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恋闕のシンギュラリティ  作者: 本山貴春
2/12

21世紀の浦島太郎

退院してすぐ、僕は政府の役人である斯波が用意してくれたというアパートに移った。かつて僕が一人暮らししていた建物はすでに取り壊されたらしいのだが、新しいアパートには僕の部屋が寸分違わず再現されていた。


「同じ間取りの部屋を探すのに苦労したんですよ。さすがに外観や、窓から見える景色は違いますけどご容赦ください。飯倉さんの私物も、ほとんどそのままになっています」


斯波はそれだけ言って帰ってしまった。部屋には、大学に入学したときにリサイクルショップで揃えた家電製品に、傷だらけの家具と、妙に黄ばんでしまった本が並んでいる。僕の意識では、ついこのあいだまで住んでいた空間そのもので、懐しいという感情はない。


一つ違うのは、かたわらにいる『猫』である。


「ねえ、Tama・・・4.0だっけ?」


「Tama4.0は私のOSを指す呼称です。個体名ではありません」


澄ました顔で猫が言う。


「じゃあ、なんて呼んだらいい?」


「イイクラ・キヨアキさまが私のオーナーですので、お好きなように命名をお願いします。それから、私の声質や、身体の模様などもお好きなようにカスタマイズしていただくことが可能です」


「きみ、声は女性みたいだけど、オスなの?メスなの?」


「私には性別はありません。男性の声に変更しますか?」


「いや、いいよ。メスってことにしよう。名前は、そうだな・・・ミツキにしよう」


僕は昨日まで面倒をみてくれていた、女性看護師の名前を拝借することにした。


   *


「あれ? 美月さんじゃないですか!」


夕飯の買い出しにコンビニに行こうとして部屋を出たところで、くだんの女性看護師に出くわした。


「飯倉さん、こんばんは。お隣さんどうし、よろしくお願いしますね」


こんな偶然あるのだろうか。なんだかモヤモヤしつつも、嬉しくて舞い上がってしまうのを感じた。マスクを取った美月看護師はかなりの美人だからだ。


「おでかけですか? まだ街に慣れていないでしょうから、猫ちゃんと一緒に行かれた方が良いですよ」


しまった。猫型ロボットに隣人の名前をつけたということか。


「はあ、そういえば、ついて行くと言ってましたが、コンビニに行くだけなので留守番させています」


「そうですか。私もコンビニに行こうとしたところですので、ご一緒しますよ」


そういうわけで、幸運なことに美人看護師さんと連れ立って徒歩5分ほどのコンビニに向かったのだった。

   *


コンビニの外観は以前と変わりなかった。しかし一歩店内に入ると、強烈な違和感を感じた。レジがなく、店員もいない。


「あの・・・これって、どうやって買うんですかね?」


「出入り口の横にあるカウンターが精算スキャナーになっています」


「でも、お金を入れるところが見当たらないですが…」


「AIデバイスか、ウエラブルデバイスをかざせば精算できますよ。登録していれば、網膜スキャンでもいけます。今日は私が立て替えておきますので、次回からは猫ちゃんを連れてきて下さいね」


「え、あのロボットが支払うんですか?」


「はい、最低限生活に必要なお金は毎月クラウド上の口座に振り込まれます。使いすぎるとご飯が食べられなくなりますので無駄遣いしちゃダメですよ」


僕は頭が混乱した。いったいどうなっているのだ。


「飯倉さんがスリープに入ったころも、スマートフォンで支払いされていませんでした?」


確かに、平成30年ごろにはスマホで支払っている人は増えていた。しかし現金をチャージするのが面倒だったし、クレジットカードも持っていなかったので、僕はほとんど現金払いだったのだ。


「そういえば、スマホは返してもらってないですね」


あまり連絡をとる相手もいなかったので、すっかり忘れていた。


「飯倉さんのスマートフォンは、データとして猫ちゃんにコピーされています。もう名前はつけてあげました?」


   *


自宅に戻り、美月看護師に立て替えてもらった幕内弁当とミネラルウォーターで夕飯を済ませた。本当はカレーライスとビールを買いたかったのだが、健康に良くないという看護師らしいアドバイスで強制的に換えられてしまったのだ。


「おい、ミツキ。やっぱり呼び名変えてもいい?」


「はい。しかし、私はこの名前を気に入っています。どうしてもということであれば、ニックネームでミッちゃんとお呼びください」


ロボットのくせに、気に入るとか気に入らないとかあるのだろうか。まあ良い。


「そういえば、僕の口座残高ってどうやって確認するのかな?」


この未来社会でも生活に先立つものは、お金だ。


「はい、確認します。飯倉さんの口座残高は、2,600,000コインです」


「ん? コイン?」


「現在の日本国における通貨単位です。平成31年における1円が、およそ五コインになっています。飯倉さんがスリープ処置された時点の銀行口座残高が12万円でしたので、60万コイン。加えて、先月と今月に振り込まれた国民基礎生活給付コインが合わせて200万コイン。合計で260万コインです」


「通貨単位も変わっちゃったってこと? ややこしいなあ・・・。で、国民基礎なんとか給付ってなに?」


「国民基礎生活給付制度とは、すべての国民に自治体から毎月、最低限生活に必要なお金が振り込まれる制度です。ベーシック・インカムとも呼ばれています」


そういえば、大学の講義でそんな政策について聞いたことがある。


「たったいま、ヤシマ・ミツキさんから2,500コインの請求がありました。承認してよろしいですか?」


ヤシマ・・・。あ、美月看護師か。美月というのは下の名前だったのか。


「う、うん。いいよ」


「承知しました。送金完了です」


「え、もう終わったの? 早いな」


「この方、私と同じ名前ですね。素敵なお名前です」


   *


翌日、かつて(といっても僕の感覚ではつい最近なのだが)通っていた大学と、勤めていたバイト先を確認するために外出することにした。街がどのように変貌しているのも気になる。当時使っていた自転車は錆びついてしまって廃棄されたらしいので、地下鉄で移動することにした。


かつて通学に使っていた市営地下鉄と同じ路線の六本松駅。車道わきにある出入り口からエスカレーターで地下に降るまでは同じだったのだが、自動改札機がない。


「ミッちゃん、改札がないよ。どうしよう」


小さな身体を器用にちょこまかと動かしながら僕の足元をついてくる猫に、腰をかがめて問いかける。変な人と思われないか、少し恥ずかしい。


「このあたりを通過する時に私がスキャンされますので大丈夫です。福岡都市大前駅まで、片道750コインです」


他の乗客を観察すると、ペット(おそらくロボットなのだろうが、本物の犬や猫と見分けがつかない)を連れているのは高齢者が多い。


「あのさ、何も連れてない人はどうなってるの?」


「ウエラブルデバイスでスキャンされています」


「あの看護師さんも、そんなこと言ってたな。ウエラ・・・何とかってなに?」


「ウエラブルデバイスとは、身に着けるスマート端末の総称です。西暦2024年頃から急速に普及し、それまでのスマートフォンに取って替わりました。現在ではメガネ型、指輪型、衣服型の他に、生体埋め込み型もあります」


「それって、通話もできるの?」


「もちろんです。しかし中には電子機器を身に着けるのを好まない方もおられます。そういう方は、私たちのようなペット型AIデバイスを利用されます」


平成では、電車やバスに乗るとみんながスマホの画面を見つめていたものだが、いま見ると確かに誰もスマホをいじっていない。そうこうするうちに目的の駅に着き、大学に向かった。


   *


無い。


ついこないだ(といっても約30年前らしいのだが)まで通っていたはずの大学は駅前の正門を含めて消失し、高層ビル群に変貌していた。およそ2万人の学生在籍数を誇り、理系も文系もあり、大学病院も備えていたマンモス校が消えて、オフィス街になっている。


茫然と突っ立っている僕を振り返り、猫型ロボットのミッちゃんが声を発した。


「清明さん、目的地はここから徒歩9分のところにあります」


「え、そうなの? 正門が移動したのかな」


「福岡都市大学の敷地は大幅に縮小され、大半は東京から移転してきた企業に売却されました」


斯波が、大規模な教育施設は維持できないと言っていたが、私立大学も例外ではなかったということか。


しばらく歩くと、見覚えのある建物が現れた。僕が通っていた頃に新築された工学部棟だが、もう外壁が薄汚れている。


受付で事務員に声をかけた。


「すみません。平成31年まで法学部に在学していた者なのですが、いまどうなってますでしょうか?」


「はい。お名前と、学籍番号または生年月日をお願いします」


「飯倉清明、学籍番号はJJ171760です」

「イイクラ・キヨアキさん、法学部法律学科所属で、無期限休学扱いになっています」


この美女事務員、若干イントネーションがおかしい。病院で僕を問診した医師AIに似ている。よく見ると、目つきも変だ。まさか・・・


「今日は、どのようなお手続きをご希望ですか?」


「あ、はい。大学がどう変わったのか見たかったのと、復学が可能か教えていただければと」


「申し訳ありませんが、当大学内部は機密保持の観点から、関係者しか立ち入りできません。復学につきましては、全国共同大学センターシステムからお申し込みください」


「え・・・ここには通えないってことですか?」


「はい、当大学の学部制度は令和11年に廃止されました」


このとき初めて、元号が平成から令和に変わっていたことを知った。いまは令和27年、らしい。


   *


少し覚悟はしていたが、実際に目の当たりにするとショックだった。帰るべき場所が無い。これからの人生、どうしたら良いのだ。


しかし気を取り直して、先ほど気になったことをミッちゃんにぶつけてみる。


「ねえ、さっきの事務員って、もしかしてロボット?」


「はい。令和20年製の初期型です」


あれで初期型か・・・。ほとんど人間と見分けがつかなかった。


「もしかして、街を歩いている人の中にもロボットがいるのかな?」


「ヒト型AIデバイスはまだ高価で生産数も限られていますし、人間のように無駄に歩き回る事はありませんので、滅多にいません。福岡都市大学ではヒト型ロボットの研究開発もしていますので、宣伝を兼ねて受付に設置しているとのことです」


まるで漫画の世界だ。本当にヒト型ロボットができていたのか。自動車もスケートボードも空を飛んでいないので、あまり変わっていないような気がしていたが、確実にここは未来なのだ。僕は、21世紀の浦島太郎になってしまった。


   *


「次の目的地は、清明さんの旧勤務先であるホテル・シーイーグルでよろしいですか?」


色々と衝撃がありすぎて茫然自失となりながら歩いていると、ミッちゃんが声をかけてきた。


「ああ、うん。そうだね。どうやって行こうかな。地下鉄だと乗り換えが面倒だったけど・・・」


「現在では環状運転になっていますので直通で最寄駅まで行けますが、駅からホテルまで徒歩20分ほどかかります。タクシーですと25分で着きますので、タクシーをお勧めします」


「え、タクシー? お金が勿体無いよ」


「福岡都市圏内でのタクシー移動は一律750コインですので、地下鉄と変りません」


「そうなの? じゃあタクシーにしようか」


「かしこまりました。この場でお待ちください」


ミッちゃんが言ったかと思うと、タクシーの表示をつけた黄色い自動車が路肩に寄って停車し、スライドドアが開いた。


「イイクラさま、お待たせしました。どうぞご乗車ください」


車内に乗り込むと、白いシートが迎え合わせに並んでいる。見渡すと、運転席がなく、運転手もいない。ギョッとして凍りついた。


(続く)

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