(6)
王剣騎士団の制服が届いたため、とりあえず着てみた。
レイティシアは自分の部屋で、子供のようにくるりと回ってみる。
「悪くない」
むしろ、大変よく似合っていた。
鏡を見ながら、レイティシアは幾度か頷く。
騎士の正装に比べれば派手さはないけれど、いかにも軍服というクラシックな形もなかなか良いものだ。真紅のネクタイを結ぶと、それもワンポイントのアクセントになる。ピカピカのブーツに制帽。角度を変えながら、レイティシアは軽くポーズを取ってみた。
「うん、悪くない」
にっこり微笑んでみれば、それが良い意味でのギャップになる。
美少女の可愛らしい笑顔と厳めしい軍服。チグハグな取り合わせのようでも、それが時に素晴らしい魅力となる。レイティシアはちゃんとそうした機微を理解していた。
だが、楽しい気分も束の間――。
「飽きた」
制帽は放り捨てて、ベッドに倒れ込むように腰掛けた。
あまり乱暴に音を立てると、階下の母に怒られる。
そんな事はわかっているけれど、細かい事を考えたくない時もある。今が、そうだ。気が滅入っている理由がよくわからなくて、レイティシアはさらにイライラする。
王剣騎士団の入団式はいよいよ一週間後に迫っている。
楽しみという気持ちは嘘ではない。ワクワクしている、無邪気に(そうでなければ、制服をいきなり着てみるなんてしない)。レイティシアは子供の頃から騎士に憧れていた。
憧れ――否、レイティシアにとって、それは生きる意味と云っても過言ではないのだ。騎士になれないならば、死ぬしかないと思う時もあったのだから。
少しだけ、思い出してみる。
あの日――〈杖の儀式〉に合格した日の夜のことである。これまでの努力が報われて、レイティシアは第一騎士隊長のジノヴィやその他多くの騎士団の関係者に囲まれながら至福の時を味わっていた。
だが、そんな時間はすぐに終わりを迎えた。
ユーマのせいで――。
皆が言葉を失っていた。
レイティシアも、何も云えなかった。
もしも、言葉が出たならば――。
何と云っていただろうか――。
――どうして?
シンプルに、そんな風に云ったかも知れない。
どうして、ユーマなのか。どうして、邪魔をするのか。どうして何も努力もせずに、いじけるばかりで、ダメな奴が――どうして、どうして、どうして――。
我に返ったのは、異変が終了した後である。
力を失ったように倒れた〈サーラス〉と、轟音。地響き。そして、何が起こったのかわからないままザワザワと喧騒に包まれる闘技場。これ以上ない混乱と混沌だった。
そんな中、気を失ったユーマが運ばれていくのがレイティシアにも見えた。
誰かがお節介にも、レイティシアにこう叫んだ。
――家族だろ。妹なら、お兄さんの様子を見に行って……。
瞬間、レイティシアは怒りに震えた。
違う、と――。
反射的に、そう云いそうになってしまった。
「ああ、馬鹿みたい」
レイティシアは思わず、ベッドのシーツをギュッと握りしめる。やはり、思い出すべきではなかった。芋づる式に、くだらない記憶が次々と出て来るのだから。レイティシアは、心の奥底に閉まった思い出なんて――悲しみや辛さなんて、二度と見たくもなかったのだ。
レイティシアは立ち上がり、自分の部屋を出た。
すぐ隣が、ユーマの部屋である。
ノックもしないまま、レイティシアはそのドアを開けてみた。ノックは必要ない。なぜならば、そこにはもう誰もいないからだ。
空っぽの部屋を見つめながら、遂に、思い出してしまう――。
「大嫌い」
都市学校に通い始めて間もない頃である。
ユーマとレイティシアは生まれた時から気は合わなかったものの、ただし、その頃はまだ、憎しみを抱き合う程に険悪でもなかった。だから、二人で遊ぶようなこともあった。
かくれんぼ。
ユーマが鬼で、レイティシアは危ないから入ってはいけないと云われている屋根裏に、クスクスと笑いながら忍び込んだ。ここならば絶対に見つからないだろうと、無邪気に楽しくなっていたことを覚えている。
でも、今は後悔している。
屋根裏で、見つけてしまったからだ。
手紙――正しくは、遺言書と云うべきだろうか。古びた衣装ケースの中に、ぽつんと入れられていた。母の筆跡、母の署名。要は、何か不測の事態があった時のために、ローラが子供達に宛てて残していたものだ。
見てはいけないものだった。
なぜならば――。
そこには、秘密の告白があったから――。
「最低」
思い出したくないもの。
母が抱えていたその秘密は、レイティシアの人生を大いに歪めてくれた。
悔しく情けないことに、わざわざ秘密にしてくれていた事柄を暴いてしまったのは自分自身なのだ。だから、悲しみも怒りも、憤りも虚しさも――レイティシアは、自分自身にぶつけるしかなかった。
誰も、知らない。
レイティシアは自分が好きである。
同時に、自分が嫌いである。
そのような矛盾を抱える自分を、誰も知らない。
時々、思った。
ユーマが憎い、と――。
何も知らないで、ふわふわと生きているかりそめの家族が、とにかく憎らしかった。顔を見るのも嫌になる。優しくされたり、気遣われたりすると、さらに余計に腹が立つ。どうしようもないのだ。レイティシアは、理性では抑えきれない感情を抱えていたのだから。
「大嫌い!」
今も、また――。
持て余した感情をぶつける相手を見失い、レイティシアはとにかく、主のいなくなった部屋のドアを乱暴に叩き付ける。階下から、母の叱りつける声が響いてくる。何を煩くしているのかと――「何でもない。私、ちょっと出かけるから!」と、レイティシアはこれもまた乱暴な声で云い返した。
階段を一気に駆け下りて、そのまま家の外に出ようとした。
王剣騎士団の制服を着たまま、都市学校の友人にでも会いに行こう。そして誇らしげに胸を張れば、皆、目を輝かせて褒めてくれるだろう。虚しい、悲しい、悔しい――わかっている。わかっているけれど、今は、虚栄で心を慰めるしかないではないか。
泣きそうだった。
だが、泣かない。
それだけは、レイティシアのプライドが許さず――。
「ごめん。こちらが、ライディングのお宅かな?」
泣いていなくて良かった。
無様を晒してしまう所だったから。
「……はい、そうですが」
「おお。その恰好は――そういえば、今年の〈杖の儀式〉の合格者は兄妹だったな。珍しいことと覚えていたはずが、さて……」
家の外に飛び出した瞬間、そんな風に声をかけてくる者がいた。
最初は不審に目を細めたレイティシアであるけれど、相手が誰であるか気付き、慌てて背筋を伸ばしていた。どうにか、いつも通りの澄ました表情を取り繕う。
「筆頭魔術師さま……?」
レイティシアは、アルマ王国における魔術師ギルドの最高責任者を前にして、少しばかり首を傾げる。突然の珍客と云えば、そうだ。筆頭魔術師であるバーナードのような人物が、どうしてこんな所にいるのか。
バーナードは神妙な顔で告げた。
「ユーマ君はご在宅かな? 大事な話があるのだが……」




