前編
その少女、ウィスタリアが生まれたのはのどかな田舎町だった。
彼女の両親はごく普通の農夫でありリーゼ商会と契約し、農作物を卸していた。
ごくごく普通の本当に平穏な家庭である。
だがウィスタリアが5歳になり、物心つくかつかないかという頃、両親が亡くなった。
原因は流行病による病死だ。
両親が亡くなったことで、ウィスタリアは天涯孤独の身となり、孤児院へ引き取られることとなった。
だがここで彼女を待っていたのは、地獄のような日々であった。
□
当時孤児院に居た年長の少女ミリア。彼女がウィスタリアに執拗な嫌がらせを始めたのだ。
彼女は孤児達のリーダー格で、彼女を慕う子分達が大勢いた。
その子分に命令して、ウィスタリアを虐めるように仕向けたのである。
最初は軽い悪口から始まり、段々とそれはエスカレートしていく。
食事を奪われたり、服を切り刻まれたりと酷いものだった。
それでもウィスタリアは両親の言葉を忘れなかった。
『人を恨まず、優しくありなさい。そうすればいつか必ず幸せが訪れるから』
その言葉を胸に、耐え続けた。
そうしているうちにミリアが孤児院を退院していった。
彼女に対するいじめも落ち着き、ようやく平穏が訪れたと安堵した。
□□
そして時が流れ、退院したウィスタリアは進路を選ぶことになる。
孤児院の経営はリーゼ商会がしていたので退院後にそちらで働くこともできたのだが自分に商人は無理だと思った彼女はその道を選ばなかった。
彼女はお金持ちの家などでメイドとして働く道を選んだ。
そんな彼女が世話になったのはツィエル家。
この国が王制であった時代は男爵家の地位にあり現在はその時のコネを使い政治の世界で活躍している。
ツィエル家に雇われた彼女だったが予想していなかったことが起きた。
ツィエル家の跡取り息子である若旦那には最近結婚した妻がいたのだが、その妻というのがなんとあのミリアだったのである。
ミリアの性格を知っているウィスタリアは嫌な予感しかしなかった。
案の定、ミリアは彼女に辛く当たった。
「お前みたいな貧民上がりの女なんて雇ってあげるだけありがたいと思いなさいよ!」
日々、繰り返される暴言。それでもウィスタリアは両親の言葉を胸に働き続けた。
そんな中、ミリアが病を患い入院することが決まった。
ひと時の平和が訪れる中、事件が起きた。
ある日、いつもの様に掃除をしていると後ろから跡取り息子が抱き着いてきたのだ。
「いけません、旦那様……」
抵抗するが彼は言った。妻に虐げられる日々が続く中、ウィスタリアの魅力に気が付いたのだと。
情熱的な言葉を何度もささやかれ、遂にウィスタリアは過ちを犯してしまった。
その後も事あるごとに迫られ、いつしかウィスタリアの心の中には罪悪感ではなく彼への愛情が芽生えていた。
だがミリアの病が完治すると状況は一変する。
若旦那は不貞がバレるのを恐れウィスタリアにつらく当たるようになった。
そもそもこの国で不貞行為は相当重い罪になる。地獄の日々が、また始まった。
やがて、ウィスタリアは身体の異変に気が付く。月のものが止まったのだ。
妊娠していることを確信した彼女だったが当然若旦那に打ち明ける事などできない。
彼女は仕事を辞める決意をした。
このままではお腹の子もろとも殺されてしまうと思ったのだ。
そして彼女は逃げるように屋敷を後にした。
□□□
大きくなったお腹を庇いながらあてもなく街を彷徨う。
これからどうすればいいのか、途方に暮れていた。
何で自分はこんな目に遭うのだろうか。自分が何をしたのだろう……
悔しくて情けなくて、涙が溢れて来た。
「お姉さん、泣いているけど大丈夫?」
声をかけてきたのは、まだ幼い少女だった。
少女は名前をヒイナと言った。
「大丈夫よ。ちょっと、悲しい事があって……」
そう答えるウィスタリアにヒイナはハンカチを手渡しこう言った。
「母様が言ってたの。困った人には手を差し伸べなさいって」
「あっ……」
その言葉を聞いた瞬間、ウィスタリアの瞳から涙があふれ出した。
ヒイナを探しに来た母親は泣きじゃくるウィスタリアを見て何があったのか察したようだ。
彼女、リリィは事情を聞きこう提案した。
「ねぇ、あなたうちに来ない?私も2人目の子を産んだばかりで色々と大変なの。うん、そうね。決定」
ほぼ強制的だった。
こうして、ウィスタリアは元辺境伯家であるミアガラッハ家にて使用人として働くことになった。
ミアガラッハ家は元辺境伯家だが今はさほど大きな力を持っているわけでは無かった。
家長であるリリィ、その夫であるユリウス、長女のヒイナ、そして最近生まれたばかりであるジークの4人家族。
身重ゆえにあまり動けないウィスタリアだったがミアガラッハ家の皆は彼女を暖かく迎え入れてくれた。