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彼岸ラムネ

お盆の季節になると、ナスとキュウリに割り箸を刺して、死者をあの世から迎え入れます。行きはキュウリの馬で快速に。帰りはナスの牛でゆったりと。一部地域では、他の乗り物が使われるとか?


おや、何かが落ちていますね。


日記…、ですか。


ふむこれは興味深い。


あなたも興味がありますか? とある女の子の夏の日の思い出に。


では、彼女には悪いですが、これをどうぞ。結露の浮いたラムネと共にお楽しみください。

 八月十三日 晴れ


 朝起きると、ママがリビングでナスとキュウリに、半分に折った割り箸を刺していました。


「何をしているの?」と聞くと、ママはにっこりと笑って。「キュウリ馬とナスビ牛よ」と言いました。


 確かに割り箸を四本ずつ刺されたキュウリとナスは、四本肢の動物に見えますが、どうしても、速く走る馬や、牛乳を出すうすには見えませんでした。


「今日はたくさんすることがあるから、ミオちゃんも手伝ってね」とママが言いました。


 私は首を横に振りました。だって、今日は友達のカホちゃんの家で新しいゲームで遊ぶ約束をしていたのです。


 ママは悲しそうな顔をしました。「前から言っていたでしょう? 今日はたくさんの親戚が来る日よ。お茶とか運んで、夜には御馳走を食べて、楽しいわよ」


 私は首を横に振り続けます。ママは親戚の人がたくさん来て楽しいと言いますが、お酒臭くて、煙草臭くて、うるさくて、私は嫌いです。


 とうとう、ママが鬼のような形相で怒りました。「どうしていう事が聞けないの。今日はおばあちゃんが帰ってくる大切な日なのよ!」


 そうこうしている間に、カホちゃんとの約束の時間が近づいてきました。


「嫌なものは嫌! 行ってきます!」私は乱暴に外へと出ていきました。ママが呼び止めてくる声がしましたが、私は無視をして走り出しました。


 私がカホちゃんと女と女の約束をしているというのに、それを引き裂こうとするのですから、ママは血も涙もない女なのです。私はママには屈しません。何と言おうと、私はカホちゃんの家へと向かいます。


 と言っても、家を飛び出してきた私は何も持っていませんでした。差し入れの一つも持っていないなんて、非常識な女です。


 どうしましょう? 私は頬から垂れた汗を手の甲で拭いながら悩みました。


 お空の太陽は、ギラギラと輝き、私をこんがりと焼きます。眩しくて、私は目を細めました。


 その時です。


 空に、巨大なキュウリが浮かんでいるのが見えました。浅漬け千人分はあるでしょうか。


 その不思議な光景に私が息を呑んでいると、突然、巨大キュウリがピカッと、眩い光を放ちました。


 眩しくて、私はギュッと目を閉じます。


 再び開けたとき、空のキュウリは消え、いつものとろけるような夏が佇んでいました。


 きっと、暑くて、幻を見たのでしょう。私は気を取り直して、カホちゃんの家へと歩き出しました。


 ですが、私がカホちゃんの家に着くことはできませんでした。歩き慣れた道のはずが、いつの間にか、コンクリートが砂利に変わり、白い壁だらけの住宅地が、青い田んぼに変わっていました。


 どうやら私は暑さによる幻意を見ただけでなく、道に迷ってしまったようです。私は途方に暮れました。田んぼからはゲコゲコ蛙の大合唱。砂利の隙間から生えた雑草が足に当たってチクチクします。



 歩いても、歩いても、この光景が変わることはありませんでした。



 私は、自分の家にすら帰れない気がして、怖くなりました。眼の奥がつんとしました。


 その時です。


「どうしたの?」


 誰かが私に声を掛けました。振り返ると、そこには日傘を差した女の人が立っていました。黒く艶やかな髪をまとめ、この暑い中でも白い生地に青い花をあしらった着物を着ています。とても美しく、白い顔です。


 道に迷ってから初めて出会った人なので、私は何処かホッとして、その女の人に話しかけていました。


「カホちゃんの家に行きたいの」


 それを聞いて女の人は首をかしげました。


「その子の苗字は何?」


「ヒラノ」と私が答えると、女の人は柔らかそうな頬に手をやって考えました。


「ごめんなさい。一応この近くには詳しいけれど、そんな苗字も、名前も聞いたことがないわ」


「そうですか」


てっきり迷い込んだこの道から抜け出せるのだと思い込んでいた私は、がっかりしました。また、涙が溢れそうになります。

 女の人が慌てました。


「いけないわ、涙を流すと喉も渇くわよ」と言って、私の目と同じ高さにしゃがみ込むと、細い指で涙を拭いました。ヒンヤリとしていました。でも、温かい手でした。私は息を止めて堪えましたが、結局、ボロボロと泣いてしまいました。


 女の人は困り顔でしたが、私の涙が指では拭いきれないと見ると、和服の袖からハンカチを取り出して、何度も涙を拭いてくれました。


 知らない人の前で泣くなど、恥ずかしい姿を見せてしまったものです。落ち着いた私は、顔を真っ赤にして謝りました。女の人は「いいのよ」と言って微笑んでくれました。


 さて、このままだと自分の家にも、カホちゃんの家にも辿り着くことができません。


「喉が渇いたでしょ?」


女の人が私の顔を覗き込んで言いました。


「何か冷たい物でも買ってあげましょう」


「冷たいもの?」


私の身体が固まりました。ゴクリと唾を飲み込みます。いやいや、駄目よ。知らない人について行ってはいけない。と学校で教えてもらったじゃない。それに、「はい飲みたいです」と簡単に頷くなんて、人として、女としてありえません。


 でも、太陽はこれまで以上に私を照らし、蝉はジージーと鳴いています。吹き付ける風は、田んぼの湿気を含んで生暖かいです。


 私は再び唾を飲み込みました。頷きます。


「はい、飲みたいです」


 女の人はにっこりと笑いました。


「じゃあ、行きましょうか」


 女の人は私の手を引き、日傘の中に入れてくれました。やっぱり、すべすべして、柔らかい、心地よい手でした。

 しばらく歩くと、コンクリートの道に出ました。やはり田んぼだらけの風景ですが、ぽつぽつと建物があるのがわかります。


「もう少し歩けば甘味処があるけど、そんなに待てないよね。ラムネにしましょう」


 女の人は、あるお店の前で立ち止まりました。木造の平屋で、アルミサッシの引き戸に「太田駄菓子」と白い文字で書いています。その前には、郵便ポストや、ひび割れたベンチ、スーパーでよく見る冷凍庫が、入ってくる人を拒むように並んでいます。今にも崩れそうな壁には、朝顔が蔦を巻いていました。


「ごめんください」


 お店の中はクーラーが効いてヒンヤリとしていました。私の腰の高さの棚に、沢山のお菓子が並んであります。どれも見たことが無いパッケージで、パッケージにすら包まれていないものもありました。


 店の奥から、白いシャツに青いパンツを履いたおじいさんが出てきました。


「いらっしゃい」


入れ歯をしていないのか、しぼんだ口がもぞもぞします。


「んん? 妹かい?」


「いえ、道に迷ってしまったようで」


「そうか、見ねえ顔だな」


おじいさんはしゃがみ込んで私の顔を眺めました。白い鼻毛が出ていました。


「太田さん、ラムネをくださる?」


女の人は、店の冷蔵庫を開けて、青みがかったビンを取り出して言いました。


 おじいさんが私から視線を逸らします。


「いいぞ、空き瓶は外の箱に入れておけ」


「お代はここに置きますよ」


女の人は巾着袋から硬貨を取り出し、冷蔵庫の上にパチンと置きました。なんだか変な光景です。


 私は思わず尋ねました。


「ピッはないの?」


「『ピッ』?」


女の人は首をかしげます。


「なあに、それは」


「お金を払う時にピッてするやつだよ」


私は身振り手振りで伝えようとしましたが、女の人にもおじいさんにも伝わりませんでした。


 女の人が冷えて水滴の付いたビンを私にくれました。真ん中がくびれて、二つの丸いくぼみ、口はガラス玉で栓がされています。

 私がじっとビンを眺めているので、女の人が「どうしたの、気に入らない?」と心配そうに言いました。


 中に飲み物が入っているのは分かるのですが…。



「これ、どうやって飲むの?」


 女の人は「あら」と驚きました。


「ラムネの開け方、知らないの?」


 おじいさんもびっくりです。


「服見る限り、どっかの嬢ちゃんだとは思っていたがな、やっぱりな。もっと高いもん食っているんだよ」


「そんなこと言わないでやってください」


女の人は私から優しくビンを取り上げました。


「ちょっと待ってね」


 そして、何かを手に持ち、それでビンの口を押えると、プシュッと音がして、ビンの水面に白い泡が立ちました。


「はい、どうぞ」


これなら飲めそうです。私はビンを傾けました。ですが、私の口に飲み物が入ってきません。


「出ないよ?」


「ビー玉が引っかかっているからよ。そのくぼみに引っかけて飲んでごらん」


 私は言われた通りにしました。すると、今度は甘くてシュワシュワしたものが流れ込んできました。


「おいしい」


 私は自然と笑ってしまいます。


 女の人もにっこりと笑いました。


「そうでしょう。私も一本頂きましょう。太田さん、もう一本くださいな」


「好きに取れ」


 女の人もラムネを開けました。


「暑い中で飲むのがいいのよ」と言って、わざわざ外に出て、ビンを傾けます。女の人の白くて細い喉がこくりこくりとうねりました。ラムネの表面の水滴と、女の人の頬に浮かんだ汗がつたって、コンクリートの上に黒いしみを作るのはほぼ同時でした。


 なんだか、私が飲んでいるものよりもおいしそうです。


 炭酸はママに「駄目」と言われていましたが、私は構わず飲みました。少し喉が痛かったけれど、その刺激が夏の青い空に突き抜けていくようで、とても気持ち良かったです。


 ですがそんな幸せな時間はいつまでも続きません。私はラムネを飲み干してしまいました。ビンの中でガラス玉がコロンと転がります。私はそれを取り出したくて、私はビンを逆さまにしました。ですが、ビンの口が小さくて落ちてきません。


「どうしたの?」


 女の人が私の手元を覗き込みます。


「これ、欲しいの」


「ああ」


 女の人は笑いました。そして、店の中にいるおじいさんの方を横目で見て、私を見ました。口に人差し指を当て、しーっとします。


「本当は駄目だけど」


 女の人は巾着袋から鮮やかな布を取り出すと、ビンを包み込みました。ビンの口を持ち、地面に叩きつけます。

 私は思わず目を閉じました。ガチャンと音がして、ビンの形をした布がふにゃりと崩れました。女の人は布を開くと、ガラス玉をそっと拾い上げました。着物の袖で水気を取って、私の手に握らせます。


「はいどうぞ」


 私は宝石のようなガラス玉を覗き込みました。周りの景色が反転して、青い空が下に、田んぼや建物が上に見えました。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 おじいさんは「空き瓶は外の箱に入れておけ」と言っていたので、ビンを壊したことが怖くなりました。ですが、女の人の噤んだ口は、どこかミステリアスで、わたしはそっとガラス玉をポケットに入れました。


 お店を後にした後でも、女の人は私と一緒に帰る道を探してくれました。手を繋ぎ、日傘の中に入り、沢山のお話をしながら歩きました。


「私はミオって名前だよ。十歳」


「私はサクラ。ミオちゃんよりも十五歳年上」


「着物暑くないの?」


「暑いわ。でも、お母さんが『きちんとした格好をしないと嫁の貰い手が来ない』って言うの。それに、今はお盆で、親戚がたくさん来るから、力が入っているのよ」


「親戚が? ママが言っていた。キュウリとナスに割り箸を刺していたの」


「それは精霊馬と牛ね」


「しょ、う、りょう?」


「ええ、あの世とこの世を行ったり来たりするための乗り物みたいなものね。お盆の時期になると、あの世から死んだ人が戻ってくるのよ。行きはキュウリの馬でサッと。帰りはナスの牛でゆっくりとね」


「私、ナスが嫌いだから乗りたくない」


 私は声のトーンを落としました。

 キュウリはマヨネーズや塩で食べるのが好きですが、どうしてもナスのドロッとした感覚は嫌いです。

 サクラさんはふふっと笑いました。


「ナスは焼くと美味しいわ。ミオちゃんも好き嫌いをなくせばナスに乗れるわ」


「まだ死なないから大丈夫よ」


「誰もがそう思うわ。私も思っている。でも、明日のことは分からないからね」


「そうかな?」


 その時でした。私がふと見上げると、空に巨大なナスが浮かんでいました。先ほどのキュウリとは違い、ナスはゆっくりと動き、何やらキラキラ光るものを撒きました。

 キラキラしたものが落ちたコンクリートの道が、キラキラと光ります。まるで、光のカーテンです。


 私は光の先を指さしました。


「どうしたの?」


「この道の先に、私の家があるの」


 どうしてこのようなことが起こっているのかわかりません。ですが、この知らない道の先の、あの光の向こうに、私の知っている道が見えたのです。


 サクラさんはほっと息を吐きました。


「よかったわ。戻ってこられたのね。一人で帰れる? それとも、私が一緒に行きましょうか?」


 私は首を縦に振りました。


 家族のみんなに話さないといけません。私が迷子になっていたところを、この女の人に助けられた事を。ラムネという素晴らしい飲み物をいただいたという事を。

 きっとママが沢山の飲み物ご馳走を作っているでしょう。お礼に、サクラさんにも食べてもらうのです。

 今度は私がサクラさんの手を引いて歩き出しました。


「あのね、私の家はね、ママとパパがいて、妹もいるんだよ。あと、おじいちゃんもいるんだ」


 少しずつ、光る地面が近づいてきます。少し怖かったけれど、私はサクラさんの手を強く握りました。

 頬から、汗が流れ落ちました。


「犬も飼っているんだ。野良猫と仲良しなの」


「にぎやかでいいわねえ」


 サクラさんは楽しそうな声で言いました。


 目の前の地面を見れば、後ろから照りつける太陽が、手を繋いで歩く二人の黒い影を映しています。ゆらゆらと、揺れています。


 サクラさんも、ギュッと私の手を握ってくれました。


「ねえ」


 サクラさんが尋ねます。



「おばあちゃんは?」



 その瞬間、私とサクラさんは光の中をくぐりました。私がその質問に答えたのとほぼ同時でした。


「死んじゃったんだ」


 その時です。私の手の中にあったすべすべで、柔らかくて、冷たくて、暖かい手の感触がするんと消えました。


「サクラ、さん?」


 私は立ち止まりました。


 振り返りましたが、そこには誰もいません。建物がひしめき合い、黒いコンクリートの道が続いているだけです。どこにも、私がサクラさんと手を繋いで仲良く歩いた道はありませんでした。

 地面の光も、空のナスも消えています。


 頬を撫でる風が、からっとした肌寒いものになり、太陽の光がオレンジ色になっています。


 まるで、あのとろけるような昼間が抜け落ちたかのように、夕方が訪れていたのです。


 私は家に帰りました。ママにこっぴどく叱られました。当然です。朝に家を出た娘が夕方までに帰ってこないのだから。


 女の人に会ったことをママに話すと、また怒られました。


「知らない人について行ったら駄目でしょう!」


 ですが、私の家は既にお盆の宴会の準備が整っていて、やってきた親戚の人達に宥められて、ママはそれ以上怒りませんでした。


 サクラさんの事を悪く言われるのは嫌だったので、私は宴会の席でお酒を飲んでいたおじいちゃんに必死で伝えました。サクラさんは私を助けてくれたいい人で、太田駄菓子でラムネを飲ませてくれたと。



 すると、おじいちゃんは目を丸くしました。



「おい、太田駄菓子なんてとっくの昔に潰れているぞ。おい、その女の名前は?」


「サクラさん」


 それを聞いたおじいちゃんはケタケタと笑いました。


「佐倉って、ワシの嫁の旧姓じゃねえか。流石盆だな。あいつがあの世から帰ってきたんだ」


 きゅうせい?


 その意味が分からず、私はおじいちゃんに尋ねようとしましたが、ママが「飲みすぎですよ」と割り込んできたので、結局聞けませんでした。


 パパにおばあちゃんのことについて聞いてみました。


「おふくろ? すごく綺麗な人だったよ。すごく優しかったね。子供が好きだったし、今生きていたら、ミオをかわいがっていたと思うよ。きっと、今日助けてくれた人は、おふくろの幽霊だよ。天国から帰ってきたんだね」



 そうでしょうか? 私は首をかしげずにはいられません。幽霊なら、足は無いし、手を繋ぐことも、ラムネを飲むこともできません。



 私は、一緒に繋いで歩いたあの手の感触を、忘れられないのです。私が居たあの時間や、ラムネの味、サクラさんは本物です。決して、夢や幻ではありません。



 その証拠に、私のポケットにはあの人がくれたガラス玉が入っています。



 私はそれを、クッキーの空き箱で作った宝箱に、大切にしまいました。




        完

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