『溢れ出した日常』
「ピピピ…ピピピピ…カシャ」
ニュースキャスターの朝は早い。
午前3時45分 起床
眠たい目を擦りながら洗面所へ。
顔を洗い、髭を剃り、髪の毛を整える。
服を着替えてカバンを持つと、そのまま家を出て局へと向かう。
午前4時30分 局入り
ディレクターと打ち合わせをしながら、マネージャーに用意してもらったおにぎりを食べる。
ツナマヨとシャケが朝の生きがいだ。
食べ終わるとすぐに原稿を読みながら歯磨きをする。
今日の出演は3回。
5時30分と6時45分、7時50分に繰り返してニュースを伝える。
いつもと変わり映えのない朝。
1回目。2回目の出演を終え、3回目の準備をしていた時、新しい原稿が持ち込まれた。
「綾瀬アナ!本日の追加分です。確認お願いします。」
「わかりました。ありがとうございます。」
大手企業を中心に人員削減が止まらないというニュースだ。
ついこの間までは全ての業務をAIがこなす完全AI企業が誕生したと話題になっていた。
それから1週間も経たずに人員削減報道が増え始めた。
今日も社会はめまぐるしく動き続けているのだと肌を通して感じた。
「綾瀬アナ!報道ブースまで移動お願いします!」
「わかりました!」
そうして報道が始まる。
8個あるトピックの5つを読み終え、あと5分で仕事が終わる。
あまり寝付けなかった分の睡眠を楽しみに最後の力を振り絞る。
「それでは次のニュースです。昨日、上野公園に新たな命が誕生したよう…ピピッ!」
イヤモニから速報が伝わる。
同時にカンペにも大きく“広告”と書かれた。
「えー、現在。東京都内が1社の広告で埋め尽くされているという速報が入りました。渋谷ライブビューイングの映像に切り替わります。」
渋谷のスクリーンに“自分探しの最適解“というキャッチコピーが大きく映し出されている。
「画面中央のスクリーンにトロン社の広告が映っているのがわかります。
えー、この広告はこのスクリーンだけでなく、電車、駅、タクシー、バス、SNSなどでも見られており、東京が一色に染まっている模様です。さらにこの時間より全ての局のCMにもトロン社の広告が独占放送されるそうです。
えー、お時間となりました。以上、本日のニュース速報でした。」
ブース内はざわついている。
全てのCMを1社が独占をすることなど可能なのか。耳馴染みのない会社名にも引っかかる。
疑問が止まらない。
すぐにSNSを確認する。
トレンドはもちろん“自分探しの最適解“だ。
「えっ?大阪…?愛知…?」
本当に驚いたのはここからだった。
東京を一色で染め上げることですら不可能だと思っていた頭には到底理解できない。
“47都道府県ジャック“という言葉がトレンドが浮上してきた。
トロン社の広告は、誰しも一度見たら忘れることのないようなデザインをしている。
真っ青な背景のセンターに重厚感のある玉座。
そこには舌を出したアインシュタインのような見た目のキャラクターが鎮座している。
正直なところ、この広告が“何の宣伝なのか“を考える余裕はなかった。
「綾瀬くん!お疲れ様。」
「お疲れ様です。林さん。」
林「あれなんなん?最後のニュース」
綾瀬「僕もよくわからなくて。でもSNSでは東京だけじゃなくて全国的に同じ状態らしいですよ。」
林「へぇーなんかおもろそうやん!もう朝メシ食べてる?」
綾瀬「番組前におにぎり2つ食べたんですけど、もうぺっこぺこです!」
林「ほんなら齋藤も誘ってメシ行こ!」
綾瀬「はい!齋藤さんは今日三階のコーナーブースからの出演でしたよね?」
林「たぶんそうなんちゃう?三階いこー!」
そうしてゲストで出演していたタレントの齋藤拓矢を誘い、3人で近くのカフェへ行くことになった。
若手アナウンサー綾瀬光(25)。
あの声でお馴染み。声優兼ナレーターの林勇気(30)。
朝ドラ『いつみきとてか』で主役に抜擢された実力派俳優。齋藤拓矢(28)。
この3人でランチを食べるのは5回目。
いつも決まって外のテラス席に座る。
林「この店に来るだけでも“エセ“アインシュタイン50人はみたで。やばすぎ。」
綾瀬「なんか見られてる感じがして嫌ですね。」
林「どうせファンの人たちが齋藤に集まってくんねんから変わらんやろ〜。」
齋藤「俺は慣れてるから気にしてないです。っていよりあの広告出してる会社なんなんすかね?」
綾瀬「なにってどういうことですか?」
齋藤「なんの会社なの?俺初めて聞いたんだけど。」
林「おれも初めて聞いたわ。」
綾瀬「僕も知らないと思ってたんですけど、なんか聞いたことある気がしてきたんですよね。」
齋藤「最近聞いた?」
綾瀬「たぶんそんなに前じゃない気がするんですよね。2週間くらい前かな〜?
ん、今日の朝見ました!」
林「そんなん自分で報道してんねんから見てるのは当たり前やろ!ほんま笑ってまうわ。」
綾瀬「いや、急に速報が入ったので報道できなかったんですけど、7時50分からのニュース前に原稿が追加されたんですよ。」
齋藤「どんな?」
綾瀬「大手企業の人員削減が止まらないっていう内容でした。専門家はこの前の完全AI企業の誕生が関係しているのではないかという見解を出したとか。」
林「ほうほう、ほんで?」
綾瀬「原稿と一緒に、その企業が使っているAIの情報が書いてある資料も渡されたんですよ。」
齋藤「え、そういうこと?」
綾瀬「はい。トロン社が開発したAIらしいです。」
林「でも小さい会社やのにこんな量の広告出せんのはすごいわ。」
綾瀬「そうですよね。ほんと不思議ですよね。」
そんな話をしながらランチを終えた。
夕方に入っていた仕事を終わらせ、くたくたになりながら家に帰る。
服を着替える間もなくアラームだけをセットすると夢の世界へと溶けていった。
「ピピピ…ピピ カシャ!」
翌日、同じように目を擦りながらお決まりのルーティンワークをこなし局へ向かう。
また1日が始まった。
アナウンサーになってからは特に将来について考えることもなく、毎日を同じようにこなしてきた。
「綾瀬アナ!おはようございます!これ今日の原稿です。お願いします。」
「おはようございます!本日もよろしくお願いします。」
打ち合わせ前に軽く原稿を入れておくのがいつものやり方。
シャケおにぎりを頬張りながら原稿に目を通す。
1番のニュースはやはりトロン社の“47都道府県ジャック“だった。
2番目のニュースもトロン社繋がり。完全AI企業の成立に貢献した共鳴型AI[Varos]に関してだ。
自分の仕事も全部AIがやってくれるのではないか。期待感を持ちながら、その日3回の報道を終えた。
“47都道府県ジャック“から1カ月が経った頃。日本は本当の意味でトロン社一色へと染まってゆく。
ここから短期間のうちに悲劇が3つ起こる。
1つ目、世界史上規模の失職率を記録した災害級リストラ。これは共鳴型AI[Varos]のあまりの有用性によるものだった。
大手キャリア会社がVarosを運転させたところ、国内外含め1日に500件の契約を成立させるという実績を打ち立てた。実に従業員700人分に匹敵する成果だ。
そこからVaros導入企業の拡大は止まることを知らず、国内大手企業の80%、中小企業の30%を超えた。
それにより、避けることのできない災害級の人員削減を引き起すこととなった。
2つ目。国内に放たれた1,000万人規模の失職者のうち900万人近くの再就職が不可能になると言う事件が起こった。
これは就職支援センターの業務、各種就職仲介アプリの運用から面接まで。Varosがほとんどの業務を担ったからだ。
Varosは人間の能力にほぼ差がない点を考慮し、企業理念と共鳴するような“面接対象の内面“を重視して採用面接を行った。
その結果、意思や思いのある者は採用された。逆に、金稼ぎのために就職をしたいという90%の人間はすべて落とされた。
3つ目。破格の農業革命による新規雇用の受け入れ拒否。
これはトロン社が農業用ドローン[NP26]を10,000台農業組合に。運送用ドローン[GL78]を500,000台運送業社に。1台につき月8,000円でレンタルを開始したことが追撃ダメージとなる。
再就職の際、人々はAIに取られない仕事に集中するも、人が必要であった職業にさえもトロン社の手は回っていた。
これらの出来事は1カ月のうちに起こった。つまり日本市場は、47都道府県ジャックからたったの2ヶ月でこの惨状と化した。
綾瀬「本日のニュースです。労働人口の約2割が失職した“トロンショック“は収まるところを知らず。被害は日本のみではとどまらない模様です。
現在、国会でもトロンショックについては議論されており、政府は即効性のある対策を立てる方針で動いています。
職を失ったからといって生きる意味を見失わないでください。
諦めずに一縷の望みにかけて政府の動きを待ちましょう。…以上、本日のニュースでした。」
朝の情報番組として、「いってらっしゃい」が言えない世の中になった。
それは職業上最も辛い。
林「ほんまに日本大丈夫なんかな。」
綾瀬「政府を信じるしかないですよ。」
林「頼むでほんま。」
翌日。さらにありえないことが起こる。
ディレクター「綾瀬アナ!おはようございます!原稿です。よろしくお願いします。」
綾瀬「ありがとうございます!本日もよろしくお願いします!」
おにぎりに手をつけることもなく原稿に目を通す。
1番上のトピックには『“47都道府県ジャック“再び。』と書いてある。
何が起こっているのか、震える手でページをめくった。
2度目のCMジャック予告。ありとあらゆるメディアに新聞までが対象だった。
1度目よりも範囲が広がっている。
3ページ目は番組スポンサーであるトロン社から指定された原稿が用意されていた。
何よりも驚いたニュースは、トロン社の運営する新型社会アプリ『Asteris』の説明部分にあった。
そこにはAsteris内で一定の基準を超えた者の生活をトロン社が保障するというありえない特典が記載されていた。
一定の基準。それが何かはわからない。
なぜかとても嫌な予感がする。
この日。僕は初めてニュースを読むことに葛藤をした。
こんなものが世に出てしまえばさらに社会が壊れてしまうのではないか。
そんなことばかり考えていた。
しかし、仕事がある者の義務として。アナウンサーの義務として、国民に伝える責任がある。
失職者を救うためになるかもしれない。
「…以上、本日のニュース速報でした。」
すかさずにSNSのトレンドをチェックする。
この社会が音を立てて壊れていく様を容易に想像できるほどのニュース。
国民は、、、喜んでいた。
トレンド1位には“本日退職予定”の文言。
2位には“Asteris“の文言。
実際のところ、前回の“47都道府県ジャック“の際にAsterisユーザーとなった人は多かった。
彼らがβ版プレイヤーのようにどれほどの生活が保証されるのかを投稿していた。
それは家賃の支払いから食料提供、衣服に娯楽まで。月300万円の上限を超えなければ全てトロン社が保障してくれるという内容だった。
Asteris内でランク上位の者は月の上限が3000万円を超えると言う噂までたっていた。
ニュースキャスターの特権。
専門家による国会内の情報は光の速さで回ってくること。
ある議員によると内閣官房長官とその他大臣、トロン社トップとの極秘会合があったという。
官房長官はトロン社の発展による失業率の拡大に関しては思わしくないという考えを示した。
しかしその後、GDPおよびGNP の数値が今世紀最大の上昇を記録したという点においては満足であるという見解を伝えたらしい。さらには各省庁にVarosの導入を検討したいという旨にまで言及。
大幅な費用削減と、社会としてのまとまりに期待。Asterisによる社会保障は素晴らしい制度だと褒め倒した。
翌日のニュースでこれらの内容の原稿がトロン社側から指定され、トロン社が国の運営の実に70%を担う発表までなされた。
この一連の出来事によって、日本は事実上トロン社の私物と化したことになる。
一体何が目的で一国を乗っ取ったのか。
本当にそんなことが可能なのか。
現実とは思えない嫌な夢を見ているような気がする。
昼の仕事を終えた帰り際。
午後5時半の電車にスーツを着た乗客がいないことに気づいた。
帰宅ラッシュという言葉も消えてしまう気がする。
ニュースキャスターは事実を広く伝える職業。
報道してきたことも、自分の目で何が起こっているのかを見るまではただの“嫌な夢“として片付けてきた。
情熱もなければ矜持もない。
自分の仕事は人間でなくてもこなせるのかもしれない。
テレビに映る自分は社会を照らす太陽だと思い込んでいた。恥ずかしい。
僕はただ社会に生かされていただけだった。
この時。僕の日常は社会から消えた。
第1話『溢れ出した日常』




