5 初めての夜会です
庭園が見えるテラスルームで先にお話を聞くことになった。
いえ、本来は旅の汚れと疲れを落としてからゆっくりと…なのでしょうが、ちょっと衝撃が大きすぎて。
「アルダン様はご存知でしたか?」
「いや…、全ての書類が揃っていることは承知していたし早めに入籍もするつもりではいたが、それにしても予想以上の早さだ」
「不正行為はしていないわよ。ただできる限り急いだだけで」
「お父様がとっても張り切っていたの。だってあのお兄様がやっと結婚する気になったのですもの。逃げられる前に鎖をつけちゃえって」
滅多にないことではあるが、確かに一年あれば気持ちが変わることもある。
浮気性の男性は多いと聞くし、女性の中にも流されやすい人がいる。子爵領にも男性からの誘いを一切断れない未亡人がいた。私は『教育に悪い』という理由で会った事がないけれど、噂ではとても色っぽい女性だとか。
今回は気持ちではなく家庭環境を考慮して。
「残念なことにレンクス子爵家が一年もたないかも…という噂があるわ。最悪、爵位返上となるからそうなってしまうと子爵令嬢ではなくなるでしょう?我が家としてはアルダンが気に入った娘ならば平民でも問題ないと思っているけど、うるさい人達も多いのよ」
「お心遣い感謝いたします。既にアームルクス辺境伯家に籍が入っているのなら父が何か言ってきても断ることができます」
そんなに危ない状況ならほぼ間違いなく言ってくる。子爵領の人達を連れて戻れ、義弟の補佐として家に置いてやる、くらいは言いそう。
「本来ならば持参金を用意して嫁入りしなくてはいけないところ、身一つで、領民のおまけつきで、さらに…支度金として少なくない額を辺境伯様から頂いているというのに」
書類にはすべて目を通したが、持参金はゼロで、逆に支度金という名目での金銭のやりとりがあった。
「浅はかな父のことです。私の結婚を取りやめたら支度金を全額返金しなくてはいけない…とは思い至らないでしょう」
「ハドリーちゃん、もしかしてあの大量にあった書類にすべて目を通したの?」
ルチア様がアルダン様に確認する。
「あぁ、読んでいた。私もその場に居て、わからないことは質問をされた」
「とても…、恥ずかしかったです」
ちょっと遠い目をしてしまいますよ、本当に恥ずかしい。けど。
「けど、それ以上に子爵家と縁を切りたいと改めて思いました。この機会を逃せば一生、子爵領で酷使されます。領民のために働く事が嫌なわけではありません。ただ、働くべき立場の人間が他にもいるのに、何故、私一人だけが働かなくてはいけないのか」
そこが大事。みんなで働くのなら文句はいわない。責任の重さや手にする報酬で多少の不平等も理解している。
でも、子爵家は違う、私だけが走り回ることになる。
思い出して、思わず握り拳を作ってしまいましたよ。
「そうよねぇ。大丈夫よ。子爵に返す気、ないから」
ルチア様が頷いて、私を婚約者候補とした理由を教えてくれる。
「アルダンのお嫁さんを探すのに何人ものお嬢さんの経歴を調べたけど…、まさか探している条件にぴったりのお嬢さんがいるとは思わなかったわ」
容姿はともかく気立てが良く素直であること。都会育ちの貴族令嬢だとアルダン様が即座に断るため、世間知らずの田舎娘でもよい。
男爵家以上の爵位であれば、あとはなんとでもする。
「候補を五人くらいに絞った後、各領地での評判を確認したらハドリーちゃん、領民に大人気だったわ。好かれている事は知っていたけど、それで移住までしちゃうのだから、これでハドリーちゃんを不幸にしたらアームルクス辺境伯家が呪われそうだわ」
確かに可愛がってもらっていた。幼い頃からの知り合いも多い。
「あとは、簡単に逃げ出さない子。責任感がある、帰る家がない、感情よりも理性で行動を決められる子」
お金が動いている事は容易に想像できたし、逃げたところで行く場所もない。それよりも辺境伯領で生活の基盤を作ったほうが実家に帰るよりはまし。
「貴族のご令嬢には少ないのよねぇ」
「難しいことはわからない、自分で決めて行動できない、かといって相手の言葉に従った結果が考えていたものと異なると、私悪くない、言われたから仕方なく…って泣く。すぐに泣く。泣けば許されると思っているのよ、あの子達は」
な、なんだかノエ様もあれこれたまっていそうね。
「アルダンに変な夢もみていないようだし」
「変な夢…ですか?」
「ほら、見た目が真っ黒で神秘的に見えるでしょう?いろいろと妄想がはかどってしまうようなの」
確かにとても美しいと思う。
理解している。とってもイケメンだ。
「妄想の結果、お兄様本人が見えなくなってしまうのよねぇ。そんな人だとは思わなかったとか、『アルダン様はそんなことを言わない』とか。どんなことよ、お兄様は昔から無愛想で雑な言動よ。闇の精霊王だの人間界でお忍び中の魔王だの紛争中の他国から逃れてきた悲運の皇太子だの、恋愛小説を読みすぎよ」
嘆きたくなる気持ち、少しだけわかる。
「アルダン様ほど過激なものはございませんが…、私にもそういった妄想の被害がございましたのでお気持ちはとても理解できます」
妖精だの小鳥だの、食事は花の蜜で、常ににこにこと笑って花壇の中で過ごしている…とか。ひどいとトイレにも行かないと…、行きますよ、お肉も食べるしトイレにも行きます、当たり前です。
「やだ、ウケる、闇の精霊王と妖精の結婚?」
「あら、小説にするのなら魔王と小鳥のほうが斬新よ」
いえ、どちらもやめてください、普通の人間同士が良いです。
ともかく本日から『嫁』です。
お部屋に案内してもらったらアルダン様のお部屋とつながっていた。正しくは三室続きで中央に寝室。なんだけど、ベッドは三室すべてに置いてある。
「行き来はできるようになっておりますが、初夜は結婚式の後ですからね。アルダン様に襲われそうになったら悲鳴をあげてください。お助けしますから」
アルダン様に限ってそれはない気がしますが、カティの迫力に押されて頷く。
「しばらくは今まで通りが良いかしら。なんだか実感がなくて…」
「ここまで異例の早さですからね」
多いのが十四、五歳までに婚約をして十八歳前後での結婚。婚約から結婚までの準備期間が三年ある。
「ハドリー様がいらっしゃってまだ半年ですよね。きっと結婚式までもあっという間ですよ」
すでに結婚に関しての予定が立てられている。
今夏はまず私のお披露目と近しい方達にご挨拶。秋に領地に戻り領民にお披露目。春に領地で結婚式。来年の夏に王都で結婚式。そして冬に完成した温泉街へ新婚旅行。
何が大変って…、衣装選びが一番大変な気がする。
おまかせします。と言うと、ガッカリされるのよね…。希望なんてないのに。
王都のアームルクス辺境伯邸に到着して一週間。外出はしていないがそれなりに忙しく過ごしていた。
まず作法のおさらい。ルチアお母様とノエ様から確認をしていただき、高位貴族へのご挨拶、ドレスでの歩き方、お茶を飲む時の姿勢や仕草の確認をした。
アルダン様と並んで歩く練習も一応。
手を添える、腕を組む、腰を抱く…と、ただ並んで歩くだけでも訪れた場所によりアルダン様の手の位置が異なる。それから苦手なダンスも。
苦手といえば衣装合わせ。ルチアお母様とノエ様が加わり、ドレスに合わせて宝石を選ぶ。
お母様、私、宝石のデザインよりもお値段のほうが気になります…。汚したり失くしたり盗られたりしたら…と思うだけで震える。
「宝石はそう簡単に割れたりするものではない。貴金属品は汚れても専門の業者に頼めばクリーニングしてもらえる。壊れた時はデザインを変えて作り直せばいい。盗られるような事態ならば、ハドリーの身も危険だということだ。自身の命を優先してほしい」
アルダン様に言われて、少し落ち着く。そうよね。石そのものは堅い。もろい石もあるけれど高価な宝石は大抵、堅くて衝撃にも強い。
「夜会の会場までは私がいるし、会場に到着してからも離れることはない」
さすがに化粧室へ行く時は離れるが、その際は男爵家の娘であるメリルが付き添ってくれる。王宮での夜会だから平民は入れないが貴族籍ならばメイドの同行も許されている。
メリルもカティほどではないが、一応、護身術を習っている。
「王宮での夜会となるため高価なアクセサリーをつけることにはなるが、会場に入ればそういった夫人、令嬢ばかりだ」
確かに…、高価なアクセサリーを自慢する場でもある。
「そうですね、そう考えてみれば私が皆様に自慢できる最も高価なものは、壊れるようなものではございませんでした」
美しい宝石に流行りのドレス、そんなものは皆が身につけている。似たようなものばかりだが、アルダン様は一人しかいない。
夜会に行ったことがなくてもわかる。
これほど美しい男性が何人もいるわけがない。
「アルダン様が盗まれることはないですものねっ」
力説した私にカティが必死に笑いをこらえ、メリルが残念なものを見るような目で苦笑していた。
そしてアルダン様は顔を真っ赤にして。
「そ、そう思っているのなら、私が盗まれないように、側で見張っているように」
「はい、そういたします」
「本当に…、側から離れてはいけないよ?」
念押しで囁かれ、何故か私も顔が真っ赤になってしまった。
貴族の夜会は様々な目的で開かれる。社交デビュー、誕生会、婚約披露などだけでなく、遊び好きの貴族の仮面舞踏会やワインの会、狩猟や湖畔の別荘での納涼など。
今回は王宮開催の定例会。毎年、夏になると開かれる会で、ここで新たな商談相手を見つけたり結婚相手を見つけたり…、目的は様々だ。
王宮からの招待なので他国からの参加者も素性がはっきりとしている。
「だからといって一人になってはいけない。いいね?」
「アルダン様、それはもう…、今日だけで十回は聞いています」
前辺境伯タンガお父様、ルチアお母様からも何度か念押しされた。
「大丈夫ですよ。アルダン様がいらっしゃらない時はメリルの側にいます」
メリルはアームルクス辺境伯領の第一騎士団に在籍している騎士と婚約中とのことで、会場内で合流する。
「世間知らずの田舎者ですから、広い王宮内で一人になったりしたら…、入ってはいけないような場所に迷い込んで牢屋に入れられるかも」
「そんな事が起きないように各所に騎士や使用人が配置されている。迷った時は近くにいる騎士に声をかけて動かないように。迎えに行くから」
「小説などでよくある休憩室という場所は…」
「王宮で使える身分の者は限られている。我々一般参加者が使うとすればよほどの緊急時だけだ」
体調不良とか想定外のトラブルに巻き込まれたとか。
「アルダン様も気をつけてくださいね?」
「不本意ながらそういったトラブルには嫌というほどあってきた」
対処方法としては、まずお酒を飲まない。水しか飲まないし、食べ物も口にしない。誰かに呼ばれても一人で動かない。いかなる理由があろうともテラスや庭には出ない。必ず人が多い場所で常に逃げ道の確認。
「それでは夜会を楽しめませんね」
「そうだな」
ちょっと考えて。
「では温泉街が完成したら、子爵領の皆と絶対に大丈夫な使用人達を集めて宴会をしましょう。アルダン様が酔っ払っても私が介抱してさしあげます」
「そうか…。それは楽しみだな」
ふっと笑う。
「庶民が居ても大丈夫ですか?」
「仕事相手は庶民が多い。細かなことをいちいち気にしていたら仕事にならない」
「温泉街、楽しみですね」
「そうだな…。完成したら一緒に風呂に入ろう」
………え?
固まってしまった私を見て楽しそうに笑っている。
いえ、構いません、夫婦ですからね、一緒のお風呂もどーんっとこい…とは思えず、からかわれているとわかっていても狼狽えてしまった。
王宮は…、やっぱり王宮でした。当たり前のことですが、規模が、もう…、なんでしょう。
あまりの豪華さに足がすくんでしまう。
けど大丈夫、今日の私はいつとも同じですが、強い味方がいますからね。
本日も麗しいアルダン様の衣装は黒を基調に色をかなり抑えた金刺繍と水色の宝石。私のプラチナブロンドと瞳の色を使っております。
私のほうは黒のドレスに金刺繍。アクセサリーも金色ですが肩こりを理由に小振りなものにしていただきました。宝石類や髪飾りはアルダン様と揃えて水色。
私自身がコーディネートしたら絶対に黒色をお洒落に着こなすことなど不可能ですが、そこはブティックのマダムとメイド達、仕上げでお母様、ノエ様が頑張ってくださいました。
全然、大丈夫ではありませんが、大丈夫。
アルダン様にくっついていざ戦場へ。
お城の広間は驚くほどの広さで人も多く賑やか…なのですが、アルダン様に気づくと皆様、数秒間黙ってしまいます。
わかりますよ、今日のアルダン様はいつも以上に美しいですからね。
「先に国王陛下に挨拶をする」
いきなり?いえ、でもいつか通る道です。今の私は辺境伯夫人。
アルダン様と共に挨拶の列に並ぶ。
国王陛下に直接挨拶できる者は高位貴族のみ。本日は参加人数が多いとのことで子爵以下の貴族は列に並ぶことができません。
公爵、侯爵、伯爵…と、私達は若輩者でもありますから最後尾。
緊張してはいますが大丈夫。
アルダン様がご一緒ですもの。
と、チラッと見上げると微笑んで。
「第二王子殿下は学友だ。あとで紹介する」
「そう、なのですね」
「あまり紹介したくはないが…、仕方ない」
貧乏子爵家の娘を紹介するのは確かに恥ずかしいだろうと考えていると。
「あいつは…、顔だけは良いからな」
「………顔、ですか?」
「私と異なり顔が良いだけでなく愛想も良い。欠点というものがほとんどない人間だ」
王子様ならば当然だろう。むしろ欠点が多い王子様が自国にいたとしたらわりと本気で迷惑だ。政治的な理由で幽閉されないかなとこっそり祈願したくなる。
コソコソと顔を寄せて話していたが、挨拶の順番が近づいてきたので挨拶の確認をして口を閉じる。
淑女の礼をして、名前を聞かれたら『この度アームルクス辺境伯に嫁ぎましたハドリーと申します』と答える。
以上、終わり、簡単!な、はず。