(1)
「デートに連れて行きなさい」
朝一番、妹からそう命令された。
寝惚けていて、咄嗟には反応できない。
ただし、これだけは理解した。
不幸である。
「なに、文句あるの? ユーマの癖に」
ユーマ・ライディングの十四年間の人生は不幸の積み重なりでできていたが、本日もまた、この上なく幸先が悪い。ため息を吐けば、それと同時にズキズキと痛み始める頭。確かに、双子の妹は存在自体が大いなる頭痛の種ではあったけれど――。
ユーマにとって、頭痛は生まれた時からの持病でもある。
新神暦294年、1月――。
真冬の、殊更に寒さが厳しい朝である。
昨夜もまた、ユーマは突発的な頭痛に襲われてしまった。
原因不明の持病は幼少の頃から酷くなる一方で、最近は意識すら失うようなことも増えている。そして、痛みの果てに気を失った時には決まって同じ夢を見た。
不気味で巨大な――。
黒い、影が――。
(……あれは、何だろうか?)
不思議な夢である。
悪夢、とも云えた。
空想の物語に登場するような、未来的な建物。まるで王城や教会の尖塔のように、細長く伸びた街並み――コンクリートのビルやアスファルトで覆われた地面。もちろん、そのような異形の風景を何処かで実際に見たなんてことはない。あくまでも、夢である。そう。そうに違いないと、ユーマは強く思っている。
未知に彩られた街並みは、夢の中で激しく燃えていた。
何か、恐ろしいものに襲われているのだ。
ダメだ。
危ない。助からない。
侵略、破壊。
滅亡までのカウントダウン。
5,4、3、2、1――。
ぐるり、と。
不意に、場面転換。
夢だから、脈絡もなくシーンは切り替わる。
ユーマはそこで〈最後の戦い〉に挑もうとしていたが――。
(……馬鹿馬鹿しい)
寝汗をびっしょりと掻きながら、ハッと目覚めた時、ユーマは一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。自分の部屋、自分のベッド――数秒間、浅い呼吸を繰り返した後で、そんな当たり前にようやく気付いた。
夢が遠く、消え去る。
戦場ではなく、日常――。
朝の六時を告げる教会の鐘の音が、タイミングよく響いた。
(うん、馬鹿馬鹿しい)
落ち着くと共に、ユーマは夢の残滓をゴミ箱に放り込む。
ベッドの横には小さな出窓があり、朝の柔らかな光に包まれる街並みをぼんやりと見つめる内、夢の内容なんてさらさらと心から消えていく。そう、いつものことである。ベッドから抜け出す時には、どんな夢を見ていたかすらも完全に忘れていた。
「ねえ、ちょっと聞いているの?」
さて、夢の内容はともかく――。
現実もまた、厳しい。
階下の居室にあくび混じりに赴くと、日々の不幸の元凶――双子の妹であるレイティシア・ライディングとまず遭遇したのだ(遭遇したと云っても、ひとつ屋根の下で暮らしていれば、毎日毎朝、顔を合わせるのは当然であるけれど)。
ユーマがぼんやりしていると、彼女からドンと小突かれた。
「……痛いな、うるさい」
「はあ? 生意気」
もう一度、ドン、と――。
ほとんど殴るような調子だった。
二人は仲が悪い。
そして、まったく似ていない双子である。
癖のある黒髪に、小柄な体格。これまた陰気な黒の瞳は、近視であるために眼鏡が欠かせない。そんなユーマに対して、レイティシアは絹糸のようにまっすぐで光沢のあるブロンド、質の良い宝石のように澄んだ碧眼。すらりとして背も高かった。平凡で目立たない少年と、華やかで美しい少女を並べてみれば、むしろ双子であると気付く者の方が少ないだろう。
外見と同じように、中身もまた正反対。
だから、磁石のようにいつでも反発し合うのだ。
「なによ」
「なんだよ」
ほとんど、殴り合いの喧嘩になる一歩手前――。
「コラ、やめなさい。朝から元気なのは良いけれど……」
二人揃って、母から怒られてしまった。
「……はーい」
都市学校のクラスの中ではボスの地位にいて、やりたい放題のレイティシアであるけれど、一応、母には頭が上がらないのだ。家の中では埒が明かないと考えたのか、朝の身支度を終えたぐらいの所で、ユーマは彼女から強引に外へ連れ出された。
「もう、本当に何だよ?」
「だから、デートに連れて行きなさい」
悪い冗談だった。
思わず、引き攣った笑いが浮かんだ。
「嫌だよ、馬鹿馬鹿し……」
デートという建前に隠された、真の目的が何であるのかはユーマも薄々と察していた。察しているからこそ、サッサと逃げようとしたのだけど――。
壁際。
家の裏手にある、狭くて暗い路地裏である。
母に隠れてコソコソと話をするには都合の良い場所だから、レイティシアはここを選んだに違いない。強引にその手を振り払って逃げようとしたが、「逃がさない」と、逆に、端っこに追い詰められてしまった。
そして、キスされる。
一秒、二秒、三秒――。
唇と、唇で――。
「前払い」
レイティシアは顔を離すと、にっこりと笑ってみせた。
その笑顔は、そう、とても美しく――。
ゾッとする程に、邪悪だった。
「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんが大人しく……いえ、とても恰好よくデートに連れて行ってくれるならば、私は何も云わないわ。でも、断られたらどうしようかな? 遊んでくれなかったなんて――学校で泣いてしまうかも。そうね、兄妹なのにキスされてしまってなんて……思いっきり、云いふらしてしまうかも?」
脅し、である。
ユーマは青ざめていた。
単純に、キスされたことが気持ち悪かったのもあるけれど――。
昔から、レイティシアはこんな手をよく使うのだ。
「どうする、お兄ちゃん?」
レイティシアは外面が良い。母譲りの美貌に加えて、ユーマをあっさり手玉に取ることからもわかる通り、子供ながら悪知恵が働く――すなわち、それだけ頭も良いのだ。
はっきり云って、都市学校では人気者である。
友達が一人もいない、いじめられっ子のユーマとはその点でも対照的だった。もしも、彼女が故意にユーマの悪口を云いふらしたならば――それは想像するだけで地獄である。
レイティシアのシンパから、ユーマは袋叩きにされるに違いない。
「……わかったよ」
「あら、嬉しい」
抱き付かれた。
「大好き、お兄ちゃん……本当は、大嫌いだけど」
「うん。その点では気が合うね。僕も、レティが大嫌いだ」