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恋闕のシンギュラリティ  作者: 本山貴春
6/12

父の名は

会った事のない父親のことが気になって、博物館の展示を解説してくれる古賀主事の話はろくに頭に入らなかった。なんとなく理解できたことは、この時間軸では日米戦争は日本優勢のまま短期間で講和に持ち込み、いちおう日本が戦勝国として戦後世界に残ったということだ。しかし日本側が北アメリカ大陸を占領したわけでもなく、アメリカ合衆国は超大国として君臨している。


現実世界と最も異なるのは中国大陸だ。中華人民共和国は成立しておらず、満洲帝国、モンゴル連邦、東トルキスタン共和国、チベット法王国などが中華民国をぐるりと取り囲んで成立。朝鮮半島は特別自治区として独自の政府を持っており、こちらも事実上の独立を果たしている、らしい。


古い兵器やボロボロの軍旗、手紙やモノクロ写真などの展示を一通り見て回ったところで、思い切って古賀主事に父のことを聞くことにした。


「すみません、古賀さんは、父とはどういうご関係ですか?」


「はい、私などは直接お目にかかったことは数度しかございませんので、お父君は覚えておられないかもしれませんが、この博物館を建設した際に多額の寄付を賜りました。そういう意味で、お世話になっておる次第です」


「そうですか。父は、その、歴史研究などに興味があったのでしょうか?」


「何をおっしゃいます。当代の青桐宮様といえば、近代史研究者としても第一人者でいらっしゃることは誰でも存じ上げております」


青桐宮…? 何だろう。神社の神官か何かだろうか。そうこうするうちにVR空間での滞在限界である3時間を迎え、強制的に現実世界に引き戻された。


「ねえミッちゃん、青桐宮って何だかわかる?」


僕は一人でVR空間を三時間も旅した疲れがドッと出て、自宅に帰るなり倒れ込みつつ、猫型ロボットに調べものを頼んだ。日本が第二次世界大戦で敗戦国にならなかった歴史シミュレーションの世界では、僕も存在しており、僕のことを知っている人物がいた。さらには僕の父親のことも知られており、その人間が現実での僕の父親である可能性は高い。


「はい。青桐宮とは、昭和22年に臣籍降下した11宮家の一つで、南北朝時代の北朝第三代崇光天皇を遠祖とする旧皇族です。民間人としては青桐家と称しています」


「旧皇族…? ってどういうこと?」


「昭和20年に大日本帝国はアメリカ合衆国をはじめとする連合国に敗れ、日本列島には米軍が進駐しました。その際、日本政府の上に連合国軍最高司令官総司令部、通称GHQが設置され、昭和27年の講和条約締結までの6年半にわたり、様々な占領政策を実施しています。その中に皇室財産の凍結があり、財政的に皇族の規模を維持することが困難になったことから、伏見宮系の11宮家が臣籍降下を余儀なくされました。戦後の用語としては、皇籍離脱ともいいます。各宮家は民間人となり、それらの直系子孫を含めて、旧皇族と呼ばれています」


「なるほど。で、その人たちはいまどうしてるの?」


「個人情報に関わるため詳細は明らかではありませんが、皇統の安定的継承を巡って旧皇族の皇籍復帰問題が長年議論されてきました。しかし現在、男系子孫が残っているのは3家のみとなっております」


「その、青桐家はどうなってる?」


「青桐清晴氏が平成31年に74歳で亡くなり、子孫がいなかったため廃絶しました」


青桐清晴…。僕が強制的にコールド・スリープさせられた年に死去している。斯波管理官は、父が「血統を残すために」僕を冷凍保存し、しかもその直後に亡くなったと言っていた。この男こそ、僕の父親に違いない。


しかし、公開情報で子孫がいないということは、やはり僕は公的には息子として認知されていなかったということか。


「ミッちゃん、青桐清晴の奥さんに関する情報はある?」


「はい。青桐清晴氏の配偶者は美子さんで、旧姓は織田です。なお、織田家は旧華族です」


当然だが、僕の母親とは別人である。母からは父親については何も聞かされていなかった。ずっと、言えない事情があるのだと思ってきた。それがこんな形で真相を知らされるとは、なんということだろう。僕はひどく疲れているにも関わらず、もやもやとしたまま眠れない夜を過ごす羽目になった。


   *


「清明さん、昨日の疲れが取れてないみたいね。目にクマができていますよ」


翌日、僕はだるい身体を引きずるようにしてJCIA本部に「出勤」した。


「大丈夫です。今日は…斯波管理官は来られないですか?」


美月看護師に父親のことを聞くのは格好悪いような気がして、何となく憚られた。


「斯波さんは出張中です。この訓練が終わる頃には戻ってくるはずよ。この訓練はいちおう私が責任者だから、何か困ったことがあれば何でも言ってね」


「ありがとうございます。大丈夫です!」


隣には女子高生エージェントの恋子さんもいる。僕は精神的な疲労困憊を悟られないように、無理して元気よく声を出した。


「前回は恋子さんの足手まといになってしまいました。今日のミッションも、誰かの暗殺でしょうか?」


正直、もう危険な行為は懲り懲りなのだが、いちおう確認する。


「今日は前回とは逆で、要人の暗殺を阻止していただきます」


美月看護師が、可愛らしく微笑みながら怖いことを言う。


「暗殺阻止ですか。ちなみに、いったい誰でしょうか?」


「J1時間軸のシミュレーションは、徳川幕府が存続したまま近代化することでしたね。清明さんは、誰の暗殺を阻止すれば幕府が倒されなかったと思う?」


高校の日本史教師に授業で当てられた気分だ。幕末には多くの暗殺や処刑があったはず。教科書レベルの記憶を総動員して考える。


「そうですね…。大老の井伊直弼でしょうか」


「正解! さすが清明さんね。素晴らしい!」


大袈裟に美月看護師が褒めてくれる。ちょっと直球すぎる回答かと思ったが、ホッとした。


「でも確か…井伊大老は大勢の浪士に取り囲まれて路上で殺されたんじゃなかったでしょうか? 僕ら2人でどうやって守るんですか?」


「じゃあ次は恋子さん。どうしたら井伊直弼の暗殺を阻止できる?」


美月看護師が、今度は恋子さんを当てる。少し考えて、恋子さんが答える。


「私なら、事前に幕府側に情報を流します」


「素晴らしい! 正解」


なるほど、それなら僕ら(主に恋子さんだが)が、身体を張る必要はないだろう。そういうわけで僕らは、安政7年3月1日のVR空間に入った。桜田門外の変の、2日前である。


   *


「うわ、寒い!」


真冬にも関わらず裸足に草鞋の町人姿にされて、ガクガクと震えが止まらない。恋子さんも簡素な町娘の格好だが、平然としている。


「急ぎましょう」


年下の少女に促されて、僕らは汐留の龍野藩上屋敷に向かった。懐中には、井伊直弼の側近である、老中・脇坂安宅への書状がある。


「恋子さん、やっぱり僕が行かないとだめ?」


「この時代、武家屋敷に女が行っても相手にされないでしょう」


冷たいなあ、と内心ボヤきつつ、心の中で台詞を練習する。そうこうするうちに目的の武家屋敷に到着した。大きな門が固く閉ざされていて、門前には誰もいない。恐る恐る、正門の脇にある勝手口をノックする。


「そんなんじゃ、聞こえるわけないじゃない」


恋子さんが割り込んで、拳を握ってドンっドンっと戸を叩いた。


「ちょっと、怒られるよ」


小声で恋子さんを押しとどめてると、ギギっと音を立てて勝手口が開いた。


「何奴だ」


いかつい顔をしたサムライが、ヌッと顔を出す。


「あ、お忙しいところすみません」


慌てて、予定の台詞と違うことを言ってしまった。


「そ、それがし、かような風体をしておりますが、薩摩藩士の有村次左衛門と申しまする」


「薩摩の者が何用じゃ」


「実は、当藩の家老よりご老中様へ内密の書状を参上した次第にござる」


震える手で書状を差し出すと、サムライはその場で待つように言って屋敷に戻った。


「行きましょう」


恋子さんが僕の袖を引っ張る。


「え、でも、ここで待てって言われたよ」


「もう目的は達したわ」


僕らは小走りで龍野藩上屋敷前から立ち去った。


   *


「結論から言うと、失敗ね」


僕らがVRから戻ると、開口一番、美月さんが言い放った。


「ええ…! 僕の渡し方がまずかったのでしょうか」


「ううん。そうじゃないの。ちゃんと情報は老中に伝わって、老中から井伊家にも警告は行きました」


僕は混乱した。書状には、薩摩藩が水戸藩に送ったスパイの情報として、水戸藩士が大老井伊直弼の暗殺を計画している旨が詳細に書かれていた。


ショックを受けて僕が黙り込んでいると、恋子さんが質問した。


「もしかして、史実でも警告はあったんじゃないですか?」


「さすが恋子さんね。その通り。幕府には、事件の前に複数の具体的な情報が伝わっていました。今回はかなり精度の高い情報を提供したので、井伊家も警戒度を高めると思ったんだけど…」


警告しても本人が行動を変えないのであれば、暗殺を防ぐことはできない。幕府は、倒れるべくして倒れたということなのだろうか。


「そこで、もう少し時間を遡って、もう一度VRに入ってもらいます」


今度はどんな怖い目に合わされるのか、と心の中で身構える。


「そもそも、2人はなぜ井伊直弼が暗殺されたか知ってる?」


また日本史の授業だ。


「確か、安政の大獄という、幕末志士の弾圧を井伊直弼が行ったからではないでしょうか?」


「そうね。じゃあ、安政の大獄のきっかけは何かわかる?」


安政の大獄の原因…。吉田松陰や橋本左内など、有名な幕末の志士が多数処刑された事件だが、その前提として幕府が朝廷の反対を押し切って日米修好通商条約を結んだということがあったはずだ。しかし具体的なきっかけとなると、よくわからない。


「恋子さんはどう?」


「うーん。ひょっとして、孝明天皇の密勅ですか?」


「そう! いわゆる、戊午の密勅ね」


高校生に負けた…。打ちひしがれる僕を無視して、美月さんが解説を進める。


「安政5年6月、幕府は朝廷の反対を押し切って将軍の名でアメリカ合衆国と通商条約を結んだわよね。これが不平等条約だったために後の明治政府も苦労させられるんだけど、条約締結の2ヶ月後には朝廷が条約締結を叱責し、幕政改革を求める勅書を、水戸藩に対して下した。これが戊午の密勅というわけ」


「それがどうして、安政の大獄に繋がるんですか?」


バカにされるかも知れないが、聞くは一時の恥、だ。


「良い質問ね。そもそも、江戸時代において朝廷が政治に口を出すこと自体がほとんど無いことだったの。しかもそれを、幕府ではなくて水戸藩に下した。水戸藩から諸藩に回覧するよう指示した上でね。幕府の面目は丸潰れで、慌てて水戸藩に対して密勅を朝廷に返すように迫るの。そもそも、条約締結に勅許を得ると約束したのは幕府なんだけど。それで、密勅を引き出したのは尊皇攘夷派だったから、幕府も密勅の件を隠すに隠しきれなくて、体面を保つためにも攘夷派を大弾圧したというわけ」


美月さん、顔に似合わず、歴史に超詳しいな…。と失礼なことを考えていると、再び恋子さんが発言した。


「ひょっとして、その密勅をどうにかしろってことですか?」


「そうね。今度は、あなたたちに密勅が水戸藩へ渡るのを阻止してもらいたいと思います」


恋子さんが美月さんの顔を見つめる。なにやら気まずい雰囲気だ。


「勅書をどうしろって言うんです?」


「使者から盗んで、燃やしてください」


「そんな、仮にも天皇陛下の勅書を燃やすなんて、私にはできません!」


珍しく、と言うか、感情を露わにした恋子さんを初めて見て、僕はその場に凍りついた。高校生の女の子から出た発言としても、クールなエージェント然としたこれまでの様子からも、異様だった。


(続く)

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