私は忘れない
その人の瞳を、私は忘れない。
列車が反政府軍に襲われた。少年兵たちだ。甘く見て抵抗した男たちは容赦なく射殺された。無抵抗な乗客は金品を奪われたけれど解放された。私も解放されるかと思った。
十歳くらいの少年兵――というよりは男の子が、私の指輪に目を留めた。
「それもよこせ」
私は男の子を睨んだ。これは祖母の形見だ。渡すわけにはいかない。男の子は私の頬を思い切り張った。頭がぐらんぐらんした。鼻血が垂れてくるのが分かった。でもやっぱり渡すわけにはいかない。私はなお男の子を睨んだ。彼は機関銃の銃床を振り上げた。殴られる! 私は思わず目を閉じた。
――でも、衝撃はやって来なかった。おそるおそる目を開ける。男の子が振り上げた銃床を、私よりいくつか年上にみえる少年が片手で軽々と押さえていた。
「レン」
少年を見上げる男の子の眼差しが尊敬と憧れに溢れている。レンと呼ばれたこの少年がリーダーのようだった。
「無抵抗な奴は殴るな」
「こいつ、指輪を渡さないから」
言われて少年は私の手に視線を落とし、それから私を真っ直ぐに見つめた。その瞳の色の深さと透明感に、私は電撃に打たれたように魅入られてしまった。憎むべき敵なのに。
少年は言った。
「指輪を渡せ。渡さなければ、抵抗とみなして殺す」
父が戦死、母も早逝した私にとって祖母が親代わりだった。でも戦乱で屋敷と一緒に焼死、全てを失くした。家族が私に遺したのは、この指輪だけだ。
「あなたたちは私から全てを奪うのね」
少年は冷静に応じた。
「それはお前たちが奪っていったからだ。そもそもは俺らのものだ」
「違うわ。土地やお金じゃなくて、家族や友達や私の未来のことよ」
無力な私には現状をどうにかすることなど出来ない。ただ翻弄され、悲しみにくれるだけ。私は全部が嫌になっていた。私は言った。
「分かりました。では殺してください。殺して奪って下さい」
少年は数秒間、私を静かに見下ろし、男の子に命じた。
「この女を連れて行く」
「RAPに売るんだね」
RAPは反政府軍ゲリラ部隊の呼称だ。あんなところに売られたら、何をされるか分からない。
私は反政府軍域内のスラムの一軒に連れて行かれた。そこには少年兵が十人近くいて、共に暮らしているようだった。みんな仲が良さそうだ。でも私には、憎しみに満ちた燃えるような視線を向けてきた。
地下の物置部屋に押し込められ鍵をかけられた。真っ暗で何も見えない。目が慣れてきてもだ。目を開いているのかも分からず、上下左右も分からず、しまいには自分の身体がここにあるのかどうかも分からなくなった。今までとは違う恐怖感が滲みてきた。一階から響いてくるかすかな話し声、物音だけが、心を保つ糸になった。
時間の経過も分からない。いつしか私は眠っていたようだった。気づいた時には傍らに人の気配がした。
目を開けると蝋燭が灯っている。燭台を手にしているのは、レンと呼ばれたあのリーダーの少年だった。私は咄嗟に後ずさりした。
「何もしない」
彼は微笑みもせず、威嚇もせず、ただそう言った。
「年は?」
彼が尋ねる
「十六よ」
「そうか」
「あなたは?」
「――十六だ」
同い年でも彼の方がずっと大人だと思った。彼はまた尋ねてくる。
「内戦で家族を亡くしたのか?」
「父と祖母を。友達も内戦に巻き込まれて随分亡くなったわ」
「俺たちを恨んでいるか?」
「そりゃ、そうでしょう。 でも、あなたも私たちを恨んでいるのでしょう」
「そうだ」
即答だった。
「でも」
私は言った。
「少なくとも私たちには少年兵はいない」
「違う!」
少しだけ少年が激した。
「俺たちは命じられて戦っているわけじゃない。自分たちで決めたんだ」
何だかやっと、彼の内部が覗けた気がした。彼の瞳は冷たい。でも中はそうじゃない。大人みたいに冷静にみえる。でも中はそうじゃない。ちゃんと十六歳なのだ。
「ここで言い合っても仕方ないわ。私をRAPに連れて行くんでしょう?」
彼はイエスともノーとも言わない。
「そこで、エロいことさせられるんでしょ」
「そんなことない!」
「ホントに?――本当に?」
「そんなことは俺がさせない!」
ああ十六歳なんだ、と思った。ホントに、十六歳の男子なんだ。
その時だった。
上の階でいきなり激しい銃撃音が鳴り響いた。
彼は咄嗟に立ち上がった。でもドアに近づく間もなく、向こうから蹴破られる。暴力的なライトが視界を奪う――。気が付くと、私は政府軍に救助されていた。
「ルナ・テラサさんですね?」
政府軍の兵士が尋ね、私は頷く。
「たった十六歳で、辛かったでしょう」
私はその兵士のことは見ていなかった。
倒れこんだ少年は大勢に殴られていた。拳じゃない、銃床でだ。蹴られていた。尖った軍用ブーツでだ。血塗れでぐったりしている。
「止めて」
私は泣いていた。
彼だって十六歳なのに。たった十六歳なのに。