ジェリーフィッシュは夜嗤う(1/3)
モノツクリをするすべてのひとたちへ、
私なりの応援歌。
書きたいのに書けないので、外に散歩にでた。
2020年12月12日土曜日。22時40分。
ダウンコートを羽織りストールも巻き、スノーブーツを履いた。
夜空は晴れても曇ってもいなかった。
12月にしては寒さが穏やかで、5分も歩くと体はあたたまった。
マスクの裏に、口紅がついていくのを感じた。
口紅の香料が鼻をくすぐる。
嗅覚としては悪くないけど、衛生的ではないだろう。
メイクしたり、筋トレしたり、アニメを観たり、料理を作ったり。
私は書けない時ほど好きなことをして脳をノックする。
ノックノック、まだロックしたままでいきます?
ノックノック、そろそろ開けていただけませんか?
書きたいのに書けないとき、私は理由を考えるようにしている。
①ネタがまとまっていない。
②本当はいまその話を書きたくない。
③ほめられるために書こうとしてしまっている。
④資料集めが足りていない。
⑤体が疲れている。
⑥書いている時間の孤独が怖い。
⑦書いている時、十分に集中できるか自信が無い。
⑧前作の熱が抜けていない。
⑨ナニカにビビっている。
⑩三時間前確認した文学賞の結果に落ち込んでいる。
⑪書こうとしてる話が、つまらないって既にわかっている。
⑫キャラとまだ息が合っていない。
⑬書いても、どうせ人に嫌われる。(でも書かないと自分自身を嫌いになる。)
⑭作品世界への覚悟ができていない。
⑮スケッチ段階の作品を既に好きすぎて、逆に向き合えていない。
ここまでノートにまとめたのが10分前。
ここで深呼吸。
散歩に行くと決めた。
列挙した理由なんて、全部言い訳だってわかっていた。
そして、言い訳でもいいから自分の中で起こっている事態を、
細分化する必要があった。
自分の中で生まれた敵すら捉えられないのに、
自分の中で楽しいお話を
産み、育て、磨けるわけがない。たぶん。
いすゞ自動車本社ビルを過ぎて、桜新道沿いに歩く。
街灯が明るく、ほとんどの葉を落とした桜の木が冬らしくて気持ちよかった。
名古屋から大森という土地に引っ越してきて、1年11カ月が経った。
その間何作品書いたのか数えたことはないけれど、
どの作品にも思い入れがあり、大切だった。
向かい側から、缶チューハイに口をつけた男性が歩いてきた。
充分な距離をとり目線を外して、そそくさとすれ違った。
競艇場と競馬場の近い大森では、
歩きたばこや歩きワンカップの男性をよく見かける。
救急車とパトカーのサイレンも、夜中頻繁に耳にする。
過度に警戒するほど治安は悪くないけど、
優雅を気取れるほど民度は高くないのかもしれない。
去年の初夏に、歌舞伎町ホストと風俗嬢の話を書いた。
登場人物はカイトとリリ。
一人称単数異性書いた8千字弱の小さな作品だ。
いまでもJRで新宿駅を通るたびに、
「あのコたち、元気にやってるかな?」
カイトとリリのことを考える。
タイトルは『エースをねらえ!』
(エースとは、
ホストに大金を投入する常連客という意味のホスト用語だ。
ふざけていて私らしいタイトルですよね)。
初めて自分より年下の登場人物を書いた作品だった。
信号を2つ過ぎたあたりで、
前方の次の交差点で道路が封鎖されていることに気づいた。
封鎖されているのは、四方向に脚を伸ばした大型の歩道橋のある交差点だった。
四方の足元の一つは、交番がある。
去年秋口に、ランニング中にスマホを拾って届けた記憶がある。
大森に馴染み始めた気がした夜だったので覚えていた。
交差点周辺には、人が若干集まっていて、
背の高いクレーン車とトラック数台が停まっている。
目を凝らすと火花が散っていた。
白ヘルメットを被った人間が走り回っているのも見えた。
事故だろうか。
私の頭の中と同じですね、とため息が出た。
そして、脚を止めずに、交差点へ歩き続けた。
クレーン車。トラック。道路封鎖。火花。走る白ヘルメット。
もしかしたら、何か小説のネタになるかと思った。
知ってるよ。
わりと最低だよね。
ワイヤレスイヤホンからは、
サカナクションの『アルクアラウンド』が流れていた。
とにかく歩きます♪って軽快な歌詞でPVが面白い。
小説を書くようになってから、聴く音楽の幅も広がった。
最近のお気に入りは、ドビュッシーとマキシマムザホルモンだ。
脳をノックするためなら何でもする。
小説が好きだ。
好きなもののために、足掻けない自分になりたくない。
四つあった歩道橋の脚は、2つに減っていた。
上空からみると『×』の歩道橋は、『/』のかたちになっていた。
歩道橋中央の踊り場連結帯の、切断面に恐怖を感じた。
人だかりのほとんどの人が男性で、歩道橋に向かってカメラを構えていた。
スマホを構えながら何かつぶやいている人もいた。
私は、歩道橋を見上げている女性の一人に声をかけた。
年齢は60歳弱で母と同じ世代にみえる。
ゴールドのメガネフレームが、上品で知的なカーブを描いていた。
両手を突っ込んだアズキ色のダウンコートがキュートな女性だった。
すみません、これは何か事故なんですか?と女性に尋ねた。
「いいえ、歩道橋撤去してるのよ。
私、この裏手に住んでるんだけどね、
今日明日で夜間撤去作業しますってお知らせが入ってたから、見に来たの。
だいぶ、外観が変わるわよね」
女性は嬉しそうに話してくれた。
「ほら、この歩道橋ね、外観わるいでしょ?
空が狭くなるし、不便で。もう遠回りが要らなくなるなんて嬉しくって。
昔はね、いすゞビル前のにもあったのよ、歩道橋。
外観わるかったわあ。ここも変わっていくのねえ」
私は2度だけこの歩道橋を使ったことがある。
確かに不便だし、錆びた手すりや揺れる足元が怖かった。
歩道橋下の交差点には、既に信号機が設置されていた。
道路に敷かれた太い白ラインがいかにも新しい。
夜の空気を反射させていた。
「いすゞ前にもあったんですか。
越してきてまだ長くないので知りませんでした。
大森は長くお住まいなんです?」
女性は深く頷いた。
「もっとここが田舎だった時からね。
この歩道橋ね、ひとつだけ名残惜しいところがってね…」
言いながら、彼女はマスクを摘まんだ。
吐息がマスクの中でこもるんだと察した。
工事のガガゴゴ騒音に負けない声を張っていた。
時刻は23時を過ぎていて、
見知らぬ女性と声を張りながら喋るのは、
なかなかオツだった。
「春はね、この歩道橋にひとりで登って、
街路樹の満開の桜を見たの、毎年。
桜景色を独占よ? すごく綺麗。壮観だったわ。
それをねえ、見られなくなるのは惜しいわねえ」
ガッタン。グイーーン。
クレーン車の作動音を追いかけて、
オーライオーライ、そのまま!
と白ヘルメットの作業員がクレーンに向かって叫んだ。
跳ねるステップで、小柄な作業員が交番前の警官へ近づいて話しかけた。
「いまからこの半分解体入りますんで。
で、こっちの道路もあの信号まで封鎖になります」
「解体した部分はどうなるんです?」と警官が言うと、作業員が
「それを搬出するのに、あの信号まで道路封鎖をしますんで。
あの控えているトラックに積みますんで」。
なるほど、と声に出さないけど目でリアクションする警察官がいた。
「夜中なのに、話しかけてしまって失礼しました。
散歩に戻りますね。お気をつけて、おやすみなさい」
私は女性に深めのおじぎをして、散歩に戻った。
彼女は会釈で返してくれた。
世界中どこを訪れても、
見知らぬ人とのマナーのある会話は楽しい。
お互いが安全であると感じられる。
国籍も年齢も関係なく、
ヒトも物事も地下深くで繋がっていると思える。
シナプスは個人の体内だけじゃなくて、
世界に広がる無限の回路だと思えると自由になれた。
小説のセリフみたいなアズキ色ダウンの女性の言葉に、胸を掴まれた。
「春はね、この歩道橋にひとりで登って、街路樹の満開の桜を見たの、毎年」
どんな気持ちで桜を見ていたんだろう。毎年、ひとりで。
帰宅すると、ライムをたっぷり絞ってジントニックを作った。
ゆっくり三回転半ステアすると、心が落ち着いていくの感じた。
ちびちび飲みながら、
15項目挙げた『書けない理由』一つ一つから曲線を伸ばして、
ノートのスペースに打開策を書いていった。
⑨ナニカにビビっている―――――
→あなたは、名前もつかないナニカ程度にビビる人間ですか?
Emily! ナニカ程度のものなら、Beat it off!(追い払っちまいな!)
こんな感じで。
翌日、小説仲間の女性がマンションに遊びに来てくれた。
(つづく)