失恋から立ち直るのに必要なのは爆発力でした
私が夏川くんのことを好きになったのは、高校入学直後のこと。
あれから1年と3ヶ月。
ずっとずっと夏川くんだけを見てきた。
休み時間に友達とハシャぐ笑顔も。
予習してこなかった日に限って授業中に当てられて困る笑顔も。
落としたシャーペンを私が拾ってあげたときに、私だけに向けてくれた特別な笑顔も。
それなのに、私は今日失恋してしまった──
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ただ見つめるだけの片思いから、もう1歩踏み出す勇気を出せた(今となっては“出してしまった”)きっかけ──
それは、名前も知らない3年生の会話を耳にしたことだった。
「あーあ。2年生のうちから付き合ってたら、夏休みもいっぱいデートできたのかなー」
「それ! 私も後悔してる。でも、そっちはまだいいよ。私なんて、お互い第一志望に受かったら遠距離になるんだよー」
そんなこと、私に起こりっこないってわかっていた。
あのときの私は、どうかしていたに違いない。
夢をみてしまったのだった。
もし、万が一にでも、私に夏川くんと付き合えるチャンスがあるとしたらって──
受験生になってからじゃなくて今、2年生のうちに付き合い始めたい!
そう強く希った。
それも、できれば夏休み前までに。
だって、夏休みにたくさんデートできたら楽しいはず。
花火大会に、お祭りに……
私は浴衣を着ていこう。
夏川くんに『かわいい』って褒めてもらえるかも?
それと、ショッピング・モールでやってる期間限定のお化け屋敷も行きたいな。
夏川くんに『怖いから』ってお願いして、手をつないでもらっちゃったり?
居ても立っても居られなくなった私は、1学期終業式の日に動いた。
通知表をもらって、お昼には下校となる。
そのあとで外階段の踊り場に来てくれるように、夏川くんにお願いしておいたのだ。
放課後に外階段を使う人を見かけた記憶がなかった。
たいていの生徒は靴箱に寄らないといけないから。
今日みたいな日は、特に人が来ることは少ないだろうと踏んで、告白場所に決めた。
とはいっても、校内だ。
誰がやってきたとしても、何ら不思議ではない。
私が知らないだけで、先生たちが使う可能性だって十分考えられた。
ひと気のない今のうちに話さないと。
そこで私は第一声から本題に入った。
「私! 夏川くんのことが好きです!」
「あー、そうなんだ……」
夏川くんの目が泳いだ。
マズい!
私は焦った。
「あのね、夏川くんの笑顔を見るとしあわせな気持ちになれるの!」
「いや、俺はアイドルじゃないし、そういうのは、」
「待って! 入学してから今日まで、夏川くんの笑顔に励まされてきたの!」
「だから、悪いんだけど俺は励ましたつもりなんてないし、そういうのは何て言うか……気持ち悪い」
「えっ、『気持ち悪い』?」
胸にズドンっ! と大きな衝撃をくらった。
「じゃあ、そういうことで」
そう言うと、夏川くんは私の涙が落ちる前に、階段を駆け下りていってしまった。
まるでこの場から逃げ出すように──
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一途に夏川くんだけを見つめてきた。
ほかの人なんて目に映らなかった。
それなのに、なんてあっけないんだろう。
ふらふらする身体で、どうにか校舎の中に入った。
落ち着くまでトイレにこもっていよう──
「あっれー? 宮下さん、もしかして泣いてんの?」
顔を見られないように俯いてたはずなのに!
失恋してやさぐれていたこともあって、人生で初めて他人に舌打ちしたい気分になった。
上目で声をかけてきた人物をちろっと見た。
すると、その人物はオロオロしていた。
面白がったりはしていなかった。
……ええっと名前は何ていったかな……か、か、神林! そう、神林くんだ!
同じクラスになったことはなかった。
けれど、選択授業の美術で一緒だったから、かろうじて顔と名前だけは知っていた。
「どうした? 何かあった?」
あっ、これ……本気で心配してくれてるんだ。
それがわかったから、舌打ちしたかった気持ちは、しゅるしゅるしゅるっと消滅してしまった。
それどころか、話を聞いてもらいたくなった。
こういう話を聞いてもらう相手は、友達よりもほぼ知らない神林くんみたいな人のほうがいい気がした──
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「夏休みにデートしたくて告白? 誰に?」
私たちはショッピング・モールのフードコートにいた。
幼い子ども連れのファミリーと、私たちのような高校生で席はほぼ埋まっていた。
しかし、どこのテーブルも自分たちのおしゃべりに夢中で、ガヤガヤしている。
それに呼び出しベルも、そこら中で鳴っている。
だから失恋話だって気兼ねなくできた。
「誰だっていいじゃない」
「その前に宮下さんって、恋愛に興味ある人だったんだ?」
「恋愛に興味があったとかじゃなくて、夏川くっ……!」
慌てて両手で口を抑えたけれど、その名前はすでに空気中へ放たれたあとだった。
神林くんの片眉が上がった。
「ふーん?」
「コホンッ! ……そういうのじゃなくて、あの人だから好きになったってだけ」
ハンバーガーとセットで頼んだ野菜ジュースを、ストローで一気に吸った。
ズボボボボボ……と傷心の乙女には相応しくない音を立ててしまった。
すると、神林くんは張り合うように牛丼をかき込んだ。
それからは私たちは、競争するかのようにガツガツと食べた──
神林くんは完食すると、おもむろに水を飲んだ。
そうして意を決したように言った。
「でも終わったんだし、いつまでもクヨクヨしてないで前向いていこう!」
「えっ、まさかと思うけど、それで慰めてるつもり? いくらなんでも下手くそすぎじゃない?」
「ひどいこと言うなー。だけど、せっかく夏休みに入ったんだから、楽しんだほうがいいと思わない?」
「……そんな気分じゃない」
「なら、メソメソして過ごすつもり?」
「そんなつもりでもないけど……」
「『ないけど』?」
振られたからって、簡単に好きでなくなるわけじゃない。
見返りを期待して好きになったんじゃないんだから。
私の恋は、そんな薄っぺらくない。
夏川くんのことを純粋な気持ちで好きだったんだ。
「そうだ! 失恋には『次の恋』っていうよね?」
「はあ?」
「なら、次は俺のこと好きになってよ」
「はああ?」
夏川くんがダメなら『はい、次!』だなんて、夏川くんへの想いが薄っぺらいどころか、まやかしだったみたいだ。
「やめて! 私の恋はそんなチャラいものじゃないの。神林くんとは違うんだから、軽く扱わないでよ」
「俺の気持ちも、そんなふうにチャラいって決めつけないでほしいんだけどな」
「だってチャラいじゃない」
「俺は大真面目だよ。思うに、次の恋に移るには、前の恋を噴き飛ばすための爆発力みたいなのが要るんだろうな。だったら今日のところは、パアっと遊んでみよう」
「ち、ちょっとー!」
そんなこと微塵も望んでないってば。
届かなかったけれど、私はこの恋を大切にしておきたいのー!
だって、それでこそ、この気持ちは本物だったってことでしょう?
噴き飛ばすだなんて、もってのほかなんだって!
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あらら?
私はどうしてスーパーボールすくいなんかしてるの?
それも小っちゃい子に混じって……
「だって、夏休みにお祭り行きたいんじゃなかった?」
「こんなモールの中央広場でやってるお祭りじゃなくて!」
「お祭りを差別するのはよくないな。これだって、れっきとしたお祭りだよ。それも今日からスタートだって。俺ら運がいいよ」
「何それ。あと、私は『デートで行きたい』って言ったの!」
「デートだよ」
「何言って……あっ!」
私のポイが破れてしまった。
キラキラのスーパーボールを狙っていたのに。
「俺が取ったの、あげるよ」
神林くんは自分のボウルの中から、赤いキラキラのスーパーボウルをつかむと、私のボウルに入れてくれた。
「その、顔付きのがいい」
「はいはい。どっちもあげる」
神林くんは気前よく、ニコニコ顔のスーパーボールもくれた。
「ねえ、次はボール投げビンゴやんない?」
「えー。私は見てるだけでいい。絶対無理だから」
「じゃあ、ちょっといいとこ見せちゃおうかな」
「そんなことくらいで見直したりしませーん」
これは嘘。
実はそういうにめっぽう弱い。
些細なことでも、自分が苦手なことをパッとできる人って、どうしたってカッコよく見えてしまう。
だけど言わないでおこう。
神林くんは私の悪たれ口も笑って聞き流して、スタッフに参加料を払った。
それからボールを何度か真上に投げて、感触を確認して……
おっ、第1球を投げるのかな?
と思ったら、突然こっちを振り向いた。
「俺の見せ場なんだから、ちゃんと見ててね」
「わかったから、投げて」
期待していることがバレないように、わざとぞんざいな返事をした。
神林くんはビンゴの的に向き直った。
私は神林くんの投球を見届けるのに、無関心な顔を作った。
けれど、そんなのはまるで意味がなかった。
あっさり崩れてしまったから。
神林くんの手を離れたボールは、緩い弧を描いたあと、的をぶち抜いてしまったのだ。
「わっ、すごい!」
私は思わず手を叩いた。
第2球、第3球……
終わる頃には、中央広場にいるちびっ子たちのヒーローになっていた。
「あー、あと1球だったのにな」
悔しそうな神林くんに向かって、私は両手を掲げた。
不服そうながら、神林くんはそれに応じてハイタッチしてくれた。
「十分すごかったよー。その1球だって惜しかった!」
フレームに当たって跳ね返ってしまったのだ。
あとほんの少しズレていればパーフェクトだった。
「おめでとうございます。どうぞ景品を選んでくださーい」
スタッフにそう声をかけられた神林くんは、私に言った。
「好きなの選んでよ」
「どれどれー?」
駄菓子の詰め合わせだった。
どれも同じようでいて、味が違ったりしている。
「むむむ……これは難問……」
「駄菓子好きだもんね」
「あれ? 私そんな話した?」
「昼休みにしあわせそうに食べながら、そう言ってるのを耳にしたことがある」
「そうなんだー」
一旦は納得して駄菓子選びに戻った。
けれど、あれ? と思い直した。
たまたまその場面に遭遇したとしても、よくそんなことを覚えてるね……
「決まった?」
「あっ、うん。これにする!」
「じゃあ、それあげるよ」
「えっ、あっ、ありがとう!」
ただの景品じゃなくて、私が好きなことを知っていて獲得してくれた駄菓子なんだ。
抱えていると、胸に何か温かいものが伝わってくる気がした──
神林くんは周りを見渡して呟いた。
「次は一緒にできるのがいいかなー」
「なら、あれは?」
私たちにぴったりだと思うブースを指差した。
「うちわ?」
「の絵付け。私たち美術選択じゃない」
「それは知っててくれたんだ」
「でも逆を言うと、神林くんのこと、今日までそれしか知らなかった」
白状して、私は苦笑いした。
「やべっ。俺の存在も知らないかと思ってたから、それだけでもうれしいな」
「な、何言っちゃってんのー」
フードコートで『俺のこと好きになってよ』と言われたよりも恥ずかしいんだけど!
「ほら、行こう。そうだ、絵付けしたうちわを交換しない?」
「ひえ! 俺、絵はド下手なんだけど」
「美術選択なのに?」
「美術選択なのに」
「どうして美術を選択したの?」
「うーん……それを答えるのは、小さい子がいっぱいのここじゃない気がする」
「……はっ! まさかヌードデッサンできると思ったとか?」
「ち、違っ!」
わかってる。
茶化しただけ。
「なんでもいいけどー。とにかく、うちわは交換しようね」
「宮下さんがいいなら……」
ビンゴと違って全く気乗りしない様子の神林くんを、半ば強引にブースへ連行した。
私たちは隣り合って座った。
「なるべくこっちは見ないでね」
「どうせあとで交換するのに?」
「それでも!」
「はいはい」
どんなデザインにしようかなー。
目の前のパレットと絵の具と筆を見つめた。
そうだ!
うちわいっぱいに、駄菓子を散りばめよう。
さっき神林くんからもらった景品に入ってた駄菓子を。
カラフルなゼリーに、ポップキャンディ、それから星型のラムネも!
うんうん、いい感じ。
それと、神林くんへのメッセージも書こう。
『ありがとう』って。
神林くんのお陰だ。
振られてからまだ3時間も経ってないのに、今こんなに楽しいのは──
絵を描き終えたあとで、ゆっくり『あ』、『り』と文字を書いていく。
次は『が』だ。
あれ?
不意に疑問が頭をもたげた。
だけど、いいのかな?
振られたその日にこんなに楽しくて……
『と』に移ると、さらにもやもやしてきた。
夏川くんのこと、本気で好きだったんじゃないの?
それなのに、こんなに早く立ち直れるもの?
これだと……
『う』を書き終えても、私は筆を持ったままで考えていた──
「……一応できたけど」
「えっ、あっ、本当? 私もできてるよ」
神林くんの終了宣言で、我に返った。
急いで筆を置いた。
「じゃあ、『せーの』で見せ合いっこしようよ。いくよ……せーの!」
私は神林くんのうちわをまじまじと見た。
「……ええっと、ひまわり?」
「打ち上げ花火」
「ああ、花火ね……花火?」
「いいよ、無理に交換しなくても。これは自分で持って帰るから」
「ダメ! 私のは神林くんにもらってもらいたいもん」
そのためのうちわなんだから。
「なら、それももらう」
「えーっ、ズルい。私だってほしいもん。神林くんの描いたうちわ、味があって見てるうちにじわじわくるよ」
「『じわじわ』って……」
「ほら、ゴッホの絵だって評価されるのに時間かかったんだし」
「だから、ひまわりじゃないって!」
神林くんはとうとう噴き出した。
そして観念して、私にうちわをくれた。
私もつられて笑ってしまった。
楽しくたって仕方ないじゃない、と思った。
失恋の悲しさが噴き飛ばされてしまったんだから。
神林くんのひまわりみたいな花火には、それだけの爆発力があったのだ。
「宮下さんのは、美術選択らしいうちわだなー」
神林くんは、私のうちわを正面に持って鑑賞した。
自分からうちわ交換を言い出したくせに、いざ目の前でじっくり見られるのは気恥ずかしい。
「見すぎ。もういいってば」
私は神林くんからもらったうちわで、火照る顔をパタパタと仰いだ。
「これからどうしようか? もう1回フードコートに戻って、祭りっぽくカキ氷でも食べる?」
少し考えてから答えた。
「それもいいけど、私行きたい場所があるの!」
★••┈┈┈┈••★
「おかしい! なんでモールの中に廃寺があるんだよ?」
「お化け屋敷は苦手?」
「苦手!」
「なら、やめておく?」
「いや。ここはひとつ、漢らしく入ってみせる。お化け屋敷には、吊り橋効果があるって話だし」
「え? 何か言った?」
もちろん聞こえていた。
私はとぼけたのだ。
これは、『怖い』って言って、手をつないでもらうようなシチュエーションではないね、うん。
「順番きたから入るよー」
「わっ、ちょっと待って!」
「ぷぷぷっ。漢らしくがんばって!」
きゃー! 『ぷぷぷっ』って、余裕かましてる場合じゃなかった。
だけど、矢が刺さって血まみれになっている落武者の亡霊が追いかけてくるなんて、予想外だったのだ。
怖いっ、怖すぎるー!
「いやあーー!」
「うああーー!」
薄暗い廃寺の中で、私たちは視線を交わした。
神林くんの瞳は、私にひたむきに願っていた。
それは私もちょうど願っていたことだった。
私たちは、お互いが同じ気持ちだということを同時に理解した。
そして、ピッタリのタイミングで、ガッチリと手を握り合った。
その瞬間──
私の中で化学反応が確かに起きた。
まともにその爆発をくらってしまった心臓は、驚いてバクバクしている。
そして、前の恋が薄っぺらかったってことでも構わない、と思った。
そう、夏川くんを想っていた恋は、もはや“前の恋”になっていたのだ。
だけど……
こっちこそが、まやかしなのかもしれない。
吊り橋効果?
それでもいいじゃない。
私と同じように怖がっていて、全然頼りにならない神林くん。
今この瞬間に、一緒に怖がって叫んでくれることが、堪らなくうれしかった。
ふたりで『キャーキャー』叫んで、出口にたどり着いた。
廃寺から明るいモールに逃げ出せて、ほっとした。
「うわー、怖かった!」
「私もここまでとは思ってなかった」
「何が『漢らしく』だ。自分で言ってて恥ずかしくなる!」
「だけど、爆発力はあったよ?」
「えっ?」
「ねっ、カキ氷食べに行こうよ! 叫びすぎて、のど渇いちゃった」
「いいけど、その前にさっきのってどういう意味? まさかね……俺カッコ悪かったもんな……いや! だって『爆発力』って言ったよね?」
「それを答えるのは、ここじゃない気がする。まずはカキ氷にしよう!」
楽しみな夏休みは始まったばかりだ。
まだつないだままの手を軽く引っ張って、私は歩き出した。
END