第8話 甲斐への帰り道
テーマが、夢の中だから、何をやっても問題ない
そう思ってやりたい放題すると長話になり自らの首を絞める
自業自得であるが、とても哀しい
アノニマス・ホープ
「いててててっ。」
これまでのように、節々だけではない。
全身が痛む。
以前は、腰・肩・膝などの鈍痛であった痛みが、大腿や上膊部の神経痛のような痛みに変わってきたのだ。
「なんだよこれ。おかしいって。」
そう言いながら、頬をつねる。
「痛くないっ。」
頬をつねっても、痛みを感じることのない体によって、彼は、ここが「夢の中」であることを強く意識させられた。
「じゃぁなんで、こんな体中が痛ぇんだよ。この状態じゃ、牛車でゆっくり移動しても、体がキツすぎるわ。」
小姓を呼び、薬湯を持って来させる。
これは、従軍している医師に用意させた薏苡仁湯に、塩附子末を足して混ぜたもの。
薏苡仁湯は、体や関節で起こる痛みを緩和する漢方薬で、リウマチや神経痛などに使われるものだ。
塩附子末は、春に採集した未成熟なトリカブトを、塩水とにがりで煮て乾燥することで、その毒性成分を抜き、有効成分を残したものをすり潰し、粉状にしたもので、こちらも末梢のしびれや、痛みに効果を発揮する。
「効かねぇ・・・」
この薬湯でも、症状の初期には、痛みをずいぶんと緩和してくれていたのだが、全身痛が起こるようになってから、倍量飲んでも効いた気がしない。
野田城を落とした後に吉田城攻めに向かおうとしたのであったが、全身を襲う痛みに苦しめられ、その軍は、移動することが出来ずに三河東部で滞陣を余儀なくされていた。
「殿、永田徳本先生が、お越しになられました。」
永田徳本は、甲斐国谷村出身。
田代三喜、玉鼎らより李朱医学を学んだ漢方医で、武田信虎・信玄父子の侍医。
父親である信虎を信玄が追放した後は、信濃国諏訪に住み、貧しい人々に十六文、あるいは、無料で治療を施して過ごしていたため、彼の地では、「十六文先生」と呼ばれ親しまれていた。
余談ではあるが、この永田徳本、日本医学中興の祖として、田代三喜、曲直瀬道三の2人と並んで「医聖」と称される。
さて、今回の遠征には従軍していなかった徳本であるが、信玄の体の異常に急遽、信濃から呼び寄せられた。
彼は、信玄の脈をとり、舌の色を観察し、腹部をくつろげ指で押す。
「なるほど。これは、見たことのない症状でございますな。どうにも原因が分かりませぬ。しかし、出来る限りのことをいたしましょう。」
徳本が取り出したのは、附子末。
しかし、いままで信玄が使っていたもの・・・塩附子末とはモノが違った。
「炮附子末にござります。」
いままでの塩で加工して毒性を抜いたものと違い、炮附子は、炭火で烤いて毒性を抜いた漢方生薬。
トリカブト系のアルカロイドは、減毒化によって成分が変化している。
そうして、塩附子、炮附子ともに、どちらも毒性の抜け方は、同じくらいなのであるが、水につけていない分、有効成分の残り方が、炮附子の方が大きい。
こうして、永田徳本の用意した漢方薬を使い、痛みの軽減に成功した信玄は、ある決断をした。
そう、甲斐へ軍を返すことである。
攻め落とした城や砦にわずかばかりの守兵を置き、牛車がゆるゆると、遠江・・・甲斐へと戻っていく。
「あぁ、痛ぇ・・・帰ったら、ヤマの中にこもりてぇ。」
甲斐への帰り道。
少しの動作でも引き裂かれるような痛みを感じるため、牛車の中で寝たきりとなった信玄は、つぶやいた。
「ゲームみたいにステータス画面が現れて、状態を見られたら解決できそうなんだけどな・・・って、マジかっ?」
そう言葉を発した瞬間であった。
目の前にゲームをしている時のようなステータスウインドウがあらわれたのだ。
「え?ステータスって言ったら、画面が出たの?うそ・・・チュートリアルとかで最初に教えといてよ。」
文句を言うも、今は、自分の状態を知ることが先だ。
慌てて、目の前の画面のページをめくる。
「おいっ、なんだよ。状態異常って・・・」
ステータスウインドウの2枚目のページに、はっきりと「武田信玄・・・状態異常」という表記があるではないか。
痛む腕を伸ばし、状態異常と書かれた部分に触れてタップする。
新たに開かれたステータスウインドウには、「状態異常・・・重金属中毒(鉛・カドミウム・亜鉛・ヒ素・銅)」の文字。
「えぇぇぇ?重金属中毒って・・・オレ、ナポレオンとかアラファトみたいに、毒盛られてたの?重金属ってどこで摂取したんだよっ。」
そう彼がつぶやいた瞬間、新たな窓が開く。
武田信玄
状態異常・・・重金属中毒
重金属(鉛・カドミウム・亜鉛・ヒ素・銅)・・・岩塩由来
「ちょっ、まじっ。岩塩由来っ???」
そう、甲斐のあか塩、みどり塩・・・この赤色と緑色が、北アルプスの鉱物由来、金属由来の色味であったのだ。
「問題ない、このまま輸出する。」
彼は、あの時の言葉を思い出した。
そう、精製せず「このまま」岩塩を輸出すると決定した時の言葉だ。
岩塩を溶かして析出させる手順を繰り返すと、「ただの白い塩」になってしまうからそのままで・・・
いやいや、そうではない。
ブランド価値を高めた商品で、外貨を獲得するなどと考えず、重金属を抜いて、「ただの白い塩」にすべきだったのだ。
なにも考えずに汚染された岩塩を摂取し続けた結果が、今の症状であった。
「中毒物質の一覧に、カドミウムもあるってことは、この痛みは、イタイイタイ病か・・・」
彼は、小さくため息をついた。
その瞬間である。
「痛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
全身に激痛が走った。
慌てて、徳本の薬湯を飲み干す。
しかし、一向に痛みは治まらない。
牛車は停められ、小姓が呼ばれる。
もちろん、永田徳本もその枕元に呼ばれた。
「徳本よ、なんでもいい。この痛みを取り除いてくれ。」
「しかし、これ以上の強い薬となりますと、お体に毒になる可能性がございます。命の保証は、出来かねます。」
「かまわんっ。この痛みが続くくらいなら、そのぐらい、なんてことでもない。」
信玄の言葉に、徳本は、懐から布に包まれた小さな塊を取り出した。
「刨附片にございます。」
刨附片は、新鮮なトリカブトを非常に薄く切り、水洗後、恒温で加熱したもの。
「これをかじると、痛みがすぅっと抜けるように消えると言われておりますが・・・」
「おりますが・・・なんだ?」
「これの作り方は、調整が難しく、トリカブトの毒が抜けきっておらぬことがございます。その場合、命を失う可能性がございます。」
「かまわん。よこせ。」
ひったくるように、刨附片を奪い取ると、口の中に入れてカリリと噛み砕く。
するとどうであろう。
1分もせぬうちに、全身の痛みが、すぅぅっと引いていくではないか。
「でかした。徳本。褒美を取らせるぞ。」
そう言おうと口を開いたが、声が出ない。
それどころか、まるで緑内障の眼圧症状が起こったかのように目の奥が痛み、目の前がチカチカと点滅した後、暗くなっていく。
永田徳本が叫んだ。
「これは、マズいっ。殿が、口から泡を吹いてござる。トリカブトの毒にあたったようじゃ。甘草の煮汁っ。解毒に甘草の煮汁を持ってくるようにっ。」
昔から、トリカブト中毒には、黒豆の煮汁を飲めばよいと言われる。
そして、それが手元にない場合は、甘草の煮汁が代わりとなる。
漏斗を使って歯をこじるように口を開け、その煮汁を無理やり喉に流し込む。
おそらく、石でも跳ねて車を引っぱる牛が驚いたのだろう。
牛は、痙攣したようにぴょんと跳ね、連動するように馬車の中の信玄の体が跳ねた。
シファッファ ファミッレド
ドッソッミッ ラシラ ソ#ラ#ソ#ソ~♪
彼は、頭の中に響くゲームオーバーの効果音を聞いて、目を開けた。
そこは、自分の部屋のベッドの上。
ずいぶんと、暴れたのであろう。
布団は、床にずれ落ちてしまっていた。
「あぁ、痛くねぇけど痛ぇわ。」
全身の激痛は、もう感じないが、頬をつねると確かに痛みを感じる。
どうやら、夢の中から現実へと戻ってきたようだ。
部屋の中は、昨日の夜、彼がベッドにもぐりこんだ時と同じ。
ゲームは、電源がつけられたままで、画面もGAMEOVERのまま。
投げつけたゲーム機のコントローラーは、床に転がっている。
「あぁ、夢の中でもクリアできねぇか。くそぉ。トイレでも行こっと・・・狭いけど。」
当たり前である。
信玄の「ヤマの中」のように、6畳もの大きさのトイレがある一般家庭など存在しない。
小さなあくびをして、ゲームの電源を切り、部屋のドアを開けた彼は、階段を降りトイレへと向かった。
窓の外には、白い雲。
空に浮かぶソフトクリームの形をした雲が形を変えウンチとなり、さらに形を変える。
雲は、
「信玄は、天下統一できませんでした。」
という白い文字となって点滅したあと、やがてトイレに流されるように消えていった。
なんとか完結
お読みいただきありがとうございました
感謝