エピローグ 因果応報のハッピーエンド 〜孕み姫の終わらない日常〜
あの絶望の森での脱出失敗からどれほどの月日が流れただろうか。
王宮の最奥、かつて私を震え上がらせた「白百合の離宮」は今や私にとって世界の全てであり、逃れようのない絶対の安息地となっていた。
ルナの張った巨大な環境制御結界によって一年中春の陽気に保たれた専用庭園。そこには季節を問わず色とりどりの花が咲き乱れ、甘い香りが満ちている。柔らかな日差しが降り注ぐ中、私は豪奢な彫刻が施された揺り椅子に深く腰を下ろしていた。
身に纏っているのは、最高級のシルクで設えられたゆったりとしたドレスだ。身体のラインを締め付けず、それでいて私の白く艶やかな肌を美しく引き立てるよう計算し尽くされたデザイン。授乳のしやすさまで考慮されたその服は、今の私の立場――つまり「王家の世継ぎを産み育てる母体」であることを雄弁に物語っていた。
「ふぁ⋯⋯あぅ⋯⋯」
私の腕の中で微かな寝息が漏れる。
視線を落とすとそこには純白のおくるみに包まれ、スヤスヤと眠る生後数ヶ月の赤ん坊の姿があった。
透き通るような銀髪に私から受け継いだ紫の瞳を持つ、天使のように愛らしい女の子。数ヶ月前、私が丸二日間の陣痛とソフィア様の膨大な魔力補給の末に産み落とした王家の次女だ。
私は赤ん坊の柔らかな頬を人差し指でそっと撫でながら慈愛に満ちた、完璧な「聖母の微笑み」を浮かべていた。
(⋯⋯解せぬ。どうしてこうなった⋯⋯)
完璧な微笑みの裏側で私の脳内のゲスな人格が乾いたツッコミを入れていた。
(私は日本人の元男で他人の曇り顔をオカズにするゲスい愉悦部員だったはずだ。それが今や女同士の謎魔法「聖胤の儀」とやらで孕まされ、二児の母(産む側)だぞ? 前世のゲーマー仲間が見たら爆笑モノのバッドエンドだろ。クソッ、私のアイデンティティ返せ! 勇者としての栄光はどこに行った!?)
心の中では必死に毒づいている。私はまだ陥落していない、この狂った世界の設定に屈服などしていないのだと自分に言い聞かせている。
しかし、そんな私のささやかな抵抗など腕の中の小さな命の前では無力だった。
眠っていた次女が私の頬を撫でる指先に気づいたのか、小さな小さな手で私の人差し指を「ぎゅっ」と握りしめてきたのだ。
「あらぁ♡ 可愛い♡ お利口さんでちゅねぇ、私の赤ちゃん⋯⋯♡」
私の口から甘ったるい、完全にとろけきった声が勝手に漏れ出た。
指先から伝わる赤ん坊の体温。お腹を痛めて産んだ我が子に対する底なしの愛おしさ。男としての魂がどれだけ叫ぼうと勇者の肉体を造り替えられて芽生えた強烈な「母性本能」が、私の理性をいとも容易く蹂躙していく。
(ああっ、ダメだ! ダメだ! 可愛い! なにこの生き物、尊すぎる! 私の指握って笑ってるよ! ああもう、世界中の宝物を全部この子に貢ぎたいよぉ⋯⋯!)
結局のところ私の肉体も心も、とっくの昔に完全に陥落していた。
「おかあさまーっ!」
不意に庭の向こうから元気いっぱいの高い声が響いた。
顔を上げると金髪に碧眼の愛らしい三歳児が小さな手で何かを掲げながらテテテテッと走ってくる。
私とソフィア様の最初の結晶である長女だ。私の金髪とソフィア様の碧眼を見事に受け継いだ彼女は、存在そのものが奇跡と言えるほど愛くるしい。
その姿を見た瞬間、私の脳内に残っていた僅かな「ゲス人格」など木端微塵に吹き飛んで消滅した。
「ああっ、こっちよ私の天使! 走ったら危ないわ、転ばないようにね!」
私は腕の中の次女を優しく抱きかかえたまま、もう片方の手を大きく広げて長女を受け止めた。
「えへへ、おかあさま! みてみて、お花でつくったの!」
「まぁ私に花冠を作ってくれたの? ありがとう、お母様は世界で一番幸せものだわ!」
私は長女の柔らかな頬にスリスリと頬ずりをし、メロメロになって甘やかした。長女が「くすぐったいよぅ」とキャッキャと笑う声が私の耳には極上の天使の讃美歌のように響く。
(この子天才すぎない!? 三歳にしてこんな完璧な花冠を編み上げるなんて、手先の器用さがカンストしてる! 天使!? いや神か!? この可愛さだけで魔王軍とか三秒で浄化できるでしょ!!)
親バカ全開の思考が脳内を駆け巡る中、感動に浸っている私の視界の端で音もなく付き従ってきた異常な集団の姿が目に入った。
「姫様、走ると汗をかいてしまいますわ。風邪を引いては一大事です。さぁ、この《聖女の癒布》で綺麗にいたしましょう」
エレナがすかさず長女の額に浮かんだ微小な汗を、国宝級の聖遺物(魔力回復効果付き)で甲斐甲斐しく拭い去る。
「⋯⋯現在の気温、二十二・五度。姫様の体温上昇を感知。周囲の気温を〇・一度下げ、風向きを心地よい微風に固定する」
ルナが無表情のまま空間魔法と結界魔法をフル稼働させ、長女のためだけのパーソナル空調システムを構築する。
「姫様、足元にご注意を! この庭の小石は全て私が事前に粉砕し、毛虫の一匹たりとも近づけないよう《絶対防壁》を展開しておりますが、万が一ということもありますから!」
ヴァネッサが身の丈ほどもある大剣を構え、鬼神のような形相で庭の茂みを睨みつけている。
かつて私と共に魔王を討伐した世界最強のパーティーメンバーたち。彼女たちは今、私の「お世話係」から昇格し、長女と次女を護衛する「最強の保母さん部隊」として、その最高峰の能力を遺憾なく(そして盛大に無駄遣いしながら)発揮していた。
(⋯⋯はっ! いかんいかん、また母性バグが発動して冷静さを失うところだった。ていうかお前ら! 元世界最強パーティーのくせに過保護すぎるだろ! 聖女の布を汗拭きタオルにするな! 大魔導師がエアコン代わりになるな! 騎士団長が虫除けのベープマットになるな! 育児のRTAでもやってんのか!?)
私は内心で激しいツッコミを入れながらも彼女たちの異常なまでの愛の重さに、もはやため息をつくことしかできなかった。
「あらあら。とても幸せそうな光景ですね」
その時、庭園の入り口からその場にいる全員の動きを止めるほど圧倒的な声が響いた。
鈴を転がすような優雅で甘く、そして絶対的な威厳を孕んだ声、振り向くとそこには豪奢な女王の装束を身に纏った銀髪の美女――ソフィア・フォン・エルディア現女王陛下が、完璧な微笑みを浮かべて立っていた。
先王から王位を継承し、名実ともにこの国を統べる最強のラスボスにして私の「旦那様」である。
「あ、ソフィア殿下⋯⋯いえ、女王陛下!」
「お戻りになられたのですね」
エレナ、ルナ、ヴァネッサの三人がすかさずその場に跪き恭しく臣下の礼をとる。
「おとうさまーっ!」
長女が私の腕から抜け出し、嬉しそうにソフィア様の方へと駆け寄った。女同士の夫婦であるため、ソフィア様が「お父様」というポジションに収まっているのだ。
「ただいま戻りましたよ、私の可愛いお姫様」
ソフィア様は威厳ある女王の顔から一転、とろけるような甘い笑顔を見せて長女を軽々と抱き上げた。そして長女の頬にキスをすると、そのまま優雅な足取りで私のもとへと歩み寄ってくる。
「政務、お疲れ様です⋯⋯ソフィア様」
私が揺り椅子に座ったまま上目遣いで見上げるとソフィア様は長女を抱いたまま屈み込み、私の唇に、そっと自分の唇を重ねた。
チュッ、と。
ただの家族同士の軽い挨拶のキス。それだけのはずだった。
「んんっ⋯⋯♡ はぁっ⋯⋯」
だが唇が触れ合った瞬間、ソフィア様の唇から極微量の「王家の魔力」が私の体内に流れ込み、私の身体は条件反射でビクンッと大きく震え上がってしまった。
数年に及ぶ「聖胤の儀」と毎晩のように繰り返される濃厚な愛し合いにより、私の勇者としての神核は完全にソフィア様の魔力に調教されきっている。彼女の魔力を感知しただけで脳髄が痺れ、子宮の奥が熱くなり、自動的に快楽の波が押し寄せてしまうのだ。
「ふふっ。可愛い私のお嫁さん。今日も立派にお母さんをしてくれてありがとう」
ソフィア様が唇を離し、私の耳元で甘く囁く。
その吐息がかかっただけで私の腰は完全に砕けそうになり、揺り椅子の上でだらしなく足をすり合わせてしまった。
(うっ⋯⋯! 声聞いただけで、キスされただけで腰が⋯⋯っ! クソッ、このラスボス、数年経っても全く隙がないし、色気がカンストしてる! 私の身体、完全にソフィア専用のコントローラーで操作されてるみたいだ⋯⋯! 悔しい、悔しいのに、抗えない⋯⋯っ♡ むしろもっと触ってほしいとか思ってる自分が憎い!)
私は真っ赤になった顔を誤魔化すように腕の中の次女を抱き直して俯いた。
やがて庭園のテーブルに最高級の紅茶とお菓子が並べられた。
ヤンデレ三人組が甲斐甲斐しく給仕を行い、私たちは家族団欒のティータイムを楽しむ。長女は私の膝にしがみついてクッキーをかじり、私の腕の中では次女がミルクを飲んで満足げに眠っている。
ソフィア様は私のすぐ隣に座り、私の肩を優しく抱き寄せていた。
「⋯⋯ミナ」
不意にソフィア様が私の耳たぶを甘く噛みながら、誰にも聞こえないような小声で囁いた。
「次女も無事に産まれましたし⋯⋯貴女の体調もすっかり回復したようですね。そろそろ、三人目の『仕込み』に入りましょうか?」
「ひゃぅっ!?」
私は顔を爆発しそうなほど赤くして、ビクッと震え上がった。
(さ、三人目!? 嘘でしょ、次女を産んでからまだ数ヶ月しか経ってないんだけど!? 私の産後クールダウン期間短すぎない!? どんだけ体力無限のバグキャラなんだよ! 毎晩毎晩あんなに激しく愛し合ってるのに、まだ飽き足らないのか! ふざけんな、絶対に拒否してやる⋯⋯! 勇者の尊厳にかけて、今夜は絶対に寝たふりをしてやるんだから!)
私は心の中で烈火の如く怒り、断固たる決意を固めた。
だが現実に私の口から紡ぎ出されたのは――。
「も、もう⋯⋯ソフィア様ったら。子供たちの前で、そんな⋯⋯っ♡ ⋯⋯夜まで、待って、ください⋯⋯♡」
完全に絆され雌として調教され尽くした、甘ったるい嬌声だった。
「ええ。夜が来るのを、楽しみにしていますよ」
ソフィア様は満足げに微笑み、私の首筋に熱いキスを落とした。
その感触に私はまたしても身を震わせ、快感に満ちた吐息を漏らしてしまう。
――完全にゲームオーバー
私は温かい日差しの中、半ば諦めの境地で遠い空を見上げた。
かつて他人の絶望を楽しむゲスだった私は、最強のヤンデレたちに尊厳を物理的にも魔法的にも破壊され、絶対王者の種付けによって「専用の孕み姫」にジョブチェンジさせられた。
心はまだ屈服していない(と自分では思っている)が、体は触れられるだけで絶頂し、産まれた娘たちは理不尽なほどに可愛く、衣食住は王族として完璧に保証されている。そして何より、狂気的なまでに愛されすぎて、幸せで息が詰まりそうだ。
(せめて⋯⋯絶対に、絶対にこの娘たちには私みたいな「他人の曇り顔が好き」なんていう最悪の趣味を持たせない。清く正しく、まともな子に育てるんだ⋯⋯!)
私は母としての強い決意を胸に抱いた。
だがチラリと視線を向ければ長女に異常なまでの愛を注ぎ、過保護の極みを尽くしているヤンデレ保母さん部隊の姿がある。
(⋯⋯でも、周囲のヤンデレたちを見てると、この子たちの将来が不安すぎる!! 絶対に血の気の多い、愛の重い女に育つだろこれ!)
一抹の(いや、特大の)不安は残るが腕の中の温もりと隣で微笑む最強の旦那様の温もりが、私から全ての反抗心を溶かしていく。
『まぁいい⋯⋯。これも一つのエンディングとしては――悪くない、か』
黄金の鳥籠に幸せそうな笑い声が響き渡る。
曇らせ転生勇者は逆に愛され曇らされ、そして雌堕ちさせられ――世界で一番幸せな鳥籠の中で、今日も愛する家族たちに徹底的にお世話され、愛を孕まされるのだった。




