1 家を追い出されました
生まれた時から居場所がなかった。
レンクス子爵家に生まれ、長女ハドリーとしてそれなりに教育を受けて家族ともそれなりに顔を合わせている。
ただ余所余所しいだけ。
レンクス子爵である父は王都に居を構え『仕事があるから』とほとんど子爵領に戻ってこない。帰って来る度に『一緒に王都で暮らしたい』と母が訴えていたが、父は『忙しい』の一言で逃げ回っていた。
そして…、私が大人たちの会話をそれなりに理解するようになった頃、母が諦めた。王都に行くことも父に期待することも子爵夫人として働くことも。
今は好きな事をして暮らしている。
父が帰ってくれば挨拶をするし、母とは週に何度か食事を共にしている。
商人の娘であった母はいまだに実家からお小遣いをもらっていて、取り繕う事をやめてしまった。
おそらく父も王都で好きな事をしているのだろう。
私が男ならばまた待遇も異なったかもしれない。
私の他に兄弟はなく、いずれ婿をとり子爵家を継ぐのだからと教育を受けてきた。
貴族としての教育は平民であった母には無理な話で、とても厳しい家庭教師がついた。
下品に笑うな、歯を見せるな、扇で口元を隠せ、扇で隠しっぱなしにしているな、笑え、笑うな、うつむくな、笑え、美しく微笑むこともできないのか、これだから下賤な女の娘は。
家庭教師は父の幼馴染でタウシッグ男爵家に嫁いだ女性だ。
華やかな見た目の母とは異なり、暗い色の髪に茶色の瞳の女性だ。不美人ではないが男性に好かれるタイプではないと、子供である私にもわかる。
そのせいか、どうにもならないプラチナブロンドや水色の瞳の色まで『下品だ』と罵られた。
窮屈な毎日。
詰め込まれた授業の合間に母に代わって子爵領の管理も手伝うようになった。やりたかったわけではない。誰かがやらなくてはいけなくて、できそうな者が私だけということ。
生まれた時から自由などなく、子爵領を継ぐためだけに生き、きっと一生、この領地に縛られる。
八歳の頃から子爵領の収支のチェックをするようになり、十歳で簡単な決済も出すようになった。
十二歳で婚約者が決まり、どこかの侯爵家の四男だった。会ったことはなく、手紙も届かなかったので、私からも連絡をとっていない。
十四歳で父に愛人と隠し子がいることが発覚し、そこから三年間の泥沼離婚戦争。
母は『離婚してもいいけど、財産をよこせ』と言い、父は『渡す金はない』と応戦。
その間、領民に迷惑をかけることがないようにと、両親の代わりに働いた。
父に横恋慕していたと思われるタウシッグ男爵夫人は愛人発覚により、さらに荒れ狂った。
王都の下品な女に騙された。そんなに男の子が欲しかったのなら、私が産んであげたのに。とブツブツ文句を言っている。
それって不倫というのでは?
と思ったが、この人に関わると時間がとっても無駄になるので黙って嵐が過ぎるのを待った。
この頃にはもう惰性で仕事をしている感じで、布団に入って眠る三時間だけが至福の時だった。
睡眠時間を削って、ろくに食事もできず、機械的に働く日々は意外と早く終わりを告げた。
母が妊娠したのだ。
「運命の相手に出会ったの。ハドリーも連れて行きたいけど…、あんたは貴族の子だから」
平民ならば自由に家を出られる。
貴族は家に縛られる。
「気にしないで、お母様。私はしっかりしているから」
「ふふ、自分で言わないで。あんたはまだ子供よ。本当に無理だと思ったら家を出なさい。貴族の生活はさせてあげられないけど、私の家に来てもいいし、他にもあんたを助けてくれる人がいっぱいいる。ハドリーは賢くて美人で気立ても良い子だから」
家を出る、私を置いていく…と言う母に対して、驚くほど負の感情がわかなかった。
母は美しい女性で、実家が資産家。貴族との結婚もなくはない。
父は周囲の反対を押し切って結婚したが、当然のことながら母に貴族としてのふるまいなどわかるはずもない。本来ならば父が助け馴染めるようにと教育しなければいけなかった。と、思う。
しかし成人した女性に一から作法を教える手間をめんどうだと思い、表に出さないことにした。
子爵家に捨て置かれた母は買い物や外食、パーティくらいしか楽しみを見いだせなかったのだろう。
私とあまり会わなかったのも、おそらく…、私が平民のように育たないため。
幼い頃は母と一緒にお茶を楽しんだり遊んだりした記憶があるが、タウシッグ男爵夫人に見つかると厭味と罵倒が三倍に増えるためお互い距離をとっていた。
私のせいで母が怒られている。と、私が感じたように、母も自分のせいで…と考えて遠慮した。
父が選んだ家庭教師というだけで誰も逆らえない。
かといってタウシッグ男爵夫人のおかげで貴族令嬢らしくなれたのかというと、まったくそんなことはない。男爵夫人の授業の半分が私を含む平民を蔑む言葉なので、神妙な顔をして聞き流す術を習得した。
本当の意味で私を助けてくれた人達は数人の使用人と町の人達。
領地経営の手伝いをするようになってから町に出ることも増えて、基本的な作法はそこで出会ったお姉様達に教えてもらった。
平民の中にも王都で城勤めをしていたとか、王都の女学園で教師をしていたとか、そういった経歴の方がいる。
読み書き計算はベテランのティルソン税務官が教えてくれて、領の財政がとても困った状態だということもわかった。
今、赤字でなければ良い…という話ではない。飢饉や自然災害に備えて貯蓄が必要だし道や橋の修繕もしなくてはいけない。
きちんと監督する者がいないため、横領がごく当たり前のように行われている。
ティルソン税務官が管轄外のことにまで目を光らせているため大きな額での横領はないが、小さな額では当たり前のように行われている。
会食費や備品購入など、私物を公費で購入している。
何度か父に訴えたが手紙の返事はなく、会おうと思っても『忙しい』と逃げられる。
貴族としての責任などまったく考えずに、母に一目惚れして結婚をゴリ押しした恋愛脳のダメ男。
結婚後はめんどうになって妻だけでなく娘も放置していたクズ男。
今さら妻や娘と再構築するよりは、新しい家族を作ったほうが楽なのでは?と責任から全力で逃げ出したゴミ男。
そして…、子爵邸に義母と義弟を連れてきた外道は、私に淡々と婚約者が変わったことを告げた。
侯爵家の四男が真実の愛を見つけたそうですよ、へー、ヨカッタデスネー。そういえば母も言っていた気がします、真実の愛を見つけたと。父も真実の愛を選んだそうなので、真実の愛、大安売りである。子爵領の特産品、玉ねぎよりも安いかもしれない。
十八歳の春、私は家を出ることになった。
領地の管理人や役人、屋敷の使用人達が泣きそうな目をしていたが、娘である以上、私にはどうしようもできない。婿が来なければ家を継げないし、父に言われれば嫁に行くしかない。
本音を言えばこちらとしても愛想が尽きた。
追い出された私の行き先はアームルクス辺境伯領。なんと同じ国内だというのに一カ月近くかかる道程だ。
子爵領は国の南よりにあり、アームルクス辺境伯領は北の国境線。
二十二歳になる辺境伯様がなかなか結婚しない、婚約者も決めない、女なんか必要ない…というタイプらしく、男色の方なのかしらね。
貴族の中には意外と多いらしい。頭のおかしい家庭教師からの情報なので、いまひとつ信用できませんが。
『アームルクス辺境伯は大層、恐ろしい方だそうよ。婚約したご令嬢達が何人も逃げ出しているの。ご令嬢達には逃げ帰る家があるけど、貴女は…どれほどひどい扱いを受けても逃げられないわね。可哀相に』
白い結婚、偽装結婚…、男の愛人がいるとか、それとも逆に女好きで愛人が毎晩、異なるとか、そんな感じかしら。
ともかく前辺境伯と王家で真剣に嫁探しをしていたのだが、既に何人ものご令嬢に逃げられてしまい、私に白羽の矢が立った。
かろうじて子爵家で、婚約解消されたばかりで、実家で持て余されている適齢期ギリギリの娘。
アームルクス辺境伯領に行けば、どのような扱いを受けようとも子爵領には戻れない。戻りたいとは思っていないが、仲良くなった子爵領の人達と別れるのはつらい。
母の元に逃げることも少しだけ考えたが、貴族を敵に回すことになれば実家の商売に支障が出る。
もう何もかもがめんどうでずっと眠っていたい。
久しぶりに温かな柔らかいお布団で眠っていた。
一応は貴族令嬢なので不用意に馬車の外に出るなと言われている。結果、薄い毛布にくるまって馬車の中で眠っている事が多かった。
眠るのは大好きだ。
薄い毛布のはずが何故かとても気持ちいい。夢だとしたらこのまま覚めないでほしい。
温かな布団の中で丸くなっていると。
「子爵家は何を考えているのだ。ご令嬢にロクな護衛もつけず、旅をさせるなど」
「我々の発見が遅ければ殺されていたかもしれないのだぞ」
張りのある男性達の声。
「そのこともですが…、ハドリー様はお着換えもお食事もほとんどされていなかったようで…」
「お可哀想に、とても痩せ細っております。これではまともにお食事ができるかどうか」
「ともかくお医者様の診察をお願いしております」
若い女性達の涙声。
そう…かもしれない。最後のほうは食事をした記憶がない。
でも、いいの。心配しないで、私、暖かなお布団があれば幸せだから。
バンッと扉が開く音がした。
「子爵家の娘が到着したそうだな」
「辺境伯様、お待ちください。今、ハドリー様はお休みになって…」
「ハッ、随分と怠惰な娘が来たものだな。挨拶もできないほどだというのなら、そのまま好きに眠らせておけ。私に会う必要などない。顔を見せるなっ!」
な、なんですって…?
乱暴にドアが閉められてシン…と静まり返る中、ゆっくりと起き上がろうとした。が、力が入らない。起きられない。
「ハ、ハドリー様、いけません」
慌てて若いメイドが二人、側に来てかいがいしく世話をしてくれた。体を起こし、顔と首回りを温かなおしぼりで拭かれ、白湯を飲む。
地獄から天国。そして先程、いらっしゃったのが辺境伯様なら…。
「ハドリー様のお世話をさせていただくカティと申します。こちらはメリル」
「今、胃に優しいものをご用意いたしますからね。少しだけでも召し上がってください」
頷いて。
「今、いらっしゃっていたのが辺境伯様ですね」
「………はい。申し訳ございません。ハドリー様がお元気になりましたら、改めてご挨拶の場を…」
「いいえ、必要ございません」
きっぱりと首を横に振った。
「辺境伯様のお言葉に従いますわ。出来る限りお部屋から出ませんし、お食事もお部屋でいただきたいと思います」
好きなだけ眠っていてかまわないとのお言葉ですもの、これは是非とも従わなければ。
ありがとう、辺境伯様、私、とっても怠惰な娘なので辺境伯様よりもお布団と仲良くしたいです。
なんて、ずーっとここでゴロゴロダラダラ過ごすことは難しいでしょうね。残念ながら。
今後のことを考えなくてはいけません。
嬉しくない事に母に似て美しいと言われる顔立ちです。追い出されたら、即、売り飛ばされる未来しか見えません。
まずは一カ月の馬車旅で落ちた体力を回復し、次に収入の確保。
アームルクス辺境伯領は国内でも『住みたくない領地ベスト10』に入る寒冷地だけど、国境に面しているわりに治安は悪くない。高い山脈があり川も流れているため、攻められにくい地形だと言われている。攻められにくいだけで他の問題が山のようにあるのが辺境の地。広大な土地の管理だけでも大変そう。
さて平民となり、この美貌で高収入の男を捕まえるのが一番楽な方法ですが、結婚した後に旦那が豹変…は、わりとよくある話。父もそうでした。
平民のお姉様達の話では、鬼のような姑の言いなりになっている旦那も多いとか。弱いとみれば罵声と暴力で屈服させようとする。最低な男達ですが、腕力では勝てません。
性別は異なりますがタウシッグ男爵夫人がまさにそのタイプでした。
声を大きくすれば従うと思っている。
幼い頃は確かに怖かったけど、大人になり、社会を知るにつれ残念な人だ…とわかってしまった。皆が男爵夫人に逆らわなかった理由は相手にするのが面倒だから。
私も大人になり厄介な相手のあしらい方も覚えましたからね。平民の中に入ってもやっていけると思います。
が、平民になれば元貴族…はマイナスポイントで、むしろそれを理由に蔑まされる恐れがあります。
先に自立できるだけの収入を確保したいところですが、手段が恐ろしく少ないのが現状。
貴族令嬢は働かないことが前提の生き物。この地でいきなり領政に関わらせてほしいとも言えませんしねぇ。
私も働きたいわけではありませんが、辺境伯様のあの様子では早ければ三カ月、遅くとも一年で追い出されるでしょう。
考えているうちに疲れてしまったようで眠くなる。
難しいことは起きてから考えましょう。
今は幸せな眠りを堪能したい。
1日2回、12時と17時更新予定です。