帯びた重厚なフォルムの〈サーラス〉は亀にも例えられる。かつては鉄壁の守りを意味する褒め言葉だったが、現在ではのろのろと鈍重な動きに対する皮肉になってしまっていた。
アルマ王国の民は〈サーラス〉が敗北する度に悔し涙を流してきたものだ。何と云っても、ゴーレムとそれを操る騎士は国家の象徴であると共に、絶大な人気を誇るヒーローなのだから――。
それだから――。
国民全員、夢と希望を託すに足る〈サーラス〉の次を待ち望んでいた。
「すごい、〈サーラス〉と全然違う!」
「当然だよ! 〈リル・ラパ〉より速いはずなんだから。エーテルフレームから設計を見直したら、フォルムはまったく違うものになるに決まっている」
レイティシアの驚きの声に、ユーマは反射的に叫び返していた。
二人がまったく一緒のポーズで指差しているもの――。
それを見るためならば、教会に不法侵入し、披露会が行われる王城の闘技場を覗くなんて無茶もしたくなる。後悔なんてまったくなかった。興奮と歓喜ばかり、狂おしく胸の内で渦巻いている。
ここまで来て良かった。
「綺麗。あんなゴーレムの騎士になりたい」
輝かしい夢を素直に口にするレイティシア。彼女と対照的に、ユーマはぐっと言葉を呑み込んだ。頭痛。こんな時にも、何の前触れもなく襲い来る原因不明の病――まるで、『お前は騎士になんてなれない』と云われたような気分になり、ユーマは何も云えなくなる。
痛みには唇を噛んで必死に堪えたが、悔しさまでは噛み殺せなかった。
騎士になりたい。
子供ならば、誰だって騎士に憧れる。
本当は、ユーマだって――。
「僕も、僕だって……」
レイティシアに潰されないように、ユーマはさらに大きく身を乗り出した。
二人が熱心に視線を向ける先にあるものは、これまで見た事もないゴーレムである。
アルマ王国、次期正式量産試作型――。
戦術級魔法兵器、ゴーレム〈レ―ベンワール〉。