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【短編】婚約破棄されましたが、私の水時計は逆さに時を刻むので――「一週間後、あなたは私に土下座しますわ」となぜか未来を知っている件

作者: uta
掲載日:2026/09/03

「シャルロッテ・エレンフィスト! お前との婚約を破棄する!」


王城の大広間、婚約披露パーティーの真っ最中。


王太子ジェラルドが、腕に平民出身の聖女ミレイユをこれ見よがしに抱き寄せ、高らかに宣言した。


(あー、はいはい。三日前に視た通りですわね。台本ぴったりで、いっそ拍手したいくらい)


私は、内心でため息をついた。


銀灰色の髪に、眠たげな薄紫の瞳。地味な装いの令嬢――つまり私は、微塵も動じていない。


なぜなら。


この場面を、すでに『視て』いたのだから。


「罪状は、聖女ミレイユへの数々の嫌がらせだ! 証拠はすべて揃っている!」


「あら……公爵令嬢さまが、わたくしを妬んでいらっしゃるのね。悲しいこと」


ミレイユが涙目を武器に、庇護欲をそそる声で嘲笑する。会場のざわめきが、彼女に同情の視線を注いだ。


(証拠を捏造したのはあなたでしょうに。しかもその聖印、輝き方が不自然ですのよ。祈りの所作もね。……気づかないの、この人たちだけですわ)


私は前世で、日本のブラック企業に勤める社畜OLだった。


スケジュール管理と段取りにかけては、右に出る者がいなかった女。


その私に、一族の秘宝が反応した。


『逆刻の水時計』。


水滴が下から上へと逆流し、落ちるべき一滴が『これから起こること』を、持ち主にだけ見せる至宝。


つまり私は、常に一週間先の未来を知っている。


「何か言うことはないのか、シャルロッテ!」


ジェラルドが勝ち誇る。


私は、静かに一礼した。


「かしこまりました。婚約は破棄で結構ですわ」


「……ふん。殊勝な心がけだ。せいぜい――」


「ところで殿下」


顔を上げ、淡々と告げる。


「一週間後のこと、どうか覚えておいてくださいまし」


「は? 何の話だ」


「土下座の練習を、しておくことをおすすめしますわ」


一瞬、会場が静まり返った。


そして次の瞬間には、嘲笑が広がる。


「まあ、負け惜しみですの? みっともないこと」


ミレイユがくすくすと笑う。


(笑いたければ笑えばいいですわ。……なお、段取りはすでに済んでおりますの。残業ゼロで詰ませて差し上げます)


私は踵を返した。


「それでは、ごきげんよう。皆様、どうぞ良い夜を」


優雅に――そして粛々と、大広間を後にする。


背中に浴びる嘲笑を、私は一つも拾わなかった。


だって、無駄な感情を拾っている暇はない。


段取りが、詰まっているのだから。


***


公爵家の私室。


扉が閉まると同時に、私は長椅子に身を投げ出した。


「あー……疲れましたわ。喚き散らす上司の相手、前世で嫌というほどやりましたけど。まさか異世界まで持ち越すとは思いませんでしたわね」


柔らかな敬語が、砕けた口調に崩れる。


「お嬢様、お茶をどうぞ。……それにしても、あの殿下ときたら。お嬢様が地味だなんて、目が節穴ですわ、まったく」


専属侍女のハンナが、憤然と紅茶を差し出した。


栗色の髪に、そばかすの散る顔。幼い頃から私の真価を見てきた、数少ない理解者だ。


「ふふ。ありがとう、ハンナ。あなたのその毒舌、前世の同僚に聞かせたかったですわ」


「……前世、とは?」


「こちらの話ですわ。それより……見て、ハンナ」


私は机の上の水時計に目をやった。


ガラスの筒の中で、水滴が――下から上へと、ゆっくり昇っていく。


「水滴が……下から、上へ。何度見ても、不思議なものですわね」


「『逆刻の水時計』。落ちるべき一滴が、これから起こることを教えてくれますの」


重力に逆らって天井へ向かう雫。その一滴が、私の脳裏に映像を流し込んだ。


偽聖印の輝き。隣国の紋章。王家を内側から食い破る、陰謀の設計図。


「……やっぱりね」


「何を、ご覧になったのです?」


「偽の聖印。隣国の紋章。王家を内側から食い破る、陰謀の設計図。……ミレイユの正体は、間諜ですわ」


「な……! で、では、すぐに宰相閣下へ告発を!」


「落ち着きなさいな。慌てて動くのは、段取りの下手な証拠ですわ」


私は紅茶をすすった。


「それに――殿下は婚約破棄で、エレンフィスト家の後ろ盾を自ら手放したのですよ」


ハンナが息を呑む。


「この国の防衛は、代々『刻守』の予知が支えてきた……それを、ご自分の手で切り捨てたと?」


「ええ。知らぬが仏、とはよく言ったものですわ。国境の異変も、災害も、陰謀も。誰が視ていたと思っているのかしら」


私は立ち上がった。眠たげな瞳に、静かな鋭さが宿る。


「段取り通りに動くだけですわ、ハンナ。三日後の午後、東門に馬車を二台。それから、王城の記録保管庫へ出入りする文官のリストを。理由は後で」


「かしこまりました」


ハンナは動じない。突飛な指示にも、淡々と応じる。


(相変わらず、動じないわね。この子だけは)


私は水時計を見つめ、ぽつりと呟いた。


「さて。あと一人、拾わなくてはいけない人がいますわね」


***


翌日。王城の裏庭。


「あなたを、罪人にはさせませんわ」


追放を言い渡され、剣を取り上げられかけていた近衛騎士アルヴィス・レーンフェルトが、その声に振り返った。


黒髪に、鋭い琥珀色の瞳。戦場では『鬼神』と恐れられる長身の偉丈夫。


だが今、彼は無実の罪を着せられ、立場を失おうとしていた。


ミレイユに逆らったから――ただ、それだけの理由で。


「……エレンフィスト公爵令嬢。なぜ、あなたがここに」


「三日後、あなたの冤罪を証明する証拠が、記録保管庫の第七棚から出てきますわ。日付は改竄されていますけれど、原本のインク成分が違いますの」


アルヴィスは眉をひそめた。


「なぜ、それを。……まだ、誰も知らぬはずだ」


「知っているから、ですわ」


「……それだけか」


「それだけですわ」


(この人、覚えてますわ。前に一度だけ、私の水時計の管理報告を『地味だが、国のために必要な仕事だ』と言ってくれた、唯一の人)


この国で、私を『陰気なオタク令嬢』と侮らなかった、たった一人。


「私に協力してくださいまし、アルヴィス様。あなたの潔白も、私の勝利も、同じ一本の糸で繋がっておりますの」


アルヴィスは、しばらく黙っていた。


「お返事は、急ぎませんわ。ただ――剣を取り上げられて、黙って追放される。あなたは、そういう男ですの?」


「……その」


「はい?」


ふいに、彼の耳が赤くなった。


「あなたは、正しい」


戦場では一言も表情を崩さぬ男が、たったそれだけを絞り出すのに、精一杯だった。琥珀の瞳が、気まずそうに逸らされる。


(……あら。耳が真っ赤。戦場で鬼神と呼ばれる方が、これ。可愛いところがありますのね)


前世でも見たことのない類の反応に、私は少しだけ目を丸くした。


「では、契約成立ですわ。あなたには証人になっていただきます。一週間後――大広間で、真実が明らかになるその時に」


「一週間後……何が、起きる」


「土下座を見物する、特等席をご用意しますわ」


「……意味が、わからんが」


彼は剣に手を添え、深く頷いた。


「あなたが望むなら、この命に懸けて」


「命は懸けなくて結構ですわ。……段取り通りに動いてくだされば、それで」


一途な忠誠と、不器用な赤い耳。


私の段取りに、最も頼もしい駒が加わった。


***


六日目の夜。


すべては、水時計が示した未来の通りに進んでいた。


記録保管庫から発見されたアルヴィスの冤罪の証拠。改竄された文官の証言。そして、ミレイユの『聖女の証』を鑑定した、隣国の紋章の残滓。


私はそれらを一枚の書類にまとめ上げていた。前世で鍛えた資料作成能力が、遺憾なく発揮されている。


「お嬢様、これで揃いましたわ。……これを明日、宰相閣下に?」


「いいえ、ハンナ。私は何もしませんわ」


「……はい? これだけの証拠を揃えておいて、動かないと?」


「私が動く必要はありませんの」


私は、涼しい顔で紅茶をすすった。


「明日の朝、隣国の使者が国境で捕まりますわ。所持品から、ミレイユとの密書が出てくる。それだけで、王家は勝手に真相へたどり着きます」


「それも……予知、なさったのですね」


「ええ。私はただ、証拠が『正しく発見される』よう、道筋に小石を置いておいただけですわ。指一本汚さずに詰ませる。それが一番、残業になりませんの」


ハンナは、しばし私の横顔を見つめた。


「喚くこともなく、報復に走ることもなく……ただ静かに、一手先へ石を置き続けて。お嬢様、全部……わかってらしたのね」


「最初から、ですわ。婚約破棄も、追放も、陰謀も。全部、あの水時計が教えてくれておりましたの」


「そんな重いものを、お一人で抱えて……」


「一人ではありませんわ」


私は微笑んだ。


「あなたがいる。あの不器用な騎士様もいる。……それで十分ですの」


その頃、王城ではミレイユが焦り始めていた。


連絡が取れない隣国の協力者。姿を消した内通の文官。噛み合わなくなっていく計画。


「なぜ……なぜ、連絡が取れないの。文官はどこへ消えたの。なぜ、こんな……計画が、噛み合わない……!」


可憐な仮面が、初めて歪む。


そして、その全てを――私はすでに『視て』いた。


水時計の最後の一滴が、天へと昇る。


(あら、崩れ始めましたわね。可憐な仮面が。……水時計の、最後の一滴。ほら、天へ昇っていく)


「あと一日ですわ。お楽しみは、明日ですの」


***


そして、一週間後。


再び、王城の大広間。


だが、一週間前とは光景が一変していた。


床に膝をつき、頭を垂れているのは――王太子ジェラルド・アルヴェント、その人だった。


「頼む、戻ってきてくれ! 君なしでは国が――!」


隣国の間諜として摘発されたミレイユ。白日の下に晒された偽聖印の陰謀。何も知らず加担したジェラルドは、廃嫡の危機に瀕していた。


そして、王家はようやく気づいたのだ。


シャルロッテ・エレンフィストこそが、代々この国を予知で守り続けてきた、唯一無二の『刻守』であったことに。


地味だと侮っていた令嬢は、国家防衛の要そのものだった。


(一週間前の大広間と、同じ場所。ただし今度は、床に膝をついているのは私ではなく――あなたですのね、殿下)


「シャルロッテ、僕が間違っていた! ミレイユに騙されていたんだ! だから――」


私は、静かに歩み出た。


手には、逆さに雫が昇る『逆刻の水時計』。


「あら殿下」


「……シャル、ロッテ」


「一週間前に、申し上げましたでしょう?」


「あ……」


ジェラルドの顔から、血の気が引いた。


「土下座の練習を、おすすめしますわ――と。ずいぶんと、様になっておられますこと」


「だ、だから僕は騙されていたんだ! 悪いのはミレイユで、僕は被害者で……!」


「被害者、ですって?」


私は眠たげな薄紫の瞳を細めた。


「大広間の真ん中で、無実の令嬢を高らかに断罪なさった方が?」


「そ、それは……」


「他人の言葉を『真意』ではなく『体裁』でしか判断できない。涙と偽の聖印に、あっさり心を明け渡す。……殿下、それが被害者の顔ですの?」


ジェラルドが言葉を失う。


かつて私を嘲笑った貴族たちも、今は息を呑んでその光景を見つめていた。


「違うわ……」


崩れ落ちたミレイユが、震える声を絞り出す。


「わたくしは、ただ命じられて……あなただって、最初から気づいていたなら、なぜ止めなかったの!?」


「止める? 私が?」


私は静かに首を傾げた。


「あなた方が勝手に転がり落ちるのを、道筋に小石を置いて見守っただけですわ。落ちたのは、あなた方の足でしょう」


「そんな……ずっと、最初から、手のひらの上……」


「ええ。地味な水時計オタク令嬢の、手のひらの上。侮った代償にしては、安いものですわ」


ミレイユが、がくりとうなだれた。


「シャルロッテ、頼む……」


ジェラルドが、床に額をこすりつけんばかりに懇願する。


「君がいなければ、この国の防衛は……廃嫡だけは、廃嫡だけは……!」


「……なお」


「な、なんだ……?」


私は、優雅に一礼した。


前世の社畜が、退職届を叩きつけたあの日の清々しさで。


「婚約破棄の撤回は、受け付けておりませんわ」


静かで、しかし絶対的な拒絶。


「そ……そんな……!」


「私は、水時計とともに公爵家として独立いたします。この国を守る仕事は続けますわ。……ただし、殿下の妻としてではなく」


喚き立てることも、罵ることもなく。ただ淡々と、確定した未来を告げるだけ。


それが、私の断罪だった。


(前世で、あの日。ブラック企業に退職届を叩きつけた朝の空を思い出しますわ。……あの時と、同じ清々しさ)


ジェラルドが、崩れ落ちた。


そして、その傍らに――一人の騎士が静かに歩み寄る。


アルヴィスだった。


冤罪を晴らし、堂々と剣を佩き直した鬼神が、私の隣に立つ。


「……終わったか」


「ええ。段取り通りに。行きましょうか、アルヴィス様」


「はい」


短い返事。だが、その耳は、また少し赤かった。


(……また、耳が赤い。この方、本当に鬼神なのかしら)


私は大広間を後にした。


今度は、追われるのではなく――自ら選んだ道を、堂々と。


***


夜。


公爵家の私室で、水時計の最後の一滴が、逆さに昇った。


そして、私だけに――次の未来を、そっと囁く。


「あら」


私は、映像を『視て』、くすりと笑った。


「お嬢様? 水時計が、また……何をご覧になったのです?」


「ふふ。アルヴィス様ったら、三日後に告白なさるのね。あの赤い耳で、しどろもどろに」


「まあ……! で、では、お嬢様のお返事は?」


「さあ? それは、まだ視ておりませんの」


水滴が、静かに天へと昇っていく。


「……たまには、段取りなしで受けてみるのも、悪くありませんわね」


私は水時計を見つめ、そっと呟いた。


「さて。三日後のお茶と、庭の花と、私の返事。……段取り、しておかなくては」


最後の一滴が、逆さに昇る。


物語は、まだ続く。


――私だけが知る、一週間先の未来へ。

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