豹変
駅から外に出ると、あたり一面が真っ白になっていた。
深夜の空からは、まだしんしんと雪が降りしきっていて、本格的に冬がやって来たんだって実感させられる。
けど、困ったことに傘がない。
いや、困りはしないか。どこに行くもわたしの自由なんだし。
「こんばんは。お一人ですか?」
駅の出入り口で空を眺めていると、二人組の男子に声をかけられた。
チラリ、と見れば、いかにも好青年といった感じの爽やかな笑みを浮かべていて、今どきのオシャレ男子って感じのいで立ちをしてる。
見た目からして、きっと年も同じぐらいだろう。
「よければ、俺達と遊びに行きませんか? カラオケでも奢りますから」
「それかどっか飲み行く? いいとこ知ってるよ俺!」
敬語で礼儀正しそうな男子と距離感の近い男。
こんな時間にナンパ?
いや、それよりも。
「わたし、まだ二十歳じゃないんで」
「だいじょぶ、だいじょぶ! どうせバレやしないから!」
「よせよせ。そういうの気にする人かもしれないだろ? それなら、カラオケとかボーリングとか、それかお酒はなしで食べに行くのは——」
「遠慮しておきます」
最後まで聞かず、即答する。
こういう手合いは真面目に対応するだけ時間の無駄。
すると、こちらの塩対応に少し気圧されたのか、二人組の男子も苦笑いを浮かべている。
「ははっ、つれねぇな〜。じゃあ連絡先交換しよーよ。ぶっちゃけ俺、君のこと気になってんだよね」
「…………」
しつこい。
初対面になに言ってんだこいつは。
これだけ態度に出してるのに、どうしてこの人達は引き下がらないんだろう。こういうのって、相手の反応を見て、駄目そうならさっさと切り上げて次に行くものじゃなかったっけ。
「ねぇ、聞いてる?」
聞いてるわけないだろ。
もうここから移動しよう。傘がなくても雪の中くらい歩いていける。
そう思って足を踏み出すと。
「ちょちょちょ! どこ行くの!」
「——っ」
手首を思いっきり掴まれて、バランスを崩した。
「離せ、セクハラ野郎!」
「うおっ、急に強気! じゃあ、離してほしかったら連絡先教えて」
向けられる目を見て、ゾクッ、と背中に悪寒が走った。
あぁ、知ってる……この身体を舐め回すような視線……気持ち悪い。
今すぐ大声で叫んでやろうか。
わたしは二人に気付かれないように微かに口を開けて、息を吸い込んだ——その時。
「あら? 天野ちゃん、その人たち知り合い?」
不意に、わたしの名前を呼ぶ第三者の声の声が響いた。
(え、誰……?)
そこにいたのはロングコートの下にスーツを着こなす黒髪美人のOL。
けどそれだけじゃない。華というかオーラというか、形容できない何かが、この人の全身から発せられていて。
目を奪われた。
その表現が一番あってる気がする。
っていうか、この人……なんでわたしの名前……。
「天野ちゃん?」
「!」
すると、OLさんがアイコンタクトをしてきた。
話を合わせろってことかな。
「えっと……知り合いじゃない、です」
「……そう。それなら君、その手離してくれない?」
「こ、これは」
「離しなさい」
「っ! う、うす……」
OLさんの雰囲気に呑まれた男は、すぐにわたしの手を離した。
そのタイミングで。OLさんはわたしと男子二人組の間に割り込んで、わたしを庇うようにして立った。
「悪いけど、これからこの子と予定あるから、もう行くわね」
ニッコリ、と人当たり良さそうに微笑むOLさん。
その笑顔に気が緩んだのか。
わたしの手首を掴んできた男がまた食い下がってきた。
「あ、じゃあ俺達も一緒に——」
その言葉は、最後まで紡がれなかった。
原因はわからない。わたしの位置からじゃ、OLさんの顔が見えないから。
でもなんとなく、OLさんの纏う雰囲気が急激に大きくなったような、鋭くなったような……そんな錯覚を背中越しに覚えた。
「すみません。連れが失礼しました。自分達はもう行きますので」
「そう? ならいいけど……あんまり女性を乱暴に扱っては駄目よ?」
「肝に銘じておきます。それでは失礼します」
敵意がないことを伝えるためなのか、終始笑顔を崩さずに、敬語の男は相方を連れてそそくさと消えていった。
心なしか、その笑顔も最初に見たときより強張ってるように見えた気がする。
「えっと、ありがとうございます。助かりました」
「どういたしまして。怪我はなかった?」
優しげな笑みを浮かべるOLさん。
なんとなく、母性的なものを感じる。スーツの上からもスタイルいいのわかるし。
もしあの豊満な胸に抱きしめらたら、きっとどんな人も赤ちゃんになってしまうことだろう。
「はい、大丈夫です……あの、どうしてわたしの名前……」
「あなた、一駅先の居酒屋で働いてるでしょ? 私ちょくちょくそこに通っててね、可愛い店員さんいるな〜って思ってネームプレート見て覚えてたの」
「あっ! もしかして今日もいましたか?」
「うん、同僚の人と一緒にカウンター席にね」
やっぱり。
どうして気付かなかったんだろう。『すごい美人の常連さん』って店の方でも話題になってたのに。
「あ、私は桜井都和。二十七歳。 MSKに務めるサラリーマンよ」
「天野真雪、十九歳です」
「十九歳ってことは、学生?」
「いえ、大学には通ってません。フリーターです」
MSKって大企業じゃん。
そんな凄い人だったんだ。
「そうなの。それじゃ、そろそろ帰ろっか。さっきみたいなことがあるといけないし、家の近くまで送っていくわ」
え……
「ん? どうかした?」
「いや……実は今、帰る家なくて……」
「えぇ!? 一人暮らしとかじゃないの?」
「ちょっと前まで居候させてもらってたんですけど……追い出されました」
「そう……それは困ったわね……」
口元に手を当てて、考え込むような所作をする桜井さん。
詳しく事情を聞いてこないことに、わたしは少し安堵した。
「あ、そんな心配しないで大丈夫です。ネカフェとかで寝泊まりすればいいだけですし」
「ん〜、それだったら、私の家に泊まってく?」
「……いいんですか?」
「全然いいわよ。今ならなんと風呂とご飯付き。……どうする?」
「お邪魔します!」
「決まりね! それじゃ行こっか!」
「あ、ロッカーに荷物預けてるんで、先それ取ってきます」
「オッケー、待ってる」
そこからわたしと桜井さんは一つの傘を共有しながら並んで歩いた。
重苦しい沈黙が流れることはなく、桜井さんの方からいろいろ話題を提供してくれた。社会人だから……っていうのもあるんだろうけど、たぶんこれは元から持っている長所なんだろう。
何から何まで申し訳ない。
けど、こんな親切な大人もいるんだ。ちょっと意外。
こんな見た目で、大学にも通わないで、住んでる家もなくて……明らかに普通の人間じゃないわたしを家に泊めるなんて。
無知な子供ならともかく、面倒ごとを背負い込むようなことを大人がする?
「ここよ。入って」
「お邪魔します」
案内されたのはマンションの一室。
高級とかではなさそうだけど、部屋を見た限り安上がりでもなさそうだった。
後ろで扉が閉まると、続いてオートロック音が鳴った——その瞬間。
「……ふふっ」
「? 桜井さ——うわっ!?」
振り返ろうとしたら、視界が回転した。
何が起きたの? わからない。
でも気付いたらわたしは廊下に寝転がっていて、バンザイするような形で桜井さんに両手を片手で拘束されていた。
「薄々そんな気はしてたけど、本当に馬鹿な子ね。こんな簡単に騙されちゃって……まだ状況が飲み込めないでいる」
「え……?」
桜井……さん?
「何その顔……恐怖? 困惑? 怒り? あぁ、もう無理……! 可愛すぎる!」
「んぅっ!?」
いきなり、桜井さんに唇を重ねられた。
…………え?
その突然の出来事に、わたしは咄嗟にそれがキスだと理解できなかった。
目の前にある桜井さんの顔。柔らかい唇の感触。温もり。酒の匂い。
そこでようやく、わたしは状況を理解して。
この! 離れろ!
そう抵抗しようとして、できなかった。
ぴくりとも拘束された腕が動かない。相手は同じ女。しかも片手なのに。
「や……んっ、あ……ひゃめっ、はなし……っ」
舌を入れられ、たっぷりと長い時間を掛けて唇と口内を蹂躙された。
やっと解放されると、わたしと桜井さんを繋ぐように混ざり合った唾液が糸を引く。
「はぁ……はぁ……なに、して……」
「びっくりした? でもこれで分かったでしょ? 私が天野ちゃんを家に連れてきたのは、つまりはそういうこと」
助けられたと思ったら、どうやら助けてくれた女もヤバい人だったらしい。
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