遠距離
これは友人から「遠距離」っていうお題を出されて書いたものです。遠距離って聞けば、真っ先に思い浮かぶのは何でしょうか。遠距離恋愛とか、遠距離射撃とか。始めはその手のものを考えていたんですけど、こういうのもありかなって思って書いてみました。
廊下の向こうが騒がしいなぁ。
僕は胡乱げに、固まって楽しげにはしゃぐクラスの女子たちを見た。まだ一時間目の授業も始まっていないというのに、朝っぱらからこんなハイテンションで彼女たちは大丈夫なのだろうか。
まったく、最近の女の子は……。
自分も“最近の女の子”だが、呆れつつ、それでも何を囲んではしゃいでいるのか気になって彼女らに近づく。
「ねぇ、何見てるの――?」
割り込むように覗き込むと、彼女たちの内二、三人が動いて、僕のためにスペースを開けてくれた。
でも、そうされた瞬間僕は見てしまったことを後悔した。
見なければよかった。そのまま通り過ぎていればよかった。
彼女たちに囲まれていたのは、一人のクラスメイト。それも、僕の唯一無二の親友だった。
バケツの水でもかけられたのか、その小さな身体はぐっしょりと濡れていた。しかも制服まで破れている。それだけではない。彼女の白い肌には点々と紫色の痣が浮き出ていた。
彼女は最近クラス中の女子から苛めのターゲットとされている。
それがヒートアップしたのか、クラスメイト達に集団リンチされているようだった。
痛いだろうに、辛いだろうに、涙も声も出さず、彼女はただ黙っている。無表情でクラスメイトからの暴力を受けている。
「コイツ本っ当にウザイ」
「ねぇ~」
「ムカつくよねぇ」
耳につくクラスメイトの黄色い声が粘っこい。楽しげに、実に愉しげに、彼女たちは好き勝手にターゲットを嘲って、暴力を振るう。
僕は動けず、ただその場に立ちすくす。
と、そこで苛めの対象とされていた生徒が顔を上げた。
大好きな彼女の視線が、僕のそれとぶつかる。その瞬間、彼女は聖母のような微笑みを浮かべた。
僕は辛くなって、咄嗟に顔をそむける。
何で笑うの。
何で君は、僕のことを嫌いにならないの。
「うわっ、笑ってる」
「キモぃ~」
その微笑みに周りの女の子たちは煽られ、さらに危害を加える。
彼女は痛い拳が飛んできても、誰かのつま先が腹にのめりこもうと、それでも僕を見て、微笑んでいた。
瞬間的に吐き気がこみあげてきて、僕は人垣から抜け出す。そして逃げるようにトイレへと駆け込んだ。
鏡に映った僕の顔は、青白い。目には涙まで溜まっていた。
彼女は、一人称が変だと苛められていた僕をかばって苛められるようになった。
僕の身代わりになってくれた大切な友人だ。
キツい言葉を向けられることも、無視されることも無くなったけど、身代わりなんて望んじゃあいなかった。苛められるのはとても辛かったけど、でも僕には彼女がいたから、誰からも無視されていたけれど、彼女が話しかけてくれたから、救いがあったんだ。
それなのに、僕は彼女を助けることができない。誰一人見てくれる人がいないってことが何よりも辛いって、誰よりも分かっているのに、自分が苛められることが怖くて、一言おはようとも言えない。
そんないくじなしの僕を、何で君は嫌いにならないんだい。
チャイムが鳴ったが、僕は動こうとしなかった。
僕は涙をぬぐって、思いにふける。
幼稚園の頃から仲が良くて、黙っていても何となく意思疎通ができた君。
僕のことを誰よりも分かっていて、誰よりも近くにいてくれた君。
昔から勇敢で、いじめっ子にも平気で立ち向かっていた君。
いい子で、人を恨んだりしない残酷までに無垢な君。
他人の苦しみを肩代わりしたがる様な優しい君。
嫌いになってくれたら、僕はずっと楽になれるはずなのに、それでも君はずっと僕に微笑みかける。
君は今でも僕の近くにいるだろうか。
だけど僕には、君が遠くに見えるよ。
昔は一番近かった人だけれど、今は、君が何よりも遠い。
逃げ出した僕と、強く生きる君の距離はどんどん離れていく。
その距離は、埋まらない。
何故なら僕が弱虫だから。
でも、でもね、隣にいたいんだよ、本当は。
…………いつか、君の隣に立てるだろうか。そしてそのとき、僕は勇敢な君のように立ち向かえるだろうか。
それまでは、遠く離れたこの距離から、黙って君を見守ろう――。
今の僕には、それしかできないのだから。