(1)
問題の入団式から、一週間後である。
王剣騎士団の団長であるローマン・ベルツは、前代未聞の珍事に頭を悩ませていた。
本部にある執務室で、押し潰されたようにデスクに突っ伏している。部下には見せられない恰好だが、この場にいるのは他に第一騎士隊長のジノヴィ・デニソフだけだった。「ジノヴィ殿」と、疲れた声でローマンが呼びかける。
「どうしますか?」
ジノヴィも、これ以上なく難しい顔である。
腕組みして椅子に座り込んだまま、彼は次第に唸り声すら上げ始めた。
「……うむ。これは、団長であるお主が決める事だな」
「いえ、逃げないでください。正論ではありますが、それは……」
ローマンは頬杖を突きながら、ため息を吐く。
「団長の役目を俺に押し付けた時、相談にはちゃんと乗ると云ったのをお忘れですか?」
「忘れてはおらんよ。だから、こうして一緒に悩んでやっている。お主が決めろと、悩んだ末の答えもしっかり述べているではないか」
「その答えが酷いと云っているのですよ」
「そうかな。そうでもないと思うが――?」
二人にとっての難問は〈拝杖の儀〉である。
先週の入団式において、第二騎士隊長のエンノイア・サーシャーシャが見習い騎士になったばかりのユーマ・ライディングに対し、〈拝杖の儀〉の宣言を行った。そのために、せっかくの入団式が滅茶苦茶になってしまった事も大きな問題であるけれど――。
現状、それ以上に面倒な事になっていた。
騒動は収まる所か、ますます広がり続けているのだから。
「いい加減に答えを出さんと、団長として示しが付かんぞ。今朝もまた、妻から訊かれてしまったわ。本当にやるのか、と――。見習いになったばかりの者に対して、アルマ王国最強の騎士が〈拝杖の儀〉を行うのか、と――もはや、王剣騎士団の中だけの騒動ではない。街中に噂が広まり始めているのだからな」
「云わんでください。さらに頭と胃が痛くなる」
屈強で大柄なローマンは、見た目に似合わず気の弱い発言をする。
年齢ならば彼よりも遥かに上のジノヴィは、「喝」と大きく叱り付けた。
「ぐだぐだ云っている場合ではない。さあ、結論を出さんか」
騎士になるための最終関門〈拝杖の儀〉――それは本来、師弟関係にある騎士と見習い騎士で行われるものだった。
なお、見習い騎士という呼び方はそもそも通称である。
王剣騎士団においては、入団してから一年未満の者こそが正しく〈見習い〉と呼ばれている。一年以上の下積み期間を経ると、〈見習い〉であった者は〈従騎士〉という位を与えられる。さらには、〈従騎士〉の中でも成果や成績に応じて三等から一等までの序列が設けられているが――。
残念ながら、そうした位の違いは騎士団の中では重要視されるものの、他では一緒くたにされがちである。〈従騎士〉だろうと〈見習い〉だろうと、一般人からはどちらも〈見習い騎士〉と認識されてしまうのだ。
結局、大事なのは騎士であるか、そうでないか――〈従騎士〉と〈見習い〉の差は微々たるもので、騎士との距離とは比べものにならないという話でもある。
ジノヴィが云った。
「ユーマは従騎士ではない。本来は従騎士になった時点でいずれかの小隊に配属されて、そこで誓約を交わすものだが――さてさて、主従関係にない者達で〈拝杖の儀〉を行ったという前例はないぞ。どうする?」
「どうするも、何も……」
ローマンは瞬間、呆れた顔で叫びかけるものの――。
すぐに、モゴモゴと言葉を濁し始めた。
「エンノイアですら、一年待たせたわけで……」
エンノイア・サーシャーシャ――アルマ王国で最強の騎士はかつて、〈杖の儀式〉の時点で天賦の才を見せ付けた。それこそ、ユーマと同じように――。見習いとしてスタートした時点から、指導を行う騎士達の方が自信を失っていくような有様だったのだ。
――最強の見習い騎士。
冗談のような二つ名は元々、彼女の持ち物だった。
最初の一年、見習いとして過ごす間にも、騎士として既に十分な実力を備えている事を示し続けた彼女だけど――それでも、〈拝杖の儀〉が行われたのは十六歳の時である。
何と云っても、見習い騎士を卒業するには平均して十年以上は掛かるものだ。地道な努力を続けている者達がたくさんいる中で、見習いに〈拝杖の儀〉を行わせたならば様々な悪影響が出るだろうと、ローマンはかつてそう判断した。
少なくとも、従騎士になってからにするべきと――。
結局、最低限の慣例を守ったわけである。
だから、本当は考えるまでもない。
「何を悩んでいるのか?」
遂に、ジノヴィはこう云った。
「王剣騎士団の団長として〈拝杖の儀〉を認めるか、認めないか――お主にはその権限がある。中止は掛けられるのだ。誰の目にもエンノイアの行動は行き過ぎなものとして映っているだろうよ。入団式をぶち壊し、見習いとしてスタートした瞬間の者に戦いを申し込む、それも主従関係にあるわけでもないのに――まったく、どう考えても馬鹿げた話でしかない」
至極、常識的に告げた。
「本当ならば、団長がその場で一喝して終わるような話だぞ?」
何もかも、常識外れ――。
そうなのだ、認める方がおかしい話なのだ。
「そう、わかっている――」
ローマンは呟く。
「やめろ、と……。エンノイアをいつものように叱り付けて、それで終わりにするべきだろうと……。確かにそう思っていました。しかし、ジノヴィ殿――。あなたですら悩まれていた。だから、俺に決めろと馬鹿な結論になるのでしょう?」
「儂を馬鹿と云うか、この馬鹿者」
ジノヴィは笑った。
「当然の結論だ。王剣騎士団の団長は、お主なのだから」
ローマンは頭を抱えている。
ブツブツとしばらく独り言を漏らしていたが、やがて顔を上げた。
「決めました。やらせます」
「……ああ、そうするか」
「ジノヴィ殿。俺にばかり、責任を押し付けるとは――」
ローマンは恨めしげに云った。
「見たいならば見たいと、あなたもそう云ってください」
「馬鹿者が。儂はそんな事、思っておらんよ」
ジノヴィはそう云いながら、大いに笑っていた。
「だが、見物はさせてもらう。おそらく、儂だけではないな。王剣騎士団の――いや、場合によっては街中の人間が見物に訪れるかも知れんが……」
「見世物ではありませんよ」
「だが、最高の戦いになるかも知れん」
入団式の翌日から早速、見習い騎士の新人三名の訓練が始まっている。
団長であるローマンや第一騎士隊長であるジノヴィの元には、若手の騎士や従騎士からの悲鳴がいきなり飛び込んで来ていた。どうして良いか、まったくわからないと――教える側が教えられてしまうのだから、それは確かにどうしようもないだろう。
しかし、ローマンとジノヴィはそうした者達を叱り飛ばすなんて事はできなかった。
彼らも体験しているからだ。
ユーマの才能を、その技を、その力を――ゴーレム〈イストアイ〉を初起動させたあの時である。まるで魂が乗り移ったように、〈イストアイ〉は自由な動きを見せていた。経験豊かなローマンとジノヴィが驚愕に言葉を失い、ショックにふらりと倒れそうになるぐらいには、ユーマの騎士としての技術は完成されていたのだ。
既に、その存在感は無視できないものになりつつある。
だからと云って、一方で――。
騎士団の中に、エンノイアを疑うような者は一人もいない。
彼女が負けるなんて、誰も想像すらしていなかった。
「矛盾だな」
ジノヴィは遠い目になりながら呟いた。
「儂には、どちらの負ける姿も想像できんよ」
「……俺には、どんな戦いになるかも想像できません」
ローマンはそう云いながら、ようやく肩の荷が降りたようにため息を吐いていた。前例がなく、どう考えても馬鹿馬鹿しい〈拝杖の儀〉を認めるべきなのか――団長として責任ある立場であるから、冷静に答えを出そうと努めてきた。
一週間、己の心に問い続けたのだ。
ただの好奇心ではないか――。
己の欲に惑わされているのではないか――。
「正直に云えば、お主は認めないと思っていたぞ」
ジノヴィは不意にそう云った。
「見た目に似合わず、昔から生真面目な奴だったからな」
「そうですね。だから、団長などやらされているのですよ」
ローマンは不服そうに答える。
ジノヴィはさらに問いかけた。
「どうして、認める気になった?」
「大した事ではありません。予感ですよ」
「……予感?」
ローマンはそれ以上答えなかった。
答えられなかったと云うべきかも知れない。
ローマンは自身でも、胸中の想いを完全には説明できなかったのだ。確かに、ユーマとエンノイア――最強の見習い騎士と最強の騎士がどんな戦いを見せてくれるのか、子供のように興味を抱いている部分は認めるしかない。だが、決してそれだけではなかった。
ユーマとエンノイアを戦場で巡り合わせる事で――何か、途方もない成果が得られるのではないかと、ローマンは根拠のない可能性を感じているのだ。
「そう、俺は変化を恐れたくはないのです」
可能性――。
それは、二人のためだけではない。
ローマンは団長として、王剣騎士団の全員の事を――。
引いては、アルマ王国の全ての民の事を考えている。
「少なくとも……」
かつてない〈拝杖の儀〉の結末――勝敗の行方なんてまったく見えないが、唯一、ローマンはこれだけ確信していた。
「ユーマの存在は広く、国中に――否、大陸中に知られるべきです。勝敗に関わらず、エンノイアと一対一で戦えるだけの存在が登場したという事は衝撃的なニュースになるでしょうから。彼はこれから間違いなく、アルマ王国の英雄になっていく」




