第17話 元凶への裁き。捕食
『っち。こんな時にノエルがくるのか』
「あれあれ? まさかご知り合い?」
笑顔にしたい相手だと、リリスに教えるのは弱みを握られることになるか?
「まさかあれがアンタのお仲間ってわけ? あはっ、どういう巡り合わせ?」
「なにを1人で言っているの? まさか薬を」
「んなわけないでしょ? アタシがこんな安物……」
黒鎧の継ぎ目がピリピリ震え、魔力が高まっていくのを感じる。
周囲の埃がふっと浮き上がり、ランプの灯り激しくなると。
「使い分けないじゃん! アンタ、アタシをバカにしてるわけ!?」
リリスが一気に魔力を放った。
地下室を押しつぶすように空気が弾ける。
乳鉢に亀裂を入り、ガラス瓶が音もなく震えて崩れ落ちた。
大量に舞う青紫色の麻薬が、魔力と相殺するように消滅していく。
「わ、ワシの薬が。これを作るのにどれだけの時間と金が……」
「ごねんね、クソジジイ♡ でも、こんな薬この世に必要ないからさ♪」
「必要ないじゃと! ワシが作り上げた薬になんてことを!」
「あ~はいはい、そうね、そうだね。オジの話しは聞きたくないよ~♪」
リリスがくすくす笑いながら、クラウスの顔を眺める。
黒い掌がクラウスの顎を掴み、顔を引き寄せる。
「罪の匂いがくっさいおじさ~ん♪ じゃあ……。いただきます♡」
闇の靄で食すのではない。
黒鎧の口を大きく開くとクラウスの頭部を一気に包み込む。
「クラウスを放せといったはずよ!」
頭部を食らわんとしたところで、粉塵の陰からノエルの剣が振り下ろす。
金属音が甲高く響き渡った。
刃は黒鎧の肩を切り裂くように振るわれ、黒鎧の腕がそれを防ぐ。
「放す? アンタはコイツがしたこと理解してるわけ?」
「麻薬を作り、民達を苦しめた元凶よ!」
「わかってるじゃん♪ だからアタシが食べてあげる♡ 正義のために、ね?」
「そんなことは許されないわ!」
ノエルの刃が何度も振り下ろされる。
しかし、リリスは「くすくすっ♪」と笑いながらそれを片腕で弾き続けた。
「なんで? どーせコイツを殺すんじゃないの? だったらアタシに任せてよ」
「殺すかどうかを決めるのは法よ! 貴方でも、誰でもない!」
「はぁ? なに言っちゃってるわけ? 法で罪人が裁かれるなんて本気で思ってるの? 冗談やめて欲しいんですけど!?」
「なにが!」
「まさか知らないの? アンタが捕まえた罪人、み~んな開放されてることに」
「えっ?」
リリスの言葉に生み出された一瞬の隙
「無知も罪だから。少しだけ、お仕置きして、あ・げ・る♡」
黒手が剣を掴み、尻尾が動きノエルの腹部に突き刺さった。
「ぐはっ!」
鈍い声を零して吹き飛ばされた彼女は、足を滑らせながら尚も剣を構え続ける。
表情には苦痛が刻まれ、呼吸は浅く早い。
傷は表立っては見えない。
それでも、相当深いダメージだと伝わってくる。
「その男を、放しなさい……」
「コイツを捕まえてもどうせ開放されるよ? アンタが捕まえた売人みたいに」
「だとしても、個人に人を裁く権利はないっ」
ノエルの瞳が真っ直ぐ、刺すようにこちらを見据える。
クラウスが悪人だと知りながらも、こちらに渡す気はないようだ。
耳元でリリスがにやりと笑う。甘くて軽い声なのに、いつもより刃がある。
「ねぇねぇ、コイツ、アンタの大切な人なんだっけ?」
『……ああ、そうだ。ノエルを助けるために、俺はリリスと協力してる』
「ふーん、そうかぁ……。じゃあ、いいよ。任せてあげる♡」
その瞬間、意識が反転するような感覚。
クラウスを持ち上げている感覚が伝わり、主導権が入れ替わったんだと自覚する。
「リリス、お前」
『アンタとコイツがどんな会話するか、ちょっとだけ興味が出ちゃった♪ このジジイはぜ~ったいに食べるけど、少し話してみてよ』
どういう風の吹き回しなのか。
だが、それでもノエルとここで会話できるならありがたい。
俺はクラウスを放し、しかし逃げられないよう部屋の端に追いやる。
そして、こちらを睨むノエルと対峙する
「さっき言った通りだ。お前が捕まえた売人は裏で開放されている」
「そんなのデタラメよ。ちゃんと証拠は揃えてるんだから」
「ならば帰って調べてみるといい。彼らは蝋の中にはいない。彼らがいるのは」
言いながら、俺は自分の腹を軽く叩く。
「ここだ」
「貴方が食べたって言うの!?」
「お前が捕まえ、国が逃がし、俺が裁いた。それが現実だ」
「そんなこと!」
「麻薬の対応に関して、違和感を抱かなかったのか? 騎士団の」
問いかけに、ノエルの瞳が微かに揺れる。
そうだ、騎士団はノエルに麻薬とあまり関わらないよう伝えているはずだ。
それなのに、正義感で売人を捕まえ続ける。
それがノエルという少女の生き様だ。
「騎士団の中に、金儲けのために麻薬を売り捌いている奴がいる。そいつがクラウスと手を組んでいる」
「それは」
「クラウスをお前が捕まえたところで同じことだ。裏切者が手を回して、コイツを逃がす。だからここで殺す」
「そんなこと許されない! 個人が人を裁くなんて!」
「許さないという自覚はある。それでも俺は、俺の道を進む。これ以上、悲しむ人を増やさないために」
ノエルから視線を外してクラウスを睨み、持ち上げる。
「それでも私は!」
決意が乗せられた声。
ノエルの顔が決意の色で強張る。
彼女は剣を構え直し、真っ直ぐに斬りかかって来た。
剣先は確かな怒りと正義心を乗せている。
『説得、失敗しちゃった感じだ♪』
掌に黒い靄が溢れると、それは剣の形を成す。
ノエルの振り下ろす一撃を、俺は正面から受け止めた。
「私はそれでも諦めない!」
「それでいい」
「だからクラウスを渡しなさい!」
「それは出来ない」
「このっ……。わからずや!」
「どっちが」
ノエルが振り続ける剣を何度も受け止める。
まるで体が勝手に反応するかのように、受けて、弾いて、また受ける。
力の入れどころ、肘の折り方、足の軸の置き方。
それが、懐かしい。
孤児院で毎日やっていた頃を思い出す。
「クラウスを捕まえれば時期に麻薬は収まるわ!」
「なにを根拠に」
「私の恩人が解毒安定剤を作ってる!」
「解毒安定剤を?」
そんなもの、Everyone Smilesには存在しなかった。
だからトウカさんの母親は自ら命を絶った。
「ありえない」
「ありえるのよ、それが! 私の恩人……。ベリトさんならそれが出来る!」
その言葉に、手元が狂った。
力んだ一撃は、たまたまノエルの胸元を押し出すように衝突する。
ノエルは一歩、二歩と後ろに弾かれ、床を滑って仰け反った。
「クラウスを捕まえて、ベリトさんに協力させれば解毒安定剤はもっとスムーズに作れるようになる! だから、クラウスを捉えればこの騒動は終わりよ!」
ベリトさんが、解毒安定剤を作る?
可能性は……、ある。
薬剤に詳しく、調合を得意としているベリトさんなら。
「だからクラウスをこちらに渡しなさい」
真っ直ぐにこちらを見据え、なだめるような言葉をこちらに投げるノエル。
仮に、ベリトさんが解毒安定剤を作れるとしたら。
クラウスを殺さず、強力させた方がいいのでは?
「ベリト……?」
その名前を口にしたのは、隅で怯えていたクラウスだった。
「ははは……。ベリトか。ああ、そうか。またあの女か……」
声は次第に大きくなる。
狂気と怒りが混ざり、言葉が次々と溢れ出した。
「知り合いなのか?」
「知らないはずがない。ベリトはいつだってワシの邪魔をして来た。ワシが素晴らしい薬を開発したのに、あいつがワシのやり方を問題視したから……。ワシは、追放された! 研究所を!」
怒鳴るクラウスに、ノエルが問いかける。
「貴方のお話は聞いています。お金のために危ない薬を作り、売っていたと」
「ああ。じゃが、崇高な開発には金が必要じゃ。それなのに、ベリトは良心だの倫理だのを持ち出して、ワシを追い出したんじゃ。『こんなものは人を救うための研究じゃない』とな。ふざけるなと思ったよ。ワシが汗を流して得たものを、あいつは綺麗事で潰したんじゃ!」
「それは、逆恨みでは?」
「はっ、小娘が。なんとでも言うといい。……じゃが、幸いなことに、ワシは奴を道連れに出来た。裏で金に汚れていると、影で囁いてやった。するとどうじゃ? 噂は広がる。噂は重なる。あいつもあいつでお偉いさんに疎まれていたのじゃ。正義感が強い、金にならない研究者だと……。そうしてあいつは追放された。ワシの手で外に放り出したんじゃ!」
「本当に……。酷い逆恨みね」
「酷い? いま酷いといったか?」
クラウスの顔に薄汚い笑みが浮かぶ。
言葉はゆっくりと、楽しげに吐き出された。
「そう、ワシは酷いんじゃ。追い出されたベリトは、何を思ったか孤児院を開いた。綺麗事を言ってな、子ども助けたいとな。で? ワシはそれを影から見てた。必死でやってる姿が滑稽で、胸がすく思いだったよ。あの頃は笑わせてもらった」
声が低くなり、目が細く光る。
「騎士団に拾われたワシは、孤児院への給金を減らしてやった。輩を雇って、屋敷に押しかけさせたこともある。子供を売れと、背中を押してやったのさ。今に見ておれ。あと少し、もう少しであいつは子供を売りに出す」
いっひっひ。と気色の悪い笑みを浮かべるクラウス。
それを聞き、クラウスの表情を見て。
俺は心が冷たくなるのを感じた。
……ああ、そうか。こいつだったのか。
優しくて、暖かくて、子供想いのベリトさんを、悪の道へと堕としたのは。
コイツだったんだ。
『あはっ♪ いいじゃんいいじゃん! いよいよ熟してきたじゃんねえ!』
リリスの囁きに答えている余裕はない。
ふと目を向けると、ノエルは俯いていた。
唇を噛みしめ、白くなった拳を握りしめている。
怒りに身体が震え、でも理性で抑えようとしているようだ。
「ノエル」
零れた言葉に、こちらを見るノエル。
「俺はコイツを、殺すぞ」
静かに告げて、クラウスの首根っこを掴み上げる。
「……貴方、まさか!」
ノエルの眼が、ゆっくりと見開かれる。
『あはっ♡ じゃあ、もういいかな?』
「ああ、リリス。頼む」
『物分かりがいいねっ♡ 後はアタシに任せてよ! 楽しい時間にしてあげるかさ』
意識が反転する。
俺の感覚は外側へと引き、視界の端でリリスの主導が広がっていくのを感じた。
「アンタもまたね! ちょーっとだけ、他のよりは強かったよ♡」
「あっ、ちょっと! 貴方! いや、でも」
背中からの声に、リリスの動きは止まらない。
クラウスの首根っこを強く掴み、一気に上へと跳躍した。
床や壁など関係ない、ぶつかるモノを全て破壊しながら突き進む。
瓦を蹴り上げ、塀を越え、屋根から屋根へと飛び移る。
高い屋根から、更に高いところへと飛び上がっていく。
辿り着いたのは、いつも俺が王都を見渡している時計塔だった。
風が強く、人が豆粒のように小さく見える。
街の喧騒は遥か下で、この高さまでは届かない。
縁に立つと、首を掴んだままクラウスを前に付き出す。
ふわりと宙に浮いたクラウスの脚が、無様にばたつく。
「た、助けてくれ。たのむ、頼む!」
「いい眺めじゃない? ジジイもこの景色を少しは楽しんだらどう?」
「楽しめるわけ、ないじゃろ!」
「あーそう。つまんない反応。でも、美味しい反応ではあるからいっか♪」
「お、お……。やめ、やめてくれ、頼む。ワシは、ワシは、フィリップに……」
くすくすと笑いながら、リリスは首をかしげ、顔を覗き込む。
その表情は楽しげで、でもどこか満足げだ。
「ほらほら、もっと震えて? もっとじっくり味わいたいからさ♪」
「やっ、やめっ。やめて、ください。お願い、します。します、から……」
クラウスは震えながら、鼻をすすり、嗚咽混じりに懇願する。
「ん~……。さいっこう! じゃ、味が落ちる前に、そろそろ食べちゃおっか♪」
リリスはゆっくりと顔を近づけると、問いかける。
「最後に。アンタ、麻薬で苦しむ人たちを見て、どうだった? 胸が痛くなった? 後悔した? それとも、心躍った?」
クラウスの声は震え、涙が堪えきれずに溢れる。
声を出そうとしているが、恐怖で言葉にならないようだ。
「ん? なにっ? 暫く見てないからわからない? じゃあ見せてあげる」
リリスはクラウスを宙に放り投げた後、足を掴んだ
視界が逆さまになり、地が視界に映り、顔を真っ青に染め上げるクラウス。
「ほらっ♪ これで見えるでしょ? あそこにも、あそこにも横たわってるよ? アンタが作った麻薬で今にも死にそうになってる人間が? どう? これ見てどいう思う? ねえ、ねえってば? ほらっ、さっさとアタシに教えなさいよ!」
「くっ。くそ、くそ……。本当に、すまない、すまなかった……! ベリトに、薬を使った人たちに、本当に、申し訳ない……!」
嗚咽と謝罪が続くたびに、リリスは目を細めて嬉しそうに微笑む。
まるで可愛い仕草を愛でる子供みたいに、クラウスの怯えを楽しんでいる。
「後悔してるんだ?」
「ああ! 後悔じゃ! ワシの人生は、後悔の連続なんじゃ。だから」
「じゃあ、後悔を抱えたまま死ぬといいよ♡」
黒鎧の面がゆっくりと、異様に大きく口を開く。
闇がひと塊り吸い込まれるような黒い穴。
「いただきます♪」
甘ったるく、背筋が凍るほど冷たい声。
クラウスは喉を震わせ、目を見開いて口を開ける。
助けを乞う声は風にかき消され、顔には隠しようのない絶望が浮かぶ。
手足がばたつくが、掴むものは何もない。
黒い影に包まれた瞬間、彼は闇の中へと滑り落ちていった。
飲み込まれる音は思ったより静かで、ただ空気が抜けるように消えた。
「ふふっ……。あはっ♡ さいっこう♡ ねえ、アンタ。まだいるの?」
『なにがだ』
「なにって。とぼけないでよ。ご・ち・そ・う♡」
リリスの言うご馳走。
それは、悪人を指す。
『ああ。まだ沢山いる。この世界には、コイツ以上の悪党がな』
「そっかぁ。じゃあ……。これからもよろしくね」
無邪気で甘くて、甲高い。
「これからもよろしくね。ノア♡」
初めて呼ばれたその名前に。
俺はどう反応していいのか、わからなかった。




