2.唇の感触
ある日。わたしは廊下を歩き回り、きょろきょろとシオウを探していた。いろいろな人に聞いて回った話によると、仕事を終えてちょうどこの辺りを通るはず……
「あ、いたっ! シオウ! 今、時間ある?」
階段から降りてきたシオウの姿を見かけて、呼び止めた。
「どうかされましたか?」
「見せたいものがあるの。部屋に来て」
「いえ……聖女様の部屋に入るのは問題が」
「いいからいいからっ」
わたしが有無を言わさず歩き出すと、シオウは仕方なくといった様子で付いてきた。部屋までたどり着くと、わたしは威勢よく扉を開けた。
「ほら。見て! お祭りですくったベニキンの卵が、水草についてるの」
遠慮がちに部屋の入口に立っているシオウの腕をつかんで、半ば強引に水槽に近寄る。
「……本当ですね。初めて、見ました」
「ねえ! とっても綺麗じゃない?」
シオウと一緒にお祭りで楽しんだベニキンすくい。あれからずっと部屋でお世話していたのだけれど、気付いたら卵が産まれていた。初めて見るベニキンの卵はビー玉のように大きく、虹色に輝いている。
シオウも興味津々といった様子で、水槽に顔を近づけた。
「ベニキンって金魚と同じ仲間かと思ってたけど、やっぱりこの世界の生き物は不思議。こんなにキラキラした卵、目立って他の生き物に食べられたりしないのかな」
「角度によっては透き通って消えたようになります。水の中では、見えにくいのかもしれません」
「確かにね……!」
シオウと話した日から、何となく気まずい日が続いていた。お互い忙しいのもあって、二人で話をすることもほとんどなかったけど、今は自然と話せている気がする。……良かった。
あ、シオウのまつ毛、長いな。……なんだか、いい匂いもするし。っていやいや、シオウの顔が近いから、変な事考えちゃってる!!
……。
その時、何か起きたのか一瞬わからなかった。
目の前にあるのは、シオウの顔。わたしは、今起きている出来事を理解するのに、しばらくかかった。
これは……シオウに……キスされてるということ!?
……でいいんだよね?
唇にやわらかい感触。間近に感じる、シオウの呼吸。匂い。かあっと顔が熱くなる。
思考が停止し、そのまま固まっていると……一瞬、シオウが目をほんの少し見開いた……気がする。何せ近すぎてよく見えなかったのだけれど。
「……」
「……」
数秒の間。すっと距離を置いて、何事もなかったかのような顔をしているシオウ。そのまますたすたとドアに近付き、礼をして出ていった。
え? どういうこと? ……まさかわたし、夢でもみた?
でも……確かに唇の感触は残っている。わたしはその場にへたり込んだ。
しばらく呆けていると、シオウの部下の人が慌てて部屋に入ってきた。
「大変です、シオウ様の様子がおかしいのですが、聖女様は何かご存じですか!?」
「……へっ? う、うーん……」
「あれっ!? 聖女様も何やらお顔が真っ赤になっていますが、大丈夫ですか?」
「ええっ!? ああ、うん!! 大丈夫大丈夫!! 何にも気にしないでっ!!! ……それよりシオウがどうしたの?」
不思議そうな顔をした部下の人は、シオウ達が仕事場として使っている部屋にわたしを連れてきてくれた。そこには、正座しているシオウと、周りを取り囲む部下の人達。……どういうことだろう?
「シオウ……あの」
わたしの呼びかけに、シオウがビクッと肩をすくめた。その後、間が空き、シオウは静かに話し始める。
「聖女様には……許されない行為をしてしまいました」
「ええ、と」
「国の宝である聖女様を傷物にしてしまうとは……お詫びのしようもありません」
ぎゃー!! 何言い出してんのシオウ!!
その場にどよめきが起きる。
「いやっ! 皆さん! 勝手に変な想像しないでくださいよ!? シオウも、ちょっと落ち着こうか」
わたしが慌てて弁解しても、シオウは暗い顔のまま立とうとしない。そして、絶対みんなに好き勝手想像されちゃってる。シオウは剣を手にすると……
「謝っても、済まされることではありません。この命をもって、償いを……」
「いやいやいや、そこまでしなくてもいいって!!」
「シオウ様、早まらないでください!!」
わたしと周りの皆さんは、慌てて全力で引き留めた。必死の説得により、シオウは何とか思い留まったようだ。それでも、がっくりとうなだれ、生気を感じられない。
ここは、わたしが何とかフォローしなければ。……『嬉しかったよ』……ってそれじゃあわたしがまるでキスをして欲しかったみたいだよね。それじゃ、変だ。何か、何か声をかけなければ!!
「シオウ、わたし、全っ然! 気にしてないから!」
……。
……その場が凍り付いたのが、わたしでも分かった。
あ、やっぱり、間違った!?……よね。
「……そう、ですね。聖女様にとっては取るに足らない、些末な出来事ということです、よね」
「いやいや! 断じてそういうことではないからね!?」
正直、泣きたいのはこっちだけど、何とか回らない頭で言葉を絞り出す。
「シオウはこの前、……ずっと一緒にいてくれるって約束してくれたよね?」
「……はい」
「……わたしにはシオウが必要なの。だから、簡単に死ぬなんて言わないで」
「はい……申し訳、ありませんでした」
何とか分かってくれたようで、ゆっくりと立ち上がるシオウ。
しばらくして……周りのみんなが生暖かい目で見つめている視線に気づいた。
ええと……ここで再び誤解を解こうとすると、絶対余計なこと言っちゃうな、自分。
……やっぱり、泣きたい。