第2話 変化
鐘の音とともに孤児院の食堂に子どもたちが集まった。
机の上に並べられたのは、固く乾いたパンの切れ端と、薄いスープ。
食前の祈りを終えた後、俺は乾いたパンに齧りつく。
うん。固い。味しない。喉が渇く。
スープで流し込む。遠いところに見え隠れするカボチャの味。
あまりの遠さに俺の気まで遠くなる。
「これわたしの!」
「違う! これはボクのだ!」
年下の子たちが、ひとつのパンを取り合って声を張り上げた。
小さな手と手がぶつかり合い、今にも喧嘩に発展しそうな空気。
「ほら、お前ら。これを半分ずつ食え」
年上という事で、俺にはパンが二つ配られていた。
そのうちの一つを割いて子供たちに差し出す。
「い、いいのかよ?」
「ノアお兄ちゃん。お腹すかない?」
「俺は一つで腹いっぱいだ。しぶしぶ俺に食べられるより、お前たちに笑顔で食べられた方がパンも幸せだろ?」
そう言って、温いスープを口に運ぶ。
「ありがと! ほら、大きいほうやるよ!」
「えっ、いいの!」
子供たちが勢いよくパンを齧り、頬を膨らませながら笑顔で顔を見合わせている。
「そうだ。笑顔で味わえよ。用意してくれたシスターに感謝しながらな?」
「わかった!」
「ありがとー! シスター!」
遠くにいたシスターが急に呼ばれて驚いている。
「大丈夫なの?」
そう問いかけてきたのは隣に座っているノエルだ。
こちらは既に朝食を完食済み。
子供たちのように頬がパンで膨れ上がっている。
そういえば食いしん坊なキャラだったか。
「大丈夫だよ。腹がいっぱいなのは本当だからな」
「本当に?」
覗き込んでくる蒼眼。
「……うん。嘘はついてないみたいね。でも、なんでパン一つで?」
「そんな時もあるんだよ」
「いやないわよ。パン一つでお腹がいっぱいになることはないわ。絶対にない」
「そんな何度も否定しなくてもいいだろ」
時にはあるだろ、そんなことも。
どんだけ食いしん坊なんだ。
それに、腹が満たされているのは本当だ。
ノエルに言うつもりはないけど。
「今の俺にはこんなことしかできないけど」
言いながら、パンを少しずつ食べている子供たちを見て。
「早くこいつらを腹いっぱいにさせてやらないとな」
「……ええ。そうね」
俺の行動が意外だったのか、呆気に取られているノエル。
「なに驚いた顔してるんだよ。飯が終わったら次は訓練だ。先行くぞ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 競争なら負けないんだから!」
食器を持って洗い場に行くと、競うようにノエルが追って来た。
張り合うつもりはないが、相手がその気だと、こっちもその気になってしまう。
不思議なもんだ。
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木刀と木刀がぶつかり合う音が教会の裏庭に響く。
ノエルの一撃は、子どもとは思えないほど重かった。
何度も振り下ろされる剣を、俺はただ必死に受け止める。
「はぁっ!」
小さな身体から絞り出される気合とともに、木刀が容赦なく襲いかかる。
腕が痺れる。足の裏が震える。
それでも俺は、歯を食いしばって踏みとどまった。
さすがは主人公。同い年とは思えない攻撃をしてくる。
ステータスは見えないが、今の時点で俺より遥か上を言っているはずだ。
俺は、彼女の攻撃を受けるので精一杯。
「まだ倒れねえぞ! もっと思いっきりこいよ!」
「なによ。いつも以上に威勢がいいじゃない!」
「そんな時もあるんだよ!」
「朝食の時から変な感じね! ハァ!」
木刀を受け止め、腕がきしむ。
たとえ体力差で勝てなくても、ノエルが全力を出せるように受けてやる。
「そろそろ負けを認めたら? いつもならとっくに泣いて謝っているのに!」
「まだまだ余裕だ! ノエルの方こそ疲れて来てるんじゃないか? 攻撃に勢いがなくなってきてるぜ!」
「私を挑発をするなんて! 生意気になったものね!」
「この程度の実力差だったら生意気にもなるっての!」
虚勢を入っているが、既に木刀を握るのが精いっぱいだ。
手が震え、足も立っているのがやっと。
気を抜けば倒れ込みそうなほど疲れている。
それでも、手加減しているノエルに発破を掛ける。
「いつの間にか俺の方が強くなっちゃったんじゃないか!」
「その勘違い、直ぐに現実を見せてあげるわ!」
ノエルの目がすっと細められる。
振り上げられた木刀を正面から受け止めるつもりで身構える。
「甘い!」
「っ!」
フェイント。
振り上げた木刀は空を切り、ノエルの足が素早く横へ滑る。
体勢を崩した俺の脇腹に、鋭い衝撃が走った。
「ぐっ……!」
横腹に叩き込まれた一撃で、息が詰まる。
木刀を突き立て、なんとか片膝をついたところで持ちこたえる。
ノエルは木刀を構えたまま、小さく息を弾ませて俺を見つめ。
「や、やっぱノエルには勝てねえか……」
「なに言ってるのよ! ごめんなさい、大丈夫?」
心配そうに覗き込んでくるノエルに。
「大丈夫に決まってるだろ。木刀の一撃でやられてたまるかよ」
「ちょ、ちょっと! 無理しない方が」
「心配し過ぎだって」
呼吸を整えて立ち上がる。
鈍い痛みはあるが、摩ってれば直ぐに消えるだろう。
「それより、もう一戦どうだ? まだまだいけるだろ?」
ノエルの瞳が一瞬だけ大きく見開かれた。
だが、すぐにそれは微笑みに戻る。
「……わかったわ。でも、少し休憩してからにしましょう」
「なんだよ。俺はまだ」
と答えようとした瞬間、ノエルにおでこを押された。
疲労しきった足は踏ん張れず、そのまま後ろに倒れ込む。
「限界でしょ?」
「……全く、ノエルには敵わないな」
限界だと見抜かれていたようだ。
冷えた地面を感じながら、俺は静かに目を閉じた。
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ノエル視点
ノアはそのまま眠ってしまった。
浅い寝息が聞こえてくる。額には汗が浮かび、頬は少し赤い。
威勢が良かったのは疲労を悟られないようにするため。
もしかしたら、私が本気を出していないことに気付いたから?
なんて、ノアにそんな洞察力があるわけないか。
隣に座り込み、じっと彼の寝顔を見つめた。
「ノア。どうしちゃったの? 急に人が変わったみたいに」
朝食のことを思い出す。
子どもたちの喧嘩を止めて、自分のパンを分けてあげた。
今までなら面倒そうに目をそらしていただけなのに。
笑顔でパンを食べる子供を見て嬉しそうにしていたノアの顔が、忘れられない。
訓練の時もそう。
今までは私が誘っても乗り気じゃなかった。
『大丈夫大丈夫。ノエルがいれば問題ないから』
へらへらしながらそう言って、軽く打ち込むだけで大袈裟に倒れ込んで。
お腹が痛いからと訓練もサボって。
それなのに今日は、人が変わったようだった。
私の目を見て必死に攻撃を読もうとしていた。
何度も私の攻撃を正面から受け止めて、苦しそうな表情を浮かべていた。
手加減に気付いていたのか、私に本気を出せって言った。
今までの態度からは想像できない、真剣な眼差しで木刀を握りしめていた。
「本当に、なにがあったのよ」
胸の奥に小さな不安と、それ以上に温かい感情が芽生える。
理由はわからない。けれど、この変化はきっと悪いことじゃない。
木漏れ日の下で眠るノアを見ながら、私はふと口元をほころばせた。




