(7)
歓声が上がったのは、最初の一瞬だけだった。
ある意味で、それは一ヶ月前の再現である。披露会でゴーレム〈レーベンワール〉は圧倒的なポテンシャルを見せ付けたが、圧倒的過ぎたために観客は声を失ってしまった。
驚愕と――。
それ以上の恐怖のため――。
人智を超えたものは、怖い。理解できなくて、怖い。闘技場の観客席には数え切れないぐらいの人々で埋め尽くされているのに、冷たい静寂ばかりが漂っている。
エーテルフレームが輝き、ゴーレム〈サーラス〉が片腕を挙げた。〈杖の儀式〉ならば、そんな最初の一瞬で終わっている。
担当の騎士であるクレート・マトリは、正しく役目を果たすならばそこでストップを掛けなければいけなかった。クレートはこの後しばらく、第三王壁区画の場末の酒場で酔い潰れている所をたびたび目撃されるようになる。
腰を抜かして、何もできなかったのだから――。
恥である。情けなくて、クレートは呑まずにいられなかったのだ。
しかし、実際の所、彼の不始末を馬鹿にするような者は一人もいなかった。なぜならば、皆、自分があの場に居合わせたとして何ができるか考えてみて――何もできないという結論に落ち着くからである。
誰だって、腰を抜かすに違いない。
異常事態。〈サーラス〉は重厚なゴーレムであり、エーテルフレームのほとんどが厚い装甲に覆われている。関節部や装甲の継ぎ目からエーテルフレームの輝きは漏れてくるものの、それだけでは本来大した光量にならないのだが――。
黄金の光。
夜の闇が、真昼のように照らされている。
エーテルフレームの常態は透明なクリスタルである。〈デバイス〉を用いて起動すると、水の入った瓶にインクを数滴垂らしたようにじわりと、その全体がパーソナルカラーに染まり始める。
パーソナルカラーは人によって様々だ。まったく同じ色が現れる事はないとも云われているが、それにしても『黄金色』とは珍しかった。さらには、輝きの強さ。エーテルフレームに対するパーソナルカラーの浸食度が、騎士の技量力量――どれだけゴーレムを自在に操れるかの最もわかりやすい尺度となる。
本来、〈杖の儀式〉をどうにか成功させる子供は、パーソナルカラーの輝きはかろうじて色味の判別ができるぐらいのものだ。いや、そもそも正式な騎士だろうと、パーソナルカラーが装甲すら染め上げていくような馬鹿げた現象を引き起こせる者はいなかった。
「馬鹿な、ありえんぞ!」
頭の血管が切れそうな勢いで叫んだのは、第一騎士隊長のジノヴィである。
「なんという……なんという、馬鹿げたレベル! ただの子供がありえん!」
アルマ王国の騎士として最年長のジノヴィは、誰よりも多くの見習い騎士を指導し見守ってきた。ジノヴィの長いキャリアの中で最も優れた才能を発揮した者と云えば、それはもちろん、エンノイア・サーシャーシャを置いて他にない。
「このレベル、エンノイアに匹敵すると云うのか! いや、まさか……」
いつもの癖で、ジノヴィは自慢の口髭を撫でていた。ぶるぶると震える手で口髭を引き抜いてみても、痛みで目が覚めてくれるような事はない。現実だった。五年前の再現――否、五年前の既に伝説となったエンノイアの〈杖の儀式〉すら上回る光景が――。
「た、立ち上がりおるか!」
もはや、ジノヴィは泡を吹いて倒れそうだった。
古来の風習を元にして〈杖の儀式〉という騎士の選抜方法を考案したのは、実はジノヴィである。最初は試験的に始まった〈杖の儀式〉は、その後、様々な変更を加えられ、今日では大々的なイベントになるまでに成長した。その過程で、派手好きな大臣等が幾度も要求しながら、ジノヴィが決して譲らなかった重要なポイントがある。
騎士に対する理解が浅い者は、〈杖の儀式〉でゴーレムが地面に横になっている光景を評して「みっともない」と云う。騎士とゴーレムは国家の象徴であり、最大のヒーローである。だから、堂々と立っているべきと云うのだ。
言語道断である。
馬鹿な者共を、ジノヴィは「喝!」と殴りつけてやった。
騎士は、特権的な階級である。身分に関係なく、才能だけでそのような階級に着けるという事が、逆に、ゴーレムを操る事の難しさを物語っていた。
もしも、ゴーレムを直立させた状態で〈杖の儀式〉を行ったならば――。
儀式を成功させる子供が出てきた瞬間、ゴーレムはバランスを崩して倒れるだろう。
騎士としての訓練をしばらく積んだ者でも、ゴーレムを自在に操る事は難しい。例えば、右腕を挙げるという一動作――これはただ単に右腕を操作するだけでは達成できないのだ。右腕を動かした瞬間、当然、身体全体のバランスはわずかに崩れる。両足に力を入れて、倒れないように調整しなければいけなかった。
そのような繊細な動作を、まったくの素人に求めるのはナンセンスである。
だから、〈杖の儀式〉におけるゴーレムは安定した体勢――すなわち、地面に横にした状態にしておく必要があった。右腕を挙げるという一動作、それだけに集中させてやるのが子供のためである。才能を見極めるために、わざわざ危険を犯す必要はないのだから。
そんな配慮を嘲笑うように――。
過去に一人、ゴーレムを勝手に立ち上がらせた者がいた。
それこそ伝説となったエンノイアである。
儀式の終わった後、どうしてそんな無茶で馬鹿な事をしたのかと、無数の大人達に詰め寄られた彼女はとても不思議そうな顔で、『立ち上がる事の何が危ないの?』と呟いた。そうなのだ。右手を挙げる事も、立ち上がる事も、エンノイアにとっては最初から当たり前にできる事でしかなかった。
天才であり、化け物。
唯一無二の存在であるはずが、まさかの二人目が――。
「や、やりおったわ……」
堂々と立ち上がった〈サーラス〉。
両腕を大きく広げていた。指を一本一本開いていきながら、獣が唸り声を上げるように空を見上げる。人間ならば、何でもないような仕草――だが、ジノヴィだけでなく、この光景を見守っている騎士の全員が顎も外れそうな表情になっている。
できない。
馬鹿げている。
腕を動かし、指を動かし、胴体と首を動かし――それらをまったくの同時に行いながら、さらには倒れないようにバランスも取ってみせるという複雑な操作。〈サーラス〉のような前時代的なゴーレムでやるのは、騎士の中でも最上位に属する者でなければ無理だった。
「あう。ひひ、うひひ、これはこれはこれは――」
豚が鳴くような声を上げているのは、筆頭魔術師のバーナード。
彼は〈杖の儀式〉の最初の合格者が出たという一報を受けて、物見遊山にぶらぶらと自分の研究室からやって来ていた。ただの気分転換のつもりだったが、闘技場の入口で異常事態に気付いて顔色を変えた。
醜く太った身体で、それでも精一杯に走っている。
ドスドスと音が鳴りそうな調子で、バーナードは銅像のように固まっているトオミの横までやって来ると、「おい、馬鹿者」と、その尻をスパンと叩いた。「きゃあ、セクハラジジイ」と、トオミはバーナードの頬を間髪入れずに引っ叩き返す。
真っ赤に腫れ上がる頬を気にした様子もなく、バーナードは、「馬鹿者、こんな素晴らしい機会に何をしているか」と叫んだ。
「あれを見ろ。魔術師として、あれを見ろ」
天に向かって吠えるような姿の〈サーラス〉。エーテルフレームは相変わらず、張り裂けんばかりの凄まじい黄金の輝きに包まれていた。
さらには――。
「サンダー・デニス現象?」
トオミはようやく気付き、大きな悲鳴を上げた。
「そうだ。サンダー・デニス現象だよ、魔術師トオミ。エーテルフレームの内部に流れる、輝きを放つ正体不明の粒子――そう、魔力が漏れ出している。ありえんぞ。だが、ありえるのだ。騎士でもない子供が〈サーラス〉のエーテルフレームの臨界点を越えようとしている。それも、騎士エンノイア以上の途方もない規模で――恐ろしい。いや、素晴らしい!」
既に、闘技場の全体に拡散を始めている。
エーテルフレームの周囲に、蛍のような光の粒が無数に浮かんでいた。先程から、強い風が吹いている。だが、光の粒が押し流される事はない。そこに確かに見えるが、手を伸ばしてみても掴み取る事はできない何か――正体不明の魔力と呼ばれるもの。
エーテルフレームが実用化されて以来、そのような魔力の粒が浮かび上がるという実例は数多く確認されており、『サンダー・デニス現象』という名前で呼ばれていた。確かな事は何もわかっていないが、騎士として才能溢れる者に起こり易く、さらにサンダー・デニス現象を引き起こしているゴーレムは、通常時を遥かに上回るポテンシャルを発揮する事で知られていた。
「ちょっと、先生! 危険です、踏み潰されますから!」
「は、離せ。これを間近で観察しないのは、筆頭魔術師の名折れだ」
法衣の裾を掴んで引き留めようとするトオミと、地面に両手を突いて這ってでも進もうとするバーナード。端から見れば滑稽過ぎる状態だったが、「馬鹿者、馬鹿者、馬鹿者……。貴様には魔術師としての熱情がないのか。新たな発見の可能性を前にして、歓喜以外の何を感じようか」と、バーナードの心は何処までも真っ直ぐである。
真っ直ぐな視線――。
闘技場には、そのような視線を向ける者がもう一人いた。
誰一人として、彼女がここにやって来ている事に気付いていない。〈杖の儀式〉に関しては、何も仕事を云い渡されていなかったのだ。休日である。珍しく暇だったから、観客に紛れるという遊びをやってみた。ハンチング帽で目立つピンクブロンドの髪色を隠し、似合わない色眼鏡を掛けてみれば、意外に気付かれないものだ。背の高さだけはどうしようもないから、観客席に座った後はできるだけ立ち上がらないようにしていた。
エンノイア・サーシャーシャ。
アルマ王国の最も才能に溢れた騎士――大陸全土を見渡しても、彼女を上回る騎士はそういない。〈サーラス〉という鈍い刃でも隣国の最新鋭機である〈リル・ラパ〉を圧倒していたのだから、〈レーベンワール〉という鋭い刃を手にした今ならば、所詮は大陸の辺境であるこの界隈に敵はいないも同然だった。
飽いていた。
昼過ぎから観客席で、変わり映えのしない〈杖の儀式〉の光景を見守っていた事もそうだし、強くなり過ぎて敵がいないという事もそうである。〈レーベンワール〉に出会えた事は久し振りに胸の躍る出来事だった。しかし、せっかく手にした力を使わせてくれる相手がいないのだから、またすぐに退屈になるだろう事はわかり切っている。
好敵手。
生まれた時から胸の奥に溜め込み続けている感情を――激情を、全てぶつけさせてくれる相手は何処にいるのだろうか。探し続けて、求め続けて、何年が経っただろうか。
「初めまして」
エンノイアは、誰にも聞こえない小さな独り言を漏らす。
「初めまして、ボクの敵」
笑った。
今日初めて――。
否、騎士になって以来――。
否、否、否――。
渇きを覚えてから、ようやく――。
「ああ、全力を出せそうだ」
本当の意味で、笑えた。
エンノイアはそれから、胸の奥から溢れ出してしまいそうな数多の感情をどうにか押さえ込む。口の端が吊り上がるのは止められない。吐息のような笑い声が漏れるのも仕方ない。世界で一番良い男を見つめるような気分なのだから。限界を迎えそうな〈サーラス〉を、さらにしばらく見守っていた。
それから、ようやく杖を握る少年に目を向けてみるが――。
「……あ。可愛い」
コロリと表情が変わり、エンノイアは女の子のように微笑んだ。
「あの子、好み。やった、好き」
小さく拍手して、両手をぐっと握り締めるエンノイア。彼女が今日一番の喜びを溢れさせる中で、ユーマの〈杖の儀式〉もようやく終わりを迎えようとしていた。
突如として鳴り響く、大きな破砕音。
真昼のような輝きが失われる。
夜の闇が、この場に戻った。
そして、〈サーラス〉がゆっくりと倒れ始める。
装甲のあちこちが弾け飛んでいた。呆然となっている観客の中で、そこまで気付けた者は少ないだろうけれど――目を凝らしてみれば、エーテルフレームが元々の形から大きく歪んでいる事にも気付けたはずだ。
危ない、と。
幾人かが悲鳴を上げて、ようやく全員が我に返る。
闘技場を揺らす程の派手な倒れ方をする〈サーラス〉。土埃が舞い上がる中、それまで腰を抜かしていた騎士のクレートが、ゴーレムと同じように力を失い、ふらりと倒れかけたユーマを咄嗟に助けたのは幸いだった。クレートが後々語る所によれば、その時にはもう、ユーマの意識はなかったという事である。
混沌の中で、ユーマの〈杖の儀式〉は終わった。
終わりであり、これが始まりである。
騎士としての第一歩目か――。
あるいは、出会い。
名乗り合った訳ではないけれど、それでも、ユーマとエンノイアの二人はこれで最初の出会いを果たしていた。ユーマは一ヶ月前、教会の塔から〈レーベンワール〉の披露会をこっそり盗み見た。エンノイアはかつてない〈杖の儀式〉を観客席から見守った。
どれだけの言葉を尽くして語り合うよりも、これで十分に互いをよく知れたのだ。
だから、これが二人の始まり――。
闘争と愛憎に彩られた日々の幕開けである。
END
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NEXT
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