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隣人

 東京に転勤が決まって、僕は、都内の住宅街の一角にある某マンションの一室に、引っ越してきた。僕は、これといって、取り柄のない平凡な男である。それでも、ご近所さんへの引っ越しのご挨拶だけは、きちんと済ませておこうと決めて、駅前の百貨店に出掛けて、引っ越し祝いの代わりに、ちょっと変わっていて、実用的な品物が良いかなと思い、紅茶の詰め合わせを買っておいた。それを、マンションの同じフロアには5室あるから、5個買って、女性の係員に、綺麗にプレゼント包装してもらった。そして、その翌日の朝に、5個の品物を袋にまとめて持って、近所を回ることにした。僕の部屋は、305室だ。まず、301号室からいこうと思い、玄関のインターホンを押した。しばらく、間があったが、やがて、年配の頭の禿げた男性が、眠そうな顔つきで、静かに扉を開いた。何だか、呼ばれて迷惑そうな様子だ。それで、僕は、恐縮して、

「あのう、朝早くから、どうもすみません。僕、今度、同じ階の305号室に移ってきた吉村と申します。あの、つまらないものですが、これ、引っ越し祝いの代わりにと思いまして。どうぞ、ご笑納下さい。よろしくお願いします」

 禿げた男は、紅茶を受け取ると、礼も言わずに、軽く頭を下げて、あっさりと扉を閉めてしまった。何か、愛想のない人だなと、僕は、思った。でも、こだわっていても、仕方ない。それで、気を引き締めて、僕は、302号室のボタンを押した。しかし、出てこない。僕は、しばらく待った。それでも、うんともすんとも言わない。出掛けたのだろうか?それとも、空き部屋か?分からないままに、僕は、あっさりと諦めて、次の303号室のインターホンを押した。これも時間がかかったが、やがて、扉が開いた。出てきたのは、中年の女だったが、僕は、眼のやり場に困った。女は、透け透けのネグリジェを着て、ふっくらとした乳房まで丸見えだ。それでも、本人は気にしていないらしい。

「何か用?勧誘なら、いらないわよ」

と、言ってきた。

 それで、僕は、305号室の吉村と申します、と自己紹介して、紅茶の詰め合わせを手渡した。すると、とたんに愛想よく、笑顔で、

「あら、吉村さんって言うの?よろしく。あたし、河村薫っていうつまらない女。いいの?こんなもの、頂いて。ありがとね、あたし、そこのスナック、「AKEMI」で、ホステスやってんのよ、良かったら、お兄さんも飲みに来てね?」

 そう言って、どこか媚びるような顔つきで、余韻を残して、扉が閉まった。

 僕は、隣の304号室のベルを押した。しかし、ここも、出てこなかった。この部屋には、ネームプレートに「笹沢」と書かれてあるから、空き部屋ではないだろう。それで、僕はしばらく待ってみた。しかし、出てくる者はなかった。仕方ない。僕はついに諦めて、隣の自分の部屋に戻った。手にしたポリ袋には、紅茶の箱が、2個残った。僕は、その袋を流し台の横に置いて、気分を直そうと、流しの水道水で顔を洗った。さっぱりとした。それで、僕は、ようやくパンと牛乳で朝食を取り、着替えて、仕事に出掛けるのであった。


 翌朝、僕は、諦めずに、2個の紅茶の箱を持って、再び、挨拶回りに出た。最初は、302号室であった。僕は、めげずに、インターホンを押した。しかし、やはり、誰も出てこない。しばらく、待ってみた。出てこない。それで、仕方なく、また来るか、と考えて、次の304号室に向かう。インターホンを押す。室内で物音がした。やがて、勢いよく扉が開いて、ひとりの若い女性が出てきた。

 魅力的な娘さんだ。長い髪を束ねて白いリボンで結び、気立ての良さそうな顔立ちに、薄桃色のワンピースを着ている。

「あら、どちら様ですか?」

「あの、隣に越してきた吉村と申します。良かったら、これ、記念にどうぞ。ぱっとしませんが。どうぞ、よろしくお願いいたします」

「いえいえ、こちらこそ、どうぞ、よろしくお願いします。あの、このお祝いの品、何ですの?」

ああ、紅茶の詰め合わせです。いいもの、見つからなくて」

「まあ、紅茶。あたし、大好物なんですよ。いつも、午後はティータイムに飲んでますわ。本当に助かります。ありがとうございます」

 娘は、そう言うと、名残惜しそうに、扉を閉めた。あの娘、笹沢さんっていうのか?僕は、何だか嬉しくなった。良さそうな女の子だ。第一に、明るい。居ると、パッと辺りが華やぐような明るさを持っている。僕は、1個の紅茶を下げて、ルンルン気分で、自室に戻った。そして、気分良く、テーブルに腰掛けて、一杯の珈琲を飲むのであった。


 翌日の午後に、僕が自室で、休日を満喫して、ベッドに寝転がり、テレビを眺めていると、突然に部屋のインターホンが鳴った。それで、寝ぼけた目をこすりながら、出てみると、そこに、303号室の河村さんが、今度は、下着は着ていたが、やはり、ネグリジェ姿で、腕を組んで立っていた。

「ねえ、ねえ、あなた、もう聞いた?この部屋の隣の笹沢さん、何でも、部屋で首吊って自殺してたらしいわよ。今朝、知り合いが訪ねてきて、発見されたらしくて。みんなの噂、なってんのよ。遺書もなかったらしくてねえ。何でかしらねえ?ちょっと、耳に入れておこうと思って、来たんだけど、あんた、心当たりある?ああ、ない?あら、そう。まあ、いいけど。また、何かあったら、教えてよ?お願いね」

 そう言って、女は、帰っていった。僕は、それを聞いて、軽いショックを受けた。あの明るい子が突然に、初めて会った日に自殺したなんて。信じられなかった。あの娘に何かあったのか?分からなかった。でも、亡くなってしまったものは仕方なかった。でも、つい隣で、人が首を吊っていたなんて、何だか気持ち悪い気もした。

 僕は、またテレビを眺めて、何とか心を落ち着けるのであった。


 それから、一週間ほどして、また休日になった。僕は、コンビニから帰って、買ってきた唐揚げ弁当を食べていた。すると、また、インターホンが鳴って、誰か来たことを知らせた。

 出てみると、長髪で、背の高い青年が、ぼんやりと立っている。     彼が言った。

「あの、隣に越してきた矢沢って言います。どうぞ、よろしく」

 そう言って、軽く頭を下げ、帰っていった。おみやげもなかった。何だか、そっけなかった。どこか、陰気な感じの男の印象もあった。

 マンションの隣人って、そんなものか、という気もした。どんな人間かも、はっきりと分からないのだ。やはり、そんなものだろう。やはり、今だに、302号室の住人とも会えないのだ。僕は、部屋に戻り、また唐揚げ弁当の残りを喰った。どこか、しょっぱい気もして、不思議な感じであった……………。


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