(11)
遂に、この日が来た。
緊張と期待で張り裂けそうな身体を王剣騎士団の制服で包みながら、ユーマは王城のエントランスに足を踏み入れる。「おー、スゲえ。デカいな」と、素直な感想を漏らしているのはワイアット。一方で、レイティシアは無言のまま澄ました表情を崩さない。
本日の主役、三名。
入団式のスタートは小一時間後に迫っていた。
「ほら、ちゃんと着いて来い。迷子になられると、俺が怒られる」
三人を先程から先導してくれているのは、騎士であるクレートだった。
ユーマが彼と顔を合わせるのは〈杖の儀式〉以来初めての事である。感謝と謝罪を――気を失い倒れた際に助けてもらった事とゴーレム〈サーラス〉を壊してしまった事を――きっちり伝えなければいけないと思ったが、いつもの人見知りを発揮してしまい、「あの、その……」と、最初はいきなりモゴモゴしてしまった。
すると、クレートは――。
「よお、〈杖の儀式〉の時は凄かったな」
快活に笑いながら、彼の方から切り出してくれた。
「……あ。あの、あの時はすみませんでした」
「いや、気にするな」
一瞬、クレートは迷いのような表情を浮かべたようにも思える。ユーマはそれに気付いたが、彼がもう一度「気にするな」と繰り返したため、それ以上は何も云えなかった。
クレートはあくまで調子よく、三人を案内してくれる。
ユーマは二人に挟まれる形で、ぎこちなく歩みを進めていた。
ワイアットが時折話しかけてくるけれど、どうしても生返事になる。
原因と云えば、レイティシアの威圧感であり――。
はっきり云ってしまえば、ちょっと怖い。
あの衝撃の日から、彼女と顔を合わせるのはほぼ一週間振りである。
あら、ごきげんよう――などと、先程、他人行儀の極みのような挨拶をされた。それ以降は一切の会話がない。視線が合ったとしても、冷たく逸らされるだけだ。取り付く島もないという感じだが、ユーマの方も積極的に話しかけようとはしていなかった。
というか、何と話しかけてよいのやら――。
(困った。本当に、困った)
筆頭魔術師に手を取られながら、うっとりと陶酔した顔で『奴隷にしてください』と云われているその光景――。想像すれば、地獄絵図である。
レイティシアはあの日、何も云わずに去って行った。
果たして、彼女は何を思ったものか。
(うん、考えるだけで恐ろしい)
ユーマはため息を吐いた。
「騎士になれば、王城の出入りも自由だろ。うわー、スゲえよな」
無邪気なワイアットが唯一、心のオアシスである。
荘厳なエントランスから、入り組んだ細い通路を抜けて行く。複雑な道順も、クレートは慣れたものらしい。彼に先導されながら入団式の会場である祭典ホールを目指すその途中、城の中庭を通り掛かった。
その時である――。
「おーい、よかった。すれ違わなかった」
麗しい乙女のように手を振りながら駆け寄って来る――否、ドスドスと進撃する豚のような調子でやって来るのは筆頭魔術師のバーナード。「……やはり、来たわね」と、まるで仇敵が出現したかのようにポツリと漏らすのはレイティシア。殺気が凄い。
ユーマはとにかく青ざめる。
前方のバーナード。
後方のレイティシア。
ここが、本当の地獄か――。
真剣にそう感じた。
「お待ちしておりました、ユーマ様」
バーナードはまっすぐユーマの目の前までやって来ると、もろ手を挙げながらいきなりそう叫んだ。レイティシアは最初から凄まじい目付きになっていたけれど、他の二人、クレートとワイアットはその瞬間に間抜けな顔になる。
「ユーマ様?」
彼らはまったく同時に、不思議そうに呟く。
それもそのはず、筆頭魔術師――。
アルマ王国において、バーナードが敬意を払わなければいけない相手はそれ程多くない。筆頭魔術師という肩書きはそれだけ上等なものだ。加えて、彼は傲慢な人物としても広く知られている。他人を敬うような姿が想像もできない人物だからこそ、この瞬間、ユーマにぺこぺこと頭を下げる姿はとにかく異様に見えるのだ。
ユーマも含めて、誰も何も云えなくなる。
バーナードはニコニコと笑いながら、「それでは行きましょうか」とユーマの腕をいきなり掴んだ。体重があるせいか、意外に力は強い。ユーマは問答無用で引き摺られて行く。
「おい、そこの騎士。ユーマ様は一時借りて行くからな。この件は、団長のローマン殿も承知している。入団式の開始まではまだ時間があるはずだ。もしも、ユーマ様の戻りが遅くなりそうならば開始を遅らせろ。いいか、他の者にもそう云っておけ」
クレートは「は、はい……」と、呆然としたままで応える。おそらく、思う所や云いたい事はたくさんあったに違いない。だが、相手は筆頭魔術師である。圧倒的に目上の人に対して、若い騎士は頷くしかなかったようだ。
ワイアットは、「はあ、なんだなんだ?」と混乱している。
そして、レイティシアと云えば――。
「引くわ」
ドン引きの目付きである。
「ご、誤解だよ!」
ユーマはレイティシアにそう叫ぶものの、虚しい言葉にしかならない。
三者三様の複雑な視線に見送られて、ユーマはずるずると引き摺られていった。
随分と進んだ頃になってようやく、「わ、わかりました。ちゃんと付いて行きますから、手は離してください」と訴える。「おお、失礼を。これは申し訳ありませんでした」と、バーナードは素直に手を離してくれた。
もはや、観念するしかない。
ユーマはひとまず、何が何なのか尋ねてみる。
「僕らは何処に向かっているんですか?」
「はい、闘技場でございます」
「闘技場? どうしてそんな所に――?」
「いえいえ、大した事ではございません。云うなれば、〈杖の儀式〉と同じでございますよ。ほんの少し、ユーマ様のお力を見せていただきたく――入団式の前に、ちょっとだけゴーレムを動かしてください。それだけの話でございます」
ユーマは首を傾げながらも、〈杖の儀式〉の名前が出てきた事から、また何かしらの調査なのかと想像した。確かに、〈杖の儀式〉で何をやったのか――色々と話を聞き取るよりも、もう一度再現してみた方がわかり易いかも知れない。
何にしろ、ゴーレムを動かすだけならば大した事ではないだろう。
ユーマはそんな風に思い、少し落ち着き始める。
「さあ、こちらです。どうぞ」
闘技場の中に案内された。
そこで待っていた人物を見て、ユーマはまず驚かされる。
「やあ、すまんな。入団式の前に、こんな形で顔を合わせる事になるとは……」
団長のローマンである。
手を差し出されて、ユーマは呆けたまま握手した。
「そんなに緊張するな。楽にしろ!」
背中をバシンと豪快に叩かれて、ユーマは大いによろめく。苦笑しながら顔を上げれば、他にも幾人かの姿に気付いた。ジノヴィとガルシア、二人の騎士隊長はアルマ王国の有名人である。もう一人のトオミについては、ユーマには誰だかわからなかったけれど――その服装から、魔術師である事ならば推測が付いた。
とはいえ、彼らの姿に注意が向いたのは一瞬で――。
ユーマの視線はすぐさま、ある一点に釘付けになった。
「こいつが気になるか? まあ、当然だな」
ローマンがすぐに説明してくれる。
「次期正式量産型試作ゴーレム、その二号機である〈イストアイ〉。本来ならば、団長である俺か、第一騎士隊長や第三騎士隊長の専用機に考えていたゴーレムだが……いや、まあ、堅苦しい話は抜きにするか。まずは試してみるべきだな」
ユーマは話の流れが読めずに戸惑うが、ローマンはさらに詳しく説明する代わり、腰に提げていた杖を引き抜く。そして、それをユーマの前に差し出してきた。
「杖は、騎士の正式な証だ。見習いである間は自分の杖を持てないしきたりだが……ひとまず、俺の杖を貸そう」
巨漢のローマンに似合う、ずっしりと重い杖である。
ユーマは落とさないように両手で握り締めた。
「なかなか似合うぞ。さあ、動かしてみろ」
ローマンは豪快に笑いながら、ゴーレム〈イストアイ〉を指差す。
「僕が、ですか……?」
「難しく考えるな。これは別に〈杖の儀式〉ではないのだから。こいつを動かせなかったからと云って、お前の入団式を取りやめにするなんて事はない。何も心配するな。ただちょっと、新入りの頑張りを見てみたいというだけの話で――そう、とりあえず気楽にやれば良い。ゴーレムを動かすのは楽しいぞ?」
茶目っ気のある笑みを向けられて、ユーマはようやく安心する。
突然の事で戸惑いの方がまだ大きいけれど、とりあえず心配はいらないようだ。
動かせば良いらしい。
そう、それだけの話ならば――。
「はい、やってみます」
ユーマはローマンに対し、ニッコリと笑いながらそう返した。
もちろん、ユーマは知らない。ゴーレム〈イストアイ〉が団長や騎士隊長には動かせなかった機体である事も、これを動かせば、アルマ王国の騎士としてトップの座に限りなく近付いてしまう事も――。
それは、すなわち――。
最強の騎士であるエンノイアに肉迫する事であり、それもまた、運命の大きな転換点になるという事であり――。
最強の見習い騎士、と。
そんなあだ名で呼ばれるようになるという事を、この時点のユーマは知る由もない。
だから、気負いはなかった。
無邪気に胸を躍らせる。
興奮と歓喜は胸の内でじわじわと膨らんでいく。
そして、すぐに爆発してしまいそうになる。
息を吸った。
深く。一度、二度――。
ユーマがこの瞬間に思い出すのは、ゴーレム〈レーベンワール〉の披露会である。ちらりと振り返ってみれば、青空を背景に教会の尖塔が見えた。なんだか懐かしさすら感じるけれど、実際はそんなに昔の事でもない。そんな風に感じるのは、ユーマを取り巻く環境がそれだけ激変してしまったからだろう。
不思議だった。
夢見た場所に、今、ユーマは立っている。
ドキドキしていた。
ワクワクしていた。
不安なんて、欠片も感じない。
だけど、その瞬間――。
ズキリ、と。
痛み。
久しぶりの頭痛が走った。
「……おや、大丈夫か?」
ユーマの異変を素早く察知したのか、ローマンがそう尋ねてくる。「大丈夫です」と答えながら、どうにか力強く前に踏み出す。自分の意志で、ユーマはゴーレム〈イストアイ〉に近づいて行く。心配されて、それで取り止めになる方が嫌だったのだ。ズキズキと痛む頭を片手で押さえながら、もう片方の手で杖をギュッと握りしめる。
「……ああ、綺麗だな」
ゴーレム〈イストアイ〉を見上げる程に近づき、何気なく思ったままに呟く。純白の装甲が輝いている。〈レーベンワール〉は不吉な面構えであるけれど、〈イストアイ〉は女性を思わせるすっきりとした顔立ちだ。
「嬉しいな、こんなゴーレムを操れるなんて……」
そんな風に云っている内に、頭痛はさらに酷くなる。
最近では、ここまでの発作は珍しい。ユーマは顔をしかめた。深呼吸。しばらく下を向いたまま、集中しようと努める。「おーい、本当に大丈夫か」と、遠く背後からはローマンの呼びかける声が届くものの、返事はできず、片手をゆらりと挙げる事しかできない。
コンディションは、最悪――。
それでも、やるしかない。
そうだ。
そう云えば、〈杖の儀式〉もそうだった。
あの時も朦朧とするぐらいの痛みの中、ユーマは声を聞いて――。
――ユーマ、……う……。
杖を掲げたその時である。
「フィオナ?」
ユーマは反射的にそう呟いた。
――はい、ユーマ。
そして、はっきりと聞こえた。
懐かしいその声――名前だけしかわからないけれど、ユーマにとって何よりも大切と思えるその声である。「フィオナ」と、もう一度声に出した。頭痛はまだ続いている。片手で額を押さえたまま、ユーマを天を振り仰ぎ、まるで空の果てに誰かがいるように目を凝らしてみた。
――ユーマ、の……。
聞こえる。
だが、まだ遠い。
「フィオナ」
何度でも呼ぶ。
まるで空から一本の糸が伸びていて、今にも切れてしまいそうなそれを頼りに声をやりとりしているようだ。遠い。遥かに遠い。それだけが、ユーマにはわかった。
「フィオナ」
頭が痛い。
ズキズキ、と。
痛みが邪魔だ、鬱陶しい。
邪魔するなと云わんばかりに叫ぶ。
絶叫し、絶叫し、絶叫し――。
獣のような唸り声の中で、ユーマはさらに――。
「起動開始!」
杖を高々と掲げた。
右手で柄を持ちながら、左手を先端の〈デバイス〉に重ねる。ぐにゃり、と。心が引っ張られるような感覚。だが、ユーマは動じない。流れに身を委ねる。そして、支配するのではなく、手を差し伸べるような気持ちで――。
さらに、叫んだ。
「さあ、おいで! イストアイ!」
エーテルフレームが力強く、一気に黄金色に染まり始めた。動く。「さあ、アイ!」と、もう一度。〈デバイス〉を握り込めば、ユーマとゴーレム〈イストアイ〉の接続はさらに強くなる。
立ち上がる。
さながら、〈杖の儀式〉の再現のように――大きな違いと云えば、〈イストアイ〉は〈サーラス〉のようにエーテルフレームに亀裂が走ったり、装甲が弾け飛んだりはしなかった点だろう。問題はない。一切の問題がなく、ユーマとゴーレム〈イストアイ〉は長年連れ添った相棒のようにしっくりと、そして威風堂々と、大地に立ったのだ。
気が付けば、頭痛は消えていた。
そして、彼女の声もまた、遠く、遠くに――。
「……フィオナ?」
呆然として呟き、立ち尽くすユーマの背後では――。
静寂。
歓声も拍手もない。
ローマンを始めとして、ジノビィとガルシア、騎士である三人は表情を失くしていた。彼らは既に、ゴーレム〈イストアイ〉を動かそうとして失敗している。彼らのレベルでは〈イストアイ〉は応えてくれなかったのだ。
才能。残酷なまでの差。騎士であるからには、誰もが価値ある宝石のようなものだ。三人はそれぞれ、何年も、何十年も、己を鍛え上げ、磨き上げてきた。プライドはある。才能と努力の輝きを誇っていた。だが、それらはあっさりと価値を失った。
才能の原石、あまりにも大きな――。
ゴーレム〈イストアイ〉が苦もなく立ち上がっていく様子と、太陽のように輝くエーテルフレームを見ていれば、それでもう十分だった。
努力を語るのも恥ずかしい。磨き上げる前の原石に対しても、もはや勝負にならないのだから。
騎士達は何も云えず、見動きする事もできなくなっていたが、対照的な反応を見せたのは魔術師のトオミである。〈杖の儀式〉の尋常でないトラブルも間近で見ていたとはいえ、今回はゴーレム〈イストアイ〉という、よりわかりやすい判断基準があった。「凄い」と素直な感嘆の声。〈イストアイ〉をしばらく任されていたからこそ、それを準備なく動かせるユーマに対し、ひたすら純粋な賛美の心を向けていた。
もちろん、賛美の心と云うならば――。
誰にも負けないのは、バーナードである。
「やりましたな、ユーマ様!」
誰よりも真っ先に駆け寄ったバーナード。
だからこそ、異変に一番早く気づいたのも彼だった。
「……ユーマ様?」
バーナードはもう一度、声をかける。
「ユーマ様、どうされましたか?」
ユーマは答えない。
ただただ、空の彼方を見つめている。
「……バーナードさん」
ようやく反応したかと思えば、不思議な呟き。
ユーマは心ここにあらずという調子で尋ねていた。
「僕、怒られるような事しましたか?」
「……は、はい?」
あまりにも脈絡のない問いかけに、バーナードは大いに戸惑った反応。しかし、ユーマはさらに、空を見つめたままで「……フィオナ。別に、僕は何も――」と呟き続ける。
もう、聞こえない。
しかし、最後の瞬間には聞こえた。
ユーマにはそう、確かに聞こえたのだ。
くっきりと、クリアな声で――。
感情すら透けて見える声で――。
怒りと。
嫉妬と。
恨みと辛みと。
色々なものを込めた声で、彼女はこう叫んだ。
――ユーマの、浮気者!
「フィオナ。……フィオナさん?」
意味がわからない。
だが、ユーマは血の気を失っている。
どうして背筋が冷たくなるのか、わからない。
まるで遺伝子に刻み込まれた本能が反応するかのように、ユーマは「はい、フィオナさん? 他の子と繋がるのはダメでしたか?」と敬語になってしまう。しかし、もはや反応はないのだ。
青ざめるユーマの心にシンクロしてか、ゴーレム〈イストアイ〉と云えば両手で頭を抱えていた。やっちまった、という感じ。人間そのものと云って良い動きに、騎士達は顎が外れんばかりの表情になり、魔術師達は興奮に卒倒しそうになっているけれど――。
もちろん、ユーマはそれ所ではなかったのである。
「あの、その、フィオナさん……もしかして、怒った?」
もう何も聞こえない。
そう思っていたら、最後に一言だけ聞こえた。
――はい、ユーマ。
何はともあれ、最強の見習い騎士がここに誕生した。




