第13話 復習の始まり。捕食の味付け
トウカさんと別れた後、闇に沈んだスラム街へと戻る。
鼻を突く腐臭と、焦げた煙の匂い。
ボロボロの建物ばかりで人が住むような場所ではない。
黒鎧を解くと。
『さてと♪ このまえ目を付けておいたご飯はどこかな~♪』
「お前、そんなことしてるのか」
『当たり前でしょ? 罪を重ねるほど味が濃くなるんだから』
「どういう仕組みなんだ、それ」
『さあね。アタシはただ美味しいごはんが食べたいだけなの。詳しいことはな~んにも知らないし、興味もな~い♪』
脳内に響くリリスの指示に従ってスラムを歩き回っていると。
「本当に知らないんだね?」
「ほ、本当です! 黒鎧の闇喰いなんて見たことありません!」
「っち。使えない奴。行っていいよ。情報が入ったら教えてね」
声の主は、上等な外套を羽織った男。
その周りに、輝く鎧を身に着けた兵が5人。
「騎士団か。黒鎧の闇喰いのことを調べてるみたいだな」
『ねぇ……』
リリスの声が、脳内の響き渡る。
『この臭い、わかる? すっごく美味しそうな臭いがする♪』
リリスの気配が今までにないほどざわめく。
まるで飢えた獣みたいに、心臓の奥が蠢くのを感じた。
「どんな臭いだ?」
『欲と罪が混ざってる。生臭いのに甘いの。絶対に美味しいよ、アイツ♡』
リリスが舌なめずりするような声を出す。
その方向には外套姿の男。
風に吹かれた隙間から見えた顔は――フィリップた。
部下に黒鎧の闇喰いの情報を聞きまわるよう命令している。
『ねえ、アイツ食べようよ? 熟す必要ないぐらい甘美な香りがするよ?』
リリスの声が弾む。
まるでお菓子でも見つけた子供みたいに。
「フィリップ……。ついに出て来たか」
奈落に転送されるノアを殴り、蔑み、死に追いやった。
ノアが悪魔に殺された元凶の男。
あいつは売人を処理し始めてから表に出てくる回数を減らしていたようだ。
探してはいたが、兵舎から姿を出すことはなかった。
「あいつとは、少し因縁がある」
『ふーん?』
「主導権は任せてくれるか?」
一瞬、沈黙。
やがて、鎧の奥でリリスがクスクスと笑う。
『ふふっ、特別だからね? ただし、食べる時はアタシがやるから♡』
「約束する」
黒い靄が肩から噴き出し、鎧の輪郭が形を取る。
リリスが嬉しそうに笑う声が、頭の奥に響いた。
『じゃ、やっちゃって♡』
木に寄りかかり、爪を研いでいるフィリップ。
少し離れた場所で聞き込みをしている部下達。
一気に踏み込み地を蹴ると、フィリップとの距離が消し飛んだ。
「なんだ? お、お前は!」
フィリップの眼が大きく見開かれる。
こいつに言葉は必要ない。
足を踏み込み、拳を前に突き出す。
拳が腹部にめり込んだ瞬間、鈍い音と共に体がくの字に折れた。
「ぐっ……はぁっ!」
呻く声を無視して、襟を掴み上げ、そのまま地面へ叩きつける。
土煙が上がり、衝撃で地面にひびが走った。
『あはっ、いい音したねぇ! 今のでお肉が柔らかくなったかな?』
リリスの弾んだ声が、脳内に響き。
俺はフィリップの頭を片手で掴み上げた。
「な、なんだ貴様……。放せっ、離せえぇぇぇぇ!」
「質問に答えろ。なぜ危険な薬を売りさばく?」
「く、くそっ! おい、お前たち! 早く助けに来い!」
「騎士団にいながら、そんなことをしていいと思っているのか?」
「うるさい雑魚が! ボクに命令するな! このっ、恥を知れ!」
身体をジタバタと動かすが、手足は俺に届かない。
「罪のない人を何人殺した?」
「ボクは罪人しか殺していない! 王都騎士団の部隊長だぞ!」
「なら……。ノアという男をなぜ殺した?」
「ノア? あぁ、あの情けない雑魚か! 弱い癖に正義感だけは持ちやがって! ああいう善人ぶった雑魚がボクは一番きらいなんだよ! 死んで当然だ!」
その言葉に、怒りを抑えることが出来なかった。
「孤児院あがりのみすぼらしい雑魚なんて騎士団に不必要なんだよ! バカが!」
血の気が引き、視界の端が赤く滲む。
『あっはー! マジ効きしちゃってるじゃんアンタ! ってか、アンタを奈落に送ったのってコイツなの? じゃあ念願の再開じゃん!』
リリスの囁きを受け流す余裕はなかった。
怒りで握り締めた拳に力がこもる。
その瞬間、空気が裂けるような音がした。
横から矢が飛び込んできた。
反射的に身をひねる。
矢の先端が鎧をかすめ、火花を散らす。
視線を向けると、路地の奥から数人が剣を抜いて走り出していた。
幾つもの矢が一斉にこちらに向けて放たれた。
「クソっ!」
腕を振るい、フィリップを掴んでいた手を離す。
矢を避けるために地面を滑るように後方へ飛んだ。
フィリップの身体が地面に落ちて無様に転がる。
ボロボロになりながら、必死に這って逃げようとする。
『矢なんて当たっても痛くないのに。もったいなーい』
リリスの甘い声が頭の奥で響く。
『で、どうすんの? 目的の奴、逃げようとしてるよ?』
フィリップは地面を這って路地の奥へと逃げていく。
その背を追う前に、騎士たちが剣を構えて行く手を阻んだ。
「邪魔だ」
殺すつもりで俺も構える。
『殺すの? 全員?』
「ああ。言っただろ? 悪い奴らは全員殺す」
『へぇー……。じゃあ、1つだけいいこと教えてあげる』
リリスの声が、いつになく真面目な響きを帯びる。
『コイツらは悪人じゃないよ』
踏む出そうとしていた足が止まる。
男たちは剣を構えたまま震え、ただ命令に従っているだけの目をしている。
怯えと困惑。
そこには、欲も狂気もない。
「なにも知らないのか、こいつらは」
『どうだろうねえ。でも、美味しくはないかな?』
リリスの味覚は一貫している。
悪人は美味く、善人は不味い。
悪人の罪が重ければ重いほど、リリスは興味を持って食べたがる。
『どうするの? 殺すなら、せっかくだし食べるけど?』
剣を構えたまま固まっている騎士たちを見て、俺は息を吐いた。
怯えた目に震える手。
フィリップが逃げる時間稼ぎをするかのように、様子を窺っている。
リリスの言う通り、こいつらは悪人じゃない。
ただ命令に従ってるだけの兵士だ。
『やらないんだ?』
「必要ない」
一歩後ろへ下がり、壁を蹴って屋根へと駆け上がった。
見下ろせば、路地に取り残された騎士たちが呆然とこちらを見上げている。
遠くに映るのはフィリップの背中。
2人の護衛を引き連れて、そのうちの1人が詠唱を始めた。
「攻撃でもしてくるのか?」
『あれは影魔法だね。逃走用でしょ?』
確かにこの距離ならもう追うのは厳しいか。
影に入られたら手は出せない。
『諦めた感じ?』
「もう間に合わないだろ」
『あっそ……。だったら、身体かしてよ?』
「なにかするのか?」
『ご飯が美味しくなるおまじない♡』
「なんだそりゃ。別にいいけど」
意識の奥で何かが裏返る感覚。
その後にすぐに、俺の意思では身体が動かなくなる。
「さ~ってと。つぎ会うまでに、もっと美味しくなっといてね♪」
軽やかな口調。
リリスが主導権を握った瞬間、黒い靄が溢れ黒剣を作り上げる。
遠くで魔法陣の光が強まる。
フィリップがこちらを睨みつけながらニヤリと微笑む。
「おいしくな~れっ♡」
リリスが黒剣を振り切った。
次の瞬間、闇の斬撃が一直線に走る。
空気が避けて、通り過ぎる全てを切り裂く一閃。
「あっ、あああああっ!」
悲鳴が夜を裂いた。
転送陣の中でフィリップの右腕が宙を舞い、血が宙に舞う。
痛みで地面に倒れ込み、腕のあった場所を押さえて転げ回っている。
部下たちに押さえつけられ、そのまま影の中に沈んでいくフィリップ。
「あはっ♡ ギリギリ間に合ったでしょ? これでも~っと美味しくなるよ♪ 楽しみだなぁ。どんな味に成長してくれるのか♪」
リリスが満足げに笑う。
俺は頭の奥で小さく息を吐いた。
『お前は本当に……』
その強さと容赦の無さは、言葉にできず。
「罪の味に憎しみの苦みが混ざるとねぇ、最高なの。痛みと恐怖を熟成させて……。いまから涎が止まらないんだけど、じゅるりっ♪」
『悪魔らしいな』
「あったりまえでしょ? アタシは悪魔のリリス様なんだから! あはっ♪」
リリスの笑い声が、夜風に混じって消えていく。
頼もしいんだか、危ういんだか。
それでも今は、リリスがしたことに少し救われた気がした。




