(5)
第四格納庫は普段、廃棄される機体や素材を一時的に保管するために使われている。
雑多に積み上げられた廃材、放置されたまま埃を被ったパーツ。人の出入りが少ないためか、清掃はまったく行き届いていない。格納庫の中に足を踏み入れたバーナードは、いきなりゴホゴホと咳き込んだ。
「いつも仮面をされていると、こういう時は便利ですな」
別にそういう用途ではないと知りながら、バーナードは神徒に向けてそんな冗談を云ってみた。冗談か――あるいは、皮肉である。予想通り、彼は何も答えない。
格納庫の中に足を踏み入れた所で、神徒は無言のままに手を上げていた。指を一本立てると、下に向けて振り降ろす。配下の者達は簡易的な祈りの仕草でそれに応えて、格納庫の入口でぴたりと同時に足を止めた。
犬のようだ。
よく躾けられている。
バーナードはそんな感想を抱くが、口には出さない。
「よろしいですか、お一人で? さあ、それではこちらに……」
あくまで恭しく、下手に出続ける。
筆頭魔術師であるバーナードは、アルマ王国の魔術師ギルドでは絶対的な存在だ。
しかし、神徒の前ではそんな地位も紙屑同然である。権力の及ぶ範囲が違い過ぎるのだ。神徒がその気になれば、バーナードから筆頭魔術師の役職を剥奪する事も簡単にできてしまう。干渉される事は滅多にないものの、それが絶対にない事とは云い切れない。
腐っても、筆頭魔術師である。
政治的な計算ができない程、バーナードは馬鹿ではない。
神徒には徹底的に媚びへつらうべきと、理性的に判断していた。
一方、感情的には――。
――鬱陶しい、さっさと帰れ!
そんな風に思っていたりする。
「お目当てのものは、こちらでございます」
第四格納庫の最奥に、保護シートに覆い隠された巨大なもの――。
それこそが、赤の神徒の目的である。
前例のない突発的な来訪。その報せはアルマ王国の国王を経由する形で、わずか三日前にバーナードの元にもたらされた。最初は、何の冗談かと思ったものだ。神徒がわざわざ、アルマ王国のような辺境まで出向いて来るなんて珍しい気まぐれもあったものと――。
しかし、バーナードはすぐにその考えを改めた。
待てよ、もしかすると――。
それだけのモノという事なのだろうか、と――。
「こちらが、〈杖の儀式〉でトラブルを起こしたゴーレムでございます」
保護シートに隠されたもの――それはすなわち、〈杖の儀式〉で前例のないトラブルに見舞われたゴーレム〈サーラス〉の成れの果てである
バーナードと神徒の二人は、その正面近くで足を止めていた。
保護シートで隠されているため、まだ何も見る事はできない。だが、神徒は仮面の奥からじっと見上げていた。やはり、何も云わないようだ。
名前と顔はもちろん、声すらも神に捧げたつもりなのだろうか――。
バーナードは心の中でこっそり、気持ち悪い奴め、と吐き捨てる。
別に、教会にたて突くつもりはなかった。
バーナードは気まぐれに部下の尻を撫でるし、公的な研究費で時々は美味しいワインを買ってみたりと、まったくもって品行方正な人物とは云い難い。それでも、教会に対する忠誠心という点に関してならば後ろ暗い所はなかった。
仮にもギルドの長として、忠誠はちゃんと誓っているのだ。
ただし、その忠誠心を支えるものは信仰ではない。
バーナードの根底にあるものは、何処までも純粋な学問の探究心である。
叡智を極めたい。バーナードの究極的な願いはそんな所にあった。だから、筆頭魔術師という地位に固執するし、知識の番人でもある神を崇め奉っている。しかし、裏返せば、それは欲である。エゴである。信仰心とは遠く離れたものを土台にしているため、バーナードは神徒に対して一切の敬意を持たない。
そんな心中とは裏腹に、バーナードは表面上はにこやかに説明を始める。
「報告書の通りでございますが、先日に行われました〈杖の儀式〉――このアルマ王国における騎士の選抜試験でございますな。成人前の子供を集めて、ゴーレムと杖を与えてみるというシンプルな試験方法ですが――さて、その際にトラブルが起こりまして。これが何と云いますか、サンダー・デニス現象の激しくなったようなもので……」
そこで、神徒は急に手を上げる。
バーナードは口を閉ざすしかなかった。
「……何か?」
バーナードが尋ねると、神徒は保護シートを指差す。そして、手で振り払うような仕草を取ってみせた。「はあ、シートを除けろと? はい。もちろん、わかりました」と、バーナードは説明が途中だったために若干気分を害するものの、神徒に逆らうような馬鹿はしない。
ニコニコと笑顔を保ちながら、小走りに壁際に向かった。
保護シートを引き上げるためのハンドルがそこにあるのだ。こんな事ならば、適当に若い者を連れて来るべきだった――神徒にぺこぺこする姿を見られる事を嫌ったバーナードであるけれど、大汗をかきながらハンドルを回している内、大いに後悔したものだ。
「そ、それで、それででございますね――」
ヒーヒーと息が上がりながら、バーナードはなんとか説明を続けていく。
「お、おそらく、エーテルフレームの耐久度の限界以上の魔力が走ったものと、と、ヒー……そう、思われます。そのために、フレームは崩壊……フヒー。そ、装甲も一部弾き飛びました。た、ただし、残りの装甲はこちらに運び込まれた後、ヒー、調査のために剥がせるものは剥がしております。剥がせるものは、と、そう前置きが付きますのは……フヒ。ま、まずは、エーテルフレームの異常を覧いただいてから、ハアハア――」
日頃の不摂生で太った身体。
バーナードは倒れる一歩手間で、どうにか大仕事を終えた。
「はい、こちらでございます」
ユーマ・ライディングという少年の〈杖の儀式〉により、破壊――否、変質してしまったゴーレム。もはや、それは〈サーラス〉と呼べるものではなくなっていた。装甲の一部は引き剥がせたものの、大部分はどうにもできなかった。なぜならば、エーテルフレームに癒着しているからだ。癒着――あるいは、融合と云うべきかも知れない。
露わになった、それ――。
それは、巨大な十字架に張り付けられていた。
調査のため、どうしても直立させておく必要があったのだ。しかし、ゴーレム〈サーラス〉の本来の形状から原型を留めない程に歪んだそれを支える台座が、ギルドホールに準備されているはずもなかった。急造で用意された大きな十字架に縛り付けられた結果、それはさながら、古き時代の磔刑に処されているような有様で――。
ゴーレムと云うよりも、人間のような――。
息づかいすら感じさせるような、生々しい造形であり――。
「馬鹿な……」
バーナードは思わず、耳を疑った。
しかし、空耳ではない。
「馬鹿な、これは……」
もしかすると、不審者でも紛れ込んだのだろうか。バーナードはそう思って、周囲を見渡したぐらいだ。もちろん、そんな事はなかった。近くの物陰を覗き込んだりして、誰もいない事を完全に確認してようやく、赤の神徒――絶対に口を開かないと思われたその男が、感情的な叫び声を上げた事を悟る。
「神を冒涜するか」
仮面の奥で、揺るぎないはずの瞳が揺れていた。
装甲が滅茶苦茶に混ざり合い、溶け合ったようなエーテルフレーム――胴体や手足はそれこそ子供が作った粘土細工のように、何が何なのかわからない有様になっている。
ただ一点――。
その顔は、美しい。
少女の顔である。
元々、〈サーラス〉のエーテルフレームはそのような造形はしていない。いや、大陸中のゴーレムを集めてそのエーテルフレームを剥き出しにしても、このような馬鹿馬鹿しい細工を施した機体はないはずだ。
例えるならば、彫刻家が作り上げた至極の逸品のようだった。瞳を閉ざし、柔らかに微笑んでいる。透明なクリスタルの少女――それは間違いなく、〈杖の儀式〉の凄まじい発光現象の最中に、エーテルフレームが変質して形作られたのだ。
どのような現象なのか。
どのような作用が働いたのか。
調査は続けているけれど、わからない事ばかりである。
それでも、前例のない出来事をバーナードは歓迎していた。これは何かしらの大いなる発見に繋がるものではないかと、今も期待に胸を膨らませているのだけど――。
「破壊しろ」
赤の神徒は、いきなりそう云った。
「……は?」
「今すぐだ。破壊しろ」
赤の神徒は背が高い。
バーナードは詰め寄られて、思わず倒れそうになる。
「破壊しろ」
「い、いえ、赤の方。その――」
反抗は許されない。
口答えなど、バーナードは普段ならば絶対にしない。だが、あまりに唐突な物云いとこれまでの神徒らしくない感情剥き出しの態度に、ごくごく自然な戸惑いの声が出てしまった。
「調査は、まだ何も……。このような現象は、過去に類を見ません。あるいは、ゴーレムの技術に革新的な発見があるかも知れません。破壊すれば、その可能性が失われて……」
「構わない。破壊しろ」
バーナードは何も云えなくなった。
仮面の奥に、有無を云わせない強烈な瞳の輝きが見える。
「……わかりました」
うな垂れるバーナードに対し、神徒はさらに続ける。
「破壊しろ。姿形がわからなくなるまで粉々にして、さらに塵にしろ。そして、溶かせ。溶けた後は地に埋めろ。その地は立ち入り禁止にしろ――これまでの調査資料も全て破棄だ。特に、写真は一枚も残すな。調査に関わった魔術師や学徒、あるいはこの格納庫に立ち入る可能性があった者に関しては、掃除屋の一人に至るまで口を閉ざすように命令しろ。もしも、どのような些細な事柄でも秘密が漏れる事があったならば――」
バーナードは下を向いていた。
さすがに、不満が表情に出ていたからだ。
理不尽である。これ以上ない、素晴らしい研究材料。筆頭魔術師として、魔術師ギルドの統括本部にとりあえずの報告を送る事は当然だった。それが教会に届き、神徒の目に留まり――こんな風に前触れのない天変地異のように邪魔をされるなんて。幾ら考えても、理不尽である。納得できなかった。
「筆頭魔術師バーナード」
バーナードは不意に、神徒から頬を掴まれる。
万力のような力強さで、無理矢理に上を向かされた。
目が合う。仮面の奥に、ぎらぎらと光が――。
狂気にも似た、信仰の光。
神徒は一切の慈悲なく告げる。
「破壊しろ」
「……は、はい」
臆した。
神徒が手を離した途端、バーナードは床にへたり込んだ。
「は、はい。はい。今すぐ。赤の方の命令の通りに。即刻、破壊しますので……」
腰が抜けていた。立てない。怖かったのだ。
バーナードが力なく顔だけ上げた時、神徒は既に背を向けていた。
神徒はもう何も云わない。
顔もなく名前もなく、声もなく――ただの神の意志の顕在者に戻っている。先程までの、ある意味で人間らしい激情が嘘のようだった。何を考えているのか、もはやわからない。これから彼はどうするつもりなのだろうか――。
バーナードは座り込んだまま、赤の神徒の去り行く姿を見送った。




