『透明な虫かご』
第2話『透明な虫かご』
社会は変わった。日常の景色も変わった。
でもやっぱり朝のルーティンだけは変わらない。
いつも通りに家を出て局へと向かう。
トロン社の広告が流れっぱなしのタクシーに乗るのにも慣れてきた。
2度目の広告ジャックからすでに3週間。
おそらく世間の大半もトロン社を受け入れ始めているように感じる。
朝の番組の出演を終え、午後のスケジュールを確認する。
午後には池田姫奈へのインタビューが入っていた。
池田姫奈。人気雑誌「ma」のモデルだ。
元々はインフルエンサー出身で、SNSの総フォロワーは100万人を超える。
取材開始は午後2時。小腹が空いてきた。
打ち合わせが30分あるので昼過ぎに局に戻ればいい。
特に予定もなかったのでテキトーにカフェ巡りでもしながら時間を潰すことにした。
穴場のカフェを発見し、胸を躍らせながら局に戻る。
午後1時30分、打ち合わせ開始。
姫奈「池田姫奈です。本日はよろしくお願いします。」
綾瀬「綾瀬です。よろしくお願いします。」
今回は対談形式のインタビューをVTRとして使う。
どうやら深夜の特番で新型社会アプリ『Asteris』特集を組むらしい。
企画の方針の説明を受け、質問内容についての流れを確認する。
午後2時、取材開始。
綾瀬「今回はなんと!モデルの池田姫奈さんにきていただいております!池田さん、よろしくお願いします!」
池田「池田姫奈です!よろしくお願いしま〜す!」
綾瀬「池田さんは1度目の広告ジャックの前からAsterisユーザーなんですよね?」
池田「はい。実はそうなんです!」
…インタビューは流れ通りに進む。
綾瀬「Asterisは“自分探しの最適解”というキャッチコピーで有名ですが、実際に何ができるアプリなんですか?」
池田「んー、何ができる。SNSって感じです。
いろんな人がいて、お話をしています!」
綾瀬「新しい交友関係ができそうでいいですね!」
池田「そうですね。新しい友人はけっこうできましたよ!3次元ユーザーだけですけど。」
綾瀬「なるほど。何か特徴的な機能はありますか?」
池田「そうですね。機能なのかはわからないですけど、印象的なのは“昨日まで普通に話していた人が消えるんですよ“」
綾瀬「え?」
あまりに予想外だった返答。
彼女が何を言っているのかわからない。
慎重に言葉を選ぶ。
綾瀬「消えるんですか?人が。どこから?」
池田「消えるっていうか。Asterisでメッセージを送ることができなくなったり、他のSNSでも連絡がつかなくなるんです。」
綾瀬「それは…偶然いろんなバグが重なっただけなんじゃないですかね。」
池田「ならいいんですけど。」
…取材が始まってから2時間。
彼女が口にした「人が消える」という話に違和感が残る。
そしてもう一つ。
「私は3次元なので。」と何度か口にしていた。
次元とは一体何を指しているのか。気になる。
気にはなるが、嫌な予感がするので近づけない。
綾瀬「本当に色々とお話を聞かせていただいてありがとうございました!」
池田姫奈に[最後 綾瀬への質問]というカンペが出る。
池田「ありがとうございました。最後にひとつ質問させていただいてもいいですか?」
綾瀬「はい。なんでしょう!」
池田「綾瀬さんは何のために生きていますか?」
綾瀬「え。」
言葉が詰まる。
綾瀬「そ、そうですね。雰囲気のいいカフェを探すため?ですかね?」
わけのわからないことを言ってしまった。
池田「へえ。じゃあ今の仕事をしようと思った理由は何ですか?」
理由なんて考えたことがない。
綾瀬「えー。僕に向いてるかなと思ったんですよ。」
池田「そうですか。ありがとうございました。」
興が醒めたような顔をされているのが痛いほど伝わる。
何か受け答えを間違えてしまったか不安になる。
綾瀬「本日は2時間もの取材、ありがとうございました。」
池田「ありがとうございました。」
ディレクター「はい終了で〜す。お疲れ様でした。」
綾瀬「お疲れ様でした。」
池田「お疲れ様でした。綾瀬さん、これからも頑張ってくださいね。失礼します。」
池田姫奈。少し苦手かもしれない。
そして、今日でAsterisの謎がまたさらに増えた。
買い物をしてから家に帰ると6時を回っていた。
今年こそは丁寧な暮らしをすると決めているので、食器を洗いから食事、洗濯まで終わらせてからお風呂に入る。
お風呂には絶対にスマホを持って入らない。
己との対話の時間である。
湯船に浸かりながら一日を振り返った。
池田に言われた質問の正解は何だったのか。
「何のために生きるか」
考えるのも馬鹿らしい。時間の無駄だ。
毎朝早起きして、同じように家を出て、局に行って仕事をする。
自分は仕事をするために生きているのかもしれない。
池田姫奈の2つ目の質問にもつながった。
「仕事を選んだ理由」
自分的にはいい声だと思っているし。悪い選択ではないように思う。
2つの質問に対して答えが出た。
考えたこともない問いを投げかけてきた池田はやっぱり好きじゃない。
答えは出た。出たのに何故か気分はスッキリしない。
本当にこの答えでいいのか。むしろ不安になった。
本来は考えなくてもよいもの。
そう言い聞かせても何故か引っかかる。
結局考えてしまい、よく寝付けなかった。
翌朝。
目を開くとカーテンの隙間から日差しが見える。
いつもは真っ暗な時間帯に局へ向かっている。
まだ夢を見ているのだろう。
外が明るいはずがない。
2年間も同じルーティンを繰り返してきた。
ゆっくりと深呼吸をして身体を起こす。
スマホを拾い上げ、時間を確認。
明らかに「AM9:46」と書いてある。
「タラランランランラタタタン…」
電話が鳴る。
綾瀬「ピッ…もしもし?」
林「お前どないしたん?連絡もつかへんし。なんかあったんか?」
急いで寝坊したことを伝えた。
話を聞くと、今日の出番は急遽林さんが代打で出演してくれたらしい。
綾瀬「林さん本当にありがとうございます!」
林「お前なんかあったんやろ?今日は他に予定あんのか?」
綾瀬「今から会社に謝りに行きます。それ以外はないです。」
林「そしたら齋藤も誘って昼間から飲みに行こか。なんでも聞いたる!。」
綾瀬「ありがとうございます!あとで連絡します。失礼します。」
電話が終わるとマネージャーに連絡。
会社に行き謝った後、上野へ向かう。
林「綾瀬くん!」
綾瀬「林さん!申し訳ありませんでした!本当にありがとうございました。」
林「俺も何回か寝坊したことあるからなぁ。齋藤はCM撮影終わったらくるらしいから先飲んどこ!」
綾瀬「了解です!」
こうして林さんとの2人飲みが始まった。
午後6時、齋藤さんも合流。
齋藤「お疲れ様です。おれ生ビールで!」
林「齋藤も来たしもう1回乾杯しよか!
店員さんすいませ〜ん、生ビール3杯お願いします!」
全員「カンパーイ!」
齋藤さんの近況報告も終わり、話題はプライベートな悩みへと移っていく。
昨日の池田姫奈の態度が気に食わないことを愚痴る。
綾瀬「何のために生きてるかって聞かれて答えられます?僕なんにも思い浮かばなくて。」
齋藤「えー、考えたことないかも。」
林「ほんまにぃ、お前らもうちょっと考えて生きろよ。」
齋藤「じゃあ林さんは何のために生きてるんですか〜?」
林「上の世代の先輩等に色々してもらったからなあ。いまは若い世代に恩送りするために生きてるんかもなあ。」
綾瀬「たしかに。人のために何かをしようって思ったことすらなかったです。」
林「今はええねん。もうちょい年とってから考えることや。」
綾瀬「勉強になります!林センパイ!」
齋藤「池田姫奈なんてまだ二十歳もこえてないんでしょ?生きる意味なんて考えてるわけないよ。」
林「SNSで有名なだけやろ?そらそんな深いこと考えてないわ。」
齋藤「この人でしょ?」
齋藤さんが池田姫奈のSNSを開き、3人で見る。
綾瀬「1番上の投稿3分前って書いてますね。」
林「ほんまや。」
投稿にはこう書いてある。
「何も考えずに仕事だけしてればいい社会はもうないと思う。昨日の仕事でも思ったけど、もうちょっと現実見た方がいい。
いまの日本人は新しい社会で生き残れないと思う。」
齋藤「昨日って。綾瀬、お前じゃね?」
林「綾瀬やな。」
綾瀬「まじでむかつきます。なんか3次元ユーザーとか言ってましたけど、何かの称号でしょ?
ちょっとAsterisとSNSで人気があるくらいで調子乗ってるんですよ。」
林「まぁまぁ。今日は俺の奢りや!なんぼでも飲め!」
齋藤「でもこれ綾瀬だけに言ってるわけじゃないっぽいっすね。日本人って言ってますし。」
綾瀬「炎上しろ!」
しばらくして飲み会は終わり、相変わらずAsterisの広告が流れているタクシーで家に帰った。
飲み会から2週間が経ち、早いタイミングでAsterisの特番が放送された。
池田姫奈は、前回の敵を作るような投稿をしてからネット上で賛否の声が分かれている。
良くも悪くも注目されるようにはなっていた。
放送終了後。SNSでは[#私は◯次元]という言葉がトレンドに上がった。
Asterisユーザーが自分は何次元なのかということを公表することが流行る。
それによって1番恐れていたことが起こった。
林さんと齋藤さんとの3人のグループメッセージに通知マークがつく。
林「Asteris始めたで!おれ3次元やった!」
齋藤「俺も始めました!4次元でした!」
林「えー、俺の方が下なんー!」
それを見てさすがに少し落ち込んだ。
自分が安心できる3人の空間もなくなってしまうのではないか。不安がよぎる。
林「綾瀬はやってないんか?」
綾瀬「興味ないので。」
誰が見ても強がりだってわかる。
何故かプライドが許さない。
よく考えれば、自分の心が落ち着かないのは全部Asterisのせいだ。
あのアプリのせいで不安になる。
あんなの潰れちまえばいい。
SNSを開く。
やはりAsterisに抵抗があり、取り残された人は大勢いた。少し安心した。
彼らはとにかくAsterisユーザーを攻撃する。
トロン社をテロ組織だという人までいる。
そして本当に最悪の事態はここから起こった。
ここ数ヶ月。少しずつ溜まってきたストレスが爆発した。
SNSを裏アカウントに切り替え、使ったことのないような暴言でAsterisを攻撃した。
何度も何度も。気が済むまで攻撃した。
翌日。
局に着き、カバンを下ろす。
「綾瀬アナ。おはようございます。」
ディレクターが見たことのないほど暗い顔で入ってきた。
綾瀬「おはようございます。本日もよろしくお願いします。」
D「申し訳ないんだけどさ。さっきトロン社から直接メールがきてさ。綾瀬くん、この番組クビだってさ。」
綾瀬「え?何でいきなり?」
必死に理由を考えた。
自分が何かミスをしたか?
確かに前に寝坊はした。だけどそれだけで?
あれから2週間はちゃんと仕事している。
D「これ、見てよ。」
ディレクターのスマホを見せてもらう。
番組をクビにするという通知と、裏アカウントで書いた悪口すべてのスクリーンショットがクビの理由として添付されていた。
時間差でマネージャーも部屋に来る。
同じく会社もクビになったという旨を伝えにきた。
人生が終わった。
でも待てよ。なぜバレた?
ひとつの推測がはまった。
考えれば考えるほどそれしかないように思えてくる。
日本でメジャーなSNSは、全てトロン社のAI[Varos]を導入していたのではないか。
そういえば池田姫奈への取材でも引っかかる部分はあった。
「人が消える。」という話。
「Asterisで連絡が取れないようになると、他のSNSでも連絡が取れなくなる。」
つまりトロン社を怒らせたってことだ。
もし本当にそうだったなら、もっと早く気づくべきだった。
自分たちは気づかないうちに最初からトロン社の虫かごの中にいたということになる。
ただ、どれだけ考えても推測には変わりがない。
とりあえず局を出る。まだ陽は昇っていない。
どこへ向かうか。
何も考えずに公園に着き、ベンチでうずくまる。
本当に日常が消えてしまった。
未来がなくなった。
仕事がなくなったら生きる意味なんてない。
やっぱり自分が生きる意味がわからない。
自分すら何かもわからない。
「ヴィーーーン!!」
変な音が聞こえる。うるさい。
頭上を何かが通る。
見上げると巨大で真っ青なドローンが荷物を運んでいた。
ドローンの荷台には、”自分探しの最適解”と書かれている。
自分探しか。
いまの自分がとにかく嫌だ。
新しい自分を見てみたい。
あれほど嫌がったいた自分が嘘のようだ。
気づいたらAsterisをインストールしていた。
第2話『透明な虫かご』




