第24話 ガイオへの裁き
時計塔から見下ろす夜の王都。
中心部や貴族が住む居住区には闇が広がり、物音ひとつ聞こえてこない。
対して夜市からは喧騒が聞こえ、行き交う人たちも酒に酔い楽しげ。
いつもの光景。
いつもの喧騒。
だが、どこかいつもと違う雰囲気を醸し出している。
硬いと言うか、強張っていると言うか。
説明できない重さを感じる。
『静かだね〜♡ 事件の前みたいでワクワクしない?』
「そうか? いつもと変わらないぐらい賑わってると思うけど」
『気付いてない感じ? いつもとぜんぜ~ん違うのに!』
どうやらリリスは俺より強く、違和感に気付いているようだ。
『今にも旨味が溢れ出そうなこの香り♪ 今日は誰を食べられるかな~♪』
「なんの話をしてるんだか、さっぱりわかんないぞ」
『もう~、鈍感なんだから。そんなんじゃ逃げられちゃうぞっ!』
「なににだよ」
『そりゃ……。ねぇ?』
遠くで鐘が低く鳴った。
それが合図のように聞こえた瞬間、視界の複数の人影が動き出す。
遠く、暗いので見えないが、なにか起こっているのは間違いなさそうだ。
『来た来た! これだよノア~♪ 早く行かないと乗り遅れちゃうぞっ♡』
「なんの話だよ」
『いいからいいから♪』
黒い靄が身を包み、身体が黒鎧に包まれる。
『ご飯の時間! 行かないならアタシが行くけど、どうするの?』
問いかけに。
「わかったよ。行けばいいんだろ。行けば」
『そうそう。美味しいところはアタシがやるから。よろしくねっ♡』
機嫌がよさそうなリリスの声を聴きながら、俺は夜風を切り裂き街へと降りた。
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ノエル視点
私は人混みに紛れて裏路地へと入る。
麻薬に侵されて石畳に倒れ込む人たちを横目に、足早に歩を進めた。
少し進むと、目的のお店はいつも通り影の奥にひっそりとあった。
窓から店内を覗きこむ。
そこにはガイオと2人の男が酒を飲んでいる。
うちの1人はこの前、騎士団が捕まえたはずの売人。
予想通り、逃走した売人はガイオ達の仲間だった。
ここで彼らを捉えれば、それも証拠の1つになる。
「ガイオさん、最近景気がいいですね。なにかあったんですかい?」
「邪魔者が消えて麻薬を売り放題だからな! そら景気も良くなるさ!」
「邪魔者というと、あの黒鎧の闇喰い?」
「ご名答! 大層な呼び名を付けちゃいるが、オレからすりゃ雑魚だった!」
「ガイオさんがやったんですかい?」
「おうともさ! 睨みを聞かせて拳一発よ! 泣いて謝る姿ったら無様だったなぁ! お前らにも見せてやりたかったぜ、オレ様の雄姿ってやつをよ!」
騒ぎ散らかしているガイオの姿に、頭に血がのぼる。
けど、それを深呼吸して落ち着けた。
今はまだ、トウカさんの合図を待たないと。
「ついでに部下もやってやってなぁ。知ってるか? ノエルって奴」
「そりゃ知ってますぜ。巡回ルート外で売買してる仲間が捕まったって、大問題になってたんですから」
「そいつもオレが殺しといたから、これからはばっち売ってくれや!」
「なっ! あの小娘もガイオさんが!? あれはかなりの実力があったんじゃ」
「大したこねえ所詮は女よ! ちょっと乳を小突いてやったら喘ぎ転んでからに!」
「だ、抱いたんで!?」
「あんなしょんべん臭いガキ、オレが抱くと思ってんのか! んなのお断りだよ!」
「がははっ! 確かに! あんな貧相な奴は誰も抱きたがりませんね!」
トウカさん、早く……。
そうじゃないと、怒りで自分が止められそうにありません……。
ゴォーン。と、鐘の音が低く響いた。
突入の合図だ。
私は剣に触れ、呼吸を整えてから扉を開き店に突入する。
すぐに正面のテーブルで飲んでいたガイオと目が合った。
その顔色が一瞬で凍り付く。
「お、お前……。どうしてここに」
ガイオの顔色が一瞬で凍った。
震える声の続きは狼狽で出てこない。
「あっ? なんだ、てめえ!」
手前に座っていた男が立ち上がった瞬間、私は一気に踏み込んだ。
がら空きの腹部に膝を叩き込み、悶絶する男の横腹に蹴りを叩き込む。
男は声を上げて後ろへ吹き飛び、椅子や杯が飛び散った。
「やんのかごぉらぁ!」
もう1人が素早く剣を抜き不意に斬りかかってくる。
大きく振り上げられた腕が下りる前に、剣の柄を相手の鳩尾に深々と突き刺す。
「ごっぱぁ……」
男の顔が歪み、目を見開いて膝が折れた。
息が止まったような呻き声が漏れる。
崩れ落ち、前に屈み込んで悶絶した男の顔を蹴り飛ばして店の端に吹き飛ばす。
そのまま、剣先はガイオへと向ける。
「後は貴方だけよ? ガイオ」
「て、てめえ……。なぜここにいやがる! 奈落送りにしてやったはずだ!」
「ええ。だから、その奈落から帰って来ただけよ?」
「ふざけるな! 奈落には悪魔がいるはず! 生きて帰れるはずがねえ!」
「奈落に悪魔がいる? なんのこと言っているの?」
「とぼけるな! 奈落に飛ばしだバカ共はみんな悪魔に喰われて死んだはずだ! お前と一緒に騎士団に入って来たガキみてえに、生きて帰る奴なんざ1人もいねえ!」
私と一緒に騎士団に入ったガキ?
その言葉が、ゆっくりと繋がっていく。
トウカさんがガイオに、私が姿を消した時に言われた言葉。
『もう人助けは疲れたと言って辞めたとガイオ隊長が』
どこか聞き覚えがあると思ってた。
そう、これを聞いたのはノアが姿を消した時、ガイオから聞いた言葉だ。
『見ず知らずの人を助けるのは疲れたらしい』
胸の中が、スッと冷たくなるのを感じる。
「貴方、ノアを奈落に送ったの?」
「そうだ、なんか文句があるか? 気に喰わねえ、フィリップが麻薬を売ってる現場をチクりやがって! だが、バカな奴だったよ! まさかオレにそれを教えるなんてな! その日のうちに奈落に送ってやったさ! 案の定、生きた姿を見た者はいねえ! 死んだんだよ! あのガキは!」
怒りが喉元までせり上がる。
剣先が震えているのが、自分でもわかる。
「無様だったぜ! 泣いて喚いて! 転送陣の中で謝るアイツの姿は!」
ガイオの嘲笑。
怒りが燃え上がる。
予定していた正当な手続きも、理詰めの言葉も、頭に思い浮かばない。
ガイオの笑い声を黙らせるように、私は動いていた。
「貴方だけは……。許さない、絶対に!」
叫びとともに、斬り下ろす。
――ガキィン!
短剣で攻撃が防がれ、金属同士の衝突音が響き渡る。
手は緩めない。
防御の隙間を突いて、刃は彼の左肩から鎖骨の下をかすめ、浅い切り傷を刻んだ。
「ぐっ! てめぇ、上官になんてことしやがる!」
「いまさら上官ぶらないで! 貴方はただの犯罪者よ! 許される人間じゃない!」
「っるせえ!」
ガイオが短剣を突き出した。
動きは荒く、我武者羅に放った一撃。
重心を落として滑るように低く避ける。
短剣の先が空を切り、ガイオの腕が空を叩く音が鼓膜を揺らす。
踏み込んで、剣の柄を鳩尾に叩き込むと、呻きが漏れた。
折れる膝に、右の掌底で彼の顎を打ち込み顔を跳ね上げる。
身体から力が抜けるのを感じ、腹部を掴んで膝を叩き込む。
「ぐっはぁ!」
ガイオの視線がふらつき、酒の香りが混じった息が荒くなる。
充血しきった瞳はまだこちらを見続けている。
構わずガイオの首を掴んで床に叩きつけた。
木片が叩き割れ、頭部がぶつかり微かに跳ねる。
右の拳を固めて、思い切り振り上げる。
「やっ、やめっ!」
一気に振り下ろす。
拳が顔面に当たった瞬間、鈍い衝撃が掌へ伝わり、ガイオの頭がぐらりと揺れた。
それでもガイオは完全には落ち切らず、ぎりぎりで意識を保っていた。
唇が震え、目が一瞬虚ろになるのを私は見逃さない。
浅い呼吸が胸を上下させるだけで、言葉は出ないようだ。
立ち上がり、剣先を倒れるガイオの顔へと向ける。
「奈落の悪魔について教えなさい」
「へっ、そんなことも知らねえのか」
「いいから教えなさい!」
剣先を近づけると、ガイオは喉を鳴らして声を出す。
「人を喰う悪魔が奈落にいるんだよ。気に喰わねえ奴は奈落に送って処理してた」
「それは本当なの?」
「ああそうだ。だからいねえだろ? ノアってガキもアイツは死んだんだ。ははっ」
……違う。
奈落に悪魔なんて存在しなかった。
手も足も出ない魔物はいたけど、あれは黒鎧が倒してた。
あの魔物が悪魔と呼ばれるとは思えない。
「ボーっとしやがって、こんなところで現実逃避か? 勘弁してくれよ。お前に殴られて体中が痛いんだ。先に医療班を呼んでくれや」
「黙りなさい」
「おっと、医療班に助けられるべきなのはお前の方か? ノエル。まだあのガキを生きてるって信じてるなら重度な病気だ。現実を受け入れろや。ノアは死んだんだよ」
「黙りなさいと言った!」
言葉が出ると同時に、私は動いていた。
剣を構え、刃先が彼の喉元へ一直線に振り下ろす。
その瞬間、外から誰かの声が聞こえた。
「黒鎧の闇喰いが逃げたぞ! 追いかけろ!」
その名に、私の手が止まる。
黒鎧が言ってた、ノアに会ったと。
ノアはノアの出来ることをしていたと、確かに言っていた。
ガイオが何を言おうが、ノアが生きているのは間違いない。
「ノエル、無事か!」
扉が勢いよく開き、トウカさんが駆け込んできた。
「問題ありません。ガイオを捉えました」
床で伸びているガイオの瞳が、トウカさんを見る。
「おうトウカ。さっさとそいつ殺してオレを助けろや」
ほくそ笑むガイオを、静かに見下ろし続けるトウカさん。
「んだぁ? その目は? さっさとしねえとてめえのババアを今以上に薬漬けにするぞ! あぁん? 立場わかってんのかおらぁ! 黙ってオレを」
「母さんはもう、中毒者じゃなくなった」
「はっ、バカげたことを」
「麻薬の解毒安定剤が完成したんだ」
「なにを急に言ってやがる。解毒安定剤はクラウスが」
言い続けるガイオの表情が、トウカさんの冷たい瞳に唖然としていく。
「ほ、本当に解毒安定剤が? だ、だれがそんなもん」
「お前に教える必要はない。お前は」
「やめろトウカ! オレはお前を」
トウカさんは一歩踏み込み、腰をひねってガイオの頭部に鋭い蹴りを入れた。
身体が弾かれ、床を滑るように転がり、勢いのまま壁に頭をぶつけた。
鈍い衝撃音が響き、周囲の空気が一瞬止まる。
ガイオはそのまま、ぴくりとも動かなくなった。
呼吸は浅く、目は閉じられ、血の跡が短く壁に残る。
「……すまないノエル。止めに来たつもりだったが、わたしが我慢できなかった」
謝ってはいるが、その表用には抑えられない笑みが零れている。
よほどスカッとしたように見える。
「トウカさん。そんなことよりフィリップは」
「……すまないノエル。フィリップは黒鎧に奪われた。追い詰めはしたんだが、捕える寸前で奴が現れて。そのまま逃げられてしまった」
「黒鎧が」
黒鎧がフィリップを連れ去った。
そうなれば、間違いなく黒鎧はフィリップを喰らう。
想定していた最悪の展開っていうわけじゃない。
なんなら黒鎧が現れることは想定していた。
彼と正面と戦っても勝てないことは明白。
身の危険を感じたら撤退しようと、トウカさんとは予め決めた。
――けど。
「トウカさん! 黒鎧はどこに行ったんですか!」
「ノエル、気持ちはわかるが奴は危険だ。フィリップをこちらに譲る気はないぞ」
「わかってます。けど、私はそれでも追いかけたいんです!」
発言に迷うトウカさんに、私は詰め寄る。
「私は私の今できることを、精一杯やりきりたいんです!」
「……そうだな。黒鎧はスラムの方へ逃げ行ったよ」
「わかりました。トウカさん、ガイオをお願いします!」
そう言って私はお店を駆け出した。
フィリップが食べられているかはわからない。
けれど、私は足を止めずに彼らの姿を探し続けた。




