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第2話 愛が重すぎてシナリオ崩壊

 ジャラリ、と鎖の音が響く。


 目の前には首輪を手にした騎士ヴァネッサ、背後には詠唱破棄で魔法陣を展開する魔導師ルナ。そして私の腕を万力のように掴む聖女エレナ。


 勇者の「完璧な計画」が音を立てて崩れ去り、代わりに「終わらない悪夢」が幕を開けた――。


 ⋯⋯いやいやいや、待て待て待て。

 おかしい。絶対におかしい。


 私の――勇者ミナの計算では、ここで聖女エレナは「嫌だぁぁぁ! ミナ様ァァァ!」と泣き叫び、魔導師ルナは絶望に打ちひしがれて杖を折り、騎士ヴァネッサは血反吐を吐く勢いで慟哭するはずだった。


 その阿鼻叫喚をBGMに私は美しく儚く散る。それが「悲劇のヒロイン」としての完璧なエンディングだったはずだ。


 けれど現実はどうだ。

 三人の瞳から涙が綺麗さっぱり消えている。


 悲嘆、絶望、諦観⋯⋯それらの感情が一切合切消え失せて代わりに宿っているのは――底なしの「決意」


 もっと言えば正気と狂気の境界線をスキップで飛び越えたような、不純物なしのドス黒い光だった。


(いやいや、怖い怖い! 目が据わってるって! そこはもっと私の心を抉るような悲鳴をあげるところでしょ!?)


 私の本能が猛烈な勢いで警鐘を鳴らしている。

 シナリオが脱線している。それもちょっとした変更なんてものではない。

 ジェットコースターのレールがいきなり断崖絶壁に向かって消滅したような、致命的な脱線だ。


「ミナ様⋯⋯ああ、可哀想なミナ様」


 聖女エレナが慈母のような微笑みを浮かべて私に抱きついた。

 温かい。柔らかい。甘い香りがする。

 その一方で私を抱き締める腕の力強さは、まるで大蛇が獲物を締め上げる直前のようだった。


「魔王の呪いに蝕まれて⋯⋯さぞお苦しいでしょう。でも、もう大丈夫ですわ」


「ち、違うのエレナ⋯⋯離して⋯⋯私は⋯⋯」


 私が慌てて弁解しようとした、その時――彼女の唇が私の耳元に寄せられ甘い毒のような言葉が紡がれた。


「――《聖鎖封印ホーリー・バインド》・《魔力回路遮断マナ・ブレイク》・《強制鎮静》」


 ドクンッ! と心臓が跳ねる。

 次の瞬間、私の体から急速に力が抜けていった。


「えっ⋯⋯?」


 指先から熱が奪われる。体内で練り上げていた魔力が霧散していく。

 演出のために身に纏っていた「魔王の瘴気(黒い霧)」のエフェクトが、魔力供給を断たれてプツンと消滅した。


 それだけではない。身体強化魔法も状態異常無効スキルもすべてが機能不全に陥る。

 今の私はただの非力な美少女だ。


「ご安心ください、ミナ様。こんなこともあろうかと毎日、回復魔法をかけるふりをして少しずつ、あなたの魂に私の術式を編み込んでおりましたの」


 エレナは私の頬を愛おしそうに撫でながら事も無げに言った。


「これでミナ様の魔力は私の意のまま。自爆も抵抗もできない⋯⋯ああ勘違いしないで下さいね、これは呪いが暴走したときの安全装置ですわ」


(はぁ!? いつの間に!? 毎日の回復魔法って、あの「今日も怪我がなくてよかったですね」っていうイチャイチャタイムの裏で!?)


 私の内心は絶叫した。というか「こんなこともあろうかと」って、その準備の良さは何? 勇者の体に勝手にバックドア仕込む聖女って何なの? 怖すぎるんだけど!


「あ、う⋯⋯力が⋯⋯」


 演技ではなく本当に力が入らない。

 これでは「魔王化の進行に合わせて自爆魔法で派手に散る」というプランBも実行不可能になってしまった。


「エレナ、下がって。ミナの魔防耐性が消えた。今なら通る」


 不穏なセリフと共に魔導師ルナが一歩前に出る。


「力が⋯⋯入らない⋯⋯。ルナ、助け⋯⋯」


 私は縋るようにルナを見上げた。彼女なら論理的に状況を判断してくれるはずだと信じて。


「ん。任せて」


 ルナが頷き、杖を振るう。

 助かった、と思った次の瞬間――私の視界がガクンと下がった。

 それは膝から力が抜け無様に地面へ崩れ落ちたせい、手足の感覚が根こそぎ消え失せたのだ。

 

「⋯⋯あ、あれ?」


 痛みはない。けれど感覚が決定的におかしい。

 自分の右手を動かそうと念じているのに目の前の右手はピクリとも動かない。


 代わりに私の意識の中にある「右手の感覚」は、何もない虚空を掴んでいるような浮遊感だけを伝えてくる。


「――《空間乖離ディメンション・カット》。ミナの手足の座標を亜空間に飛ばした」


 ルナは今日の夕飯のメニューを告げるような軽さで言った。


「見た目は繋がってる。でも神経も筋肉もここにはない。だから、ミナはもう自分を傷つけることもできない、どこかへ逃げることもできない」


「は⋯⋯?」


 あまりのことに思考が停止する。


(いやいやいや! やりすぎでしょ!?)


 私は涙目で訴える。


 四肢の感覚がない? 動かせない?

 それってつまり、これから先、歩くことも箸を持つこともトイレに行くことさえも自分一人ではできないってこと!?


(介護レベル高すぎない!? 私、これからどうやって生活すんの!?)


 私の心の叫びなど意に返さずルナは満足げに頷いた。


「大丈夫。食事も、着替えも、下の世話も。私たちが全部やるから。⋯⋯ふふ、ようやく『お人形』になってくれた」


 普段は眠たげなルナの瞳が爛々と輝いている。それは新しい実験道具を手に入れたマッドサイエンティストの目だった。


「ルナ、エレナ。迅速な処置、感謝する」


 最後に騎士ヴァネッサが重々しい足取りで近づいてきた。その手には例の「首輪」が握られており、ジャラリと鎖の鳴る音が死刑宣告のように響く。


(待って! 誤解だ! 全部演技なんだってば!)


 魔力を奪われ手足も動かない。残された武器は「口」だけ、今すぐネタばらしをして土下座して謝ればまだ間に合うかもしれない!


「ご、ごめんみんな! ま、魔王の呪いなんてな――」


 カチャリ――冷たい金属音が私の言葉を遮った。

 喉に食い込む革と金属の感触が伝わったその瞬間に言葉が出なくなった。いや、声帯が凍りついたように震えないのだ。


「――よし、機能しているな」


 ヴァネッサは私の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「これは『言霊封じの首輪』――国宝級の魔道具だ。魔王に乗っ取られたお前が世界を呪う言葉を吐けば現実になりかねない。だから⋯⋯封じさせてもらった」


(あ⋯⋯が⋯⋯っ)


 違う! 私が言いたかったのは呪詛じゃなくて謝罪!

 口をパクパクさせるだけの私を見て、ヴァネッサは悲痛な面持ちで、しかしどこか安堵したように微笑んだ。


「辛いだろうが耐えてくれ。お前のその清らかな口から『私を殺して』なんて言葉、二度と聞きたくないんだ」


(お、おわった⋯⋯)


 言葉を奪われたことで私は最後の切り札である「弁明」すら封じられた。

 これでもう誤解を解く術は永遠に失われた。完全に詰んでしまった。


 魔力ゼロ。四肢感覚なし。発声不可。

 かつて世界最強と謳われた勇者は、わずか数分の間に生まれたての赤子同然の存在へと堕とされた。


 瓦礫の玉座に転がる私を見下ろすのは、三人の「かつての仲間」たち。


「これで⋯⋯ずっと一緒ですわね、ミナ様」


 エレナが恍惚とした表情で私の動かない手を頬ずりする。


「もう二度と、私たちを置いていこうなんて考えさせない」


 ルナが私の髪を弄りながら暗い瞳で微笑む。


「安心しろ。私たちが一生、お前の手足となり口となる。お前は何もしなくていい。ただ、私たちに愛されていればいいんだ」


 ヴァネッサが鎖を強く引き寄せ、私との距離をゼロにする。


(ど、どうしてこうなったの⋯⋯なにを間違えた⋯⋯)


 私は虚ろな目で天井を見上げた。

 彼女たちを曇らせるために好感度を上げまくり、依存させ、激重感情を育てすぎた結果がこれだ。


 彼女たちは「勇者を殺す」という選択肢を全力で拒否し「勇者を無力化して一生飼い殺す」という斜め上の正解バッドエンドを叩き出してしまったのだ。


 これが因果応報、人の心を弄ぼうとした曇らせ勇者に下された、あまりにも重すぎる罰なのだろうか。


(⋯⋯あっ、もうだめだ。キャパオーバー)


 三人の歪んだ愛の重圧と物理的な拘束感。

 そして何より「愛されすぎて(人として)死ぬ」という未来への恐怖に私の意識は限界を迎えた。


 演技ではなく本物の気絶だった。

 暗転する意識の中で最後に聞こえたのは、三人の愛おしそうな声で――。


「おやすみなさい私たちの勇者様。いいえ⋯⋯『お姫様』」

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