第15話 彼女の道2 ―ノエル視点―
ノエル視点
孤児院の前に立つと建物は眠っているように見えた。
足音を立てないように近づくと、奥から柔らかな灯りが漏れ、扉が静かに開く。
顔を覗かせたのは、懐かしい暖かい笑顔を浮かべたベリトさん。
「こんな夜分に誰かと思いましたが。ノエルでしたか」
「ベリトさん!」
「しっー」
あまりの懐かしさに大声が出そうになったけど、すぐ止められる。
「後ろにいるのは……。ノア、ではなさそうですね」
「こちらは私の上官。副隊長のトウカさんです」
「初めまして。王都騎士団。七番隊の副隊長を務めています。トウカです」
「そうですか。事情はわかりませんが、こんなところではあれなので部屋に行きましょう」
そう言って、私たちはベリトさんの部屋へと移動した。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
部屋の灯りは柔らかくて、空気がほんの少し暖かかった。
ベリトさんはいつものように穏やかな声で微笑む。
「お元気そうでなによりです。ノアはいないのですか?」
その一言に、言葉が詰まる。
ここに来れば、ノアのことを聞かれるのは当然のこと。
それなのに、返事を考えてなかった。
ベリトさんは表情を変えずにこちらを見つめている。
驚きも詮索でもない、昔のように、ただ穏やかに返事を待ってくれている。
「……先に本題に入りましょうか。時間もあまりないようですしね」
ベリトさんの声に気遣いが混じる。
色んなことを、いまの一瞬で察してくれた。
そのことに、私はまだまだ未熟なんだって、改めて思う。
「ノエル。時間がないのでは?」
「は、はい。ベリトさんって、薬の調合について詳しかったですよね?」
「昔、少し齧っていたぐらいですが」
その返事に、トウカさんと顔を見合わせて、頷く。
「いま王都で流行っている麻薬の事、知ってますか?」
「いえ。情勢については詳しくないので」
「これを見てください」
私は懐から小さく包んだ布を取り出し、慎重に広げる。
中には粉末になった青紫色の薬。
「これは……」
ベリトさんは慎重に観察し、後ろの机に置かれた手袋をする。
指先に粉を取り、潰すように擦ると、表情が変わった。
いつもの柔らかい笑みが引き締まり、瞳にひとつの鋭さが宿る。
「夜蝕蛾の鱗粉ですね。練ると止血する効果が高い布のようになるのですが、粉のままだと強い幻覚作用と、高い中毒性があるはずです。炙れば毒を飛ばせるので、使用するときは必ずその工程は必須なのですが……。なぜこの状態の鱗粉を?」
瞬時にこの粉の正体を見破った。
やっぱりベリトさんの薬に関する知識は本物だった。
「トウカさん」
「ああ。全部話そう」
「ベリトさん。これは、いま王都で蔓延している麻薬です」
「まさか、こんな危険なものを人が使っているのですか!」
「はい。そのせいで王都の裏路地は大変なことになっています。大人も子供も……。もう収容所には人が溢れています」
「そんなっ! こんな毒を子供が摂取しているなんて……」
ベリトさんはは深く息を吐き、掌で軽く額を抑えるよる。
「考えられません。なぜそんなことが」
「黒幕がいます。これを売りさばいている組織がいるんです」
「これを売っている人がいる?」
ベリトさんは粉を摘まみ、小瓶に入れて光に当てて観察をする。
「なるほど。だからですか、これがただの夜蝕蛾の鱗粉ではないのは」
「どういうことです?」
「この鱗粉には人の手が加えられています。本来であれば夜蝕蛾の鱗粉は白いものですから。魔法を使って効果を増長したのでしょう」
ベリトさんは小さな炙り皿を取り出し、そこに粉を移す。
魔法により指先に小さい炎が灯り、炙り皿が当てられると薄い煙が上がる。
「解けろ――残響の毒よ」
焼ける粉がベリトさんの掛けた魔法に光輝く。
すると、紫が抜け、淡い乳白へ。
皿の上に残った粉は、確かに元の白へと戻っていた。
「これが本来の夜蝕蛾の鱗粉です。炙っているので毒はありませんが」
「すごい……」
思わず声が漏れた。
この短時間で、こんなにあっさりと、粉の正体を当て、全てを見抜いた。
ただの優しいシスターだと思ってたけど、とんでもない。
少し齧っていたなんて、謙遜でしかない手際だった。
トウカさんが小さく息を吐くのを感じた。
顔には驚きよりも、どこか安心したような表情。
「どうかしましたか? そんな顔をして」
ベリトさんがこっちを見て、小さく首を傾げた。
こんなにもゆったり、優しい雰囲気をしているのに。
ベリトさんの過去がこんなところで気になるなんて、思ってなかった。
「あっ、いえ。そ、それでです! これの解毒安定剤を騎士団で作ってるんですけど、なかなか進捗がよくなくて」
「それでわたしのところに来たと?」
「そういうことです」
なるほど、と頷いてから、ベリトさんはトウカさんに視線を向ける。
「ベリトさんが部外者だということは承知しています。それでも、藁にも縋るつもりで我々はここに来ています。なにかあったときは、全てわたしが責任を取るつもりです。だから、我々に協力して頂けませんか?」
「と、トウカさん!?」
「解毒安定剤を騎士団で開発しているという情報は機密事項だ。それを漏らしてしまった以上、何かあった時、責任を取る者が必要になる」
そ、そうだったの!?
機密事項だなんて、全然知らなかった!
「で、でも! それを言ったのは私で」
「構わん。ベリトさんは、ノエルを育てた親代わりだったな?」
「親代わりというか、私にとっては本当の親と言うか……」
私の言葉に、ベリトさんが「まぁ」と嬉しそうに微笑み。
トウカさんが覚悟を決めたように頷く。
「あなたの技術と知識は先ほどの説明と手際で感服しました。だから、どうか。お願いできないでしょうか?」
トウカさんが立ち上がり、頭を下げる。
ベリトさんは暫く薬を見つめた後、視線を遠くに向ける。
その視線の先は壁だけど、その先にいる人たちを私は知ってる。
今頃、ぐっすり寝ている子供たちだ。
「そうですね。お話を聞いてしまった以上、無関係のふりはできません。協力しましょう」
「ありがとうございます!」
「ただし条件があります。まず、わたしが関わっていることを口外しないこと。このことを知るのは、わたしとノエル。そして、トウカさんの3人だけです」
確認に、私は頷く。
「そして、もし知られてしまった時は、孤児院にいる子供たちとシスターの安全の確保すること。これは絶対です」
「はい!」
「騎士団の副隊長として、迷惑をかけないと誓います」
私とトウカさんを見た後、ベリトさんは慎重に口を開く。
「最後に。これは条件とは違いますが、クラウスという人物を知っていますか?」
クラウス……?
聞き覚えはない。
「騎士団で解毒安定剤を開発している責任者です」
そう答えたのはトウカさん。
そして、その言葉に、ベリトさんは残念そうに視線を落とした。
「そうですか。そうでしたか。なら、想像していた最悪の結果ですね」
ベリトさんは、加工された状態の夜蝕蛾の鱗粉を見つめながら口を開く。
「この鱗粉を製造しているのはクラウスです」
「えっ? だって、さっきトウカさんが言った人ですよね?」
「そうだ。騎士団で解毒安定剤を作っている責任者がクラウスだ。間違いない」
「だ、だったら! 騎士団がこの粉を作って。騎士団がその解毒安定剤を作って……。それって、なにがしたいんですか!」
トウカは少しだけ顔を伏せ、静かに言う。
「どうやら、想像以上にこの問題は深刻らしい。認めたくないが、解毒安定剤の開発が遅れているのは恐らく……」
「クラウスの事です。そもそも作りもしていないでしょうね」
国民を守る役割を持つ騎士団で、そんなことが行われている?
そんなの。
「なにかの、間違いじゃ」
「クラウスとは昔、一緒に研究をしていました。この調合方法、魔力の残りを感じるに、間違いないでしょう。その頃から金を目的に危険な事をしていましたが、まさかこんなことを始めるとは」
「そんな。じゃあ、本当に……」
否定したい。
何かの間違いであって欲しいと思うが、それが出来ない。
騎士団に抱いていた不満が、答え合わせのように辻褄があってしまう。
「解毒安定剤の開発は進めておきます。必要なモノがあれば連絡しますので」
「わかりました。いつでも呼んでください」
「それと、中毒患者をひとり連れてきてください。症状を確認する必要があります」
「そうですか……。であれば」
トウカさんとベリトさんが話しを進めていく。
そんな中、私は冷静を保とうとするのに精一杯だった。
頭の中に、なんで? という言葉が幾度となく周り続ける。
ふと目に入ったのは、部屋に立てかけられていた写真。
「ノア。私、どうすればいいの……?」
写真に笑顔で映る彼はいまどこで、なにをしているのか?
『前を見ろ。向かう先は同じだ』
手紙に書かれていた、そんな言葉が脳裏に過る。
『お互いに、頑張ろうな』
最後に彼は、そう言っていた。
お互いの道をそれぞれ進む。
向かう先は同じだから。
「ノエル。大丈夫か? そろそろ戻るぞ」
「……はい。大丈夫です」
深呼吸をして、冷静さを取り戻す。
写真に映るノアを見つめて、彼の言葉を心の中で復唱する。
こんなところで、立ち止まっていられない。
きっとノアも、私とは違うところで歩みを続けている。
それが私のしっている彼の姿だ。
「ベリトさん。解毒安定剤の開発、お願いします」
「ええ。……また今度、ゆっくり話しましょうね」
「もちろんです。ノアのこともありますし。それじゃあトウカさん、行きましょう」
「そうだな」
迷ってる暇はない。
嘆いている暇もない。
私は私に出来ることをやる。
前を見て、進み続けるんだ。




