(2)
ある朝、ユーマはローマンから執務室に呼び出された。
最終確認として「本当に良いのか?」と問われた時、素直に頷き、「はい、大丈夫です」とはっきり声が出た事は自身でも意外であり――それから、両者の合意と団長の許可が降りた事でいよいよ〈拝杖の儀〉に向けて日々が加速していく最中に、ユーマは何気なく、覚悟ならば遥か以前に済んでいたらしいと気付いた。
最初の、出会い――。
思い出すのはいつも、ゴーレム〈レーベンワール〉の披露会である。
ユーマは空を見上げながら、エンノイアという騎士について考える。
闘技場である。
空が広い。
時々、ため息が出た。見習い騎士として出発してから、わずかに一週間でその日常は終わりを迎えてしまったのだ。ワイアットが「なんだよ、ユーマ。ちょっと凄すぎだろ」なんて冗談のように茶化しながらも、悔しさを隠し切れていなかったのが印象的だった(もう一人の見習い仲間であるレイティシアと云えば、本当に何も云ってくれなかったけれど――)。
異例尽くしの〈拝杖の儀〉である。
エンノイアに宣言された時から、ユーマの日常は混沌に染まった。ざわざわと落ち着かない日々は、〈拝杖の儀〉が本当に行われるのか、それが不確かなままだった事が最大の元凶である。根拠のない噂や無遠慮な視線に晒されて、ユーマは随分と苦労したものだ。
幸いにして、それも終わった。
いざ、〈拝杖の儀〉が正式に認められると――。
途端に、緊張が張り詰めたのだ。
ざわり、と――。
時折、肌を撫でる静けさ。
ユーマは今、一人である。
邪魔をするような者は誰もいない。異例尽くしで始まった今回の一件であるけれど、実際に開催が決まった後は、これまでのドタバタを大いに恥じるかのように、できるだけいつも通り――〈拝杖の儀〉の伝統、その一連の流れを守るつもりらしい。
見習い騎士にとっては本来、〈拝杖の儀〉は人生を懸けた大事である。
そのため〈拝杖の儀〉が終わるまでの間は、王剣騎士団の一員としての職務や訓練の一切が免除されるのだ。自由な時間をたっぷりと準備に当てて良いという訳である。
だからと云って無制限に時間を与えては騎士団の活動に支障を来たすから、原則、団長の許可が降りた日から一週間後が〈拝杖の儀〉の開催日と決まっている。
これに関しては、ローマンから最初に問われたものだ。
一週間では少ないのではないか、と――。
準備にもう少し時間が必要ではないか、と――。
何と云っても、ユーマは王剣騎士団に入団したばかりである。ローマンから呼び出しを受けたその時、本部の四階にある執務室の行き方にも迷うぐらい、まったく右も左もわかっていなかった。
何よりも、ユーマには実戦経験がないのだから。
ローマンは、「準備期間が一週間というのはあくまでも原則で――今回はそもそも、発端から全て異例中の異例だったからな。お前が望むならば、準備期間に一ヶ月ぐらい設けても良いだろうと……それこそ幾度か模擬戦を組んでも良いだろうと考えているが、さあ、どうだ?」と云ってくれた。
ユーマはやはり、素直に答えたものだ。
「大丈夫です、一週間で問題ありません」
予想外だったらしく、ローマンの数秒間停止した姿が忘れられない。
何はともあれ――。
ユーマは、見習い騎士としての生活からいきなり切り離されてしまった。それが少し、残念に思えるのは贅沢なのだろうか。一週間の準備期間は、自由と、可能な限り望むだけのものが与えられるけれど――さすがに、ワイアットやレイティシアと通常通りの訓練や講義を受ける事を希望するのは常識外れだろうと、ユーマはそっと密かに自重したのだ。
結局、まったく正反対のものを希望してみた。
だから、現在、ユーマは一人でいる。
「思えば……」
ふと、独り言。
「闘技場を一人で使うなんて、それこそ贅沢だったね」
一週間の、最後の日――。
準備期間も終わりが間近であるけれど。
今日も今日とて、ユーマは闘技場に一人でいる。
草の一本も生えていない荒野のような大地に座り込み、抱き締めるような恰好で杖を握り込んでいた。その杖は代々〈拝杖の儀〉に臨む見習い騎士に貸し与えられるものらしい。年季が入っている。だが、ボロボロに痛んでいるわけではなかった。手入れは行き届いており、騎士団の歴史と大切な思い出がたくさん込められているのだろうとそれで気付かされる。
杖の先端のエーテルフレームの欠片〈デバイス〉は、黄金色に輝いていた。
ユーマは朝からずっと、〈デバイス〉に自分の力を込め続けている。
しばらく空を見ていた。
ゆっくりと視線を降ろしていく。
そうすれば、ゴーレム〈イストアイ〉が見えた。
「うん、問題ない。このままの調子で行こうね、アイ」
ユーマは小さな声でそう呟く。
闘技場の広々とした空間を、〈イストアイ〉はぐるぐると周回していた。もちろん、操っているのはユーマである。歩かせるだけ――それだけを一週間、飽きる事なくひたすら続けていた。端から見れば、貴重な時間で何をやっているのかと思うかも知れない。だが、ユーマはこれで良いと思っていた。
これで良いと知っていた。
「そう、僕らはまず知り合う所から始めないと……」
試作ゴーレムの二号機〈イストアイ〉は、ひとまずの措置としてユーマに与えられている。それもまた異例の事だろうけれど――〈拝杖の儀〉において、エンノイアは当然のように愛機であるゴーレム〈レーベンワール〉を駆るのだ。スペックの違い過ぎる〈サーラス〉では話にならないし、そしてまた、〈イストアイ〉はユーマしか動かせないという点も大きい。
さらに、魔術師ギルドからの要請もあった。戦闘データを取るためにも、今回の一騎打ちでは〈イストアイ〉を使用するのが好ましいと――そんな風に色々な要因が重なった結果、〈拝杖の儀〉におけるユーマの機体は〈イストアイ〉に決まったのだ。
アルマ王国では、専用機を与えられるのは団長と騎士隊長ぐらいである。
他の騎士は、所属する小隊の量産機〈サーラス〉を共有していた。
だから、見習い騎士のユーマがまるで専用機のように〈イストアイ〉を使用できるのは、それだけで恵まれていると云えた。もちろん、〈拝杖の儀〉が終わった後はどうなるかわからない。それでも、ユーマは〈イストアイ〉を深く理解しようと努めていた。
「……浮気じゃないからね」
思わず、そんな独り言が漏れる。
「浮気じゃない、浮気じゃない、浮気じゃない」
ぶつぶつと繰り返しながら、再び、ユーマは青空に目をやった。
教会の尖塔が、遠くに――。
すると、自然に思い出される。
エンノイア・サーシャーシャ。
そして、彼女の〈レーベンワール〉。
一週間、幾度も思い描いたその姿――。
その戦いの姿――。
「綺麗だった」
率直な想い。
「だから……ああ、嬉しい」
楽しみだった。
目を回してしまうぐらいにユーマを取り巻く世界の変化は激しいけれど――それだから、自分もまったく別の何かに変わってしまったように思えて、それが少し、怖かった。
忘れるようなはずがない事を、たくさん忘れていたのだ。フィオナ、と――その名前は何よりも大切に思えるのに、まだ、その本質には手が届かない。フィオナと、その名を口にする度に胸を刺すような痛みが走る。痛みの原因もわからないと云うのに――。
でも、大丈夫――。
嬉しい。
楽しい。
そんな気持ちは、あの頃と何も変わらない。
ユーマは、ユーマのままである。
「そう、だから……」
恐れずに踏み出そうと思った。
恐れずに、ただただ全力で――。
強くなろうと――。
変化を恐れてはいけない。
強くならなければいけない。
そのために、彼女と――。
最強の騎士と戦うのだ。
「そう、覚悟ならば済んでいる」
教会の尖塔から遠く、遠くにエンノイアを眺めていたあの時から、ユーマは、まるで初恋にも似た狂おしい気持ちを――それをただの憧れとして片付けたまま、胸の奥底にギュッと閉じ込めてしまっていたから。それはいつしか、さらに激しさを伴い、覚悟と呼べるぐらいの強い気持ちに昇華されていた。
詰まる所――。
ユーマとエンノイアはそれと気付かないまま、相思相愛だった。
二人共、互いを求め続けていたのだから。
全力を――。
滾る気持ちの全てをぶつけさせてくれる相手を――。




