星野悠馬とシルバーフィオナ
本日、この世界は99%の確率で終わりを迎える。
百年前には地球上に溢れていた人類も10億の大台を割ろうとしていた。滅亡の時が迫っていることは明らかで、運命に抗おうとするならば最後の勝負に出なければいけない。わずかに1%、それでも人類には希望が残されていた。
ただし、最終決戦に選ばれた五人の少年少女には100%の死という絶望的な未来しか与えられていない。
『異世界からの侵略者に好き勝手させるのは今日までだ。我々は今こそ、この地球の全てを取り戻さなければいけない。百年の節目に、人類はかつての栄光を取り戻し――』
革命政府の首脳が感動的なスピーチを続けている。生まれてからずっと地獄しか知らない人々はそれを聞いて、ある者は苦しみを思い出して泣きながら、ある者は怒りを思い出して叫びながら、誰もが決戦直前の戦意を高めているに違いない。
しかし、彼らは戦わないのだ。
(戦うのは、僕ら五人だけなのに……)
星野悠馬はそんな風に虚しさを覚えて、一般通信を遮断した。
耳障りな演説が途切れれば、静寂がいきなり身に染みる孤独なコックピット。まだまだ安全な空域だから自動操縦のまま放っておけば良いのだけど、悠馬はコントロールスフィアに両手を置き続けている。「フィオナ」と呼びかけた。『はい、ユーマ』と、電子的な合成音で応答があり、『通信を切って良かったの?』と訊かれる。
彼女からの問いかけは無視して、悠馬はこう頼んだ。
「音楽を、何でも良いから……」
『はい、ユーマ』
間髪入れずに流れ始めたのは、百年前のロックミュージックである。
「気分じゃないよ、フィオナ」
悠馬は苦笑したものの、大人しく、しばらく聴いてみた。
「……意外と、悪くないかもね」
何と云っても、この地球の文化が最も華やかだった頃の音楽なのだから。悠馬は相変わらずコントールスフィアから両手を離さないままだったけれど、パイロットシートに深くもたれ掛かるぐらいにはリラックスできた。
エアロスミスは、日本で行われるライブツアーのために乗った飛行機で死んだ。
こんなにも魅力的な音楽を奏でたバンドは、その本来の価値よりも、奴らに太平洋上で最初に襲われた犠牲者として百年後にも名を残すことになってしまった。
1999年、太平洋上に突如として出現した〈怪物の目〉――。
青空と海面の一部を侵食しながら虚空に浮かぶ巨大な球体は、爬虫類の瞳にも似た不気味な見た目から〈怪物の目〉と呼ばれるようになった。当初はまったく正体不明だったその現象も、今では一種のワームホールであることが判明している。
すなわち、奴らは宇宙の何処かから時空を飛び越えてやって来た。
――Another Dimension Automatic Monster
ADAMと呼称されている異世界からの侵略者。
機械生命という名称もまた、ADAMの生体が研究されると共に生み出された。有機物と無機物の特徴を併せ持ったADAMが果たしてどのような環境下で誕生した生き物なのか、〈怪物の目〉の向こう側を覗き見る事ができない人類にはわからないままである。
わかっているのは、対話が無意味であること――。
戦うしかない。最初から、人類の選択肢はそれしかなかった。互いに宣戦布告の必要もなく、〈怪物の目〉が出現したその日から百年間の戦争は開始された。
悠馬は、日本人の末裔である。
日本という国は百年戦争の最初に滅びた。
太平洋上に出現した〈怪物の目〉から溢れ出したADAMは最初、海流に乗ってその多くが日本に流れ着いた。その頃の第一世代と呼ばれるADAMは、大きいサイズの個体でも成人男性をやや上回る程度。機敏であるために人目には付き難く、闇夜に紛れて行動していたADAMの人的被害は当初、連続殺人鬼かカルト教団か、あるいは幽霊や妖怪の仕業という風にまことしやかに囁かれたものだ。
ADAMの存在が公的に認められるようになるまでの間は、その脅威にいち早く気付いた様々な団体や個人――某世界的宗教の秘密機関だとか、現代に生き残っていた忍者だとか、国家公安委員会の犬達だとか、ひょんなことから巻き込まれた私立探偵と高校生だとか――そのような運命に弄ばれた者達が人知れず死闘を繰り広げていたが、残念ながら、ADAMの侵攻を完全に食い止めることはできなかった。
人類がようやく一丸となって対処に乗り出したのは、ADAMがただの危険生物ではなく、人類の天敵にも為り得るものとようやく気付いた後である。
ADAMは進化する。
それも、地球上の生物とは比較にならないぐらいの速さで――。
人類がその恐るべき特性に気付いた時は既に手遅れ。ADAMはそれまでの交戦経験から人類の戦闘技術――徒手空拳に刀剣術、銃火器、罠の仕掛け方からコンピュータハッキングのやり方まで、ありとあらゆる技術を吸収していた。
第二世代ADAM――それは、人型のADAMである。
単純な生物としてのスペックでは完全に人類を凌駕したADAMは、第二世代の誕生と共に日本に本格的な侵攻を開始した。一方、人類は歴史的な快挙とも云える世界連合軍を結成し、これに反撃する。
アジア圏最大の防波堤として矢面に立たされた日本は、戦争の中で様々な革新的技術を生み出しながら抵抗を続けたが、善戦も虚しくやがて力尽きた。ADAMに対する敗北は完全な国土の消失を意味する。ユーラシア大陸方面にどうにか逃れた人々は、いつの日か祖国の大地を取り戻す事を誓い、その悲願を子や孫に託していくことになったが――。
『ユーマ。時間だよ』
電子的な合成音に呼びかけられて、悠馬はいつの間にか閉ざしていた瞳を開く。
『目標地点に接近。作戦行動を開始して』
「……オーケー、フィオナ」
気怠い声で答えるのも、ゆっくりとパイロットシートから身を起こすのも、極度の緊張に対する天邪鬼な反応だ。緊張してどうなるものか。悠馬は生温かい息を吐き出した。
責任感はある。
使命感はある。
百年間の闘争で、人類が優位だった期間はわずかだ。ADAMは〈怪物の目〉から続々と湧き出てくる。人類が決死の覚悟で攻勢を掛けて駆逐しても、やがて圧倒的な物量に押し返されてしまう。じわじわと削られた人類の領地は残り少ない。
百年の歴史と十億の人類の命。日本人の末裔である悠馬が、これからの戦いに挑むという事には運命の巡り合わせのようなものを感じていた。
重い。
比較すると、ちっぽけな一人の少年の命は余りにも軽すぎる。
作戦が成功しても、失敗しても――。
「どちらにしろ、僕は死ぬ」
唇を、思いっきり噛み締めた。
「フィオナ」
『はい、ユーマ』
「音楽を、最高の大きさで」
爆ぜる、音が――。
エアロスミスのように、死ぬのだ。
その死が始まりだったならば、この死が終わりとなるように――。
『規定時刻、作戦開始』
ギターの悲鳴に背中を押され、コントロールスフィアをがっちりと握り締める。
獣のような唸り声を上げながら、悠馬はプレローマ超量子場の形成を開始した。
量子的現象を一気に掌握した後、超長距離移動用のバックパックをパージする。ウィングやスラスターを降下モードに切り替えながら、プレローマ超量子場をさらに押し広げ、スペルコードの詠唱と保存を繰り返していく。
眼下には、真っ暗な雷雲が見えていた。
『障害物。作戦行動に支障あり……』
「わかっている」
悠馬はフィオナの声を遮り、スペルコードを幾つか解放した。プレローマ超量子場にダミーシナプスの輝きが亀裂のように走り抜けて、世界を支える物理法則の崩壊が始まる。
三秒間だけの大嵐――悠馬の解放したスペルコードはきっちりと効果を発動させて、眼前に迫っていた雷雲を吹き飛ばした。
――〈量子魔法〉。
これこそが、人類の最新技術。
フィオナは何も云わない。
問題は何もなし、ということである。
あれもこれもと小言ばかり云われていた昔が少し懐かしい。この程度ならば、悠馬は自分の手足を動かすように自然と行えるようになっていた。もちろん、新米パイロットが今の一連の操作技術を目の当たりにしたら、「化け物」と云って青ざめるに違いないが――。
『ユーマ、二分後に会敵予測』
「それ、ただの降下時間予測じゃない?」
『否定はしない』
「敵の本拠地に敵がいるなんて、云われなくてもわかる」
現在地点は、宇宙――。
今回の作戦が決まった時、革命政府はパイロットの命をまず支払う事に決めたのだ。
ADAMの警戒網が宇宙空間にまで及んでいない事は前々から知られていた。そして、今作戦は目標に最小限の戦闘で到達する事が必須だった。
シンプルな結論として、急ごしらえの一度しか使えない換装装備で大気圏を突破した後、彗星のように目標地点に落下するという無茶なルートが設定された。
攻撃目標は、〈怪物の目〉――。
すなわち、ADAMの本拠地中枢である。
悠馬に与えられた未来には、二つのパターンがある。
作戦目標を達成できないまま無駄死にするパターン。
あるいは、作戦目標を達成して栄誉ある死を迎えるパターン。
どちらにしろ、推定で数百万体のADAMが蠢くという死の大陸に突入したならば生き残る術はなかった。成層圏突破用のバックパックを使い捨てた時点で、帰り道は完全に失われたのだから。
悠馬の死は確定している。死という絶望にじわじわ落下していくのを、高度メーターの数値ではっきりと確認していた。
長い――。
十四年間の人生で、最も長かった二分が終わる。
『会敵』
モニターが通常モードから戦闘モードに切り替わる。奇しくも同じタイミングで、さらに激しい音楽が始まった。心臓の鼓動のようにベースの音。ドラムスの連打に重なるように、戦闘情報がモニターに溢れ出した。
宇宙から、地球へ――。
青空を突き抜け、青い海へ――。
いや、そこにあるはずの太平洋は既にない。百年前にはそう呼ばれていた場所は、現在は〈死の大陸〉という呼び名に相応しい景観に一変してしまっている。
異世界からやって来たものはADAMだけではない。
地球上には存在しない未知の物質もまた際限なく流れ込んでいた。最も代表的なのはグノーシス粒子であり、それが海水をじわじわと結晶化させているのだ。
そうして地球上に新たに生まれた七番目の大陸。
結晶の大陸は見た目こそ美しい。原色に彩られた結晶が太陽の光を受けて、まるで色取り取りの花が咲き誇っているかのようだ。だが、そんな風に見えていても、結晶の大陸にはADAM以外の動植物は存在できない。
正しく、死の大陸である。
『第三世代アダムを確認』
フィオナは淡々と告げた。
『確認できる範囲の個体数は、二六体――』
第三世代ADAMという最大の脅威の出現により、日本は滅んだ。
世界中に悪夢の数十年を到来させた第三世代ADAM――第二世代では人型に進化したADAMはさらに、人類側の技術である戦車、艦艇、航空機を自らの血肉とした。
第一世代は、獣だった。
第二世代は、人だった。
そして、第三世代――。
ADAMは、巨大な兵器に進化した。
日本は第三世代ADAMに苛烈に滅ぼされた訳だが、皮肉な事に、奴らの造形は日本人が愛したアニメに登場する数々のロボットによく似ている。廃都となる前の東京のビル群に勝るとも劣らない巨躯。第二世代から正当に進化した姿は、さながら機械の巨人である。
圧倒的な大きさに対し、白兵戦で挑むのはほぼ不可能だった。
だからと云って、人類が生き残るための努力を怠った訳ではない。
日本という防波堤を失い、加速度的にADAMによる大陸侵攻が進む中で、人類は少しずつ第三世代ADAMと戦うための戦闘技術を獲得していった。
それが例えば、グノーシス粒子を元に体系化された〈量子魔法〉であったり――。
あるいは、人類の最後の切り札となった〈EVEゴーレム〉であったりするのだ。
『ユーマ、確認できる範囲の敵残存数は――』
戦闘開始から五分程が経った所で、フィオナの報告が入る。
『九体。悪いペースではない』
「良いペースでもないと云いたいんだろ」
悠馬は皮肉を返しながら、コントロールスフィアをさらに強く握った。
ぐにゃり、と。
魂が引き込まれるような独特の感覚が頭の中を駆け巡る。これに慣れることがパイロットの最初の試練であったりする。違和感の波が引くと、目の前にはよりはっきりとふたつの光景。自分自身の瞳が見ているものと、EVEゴーレムの見ているものと――。
悠馬は、パイロットである。
EVEゴーレムのパイロットである。
第三世代ADAМに対抗するため、人類が切り札として作り出した人造の機械生命体〈EVEゴーレム〉。大きさは、第三世代ADAMとほぼ同じである。それと云うのも、EVEゴーレムは第三世代ADAМの亡骸や捕獲した個体を利用して生み出されたからだ。
そのため、両者には大きさ以外にも様々な部分で類似性が見られる。
EVEゴーレムとADAMを決定的に分かつものは、唯一、意思の有無だ。
EVEゴーレムのパイロットはある意味でパーツに過ぎない。パイロットはさながら、脳の代替装置。コントロールスフィアを介して、より強く、EVEゴーレムの自我を確立させるのだ。そうする時、パイロットとEVEゴーレムは真の意味で一体となる。
今、悠馬は戦場の空気を感じていた。
生々しく。
敵を殺すその感触すらも――。
だから、絶叫する。
両手で握った刃を勢いよく振り降ろしていた。
第三世代ADAМの装甲を砕き、肉を斬り裂く。素体に刃が喰い込んだ瞬間には、溶けたキャラメルが指に絡みつくような、非常に不快な感触が掌に伝わってくる。
だが、気にしている暇はない。
刃は踊る。
音楽は、まだ鳴っていた。
『ユーマ、敵残存数は一体』
AION-04 Silver-Fiona
正式名称、シルバーフィオナ。
愛称、SF。
彼女は、世界で一番美しい兵器とも云われている。
装甲は鏡のように輝く銀色。随所に見える黄金の結晶は、エーテルフレームが驚異的に成長したために内側から突き出したものである。女性的な印象を与える顔立ちに、一輪の花のように繊細で華奢な全体のフォルム。そしてまた、最大の特徴と云えば、グノーシス粒子が極薄く結晶化したために形成された黄金の髪とスカートである。
刃の一本だけを武器とする所も相まって、正しく〈神話型〉の名の通り、天使のような存在と云われることも多かった。
「フィオナ、終わったよ」
『お疲れ様、ユーマ』
結晶の大地に、巨大な爆弾でも落ちたように散らばるADAМの亡骸。
たった一体のEVEゴーレムの戦果としては常識外れだが、悠馬とシルバーフィオナの戦果としてはまだまだ始まりに過ぎない。
悠馬はすぐに足を踏み出していた。
死に向けての一歩を――。
地平線に浮かぶ〈怪物の目〉に辿り着き、破壊しなければいけない。作戦目標を達成する事で、人類は百年続いた消耗戦から抜け出す事ができるのだから。侵入者に気付いたADAМが間もなく視界を埋め尽くすような大群で押し寄せて来るだろう。最強のEVEゴーレムであるシルバーフィオナにとっても絶望的な戦いであるけれど、それでも――。
「どちらにしろ、僕は死ぬ」
勝利しても、敗北しても――。
それならば――。
「勝ちたい」
別々のポイントに降下したパイロットとEVEゴーレムが、もしかすると上手くやるかも知れない。だが、その可能性は敢えて考えないようにしていた。悠馬は、自分しかいないのだという孤独な決意で進み続ける。
「フィオナ」
『はい、ユーマ』
「本当は、もっと生きたかった」
『ユーマ。それは無理です』
「わかっている、フィオナ。でもね、その……」
『ええ。私も、ユーマともっと一緒にいたい』
「……ありがとう、フィオナ」
悠馬には、家族がいない。
物心付いた頃から適正を見込まれ、パイロットとして生きるためだけに育てられてきた。友達もいない。恋人もいない。本作戦の出撃前に、たった一人の最後の言葉を託す相手もいないと気付いた時、やはり、これ以上生きたいと願うことは愚かなのだろうと思い知った。
悠馬には、パイロットとして死ぬこと以外の価値はない。
それが、とても悲しかった。
「フィオナ」
『はい、ユーマ』
「世界が滅んでも、いつまでも一緒にいようね」
ある意味で、ちょっとしたプロポーズ。
十四年間の人生で最も大切なものが何だったのか。
それは、考えるまでもないことだった。
『……』
彼女は珍しく、返答までにたっぷり時間を必要とした。
『……はい、ユーマ』
電子的な合成音で、いつも通りの返事。
それなのに、どこか嬉しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。
『命令を了解。世界が滅んでも、いつまでも一緒に――はい。……はい、ユーマ。もしも、いつか生まれ変わった時にも、私はあなたを好きになります』