(3)
クレート・マトリは今年で二五歳になる。
昨年、遂に〈拝杖の儀〉を受けて正式な騎士と認められた。
十四歳で〈杖の儀式〉を合格して王剣騎士団に入団してから、十年という歳月を費やして目標に到達したわけだが、騎士になるための歩みとしては、その十年という期間は早すぎるものでもなければ、遅すぎるものでもなかった。
要は、普通である。
アルマ王国の騎士として、クレートはまったく普通の男だ。
才能はあったのだろう。選ばれた人間であるというプライドならば、クレートも嫌味にならない程度には持っている。〈杖の儀式〉に合格するだけでも、奇跡のような確率なのだから――そこからさらに、王剣騎士団の厳しい訓練や試練でふるいに掛けられる。それでも必死にしがみ付いた者だけが騎士になれる。
才能だけでなく、努力も必要だった。
努力してきたという自負もある。
だが、それでも――。
選ばれた者の中では普通の人間にしかなれない、と――。クレートは騎士になる以前から、努力ではどうにもならない才能の限界というものに薄々と気付き始めていた。
最初の契機は、エンノイア・サーシャーシャの登場である。
普通は十年かかる道をたった一年で駆け抜けたエンノイア。拝杖の儀を受けるわずか十六歳の彼女――その美しくも過激で、恐れ多いとすら感じさせる姿は、クレートの心に色鮮やかに刻まれた。ああ、何をどう足掻いても勝てない相手がいるのだ、と――。
例えば、第一騎士隊長のジノヴィも騎士としては殿上人のような存在である。ただし、ジノヴィの場合は積み上げてきたキャリアが違う。今はまだ追い付けなくとも、これから何十年と努力を重ねれば、その地平に至れるでのはないかと淡い期待を持っていられた。
年下に追い抜かれると、何も云い訳はできないのだ。
そして、遂にはっきりと気付かされてしまった。
今年の〈杖の儀式〉において――。
ユーマ・ライディング。
思い出すだけで、背筋がぞっとして震える。
怖かった。理解すらできないのだ。
才能というもの。
残酷で、無慈悲なもの。
「よし。これで正式に復活だな」
頭が空っぽになってしまうような青空、春の風。
クレートはぼんやりと立ち竦んでいた。
昨夜の酒がまだ少し残っているのかも知れない。だが、さすがに騎士団長であるローマンに背中をバシンと叩かれたならば、我に返らない訳にはいかなかった。
クレートは慌てて敬礼するものの、それもまた場違いな反応になってしまう。
「騎士クレート、腑抜けるなよ」
「は、はい、団長殿! 申し訳ありません」
小隊の仲間達――王剣騎士団の第一騎士大隊に属する小隊のメンバーは、思うままに快哉を叫んでいる。騎士団長の前だと云うのに、子供のようなはしゃぎ方であるけれど、それも仕方のない事だろう。
青空を背景に、くっきりと浮かび上がる濃緑色のゴーレム〈サーラス〉。
ピカピカと陽光を反射する程に装甲は美しい――すなわち、新品の機体である。
「それでは、受領のサインを――」
魔術師のトオミが、ローマンに書類を差し出している。
「やれやれ、面倒だな」
「規則ですから。お願いします」
二人の事務的なやりとりを、クレートは黙って見守っていた。
戦術級魔法兵器〈ゴーレム〉は、非常に高価な代物である。騎士と云えども、それぞれに一体ずつ専用のゴーレムが与えられるような事はない。大国ならば事情は異なるが、アルマ王国のような国力の乏しい国では、特別の専用機が用意されるのは団長のローマンと三人の騎士隊長ぐらいである。
騎士団長ローマン・ベルツ、ゴーレム〈ローマン専用サーラス改〉。
第一騎士隊長ジノヴィ・デニソフ、ゴーレム〈零式サーラス〉。
第二騎士隊長エンノイア・サーシャーシャ、ゴーレム〈レーベンワール〉。
第三騎士隊長ガルシア・シトロエン、ゴーレム〈ガルシア専用サーラス改〉
三人の騎士隊長の下には、一機の〈サーラス〉を中心として構成される小隊が連なる。小隊には二人から三人の騎士が所属しており、交代制でゴーレムの操者を務めるという運用方法が基本になっていた。
しかし、クレートの所属する小隊のゴーレム〈サーラス〉は残念ながら、〈杖の儀式〉のトラブルのために魔術師ギルド送りになってしまった。
魔術師ギルド送り――小隊の整備員では手におえないレベルまで壊れてしまったため、専門的な技術と知恵を持つ魔術師に預けるしかなかったわけだ。
その結果がこれである。
修復不可能。新造のゴーレムと丸ごと交換――。
「あの、すみません」
訊くならば、今しかチャンスはない。
クレートは意を決して、トオミに話しかけた。
「……何か?」
魔術師ギルドから王剣騎士団に対するゴーレム〈サーラス〉の引き渡し手続きも無事に完了。ローマンのサインが入った書類の束を抱え、トオミは背を向けようとする所だった。「そ、その、訊いてもいいですか……?」と、クレートが声を上擦らせるのに対し、トオミはただ冷たく「何か?」と繰り返すばかりだ。
春。徐々に温かくなってきた今時期にも、彼女は魔術師の制服である鳶色のマントで全身を包んでいた。まったく日に当たらない生活なのか、生白い肌。フードと眼鏡に隠された表情には、一見して疲労の色が濃かった。痩せている。痩せ過ぎである。
「……何か?」
幽鬼のようなトオミの雰囲気に気圧されていたクレートだが、三度同じ言葉で問いかけられた所で、彼女がイライラしている事にようやく気付いた。
「す、すみません」
「……だから、何か?」
「あ。そのですね――」
慌てながら、クレートはずっと気にかけていた事を尋ねた。
「〈杖の儀式〉で壊れてしまった〈サーラス〉ですが……あいつ、どうして壊れてしまったんですか?」
クレートは、ユーマ・ライディングの〈杖の儀式〉を担当した――すなわち、誰よりも近くであの異変を見守った人間である。情けなく腰を抜かしながら、騎士になって以来連れ添った愛機の装甲が弾け飛び、エーテルフレームが炎天下で溶けた飴のように歪んでいく瞬間を見つめていた。
「あれは、何が起こったんですか?」
敵機に攻撃を受けたり、操作ミスで倒れたり――そんな外的な要因でゴーレムが壊れるのは理解できる。しかし、あの時、そうした外側からのダメージは一切無かったはずだ。
気が付けば、クレートだけでなく、この場にいる王剣騎士団の関係者全員の視線がトオミに集中していた。団長のローマンですら、腕組みしながら彼女を見つめている。
重々しい空気。
ゴーレムは兵器である。傷付き、壊れていくのは仕方がない。しかし、王盾衛士団の騎馬兵がその乗騎である軍馬を大切にして愛情を注ぐように、騎士もまた、ゴーレムをただのモノとは考えない。
クレートがゴーレムの壊れた理由を知りたいと思うのは、ごく自然な事だった。同じ小隊のメンバーも、おそらく同様の気持ちを抱いている。だから、空気は重くなる――亡くなった者を悼むような雰囲気に包まれて。
「秘密です」
トオミは素っ気なく、そう答えた。
「……秘密?」
クレートは眉をひそめる。思わず、睨み付けてしまった。
トオミは怯んだ表情になるが、すぐに淡々と説明を続ける。
「はい、秘密です。正確には、〈杖の儀式〉におけるトラブルは現在もまだ調査中のため、詳しい事は何も申し上げられないと云うべきでしょうか。不確かな発言は控えるようにと、筆頭魔術師から厳命も出ていますから……」
「調査が継続中とは――それはつまり、まだ何もわからないという事かな?」
横から口を挟んだのは、団長のローマンである。
皮肉を込めた発言は、器の大きい彼にしては珍しい。クレートはそう感じたものの、すぐさま挑発であると気付いた。実際、トオミはむっとした表情で口を開きかける。
「いえ、おそらく、あの時はサンダー・デニス現象の過剰な――」
しかし、そこまで云いかけた所で彼女は冷静さを取り戻したらしい。
口元に手を当てて、トオミは小さなため息を吐く。
「……秘密は秘密ですから。ここで失礼します」
浅く一礼をした後、彼女は振り返る事なく騎士団本部を去って行った。




