(5)
レイティシアが〈杖の儀式〉を成功させた。
観客席を埋める大人達はスタンディングオベーション。順番を待っている若者達は、賞賛の中に羨望が入り混じった複雑な顔になりながら拍手を送っていた。七日目も折り返し地点を迎えようかというタイミングでようやく今年最初の合格者が出た事に、王剣騎士団の関係者は一様に安堵した表情である。〈杖の儀式〉を行っている騎士達も一旦進行をストップさせると、万雷の拍手に次々と参加していく。
夕焼けをスポットライトのように浴びながら、レイティシアは満面の笑みで祝福に応えている。子供のように喜びに跳ね回るような事はなかった。堂々と静かに、大人のように手を振り続ける。
「はー、凄いな。おい」
しばらく経って、ワイアットが素直な感嘆の声を漏らす。
ユーマは彼に肩を貸してもらいながら、一部始終を見守っていた。
「なあ、凄かったな?」
ワイアットは他人事なのに嬉しそうだ。ウキウキと調子良く小突かれるけれど、肩を貸して貰っているためにユーマは逃げられない。そして、「おい、どうした?」と訊かれてもすぐには答えられなかった。
大きな一歩を踏み出したレイティシアから、ユーマは目が逸らせない。
こんな事を思うのは、初めてだったけれど――。
綺麗だ、と――。
そう思った途端、涙が溢れてしまった。
(ああ、そうか)
彼女を認められた自分に、ようやくホッとする。
鳴り止まない拍手とどんな宝石よりも鮮やかに輝く夕焼け、この一瞬は間違いなく生涯の宝物になるだろうけれど――レイティシアは誰よりも早く、表情を引き締めていた。既に、未来を見つめているのだ。十四年間、憎み合ってきた。罵り合ってきた。互いの腹の底にあるどんな汚いものでも突きつけ合ってきたから、ユーマにはわかってしまうのだ。
彼女の、喜びも幸せも――。
それらを押さえ付けてでも自分らしく在ろうとする慎重さも――。
(そう。僕だけが……)
だから――。
(僕だけは、本当に讃えてあげられる)
堂々とした彼女の態度。
さながら、それは鎧である。
大きな一歩――〈杖の儀式〉に成功したからには、レイティシアの目の前には騎士になるための道が開かれた。ただし、それは決して易しい道ではない。レイティシアは今日という日のために努力を重ねて来たけれど、その努力を無駄にしないためにも、これからまた失敗が許されない日々が続いていくのだ。
そのための重い鎧。
心を隠し、守るために――。
剥き出しの心を知っているのは、ユーマだけだ。
「良かった。ああ、本当に。レティ……本当に、良かった」
泣き笑いのような状態で、ユーマはどうしようもなく本音を漏らす。
「ああ、羨ましい。子供みたいに泣いてしまう僕が……僕は、情けないな」
そう思うのに、涙が止められない。
レイティシアをこれ以上見ていられなくて、ユーマは顔を伏せた。
「あれ、お前の妹なんだろ?」
しばらく経った頃、ワイアットがそう尋ねてくる。〈杖の儀式〉の長い順番待ちの間、彼とはたくさんの話をしていた。ユーマの酷い頭痛を慮ってか、ワイアットは気が紛れるような笑い話を幾つも披露してくれたものだ。一方で、ユーマは退屈で湿っぽい話しか思い付かなかったけれど――。
思い返せば、家族の話ばかりしていたかも知れない。
いや、家族と思い込んでいた人達だろうか――。
ユーマは涙を拭いながら、それでも今はこう答える。
「そうだよ。レティは僕の妹だ」
笑顔を向けると、ワイアットはにやりと笑い返してきた。
「妹に負けられないな、お前も頑張れよ」
「……うん、そうだね」
レイティシアは本当の妹ではない。血は繋がっていない。
大嫌いだった。今も、それは変わらない。
だが、取っ組み合いの喧嘩すら遠慮なくできたのは、彼女を本当の家族と信じていたからなのだ。切っても切れない関係――どれだけ憎み合っても、家族という縁は絶対なのだと思っていた。
そうではなかった。
だから、もう憎めない。
わずか一ヶ月前のユーマならば、『あんな奴が騎士になるなんて……』という憎まれ口でも叩いていただろう。そんな事を云えば、すぐにでも偽りの縁は途切れてしまいそうだ。赤の他人という関係は、たぶん、そんな風にとても脆いものだから――。
この手で引き千切るのは簡単だろう。レイティシアは、ユーマの不幸の原因のひとつである。消えて欲しいと、あれだけ願っていたはずなのに。今は、消えて欲しくないと思っている。勝手な奴だと、ユーマは自分でもそう思った。今さら、彼女に優しくするなんて無理だし、それこそ、愛しているなんて口が裂けても云えないのに――。
(それでも、良かった)
レイティシアが〈杖の儀式〉を成功させた報せは闘技場の外にも広がったようだ。歓声と拍手が外からも響いてくる。波が引くまでの間、〈杖の儀式〉はしばらく完全にストップしたままだった。
祝福のムードに包まれる中、レイティシアの次のチャンスを掴もうとする者達は徐々に表情を引き締めていく。「そろそろ、いい加減に泣きやめよ」とワイアットに笑われて、「嘘。もう泣いてない」と答えながら、ユーマも気持ちを立て直そうとする。
ようやく〈杖の儀式〉が再開される頃には、闘技場は夕闇に包まれ始めていた。
ユーマの順番も、もう間もなくだ。
都市学校の同級生で作っていた列の先頭がレイティシアであり、最後尾がユーマである。緊張はしていなかった。レイティシアの成功でざわざわと盛り上がっていた闘技場も、その後、再び粛々と失敗が繰り返されていく中で静けさと厳粛さが戻り始めている。
都市学校の同級生が、次々と肩を落として去って行く。
結局、他には成功者が出ないまま、ユーマの順番がやってきた。
「頑張れ、兄の威厳を見せてやれ」
最後、ワイアットに力強く背中を押された。
「ありがとう。僕の次だけど、ワイアットも頑張って……」
「おい、待て待て。ワットと呼べよ」
「……え?」
「村の友達は、俺の事をそう呼ぶから」
「……えっと、ワット?」
「オーケー、それで良い」
健康的な歯を見せつける笑みで、ワイアットは最後にこう云った。
「見習い騎士として、騎士団でまた一緒になれると良いな」
ユーマは額を押さえていた手を降ろし、自分からワイアットに差し出した。
握手する。「幸運を……」と、それだけしか云えない自分が情けない。でも、どれだけの言葉を尽くしても、ワイアットにこの感謝の気持ちは伝えられない気がした。
「行って来い」
「うん」
最後にまた背中を押され、ユーマは勢いよく前に出た。
十四年間の人生で初めて、ちっぽけな自分が主役になれる一分間――待ち受けるゴーレム〈サーラス〉と騎士の前に立てば、そこがユーマの小さな舞台となる。泣いても笑っても、ここが運命の分かれ道。ならば、せめて――。
(……せめて終わった時には、僕は笑おう)
ユーマはそう決意しながら、〈杖の儀式〉に挑む。




