後編
「ねぇ、ウィスタリア。お腹の子供は男の子、それとも女の子?」
「ふふっ、わかりませんよヒイナお嬢様。もう少ししないと生まれませんから」
ヒイナはウィスタリアにかなり懐いていた。
「ねーねー、どうせならウィスタリアも父様の奥さんになったら?そしたらウィスタリアを『ママ』って呼べるよ」
この国では一夫多妻が認められている。だが……
「それはなりません、私はあくまで使用人です」
きっぱりと断るウィスタリアであった。
自分を救ってくれたミアガラッハ家に恩義は感じている。だがその一員になるなどおこがましいと思っているのだ。
「えー、残念……」
「それに、ちょっと旦那様は……ねぇ」
それを近くで聞いていたリリィは苦笑した。
「確かにユリウスはまあ、その脱ぎ癖がある変態だからね……」
「ええ。良い方なんですがちょっと無いかなーって」
リリィとウィスタリアは顔を見合わせ笑った。
「まあ、でもね。あなたさえよければ子どもを生んだ後もウチで働いてくれないかしら。お腹の子もヒイナ達のいい友達に成りそうだしね」
そう話すリリィにウィスタリアは答えた。
「はい、喜んでお受けいたします。ありがとうございます!」
「やったー!じゃあ約束だよ、ウィスタリア!」
無邪気に喜ぶヒイナを見てウィスタリアは思う。
やはり人を恨まず優しくあれば、幸せは訪れるのだ、と。
□
出産を間近にえたある日の事、散歩していたウィスタリアは誰かにつけられていることに気が付いた。
気のせいではない。ずっと同じ人物が後をつけてきているようだ。
(一体誰なの……?)
不安に駆られるウィスタリアだったが、意を決して振り返った。
そこには見覚えのある人物が立っていた。
「あなたは……!」
そこにいたのは、かつて孤児院でウィスタリアを虐めていたミリアであった。
ミリアは敵意のこもった視線をウィスタリアに向けながら言う。
「あんた、そのお腹の子。ウチの旦那の子供よね」
ウィスタリアはミリアの言葉を聞いて背筋が凍るような恐怖を覚えた。
押し黙るウィスタリアにミリアは自分の考えが間違っていないと確信し、激昂した。
「何であんたみたいな卑しい女が!この、裏切り者ッッ!!」
ウィスタリアの髪を掴んでミリアは叫んだ。
「殺してやる……!絶対許さないんだから!」
髪を掴まれた痛みに耐えながらもウィスタリアはお腹の子を守るようにうずくまった。
ミリアはそんなウィスタリアの頭を何度も踏みつけ喚き散らす。
「死ね!死んでしまえ!!!」
そしてナイフを取り出すとウィスタリアの背中に向けて振り下ろした。
何度も何度も、執拗に突き刺し続ける。
「ちょっとあんた、何やってるのよ!?」
ミリアの凶行を止めたのは、偶然通りかかったリリィであった。
閂に極めるとそのまま背後に投げ飛ばしミリアを無力化する。
すぐさま警備隊が駆け付け、ミリアは捕らえられた。
そしてウィスタリアは病院へと搬送された。
□□
ウィスタリアはかなり出血しており、危険な状態であった。
命の灯が消えゆく中、彼女はひとりの女児を出産した。
「奥様どうか、お願いします……私はもう……だけどせめてこの子だけでも……」
消え入りそうな声で懇願するウィスタリアの手を握りながらリリィは答えた。
「大丈夫だから。この子は、私が責任を持って育てる。だから安心して」
リリィのその言葉に安心したのか、ウィスタリアは安らかな顔で息を引き取った。
「ウィスタリア、お疲れ様。ゆっくり休んでちょうだい……」
ウィスタリアの死に顔はとても美しかったという。
□□□
それからしばらくしてツィエル家の当主が話し合いに来た。
ひとつはミリアの凶行についての謝罪。
もうひとつはウィスタリアが産んだ女児、つまり若旦那の子供の処遇についてだ。
それに対しリリィはこう答えた。
「あの子はウチで育てます」
「そうは言うがね。『あれ』はウチのバカ息子がメイドとの間に作った子のわけだし」
だが、リリィは憮然として言い返す。
「何を言っているのでしょう?あの子はウチの旦那がウィスタリアに手を出した結果生まれた子ですよ?」
「ええっ!?ちょっとリリィ!?」
夫であるユリウスが慌てるがそんな彼の足をリリィは踏みつけ黙らせた。
当然嘘なのだがリリィは敢えてそれを突き通した
「結婚の手続きを進めていた矢先の悲劇でした。ですので、あの子は我がミアガラッハ家で育てますが何か問題でも?」
「……いや、何も無いよ。そ、そうだな。最初からバカ息子が作ってしまった子など、『居なかった』のだ」
こうして、ウィスタリアの娘は『ミズキ』と名付けられミアガラッハ家の次女として育てられることになったのだった。
ミドルネームには母親の名『ウィスタリア』がつけられた。
ミズキから由来を聞かれたリリィは『大切なものを命がけで守り抜いた親友の名』と説明した。
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「ミズキ、『人を恨まず、優しくありなさい。そうすればいつか必ず幸せが訪れるから』」
リリィはそう彼女に言い聞かせていた。
それはかつてウィスタリアが両親から聞き、彼女の軸ととなっていた言葉。
「何だか難しいお話です。でも、とても大事だというのはよくわかりました」
そう返事をするミズキの元にヒイナがやって来る。
「ほら、ミズキ。一緒に遊びましょう!」
「はい、姉様!!」
2人は庭を駆け回り、笑いあう。
その様子を見ながらリリィは微笑む。
「ウィスタリア。大丈夫、あの子は立派に育っているわ。だから見守っていてあげてね」