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王国中から十四歳の若者が集まるため、〈杖の儀式〉は七日間という長めの期間が設けられているものの、やはり大変に混雑する。少しでも混乱を避けるため、王都に暮らす者は普段通っている都市学校に一旦集合し、学級毎にまとまって〈杖の儀式〉に向かうように定められていた。
騎士の正装をモチーフにした色取り取りの衣装に身を包み、表情もまた鮮やかな期待と興奮に染まった同級生の群れ。まるで雛鳥のような騒ぎをしていた。正午もかなり過ぎた頃、ようやく教師がやって来て王城に向かう順番が来たと告げる。
拳を突き合わせる男子、手を取り合って跳ねる女子。
ユーマは一人、頭を押さえて椅子に座っていた。
痛い。いつも以上に、頭痛が酷かった。
粛々と、都市学校の生徒達による大移動が開始される。カラフルな街並みは、七日間の最後という事もあって一際の盛り上がり。〈杖の儀式〉に向かう子供達を祝福しようと、擦れ違う全ての人々が笑顔で祈りのポーズ。暗く沈んでいるのは、ユーマぐらいである。
不幸中の幸いか、学級の一列の先頭はレイティシアで、最後尾はユーマである。このまま〈杖の儀式〉が終わる時まで、顔を突き合わせる事も言葉を交わす事もないだろう。ピリピリと張り詰めている彼女に近寄りたくはなかった。
子供ならば誰でも騎士に憧れるが、レイティシアは人一倍に憧れが強いようだ。
そして、ただ憧れるだけでなく、騎士になるための努力を欠かさなかった。ユーマからすれば認めたくない部分も多い彼女だけど、豊かな才能を持ちながら、周囲の者に気付かれないようにひっそりと努力を重ねる所は、少しだけ好ましく思える。
レイティシアの後ろ姿を遠くから見つめている内、第一王壁区画から王城に入った。
王城の内部に入れる機会は決して多くない。皆、物珍しそうにきょろきょろと視線を動かしている。〈杖の儀式〉を受ける子供達だけでなく、大人達も観客として招き入れるこの一週間は、門戸が完全に開かれている分だけ警備はより厳重だ。定められたコースを外れてはいけない。不用意に他の場所に踏み込めば、衛士が問答無用で取り押さえにやって来て、泣き叫ぼうがどうしようが〈杖の儀式〉を受けられなくなってしまう。
やがて、行進が止まった。
闘技場はまだ随分先である。痛み続ける額を押さえたまま、ユーマは前方を覗き込んだ。蛇のように、行列が長く長く続いている。
(これは、大変だ)
周囲もざわざわと、「これから何時間待つんだよ」と愚痴を零していた。
王都には幾つかの都市学校がある。他の学校と思しき集団も、前方のあちこちで列を作っているようだ。そうかと思っていれば、ユーマの後ろに続々と人が並んでいく。王都に暮らす者だけでなく、遠方から遥々旅をしてきた者もたくさん入り混じっていた。
順番待ちには時間が掛かる。それはわかっていた。
例年、最終日の〈杖の儀式〉は深夜まで続くものだ。
(それにしても、これは……)
噂に聞くのと、実際に体験するのは大違いだ。
ユーマは早々に、げっそりと肩を落とす。
疲労感。並んで待つのはこれからだと云うのに、朝からズキズキと攻め立てる頭痛が体力をかなり奪っていた。一時間や二時間の辛抱では済まないだろう。教会の鐘がタイミングよく鳴って、今がちょうど午後の三時である事を知らせてくれた。果たして、日が落ち切るまでに順番が来るかどうか――。
(ああ。それまで、耐えられるかな……?)
ぼんやりと考えながら、ユーマはふらふらと地面に座り込む。
「おい。お前――」
不意に、肩を叩かれる。
衛士に座っている事を注意されたのかと思い、ユーマは慌てて立ち上がろうとした。しかし、体調はさらに悪くなっており、瞳を開いた瞬間、ズキリと刺されたような痛みに襲われてしまう。堪え切れず、ユーマは小さなうめき声を漏らした。
「おいおい、大丈夫か? かなり具合が悪そうだな」
衛士ではなかった。
ユーマは額の脂汗を拭いながら、胡乱な目で相手を見上げる。
真後ろに並んでいた少年である。すなわち、ユーマと同じく、これから〈杖の儀式〉を受けようとする若者だった。王都の住人ではない。儀式のために着飾ってはいるけれど、すぐ脇に置かれた長旅用のトランクがそれを教えてくれる。
いや、そもそも――。
王都の子供ならば、ユーマに声を掛けてくる事はないのだ。
「お前達、王都の学校の友達だろ。こいつが苦しそうなのに――」
「待って。大丈夫、大丈夫だから。き、気にしないで……」
ユーマは近くの壁に手を突きながら、老人のように立ち上がる。
言い訳のように笑顔を向けるが、思いっきり渋い顔を返されてしまう。
「どう見ても、大丈夫じゃないぞ」
「いや、でも、だ、大丈夫……」
会話になっていない事を承知で、ユーマは必死にそう主張した。
恐々と振り返れば、見知らぬ少年がかなりの大声を上げたためか、同級生の多くが驚いたような――あるいは、鬱陶しそうな顔でこちらを見つめていた。居心地の悪い沈黙と静けさがしばらく続く。幸いにして、列の前方までは気付かれなかったようだ。レイティシアは前だけを見つめている。ユーマがホッと安心する頃には、同級生は全員、余計な面倒事はごめんとばかりにそっぽを向いていた。
「なんだよ、あいつら……」
一人納得していないのは、ユーマを心配してくれる少年である。
「ごめん。でも、もういいから――」
「いや、お前が謝る必要はないだろ?」
左右から繰り返しパンチを浴びせられているような頭痛。今にも、もう一度ノックダウンしてしまいそうな調子のユーマに、彼は手を差し伸べてくる。「ほら、掴まれよ」と肩を貸してもらい、ユーマは大いに戸惑った。
「あ、あの……えっと、ありがとう」
「おお。どういたしまして」
改めて向き合えば、随分と背が高い。
健康的に日焼けしている。燃えるような赤毛に、ブラウンの茶目っ気ある瞳。ゴツゴツした手は普段、農作業の手伝いでもしているためだろうか。レイティシアとはまた違った方向性で、ユーマとは対照的な少年だった。
最初に声掛けられた時のように、不意にまた手が伸びてくる。
目の前に差し出された手を、ユーマはきょとんとして見つめた。
「……なに?」
「いや、握手だよ」
「あ。うん……」
額にずっと当てていた手を、ユーマはぎこちなく差し出す。
握手するその間だけは、不思議と痛みを忘れられた。
「レンドール地方の小さな村の出身、ワイアット・モリだ」
「えっと、よろしく。僕は、ユーマ……その、ユーマ――」
一瞬の、大きな躊躇いがあった。
ちらりと見てしまったのは、レイティシアの後ろ姿である。相変わらず、前だけを見ている彼女がこちらを振り返る事はない。痛い。名乗るだけでも、ユーマはとても申し訳ない気分になる。まるで、これ以上ない罪を犯しているようで――。
しかし、結局、ユーマに名乗る名前はそれしかないのだ。
少なくとも、今はまだ――。
「ライディング。僕は、ユーマ・ライディング」




