表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋闕のシンギュラリティ  作者: 本山貴春
5/12

赤いスパイを暗殺せよ

夢の中で僕は未来の世界にいた。しかし目覚めると、そこは古い日本家屋だった。


「やっと起きたのね」


横になっている僕を覗き込むのは、夢の中の未来世界で出会った少女だった。確か高校生くらいだった筈だ。


「あ、恋子さん…」


彼女の名前が、ごく自然に口に出た。


「いい加減、意識をはっきりさせたら? これから重大な任務が待っているんですよ」


そうだった。僕は人間ドッグに使うような大きな機械に入れられ、歴史シミュレーターの仮想現実空間に送り込まれたのだ。


「すみません、イマイチ状況が掴めなくて」


とりあえず謝る。僕ははっきり言って、若い女性と話すのが苦手だ。だからなおさら、未知の世界へ知らない女性と同道することに不安がある。


やっとのことで身体を起こす。やはりまだ夢の中のようで、手足が思うように動かない。


「すぐに慣れますよ。頭でしっかりイメージして、指先を動かしてみて」


手のひらをゆっくりと開き、そして閉じる。一応動いているが、自分の身体が自分のものではないような、奇妙な感覚が消えない。腕の皮膚をつまんでみる。痛い。痛覚はあるようだ。


「時間がない。早く立って。のんびりしていると命が危うい場面に出遭うかも」


「え、でも…斯波さんは、危険はないと言っていませんでしたっけ?」


「VRだから肉体的な損傷は受けないけど、脳は動いているからショック死する可能性はゼロではないんです」


少女に、憐れむような声色で警告される。よく観察すると、僕も彼女も服装が変わっていた。僕は学生服のような黒の詰襟、彼女は紺地に黒いストライプの入った地味なセーラー服姿だ。これもAIが自動的に設定しているのだろうか。


ようやく立ち上がり、恋子さんに支えられながら玄関へ向かい、土間に揃えられていた革靴を履く。長年履き慣れたかのように、足に馴染む。


   *


「私たちは共産主義秘密組織の構成員という設定になっています。今から、組織の会合に行って、そのリーダーを暗殺しなければなりません」


日本版CIAもやはり、暗殺を生業としているのか。しかしここはVR空間のはずだ。本当の殺人ではない。


木製の電柱と低い塀が並ぶ住宅街の小道を、二人で小走りに移動する。ほとんど陽は沈みかけ、VR世界は黄昏時を迎えている。家々は瓦葺きの木造平屋ばかりだ。


そのうち街中に入り、赤煉瓦づくりで三階建ての建物に到着する。恋子さんは迷うことなく1階ロビー奥へ進み、小さな鉄製のドアをコン、コン、コン、コンと四回ノックする。


しばらく待つと、内側からゆっくりドアが開いた。作業帽を深くかぶった男が顔を出し、「今日の天気は?」と問う。


「皐月晴れ、黄昏時には嵐がくる」と、恋子さんが淀みなく応える。


「よし、入れ」


僕たちは男に誘われ、薄暗くカビ臭い部屋に通される。入り口は短い階段になっており、部屋自体が半地下にあるようだ。


部屋の奥にはさらにドアがあり、そこを通ると五人の男たちがテーブルを囲んで立っていた。どんな凶暴な連中がいるのかと恐れていたが、意外に穏やかな雰囲気である。


「君たちが九州の細胞か」


年嵩の男が僕に顔を向けて訊く。何と応えて良いかわからず恋子さんの顔を見ると、小さくうなずいている。


「は、はい…」


止むを得ず、僕が応える。吃り、声が震えるのを抑えることができない。これがVRとわかっていても、緊張してしまう。


「私がエムだ。君たちの任務を伝える」


男が名乗った瞬間、恋子さんが構えた。そして耳のそばで火薬の弾ける音がしたと思うと、男たちが次々に倒れた。僕は何が起こったか理解できず、その場に固まる。薄暗い部屋に硝煙が立ち込める。恋子さんの小さな手には拳銃が握られていた。


「終わった。行きましょう」


僕たちは走って赤煉瓦の建物を飛び出した。途中で振り返る。誰も追ってくるものはいない。来るときは気づかなかったが、その建物には「朝日新聞」という看板がかかっていた。


   *


「今日はお疲れでしょう。時間軸F3の西暦2019年には、明日入ってもらいましょうね」


気がつくと、白い部屋のベッドに横になっていた。側に私服姿の美月看護師。何だか懐かしい気がする。


「…すみません、いまは一体いつの時代なんでしょうか」


「歴史シミュレーターに入ると皆さん最初は混乱するんですよね。安心してください。いまは令和27年、ここは中央情報局本部です」


「どうして美月さんがCIAにいるんですか?」


「ごめんなさい。言っていませんでした。私もJCIAの構成員なの。M2の戦国時代には、私も警護役として同行させていただきます」


この美人看護師も、先ほどの恋子さんみたいに暗殺をやってのけるのだろうか。この時代の女性は強くなったものだ。


「何だか、あれがVR空間だったと言われても、いまだに実感できないです。自分をつねったら痛みもあったし。一体どういう仕組みなんでしょうか?」

「このVRは世界最先端の技術でできていて、脳にダイレクトに情報を送っているそうです。でも私も詳しいことは知らないの。まあ、使い方だけわかれば大丈夫よ」


「でも、恋子さんってすごいですね。あんなに若いのに目にも止まらぬ速さで任務を達成してしまいました。僕なんか震えて動けませんでしたよ」


「清明くんは初めてだもの。仕方ないわよ。それにあの子は特別な訓練を受けていますから」


「でももうちょっと、昭和の街をちゃんと見てみたかったです。あまりに仕事が早くて」


「そのうち市販の歴史VRが売り出されると思いますよ。そのときは一緒に歴史観光デートしましょうね」


美月看護師がそう言ってにっこり微笑む。僕はドギマギして何と答えて良いかわからず、口をパクパクとさせたのであった。


   *


翌日、僕は再び歴史シミュレーターに入った。


美月さんの解説によると、時間軸F3の昭和12年に共産主義グループの国内指導者を複数人暗殺したことで第二次世界大戦の流れが変わっており、その結果できた「昭和20年に大日本帝国が敗戦しなかった仮想世界」を確認するのだそうだ。それも、僕がコールドスリープに入る前に生きていた西暦2019年のVR空間である。


「平成の日本に戻れるなんて嬉しいです。今度はもう少し長い時間居られますかね?」


「そうね。今回は恋子さんも同行しないし、設定も清明さん自身になっているから。それでもせいぜい3時間くらいにしておかないと、精神に不調をきたす恐れがあるの。ちなみに、平成じゃなくて修文25年ね」


え…修文? 聞いたことのない元号だ。そんなことを考えているうちに意識が遠のいた。


気がつくと、僕は住み慣れた一人暮らしの自分の部屋にいた。


ここが令和27年なのか、平成31年なのか、咄嗟にわからない。ベッドのそばに、スマートフォンのような端末が転がっている。その画面を覗くと、「修文二十五年五月五日 午前十一時二十九分」と縦書きで表示されている。スマートフォンにしては細長くて薄く、異常に軽い。モニター以外の部分は漆塗りになってるようだ。


外に出てみようと思い、クローゼットの服を物色する。色は僕の好みのものばかりだが、形が少し違う。歴史が変わって、流行も違ってしまったのだろうか。


街を歩く。アパートの周辺はかつて住んでいた現実世界とさほど差はないように見えたが、天神の繁華街に出ると印象が一変した。まず、ビルの高さが全然違う。街頭に設置されている電子看板で何度も地図を確認したのだが、確かにここは福岡市の中心部、天神である。


「でかい…」


何度か行った東京や大阪の都心部にも負けない、高層ビル群を見上げる。未来の福岡でも、これほど発展していなかった。


街を行き交う人々も多い。天神地区を南北に縦断する渡辺通りは、本来の3倍くらいに拡幅されている。自動車の交通量も多いが、渋滞はしていない。


そして目につくのが、「來る福岡五輪 修文拾参年」という看板や旗だった。東京ではなく福岡が、2020年のオリンピックを招致したということなのだろうか。


そのままふらふらと天神北の方へ歩く。すると一際大きなビルの2階部分が口を開け、高架のレールに接続している。見ていると、モノレールが運行していた。海の方に繋がっているようだ。


僕はモノレールの駅に向かった。改札口は、持ってきた縦長のスマートフォンをかざすことで通過できた。「残金 九萬二千四十圓」と表示される。


「糸島行き」と表示された2番ホームから列車に乗り込む。乗客は外国人観光客が多い。中国語や、東南アジア系のよくわからない言語が飛び交っている。白人や黒人もちらほらいる。列車は音もなく滑り出す。すぐに右手に博多湾が見え始める。そのとき、僕は驚愕した。


何と博多湾に、巨大な空母が停泊しているではないか。


大型フェリーはともかく、博多湾に軍艦がいるのを見るのは初めてだった。しかも艦橋には旭日旗が翻っている。甲板には日の丸が表示された戦闘機が数十機整列している。白い軍服の兵士達がキビキビと動いていて眩しい。


外国人観光客達も「オオー」と声を挙げ、パシャパシャ写真を撮っていた。


平成時代、自衛隊は空母を保有していなかった。ヘリ空母を持つとか持たないとかで議論になっていた気はするが、兵器マニアではないので詳しくは知らない。しかし空母保有は、「侵略戦争に使える」というような理由で、「憲法違反の疑いがある」と憲法学の教授が言っていたはずだ。


   *


モノレール「西公園駅」で途中下車する。改札を出てガラス張りの回廊を動く歩道で進むと、懐かしい西公園に着いた。子供の頃、母親と花見に来た思い出の場所だ。


西公園は小高い山になっており、山頂付近を散策していると大きな銅像が立っていた。碑文によると、「加藤司書公」の銅像だという。こんな銅像も初めて見た。加藤司書は幕末の福岡藩家老で、維新の志士だったらしい。郷土にこんな偉人がいたことも知らなかった。日本が戦争に敗れなかったことで、歴史の評価も変わったということか。


公園内は、観光客に混じって先ほど空母の甲板にいたのと同じような白い軍服の軍人達が何人も見かけられた。そして一般の人々は、軍人を見ると軽く会釈をしている。この世界では、軍人が尊敬されているらしい。


「この日本は軍国主義なのだろうか…」という考えもよぎったが、人々は軍人を怖れているというよりも、親しみをもって接しているようにも見受けられる。


西公園をふもとの方に下っていくと、これまた見慣れないビルが立っていた。看板には「玄洋社記念博物館」と表示されている。この時間軸で何が起こったのか知るヒントになるかも知れないと考え、立ち寄ることにする。


展示室は特別展示と無料の常設展示があり、常設展示は3つの展示室に分かれている。「幕末・維新展示室」「満州・支那展示室」そして「大東亜戦争展示室」である。僕は「大東亜戦争展示室」に入ることにした。


その入り口で、スーツ姿の男性に声をかけられた。


「恐れ入りますが、清明様でいらっしゃいますか?」


「あ…はい、そうですが」


「お父君には大層お世話になっております。ここの主事をしております、古賀と申します。本日は、ご見学ですか?」


「はい。ええっと…、日本の近現代史を改めて勉強したいと思いまして」


「そうですか! 素晴らしいお心がけです。私がご案内いたしましょう」


というわけで、古賀と名乗る男性からガイドをしてもらうことになった。なぜか僕のことを知っているようなので、ボロを出さないようにせねば。しかし僕の父とは、いったい何者なのだろうか。


「ご存じの通り、大東亜戦争は硫黄島基地への米国の卑怯な騙し討ちから開戦となりました。その際、基地を守るために玉砕第1号となったのが海軍飛行隊の古賀洋一少尉で、不肖私の縁戚にあたるご英霊です。福岡出身ということで、こちらに戦闘機の残骸が展示されております」


米国の騙し討ち? 史実では、大東亜戦争は日本がハワイの真珠湾を先制攻撃して勃発したはずだ。恋子さんが昭和12年に共産主義者のスパイを暗殺したことで、開戦まで逆になってしまったのか。


(続く)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ