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魔術師ギルドの位置付けは、国家の枠組みで見れば非常に特殊である。
王剣騎士団のような軍部が、あくまで国家の一組織として――国王という時の権力者に忠誠を誓っているのに対し、魔術師ギルドが忠誠を誓うものは神という絶対に他ならない。
ギルドと名の付く組織は、他にも無数に存在する。
有名な所で云えば、冒険者ギルドや職工ギルドである。
それぞれのギルドは、どんな場合であれ、教会の下部組織という体面は崩さない。それは詰まる所、時には暴力的にもなりうる統治者に対し、才能ある一般人の集まりに過ぎないギルドが自然と身に着けた防衛術であるからだ。
アルマ王国の魔術師ギルド、その本部であるギルドホールは第二王壁区画にあった。
王城を別にすれば、王都で一番背の高い建物は教会であるが、一番広い建物はギルドホールだ。それはもちろん、ゴーレムを製造するために相応の敷地を必要とするからである。
トオミはふらふらと力無い足取りで、ギルドホールのエントランスに帰り着いていた。
「死ぬ」
一言で、現在の胸中を全て表現しようと試みる。
「死ね」
やはり、こちらの方が正しい。
騎士団本部からギルドホールに帰って来るまでの間にも、青空にふわりと吸い込まれるような心地を幾度も味わった。すなわち、昇天する一歩手前である。過労死という単語が幾度も脳裏をかすめた。
激務を越えた激務――その最たる原因と云えば、約一ヶ月前の〈杖の儀式〉で起こった前代未聞のトラブルであるけれど、何よりも憎むべきは筆頭魔術師のバーナードその人だ。
トラブルの原因解明から後始末まで、全てをトオミに押し付けたのだから。
「死ね」
もう一度、トオミは心中を表現してみた。
「誰に死んで欲しいのかな?」
「それはもちろん、先生に……って、ぎゃあ!」
気付かない内に、背後から筆頭魔術師のバーナードに忍び寄られていた。
トオミは思わず、少女のように――そう、気持ちはまだまだ乙女である、二八歳だけど。とにかく、悲鳴を上げた。陰口を聞かれてしまったマズいという気持ち。パニックから抑圧していたストレスのタガが外れた結果、混乱の極み、両手で抱えていた書類の束をバーナードの顔面に叩き付ける。死ね、死ね、死ね――。
「……違う、間違えた!」
途中で我に返り、トオミは紙束の連打をストップする。
偶然居合わせた他の魔術師や学徒達からはニッコリと微笑まれて、グッと親指を立てられる(みんな、ド畜生である筆頭魔術師が嫌いなのだ)。人望がグンと上がった事を感じるトオミだが、もちろん喜んでいる場合ではなかった。
「すみません! 先生のお顔に蚊がおりまして!」
見え透いた言い訳をしてみるが、無駄だった。
「なるほど。たかが虫けらに対してこんなにも素早い反応ができるトオミ君には、是非とも、とにかく迅速な対応が求められる仕事を――そう、一週間後に火入れが迫っている試作ゴーレムの二号機の最終調整を任せようか」
「ホギャアー!」
死ぬ、死んだ、もうダメ――。
一週間、完璧に家に帰れない地獄の生活が決定した。
試作ゴーレムの二号機――現在、魔術師の間では〈不発弾〉と揶揄されている機体。
アルマ王国の現行の正式量産型ゴーレム〈サーラス〉に代わる次期正式量産型試作ゴーレム、その一号機は〈レーベンワール〉である。エンノイアという王国最強の騎士の手に渡った事もあり、その披露会ではスペック以上の性能を発揮した。
ひとまず、大成功という評価を得ている。
一方、二号機である〈イストアイ〉と云えば――。
「あれの調整とか、何をどうすれば!」
「何とかするんだよ。君が、何とか……」
ニヤニヤと笑うだけのバーナード。
大問題の種を蒔いたのは自分であるはずなのに、他人事のように云うのだ。思わず、「あ。また蚊が……」と白々しく云いながら、紙の束を振り上げるトオミだったが――。
「おっと。ふざけている場合ではないんだよ、トオミ君」
バーナードはそう云いながら、ちらりと別の方向に――ギルドホールの正面入り口に視線を走らせた。「やれやれ、お出でなさったぞ」と舌打ちまじりに云うものの、次の瞬間にはその表情をがらりと変化させる。
「やあやあ、ようこそ。遥々とお出でいただきまして、誠にありがたく……」
わかり易い愛想笑いを浮かべて、ドスドスと駆け寄って行くバーナード。
トオミも視線だけそちらに向けてみた。
ギルドホールにちょうど入って来た大集団――大勢の物々しい護衛に取り囲まれながら、その中心にゆらりと立っているのは白装束に仮面の男である。
「あ。嘘、ヤバ……」
トオミは反射的に呟いた後、慌てて頭を下げる。
エントランスにこの時いた者は全員、トオミと同じく深々と礼をしていた。
普段はどちらかと云えば、和気藹々と緩んだ雰囲気のギルドホールであるけれど、非常に張り詰めた空気が立ち込める。ちらりと少しだけ視線を上げてみれば、武装した護衛はこんな場所なのに油断なく辺りを見渡していた。
それだけ、重要人物という事である。
仮面の男――あるいは、名無しの男。
教会という世界的システムの頂点にいるのは、もちろん、神であるけれど――実質的に世俗に干渉するのは四人の神徒である。〈四神徒〉――大陸を四つに区分し、それぞれを自らの教区として管理する教会の最高指導者。その地位に至った瞬間から、彼らは人でなくなる。彼らは、あくまで神の意思である。だから、名前はない。顔もないのだ。
神徒は便宜上、色で呼ばれる。
顔を覆い隠す仮面には、一筋の赤い線。
アルマ王国の含まれる教区を管轄するのは、〈赤の神徒〉。
「赤の方、さあ。どうぞ、こちらに……」
バーナードはこれ以上なく腰を低くしながら、神徒をギルドの奥に案内していく。ぞろぞろと移動する行列を見送りながら、トオミは疑問に思っていた。
神徒が、どうしてこんな辺境に来ているのだろうか。
赤の神殿――神徒が普段いるはずのその地は、アルマ王国からはかなりの距離がある。ふらりと気まぐれで姿を見せるような人ではない。確かに、四年に一度は神徒による王国来訪の機会もあるけれど、それこそ国中を挙げて歓迎の準備をするような大イベントである。
こんな風に突如として――。
それこそ、緊急事態のように現れる事があっただろうか。
「何処に行くの? あっちにあるのは……、あれ、もしかして――?」
バーナードが神徒を案内していく方向から、トオミは目的地を察する。
「そうか、第四格納庫。〈杖の儀式〉のあれを見せるんだ……って、先生、あれを見せてどうするの? 調査は何も完了してないというか、何もわかってないのに!」




