表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

人間偏差値

作者: ZIP

「はい、血液検査はこれで終了となります。では最後に

偏差値測定を行います。次の診察室へ移ってください」

いつごろからだろうか。数十年前かあるいは百年前か、

正確な時期を知る者はもうあまりいない。俺は今、国民に

義務付けられている年1回の偏差値測定を年季の入った

地元の市立病院で受けている。

国民一人一人の生存価値をあらゆる面から判断し、それらを

偏差値として導き出すものだ。この数値によって生存階級が

決定する。当然ながら最も多い階級は偏差値45〜55の普通階級

、俺も国民の4割ほどで構成されるそれに組み込まれている。

この生存階級は5段階に分けられている、まずは俺が組み込ま

れている普通階級。価値が最も高い最上位階級と最も低い

最下位医階級、この2つ合わせて国民の1割ほどだ。

一般的に、普通階級の凡人が昇格を目指せるのはせいぜい

偏差値55〜65までの上位階級までだといわれている。もっとも、

偏差値測定であらかじめ希望すれば受けられるこの試験を

受けた俺の勤め先の同僚で、見事昇格に

成功したやつは片手で数えても指が余るほどしか知らない。

希望しなければたとえ偏差値が基準を超えていようと昇格はない。

そのうえ、検定料は6万円ほどと少々値が張る。

とは言え、そんな同僚に触発されてしまった俺はこうして

診察室から診察室へ床の軋む道のりを古本屋で購入した昇格

試験対策本との睨めっこに費やしている。

下位階級へと転落すると生存制限が90年間まで、120%の納税

義務などが課されてしまう。世間の昇格試験に対する熱心さには

これもまた一要因となっているのだろう。

「受験番号208番の方は診察室?へ入室してください」

待合室に置いてある小ぶりの液晶画面に文字が映し出された

どうやら、受験希望者の診察エリアは別に分けられているらしい。

学生服を着た少年が顔を強張らせながら診察室へと消えていった。

後ろポケットの財布から診察券と受験票を取り出して

受験番号を確認した。あと一人だ。

「受験番号209番の方は診察室?へ入室してください」

再び、小ぶりの液晶に文字が映し出された。

なんということだ、診察室は幾つもある。

これでは最後の追い込みが難しいではないか。

「受験番号210番の方は診察室?へ入室してください」

階級はわからないが、208番の学生がよばれてから

わずか4分あまりで受験することとなった。

慌てて古本屋で購入した対策本をかばんに詰め、診察室には

ノックだけをして入室した。

______________________


ある人にとっては単なる見栄のため、またある人にとっては

人生において重要な意味を成す偏差値、その昇格試験は

待合室での待機時間より少し長い5分間で終了してしまった。

試験が終わって、数千円の古本はもう意味をなさない。

一定の需要はあるので駅前の古本屋にでも売ろうか、学校にでも

寄付するか、そんな捕らぬ狸の皮算用を自宅でしていた。

俺はこの昇格試験のために1年間も対策をしてきた。

仕事の合間、食事中、通勤電車の中、場所を挙げればきりがない。

結局、この古本は値段の割にそれほど活躍をしてくれなかった。

階級における制限がないインターネットで最も評判の良いものを

と吟味して購入したつもりだが、試験内容を思い返すたびに

不安感に襲われる。特に昇格せずとも普通階級ならさほどの支障

もないはず、そう自分に言い聞かせるのが精いっぱいである。

待て、冷静になって考えてみれば、何も普通階級のままで

いられるとも限らないわけだ。ありえない話ではない、もし

低い偏差値が算出されて下位階級にでも転落してしまったら

一体どうなってしまうんだ。世間からは冷たく、白い目で

見られ、職場でもどんな顔をして同僚と会えばいいのだ。

上位階級を目指して普通階級のままとどまるのであれば良い、

むしろ普通階級でいいではないか、下位階級になんて

落ちてたまるものか、あんな下位階級のガラの悪い連中と

同様にひとくくりで見られるのはまっぴら御免だ。

コンピューター管理された成績統計から合否が導き出されるのは

明日だ、それも受験番号と氏名おまけに顔写真までもが

掲示される裁判所の合否掲示板へと足を向けなければならない。

昇格試験を受けるのが私立病院で、結果を見るのは裁判所とは

どういった趣なのだろう。降級決定者は裁判所前を流れる水深の

深い川にでもダイブしてしまえという意向でないことを信じよう。

もう終わってしまったことであるが、今になってなぜ俺は昇格

試験何ざを受けようと血迷ったことを考え出したのか、

当時の自分が憎い。もうこうして椅子に腰かけているだけでも

訳の分からぬ疲労がのしかかる。早急に寝てしまおうか。

______________________


翌朝、俺は受験票と早朝に書いた遺書を持って裁判所へと

向かった。もし降級ということになってしまったらいっそ

死んでしまおう。裁判所前の川へ身を投げてしまおう。

交差点を渡って川に沿った裁判所前の通りに出た。

乱れる呼吸を整えながら川沿いに歩くと、川の流れに

学生服と学生帽らしき物体が目に留まった。おそらくは近く

の中学校からの落とし物なのだろう。俺は周囲の風景に気を

紛らわせながら掲示板の前にようやくたどり着いた。

俺の受験番号は210だ。198から201、202、203と連番で続く番号に

安堵して、片目で続きを見た。207、209、210

あった、あれは確かに俺の受験番号だ、受験票を何度確認しても

番号は変わらない、掲示板の写真も変わらない、間違いなく俺だ。

やったのだ、やり遂げたのだ。俺はついに上位階級へと昇格

したのだ。掲示板の周りで顔を綻ばせる老若男女の一員に

おれは入ることができたのだ。そういえば、あの208番の少年は

どうなったのだろうか、周りの人々のように昇格の喜びを分かち

合おうか。俺はもう一度掲示板に目を移す。

207、209、210おかしい、208番が見当たらない。

ふと左を向くと、泣きわめく声が響く不合格者一覧という

掲示板を見つけた。もしや……

そこには学生帽と学生服、偏差値38で下位階級へと転落

した208番の、あの少年の写真があった。

目を凝らすと、この学生服はこの近くの中学校のものとは

少し違うデザインをしている。下位階級となっては少々

かわいそうだ、待遇面では普通階級とさほど変わらないとはいえ、

今度見かけたらねぎらいの言葉の一つはかけてやろう。

そう思ってやっと思い出した。川に浮かぶ学生服と学生帽を

やっと思い出したのである。あれはあの208番の少年のものに

違いない、そう確信した。

そうか、普通階級から下位階級へ落とされるだけで、こんなにも

人は感情が抑えきれなくなってしまうものなのか。

俺は早朝に書いた遺書と水面に浮かぶ少年の遺物を交互に

見ながら笑っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ