第16話 元凶の確保
いつものように王都を見渡せる時計塔の縁に腰を下ろす。
なんら変わらない風景に、微かな違和感が視界に映る。
「怪しいな」
『ん? どしたの?』
「いや、説明しずらいんだけど」
『なにそれ、うざっ』
軽くうざがられたが、いつものことなので気にしない。
それより、だ。
南西方向にある街区、貴族が住んでそうな屋敷。
その門から一台の馬車が出た。
ただの荷馬車、と思うには不自然。
馬車が出る前に護衛が辺りを入念に確認し、先導するように前を守っている。
前だけじゃない、後方にも護衛がいる。
それも、護衛していることを悟られない様、絶妙な距離を取って。
馬車は最短ルートを辿るでもなく、迂回してから騎士の駐屯地の方へ向かった。
ゆっくりと進んでいた護衛と馬車。
なぜ護衛が付いている馬車がわざわざ遠回りをして駐屯地に入っていったのか。
それも、普通の屋敷から出た馬車が。
王都内の移動に、なぜそんなことを?
「リリス」
『見えてるって。あそのこ屋敷でしょ? んーとね……』
暫く間をおいてから。
『美味しそうな臭いがするよ♡』
「とういうことは、当たりかもな」
『なんのあたり?』
「そりゃもう、悪党の当たりだ」
リリスの反響が、一気に甲高くなる。
『ご馳走ってわけ!? ならさっさと行こうよ! 喰っていいんでしょ!』
「焦るなよ。ご馳走なら腹が空いてる時の方がいいんじゃないか?」
『あぁ~もぅ~……。アンタの癖に一理あること言わないでくれる!?』
「じゃあ決まりだな」
『そうだね……。でもさぁ』
そこでいつもならからかいが続くだけなのに、今日は間が違った。
「あのご馳走は待ってられない♪」
意識がすっと引き剥がされるようにして、身体が動かなくなる。
辺りに黒い靄が広がり、それは凝縮されて身に纏う黒鎧となる。
「あはっ♡ アタシがあんな獲物を見て、我慢すると思ったけ?」
『待てリリス! 昼は目立ちすぎる!』
「目立つのなんて今更だって♪ それより食欲の方が大切だよねっ♡」
『騎士団が大量に来るぞ!』
「なにそれ、最高じゃん……」
身体の中で感じる、リリスの敵意。
「ここの騎士達なんて悪い奴ばっかなんだから、みんな食べれば終わりでしょ?」
鐘楼の縁に立つ。
視界は高く、王都が小さく見下ろし。
「さぁ。始めよっか♪」
鐘楼の縁から身を乗り出し、静かに滑りだす。
風が鋭く、空気が唸り、鼓膜を揺らす。
黒鎧の重みが瞬間的に形を変えて、地に着く衝撃を吸収して見せた。
屋根を一つ、二つ、飛び進む度にリリスが高笑いする。
そして、最後の一跳び、瓦を蹴って、屋敷の庭に降り立った。
近くで見張りをしていた2人の騎士がこちらに気づく。
「何者だ!」
「ま、まさか、黒鎧の闇喰いか!?」
「遅い遅い。そんなんじゃ何も守れないよ?」
鞭のように振られた腕が瞬時に伸びて騎士たちの身体を薙ぎ払う。
そのまま外壁に叩きつけられると、短い呻き。
2人は立ち上がろうともがくが、そのまま項垂れたまま身動きを取らなくなった。
「アンタ達じゃ前菜にもならないから。そこで寝てるといいよ♪」
リリスが勝ち誇った声で囁く。
『リリス、主導権を戻してくれ』
「え~。アンタこの前、ご馳走逃がしたでしょ?」
『あれは黒鎧の使い方に慣れてなかっただけで』
「じゃあダ~メ。今日は絶対に食べるんだから、アタシが確実に行くからねっ♪」
歩き出し、分厚い扉を蹴り飛ばして屋敷に入る。
「ご馳走どこかな~♪」
と、分厚い鎧の中で鼻をクンクンと動かす。
意味があるとは思えないが。
「見つけた♡」
リリスが低く呟いた。
黒鎧の拳を床に叩き付ける。
轟音。
一撃で大理石の床を砕き飛ばし、姿を現したのは地下室。
ランプの光が青紫色の粉と瓶を照らしているのが見える。
「動くな!」
野太い声と共に4人の騎士が屋敷に突入してきた。
「黒鎧の闇喰い? 本物か!」
「だとしたら?」
「拘束する!」
「ぷぷっ! そんなへっぴり腰で? お行儀よく並んで、お人形さんみたいだね♡」
「ふざけるな!」
騎士が斬りかかるが剣は空を切り、代わりに黒い拳が腹部に突き刺さる。
鎧が砕け、男は呻きと共に地に伏せた。
『リリス!』
「安心しなって。こいつら不味いから殺してないよ♪」
「なにをぶつぶつ言っている!」
「何って、悪魔の囁き? なんちゃって♡」
振り上げられた剣がこちらに届く前。
いつの間にか生えていた黒い尻尾が騎士の横腹を直撃し吹き飛ばした。
尻尾は続く騎士達の足をさらい、倒れる彼らを撫でるように払い飛ばす。
「アンタ達それでも騎士様? 雑魚すぎなんですけど?」
尻尾がするりと伸びて、倒れる騎士を顎を持ち上げる。
が、意識を保っている者は1人としていなかった。
「そんなんだから麻薬が蔓延するんじゃないの? ちゃんと働いてよね?」
『リリスが強すぎるんだよ』
「あはっ! 褒めても何もでないんですけど!」
『そろそろ主導権を返してくれると』
「な~に言っちゃってんの? メインディッシュはこれからでしょ♪」
軽く跳躍し、地下室の床に両足が着地する。
地下室は予想以上に広かった。
壁伝いに積まれた袋、長机に並んだ乳鉢やガラス瓶。
そして、中央の大きな炉の上で青紫に光る粉がゆっくり攪拌されている。
辺りに積んである白い粉を見ると、攪拌により青紫色になるか。
なんにしても、いま王都で流行っている麻薬だ。
そう、ここは麻薬の製造場所。
「へぇ~、こんなところで作ってたんだ」
『みたいだな。俺はここを探してたんだ』
「毎日時計塔でかっこつけてたわけじゃなかったの?」
『んなわけないだろ。麻薬を作ってる大本を探してたんだよ』
ゲームでは、フィリップが薬を売り捌く親玉で、製造元は描かれなかった。
故にボスとなるのがフィリップで、彼を倒して一件落着となっていたが。
『ここを潰さなきゃ意味がない』
製造所を破壊して、完全に王都から麻薬を無くす。
そうすれば、よりハッピーエンドに近付くはずだ。
「それで。……これを作ってたのが」
奥の扉が開くと、白衣の老人が姿を現す。
顔は皺だらけで、目は疲れている。
しかし、こちらの姿を見た瞬間にぱちりと大きく開いた。
「な、何だお前は! い、いや。お前は、黒鎧の闇喰い!?」
恐怖でか、クラウスの足がふらつき、尻もちをつく。
それを見て、リリスがほくそ笑むのがわかる。
「ご馳走発見♪ おいしそうな匂いがするよっ! 早く食べたーい!」
「や、やめろ! こっちに来るな!」
「いい匂い〜♡ どんな悪いことをしてきたらそんな匂いになるのかな? 詳しく知りたいところだけど……。あぁ、ダメ。早く食べたい♡」
「ひ、ひいぃぃっ!」
四つん這いになり逃げようとする老人。
「あはっ、逃げてる逃げてる〜♪」
その行く手を阻むように、黒い尻尾が頭を上から降り注ぐ。
老人の眼前を通過して床に突き刺さった尻尾は、ゆっくりと持ち上げられた。
そして、獲物を睨むように震える老人に先が向けられる。
「でも残念。アタシからは逃げられまっせ~ん♪ お行儀よく待っててよ♡」
老人は這い進もうとするが、尻尾が物理的に進路を塞いでいる。
どちらを向こうが尻尾が先回りをし、逃がさないと意思表示をしていた。
リリスが老人の前へと立つ。
頭を抱えて丸くなる老人に、リリスが手を伸ばす。
『リリス。コイツと少し話させてくれないか?』
「えぇ~、今更なに喋るって言うの? 麻薬つくってたのコイツで確定じゃん。問答無用で食べてよくない?」
『それでもだ。なんでこんなことをしたのか聞いておきたい』
「こ~んなにも美味しい匂いをまき散らしてるんだから。話し聞いても胸糞悪くなるだけだと思うけどな~」
『頼むリリス』
俺の言葉に、少しの間が空き。
「絶対にコイツは食べるからね」
『麻薬を作ってるのがコイツなら、それは確定でいい』
「……ふんっ。今回だけだからね!」
そういうと、リリスの意識が引いていく。
身体が自由に動かせるようになり、震える老人を見下ろす。
「なんでこんな薬を作った? なぜ王都にばらまいている?」
「わ、ワシだってこんなもの作りたくなかった! フィリップ。フィリップ様の命令で! あの方が中毒性の高い薬を作れと! 逆らえば研究費を引かれると脅されてワシらは……。ワシらはただ従っただけなんじゃ!」
「フィリップが? たかが部隊長のアイツにそんな権限は」
「あれは騎士団長と繋がっておる! だから色んな所に口が利くんじゃ!」
そう言われれば、その通りだ。
奈落でフィリップは騎士団長のジェラルドに金貨を渡していた。
老人の立場はわからないが、騎士団に所属している以上、采配はジェラルド次第。
ゲームでここを描かれなかったのは、あくまでフィリップが親玉だったからか?
『嘘だよ、それ♪』
その思考を、リリスの声が切り裂いた。
『コイツはわっるーい奴だよ? 人を騙して、狂わせて、楽しみながら壊すタイプ。
自分で作った薬でイカレた人たちを見てさぞ喜んでただろうね♪』
「なんでそんなことがわかる?」
『アタシは悪魔だよ? 悪意を目で見て、鼻で嗅いで、耳で聞いて、舌で舐めて、肌で感じて……。全部がわかるの。それって、今更じゃない?』
確かにリリスは何かしらの基準で人の善悪を判断しているように見えた。
それにより『悪人は美味しく、善人は不味い』と区別している。
そして、俺と出会ってから不味い人間は1度も食べていない。
善悪の判断があっていたかはわからない。
だが、少なくとも俺が悪人ではないと思った人を、リリスは食べたことはない。
『アンタを奈落に送った奴よりとんでもない悪事を何個もしてる……。コイツは生かさない方がいいよ。絶対に、ねっ♪』
甘く、小さな声なのに、その言葉には確かな重みが感じられる。
理由はなんにせよ、コイツが麻薬の製造者であることに違いはない。
だとしたら、例えフィリップに脅されていたとしても、生かすべきじゃない。
トウカさんの母親は麻薬により狂わされたんだ。
迷う必要なんてない。
「リリス。後は任せた」
『あはっ♡ アンタもわかってきたじゃん! えらいえらい♪』
声は甘く、得意げで、でも確かな命令口調だ。
主導権を完全に返すと、身体がふっと軽くなるような感覚。
黒鎧が老人の顔を見下ろし、ゆっくりと手を伸ばす。
『いい匂い〜。さあ、いらっしゃい♪』
老人の頭を手が掴んだ。
その瞬間、扉が勢いよく開いた。
「クラウスを放しなさい!」
勇ましい声が部屋に響いた。
剣を構えているのは、騎士団の鎧に身を包み、こちらを睨むノエルだった。




