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恋闕のシンギュラリティ  作者: 本山貴春
8/12

あたらしい日本人

大柄な白人警官に殴られ、足蹴にされた挙句、雁字搦めに縛られて連行された。けたたましいサイレンとともに警察署に到着し、引きずり込まれたのは薄暗い取調室である。警官たちは入れ替わり立ち替わり、早口の英語でまくし立てていたが、訛りも酷く何と言っているかわからない。僕が「アイ・キャンノット・スピーク・イングリッシュ」と下手な英語を繰り返していると、新たに背広姿の白人が現れた。


「ズイブン、ナグラレタモノダナ。チオ、フキナサイ」


背広の白人は、机の上に白いハンカチを投げ出した。口の端が切れているようで、ズキズキと痛い。しかし後ろ手に縛られたままで、ハンカチを手にすることはできない。白人の目を見たが、プイッと横を向いてしまった。解いてくれる気はなさそうだ。


「セッシャワ、ニュージャパン、ニ、リュウガクオ、シテイタノデ、ニッポンゴ、ワカル」


「ニュージャパンとは何ですか?」


僕が質問を発すると、白人男はチラリと横目で僕の目を見た。


「オヌシ、ナニユエ、English、ツカエヌノカ? Japan デモ、オシエテイルハズダ。Smuggling モ、English ハナス」


奇妙な日本語の上に、英語発音の単語が混じっていて聞き取りにくい。しかし駅で会った掃除婦も、スマグリンがどうのと言っていた。


「僕はスマグリンではありません。スマグリンとは何ですか?」


「シツモン、シテイルノワ、セッシャダ」


怒気をはらみながら、白人男が目の前の椅子に腰掛け、僕の方へ身を乗り出した。どうやら武家言葉を話しているようだ、と理解した。側に立っていた制服警官が英語で背広の男に話しかけると、短く「O.K.」と返した。


「オヌシ、ニワ、Terrorist ノ、ウタガイガ、アル。ショウジキニ、モウセ。オヌシワ、Neo Japanist Group カ?」


「ノー! 僕はテロリストではない!」


とんでもない疑いをかけられてしまった。こんなことを認めては、どんな酷い目に遭うかわからない。たとえ仮想空間でも、痛いものは痛い。


「デワ、コノ Photograph オ、ミロ。コレワ、ダレカ?」


白人男が制服警官から受け取った写真を僕の前に差し出す。


「!」


これは…監視カメラからキャプチャーしたような、不鮮明なモノクロ写真だが、その顔には見覚えがあった。そこに写っている少女は、恋子さんによく似ていた。


「し…知らない…」


「サヨウカ。デ、アルナラバ、アシデ、フンデミセヨ」


そう言って男は、ゆっくりと写真を僕の足元に置いた。踏み絵をせよ、ということか。


「…嫌だ。誰かは知らないが、人の顔は踏めない」


「…Princess アリス、オ、シラナイ、ニッポンジンワ、イナイ。ヘタナ、ウソ、ツクナラバ、ミョウジツヨリ、ゴウモン、カクゴセヨ。サクネン、Governorガ、ウタレテ、ワレラモ、キガタッテイル」


男は制服警官に合図し、僕は後ろ手に縛られたまま立たされた。今すぐ拷問されるわけではなさそうだ。取調室の出口に向かされる。歴史シミュレーターに入って、そろそろ三時間。


「ま、待って下さい! 僕は旅行者です。教えて下さい。日本は…、日本は滅びたのですか?」


背広の白人男は僕に背を向けたまま言った。


「…マダ、ダ」


   *


そのまま僕は独房に押し込められ、とっぷり日が暮れてしまった。おかしい。3時間経てば強制的に現実空間に戻されるはずなのに、仮想空間のまま時間が過ぎてゆく。明日には拷問を受けることになるのかと思うと、横になっても眠れない。


僕が送り込まれたこのVR空間は、本当に日本なのだろうか? 最初の公園には「Hakata」と書かれていたが、少なくともこの街は白人が支配しているようだ。しかも警官の様子を見る限り、多くの白人は日本語を話せない。しかも僕のことをテロリストと疑っていた。英語が話せなければ、テロリスト扱いされるのか。武家言葉を白人に教える「ニュージャパン」とはどこのことなのか。すべてが現実離れし過ぎて、考えても、考えても、訳がわからない。井伊直弼の暗殺を阻止しただけで、こうも歴史が変わってしまうものなのか。


ぐるぐると堂々巡りしながら考えていると、突然「ドーン!」と爆発音が聞こえると同時に、建物がぐらりと揺れた。白人警官たちが何やら叫びながら廊下を走っていく。立て続けに「ドーン!」「ドーン!」と響く。近い。悲鳴が聞こえ、煙と、何かが焦げたような匂いまで漂ってきた。


その時だ。小さな声が聴こえた気がした。思わず周囲を見渡すが、誰もいない。囁くような声だ。耳を澄ますが、外の喧騒あってよく聴き取れない。


『…あなたは…がい…』


外からではない。何と声は、僕の頭の中から聞こえている。だんだん声が明瞭になる。


『…外部要因…だから…自力で、そこを出なさい』


若い女性の声だ。美月さんの顔が目に浮かぶ。歴史シミュレーターの装置を通じて、話しかけているのだろうか。僕は立ち上がり、独房の鉄格子に歩み寄る。さっきよりも煙が濃くなっている。


『…あなたは、そこでは何でもできる…から…壁を、壊して…』


その時だ。靴音を高く響かせて、僕の独房に走り寄る影が見えた。先ほど僕を取り調べた、背広の白人である。ハンカチで口を押さえ、息を切らしている。彼がもう一方の手にしているものをよく見ると、拳銃である。


「Terrorist ダ。オマエオ、トリモドスタメニ、キタノカモ、シレヌ。コノバデ、ショケイ、スル」


白人男はそれだけを言うと、僕に銃口を向けた。冷たい殺意。生まれて初めて感じる恐怖。スローモーションのように、男がゆっくりと引き金を引く。銃声までもが、遅く聞こえた。


「あれ?」


気のせいではない。銃弾が煙とともに、まっすぐに僕の方に向かって来るのが見える。白人男は拳銃を構えたまま、しかめ面で固まっている。僕は自分の手を見た。普通に動ける。僕の胸先十五センチに迫った銃弾から身を逸らし、鉄格子に手を掛ける。白人男は反応しない。時間の流れが、僕だけ変わってしまったのか。すると鉄格子が、グニャリ、とゴムのような感触であることに気づく。見た目と違って柔らかい。両手で広げると、容易にすり抜けられるだけの隙間が空いた。僕は慎重に、廊下へ出た。


「パーン!」


まともに銃声が響き、白人男の方を振り向くと、目を見開いて僕を見ている。お互いに何が起こったのかわからず、一瞬固まる。しかしまた拳銃を僕に向けた。僕は彼に背を向けて一目散に駆け出した。数発の銃声が響くが、ただ夢中で走った。


廊下の突き当たりにあったドアを開くと、そこは非常階段の踊り場だった。独房にいるときはわからなかったが、高い。眼下にまばゆいばかりの夜景が広がっている。そのとき、再び後方で爆発音が響き、ビル全体が大きく揺れたと思うと、僕の身体は手すりにぶつかり、空中に投げ出された。


落ちる! その時、


『飛んで!』


と言う声がはっきりと聴こえた。


しかし僕は恐怖のあまり目を瞑って、身を固めることしかできない。ものすごい風が全身にあたる。


…ところが、何秒経っても地面に激突しないことに気づいた。相変わらず強い風を全身に受けている。恐る恐る目を開くと、僕の肉体は夜空を水平に滑空していた。大都会の夜景が、きらきらと美しい。


ただでさえ現実感のない光景に、眼前に迫る人影が追い打ちをかけた。僕が飛翔する直線方向、地上から数百メートルの空中に、白いワンピースをはためかせた女性が待ち構えていたのだ。


   *


「美月さん、これは一体、どうなっているんでしょう?」


僕は空中で美月さんに抱きとめられ、やっと着地することができた。今でも心臓が口から飛び出しそうだ。おしっこを漏らさなかっただけでも褒めて欲しい。


「もともとゲーム用に開発されたモジュールを使ってるからね。仮想空間では、空だって飛べるし、手から波動を出して敵を倒すことだってできるのよ。もっとも、この歴史シミュレーターは公務だから、緊急避難のときしかコマンド使っちゃダメなんだけど」


なんだ、そういうことか。


「ごめんなさいね。3時間経っても戻れないから驚いたでしょう? どうやらシステムが外国からハッキングを受けたみたいで、復旧までもう少しかかりそうなの。私がボディガードをするから、もうしばらくこの世界にいましょう。予定より早くデートが実現したと思って」


「正直、今までで一番怖かったですよ。警官に殴られるし、ビルは爆破されるし…。デートならもう少しマシな所に行きたいですね」


「お詫びといっては何だけど、ちょっと面白い場所があるの。行きましょう」


美月さんに連れられて、僕らは街に出た。大通りは警察車両や消防車、救急車などが聞きなれないサイレンを響かせて大量に走っている。また白人警官に見つかるのではないかと怯えながら歩かねばならなかった。しかし女性の美月さんがあまりに堂々としているので、表に出すわけにもいかない。


「この博多シティはね、イギリスの租借地なの。ここでは日本人は最下層民で、ほとんど奴隷扱いよ」


「あ、それで、通行人も警官もみんな白人だったんですね」


「うん。でも経済的には繁栄しているから、まだマシなほうかも。北海道はロシア領だし、本州の大半はアメリカに併合されてニュージャパン州になってるの」


「そういえば、白人警官が留学したって…。でも、日本は滅んだわけではないんでしょう?」


「九州の、この博多シティより外側は、かろうじて独立を保ってる。政府は高千穂にあるわ」


「明治維新が起きずに、幕府は近代化に失敗したということですか」


「そうね。着いたわよ」


街の一等地とおぼしき場所に、白塗りの堂々たるビルが建っていた。30階くらいはありそうだ。表玄関から入ると、ホテルのロビーのようになっている。美月さんは迷わずエレベーターのボタンを押す。そのまま、地下階へ下降した。エレベーターを出ると、そこは、ちょっとした日本庭園になっていた。白い玉砂利が敷き詰められ、岩も置かれている。僕らは飛び石を踏みながら、さらに奥の扉へ向かった。その扉の外枠は、壁に朱色の鳥居が埋め込まれたようになっている。


「エイ! エイ!」


扉を開けると、剣道の道着をまとった数十名の男性が掛け声に合わせて木刀を振っている。


「…ここは、剣道場ですか?」


「ただの道場ではないわ。あの奥を見て」


美月さんが指差す方を見ると、そこには金箔塗りの祠が鎮座していた。そして、木刀で素振りをしている集団の他にも、和服をまとった男女がそれぞれに集まって、車座になっている。書物を広げて音読する集団、雅楽を練習する集団、座禅を組んで瞑想する集団など、実に様々だ。しかもよく見ると、彼らのほとんどが白人である。


「こんにちは。遊学者の方ですか?」


日本人か、と思って振り向くと、そこに建っていたのは剃髪し袈裟をまとった白人男性だった。手には数珠まで持っている。


「はい、今日、日向から参りました。彼が初めてなので、見学させてくださる?」


「もちろん、大歓迎です。近頃は入境検査が厳しくなったそうで、日向からのご遊学者もめっきり減ってしまいました。皆、喜びますよ」


この白人僧侶、完全な日本語を話している。警察署で僕を撃とうとした白人とは大違いだ。


「実は彼は、ここのことを全く知らないのです。良かったら少し説明していただけませんか?」


「おお、そうですか。私も日本語の練習になりますので、喜んで。もし発音や文法がおかしければ、是非ご指導ください」


僕の目を見て話しかけられたので、とりあえず頷いた。


「わが祖国、大英帝国の植民地政策により、博多シティの神社仏閣はことごとく破却されました。悪魔信仰とみなされたからです。しかし1945年、軍務で博多シティを訪問されたジョージ六世陛下は、当地における日本文化の破壊を深く憂慮せられ、日本博物館の新設をお許しになられました。そして街中から仏像や御神体が掘り出され、日本人から奪った掛け軸や漆器、槍や刀がここへ集められたのです。上の階には、それらが研究用に保存されていますが、現在では特別な許可がなければ閲覧できません」


「皆さんは、ここで何をされているのですか?」


「私たちは、日本人になるためにここで学んでいます」


「日本人に? なぜですか?」


「このままでは、日本民族が滅びるからです」


(続く)

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