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恋闕のシンギュラリティ  作者: 本山貴春
10/12

信長クラッカー

漠然と抱いていた寺院のイメージと、実際のそれはあまりにかけ離れていた。実際とはいっても、あくまで仮想現実空間の本能寺である。広大な敷地には高い石垣と深い堀が巡らされ、完全武装した兵士たちが警護している。


僕と恋子さんは、最後の歴史シミュレーションに入った。今回は美月さんも同行する予定だったが、「もう大丈夫でしょう」と、半ば突き放されてしまったのだ。


「まるで要塞ね」


恋子さんが口にした台詞は、僕の感想と同じだった。


「恋子さんは、怖くないの?」


僕は正直怖い。伝統的権威を歯牙にもかけず、気に入らない部下は即座に切り捨てる。それが歴史ドラマから得た、織田信長のイメージだ。そして、部下の積年の恨みを買った信長は謀反により自害させられた、というのが通説だ。


「怖くないわ。清明さんが一緒だもの」


恋子さんは、今回も公卿の娘という設定である。本能寺での茶会に招かれた父親に帯同し、信長に面会するのだ。僕はといえば、その父・前関白近衛前久になり替わっている。


「この身にかえて、姫様をお守り致します」


おどけるようにして言ったが、恋子さんはクスリともせず、小さく頷いただけだった。


僕ら親子は、本能寺の境内に新築された信長専用の居館に通され、客間で信長の入室を待たされていた。三十分ほど経った頃だろうか。廊下からドタドタとせわしい足音が聴こえたと思うと、その人が現れた。


   *


「前久殿、大義にござる。そちらが、姫君か」


「はい、前子さきこと申しまする」


信長は位階こそ近衛前久より格下だが、年齢が近いこともあって親しげに語りかけてきた。信長は独特の公卿言葉を嫌うらしく、そのおかげで難解な台詞回しを覚えずに済んだ。


僕は、第六天魔王とも恐れられたその人の顔をしげしげと見つめた。予想に反して西洋風の装飾はなく、いたって簡素な和服姿であり、何よりその表情は柔和であった。


「前子殿、いくつになられる」


「七つにおじゃりまする」


恋子さんが堂々と応えると、信長は一瞬虚を衝かれたような表情になった。


「信長殿、この場にお人払いを願いしましたるは、他でもない、この前子の言をお聞き願いたきがゆえにござりまする」


「ほう。姫君がこの信長に何をお聞かせくださるか」


「前子は、夢占の才がござります。仔細は省きますが、実は麻呂も幾たびか、娘の夢占に助けられました」


信長はやにわに立ち上がると、恋子さんの目の前までやってきて、どかっと腰を下ろした。僕は信長が立った瞬間小太刀に添えた手を、離した。信長は恋子さんの目の前に顔を突き出した。


「ふむ。では申されよ」


恋子さんは深々と一礼し、朗々と述べた。


「前右大臣平朝臣信長公は、明朝、この本能寺において、織田家第一の部将、惟任光秀殿の軍に討たれるとの霊告におじゃりまする。神霊の導きに従い、艱難を避けられよ!」


台詞はあらかじめ打ち合わせた通りだが、あまりに直球すぎたか。信長はやや背筋を立てて黙り込み、やがてゆっくりとうな垂れた。


その間、数分間に感じたが、実際には数秒だったかもしれない。僕らは信長の反応を、固唾を呑んで見つめていた。


すると信長の方が小刻みに揺れ始めた。


「クククク…」


「の…信長殿、これは娘子の申すことではありますが…」


「ははははは!」


信長はゆっくりと立ち上がり、天井を見上げるようにして哄笑し始めた。僕らは呆気にとられて、笑い止むのを待った。


笑い止んだと思うと、信長の形相は一変していた。唇の片端が皮肉気に釣り上がり、カッと見開かれた瞳は真っ赤に充血している。


「オマエタチノ、モクテキ、ナンダ!」


「信長殿?」


「ナンノ、タメニ、コノヨナ、カソウクウカン、カドウスル」


信長の口からヨダレがあふれ始めた。どう見ても正気ではない。


「信長じゃない! クラッカーよ!」


恋子さんが叫ぶ。クラッカーってなんだ? 僕がまごついているうちに、恋子さんの腕を信長が掴み、叫んだ。


「オマエノ、ショウタイワ、ワカテイル! コウゾク、レンコ、ダナ!」


信長の大声を聞きつけて、大勢の部下が障子を開けて部屋に雪崩れ込む。


「上様!」


信長は部下たちに目もくれず、片手で刀を抜いた。僕は一か八か、勢いをつけて信長に体当たりする。すると案外簡単に信長の身体は床にどうと倒れる。その様子を見て部下たちも一斉に抜刀した。僕は恋子さんの小さな身体を抱きすくめ、絶叫した。


「光、弾けよ!」


すると金属的な大音響とともに、部屋全体が真っ白い光に包まれた。音声操作による音響閃光弾だ。僕と恋子さんを除き、この部屋に居る者の視覚と聴覚が一時的に失われる。この隙に逃げよう。


出口に向かって走り始めたその時、背中の一点に焼けるような熱さが走った。そして自分の胸元を見ると、刀の切っ先がゆっくり出てきている。


顔を上げると、そこには蒼白になって僕を振り返る恋子さんがいた。


   *


数ヶ月ぶりに、中央情報局の斯波管理官が姿を表した。


「清明さん、素晴らしい働きでした。よく恋子さんを守りましたね」


「正直、刺された後のことはよく覚えていないんです。無我夢中で」


「あなたはもう完全に仮想空間での戦いをマスターしました。クラッカーのせいで今回のシミュレーションは失敗しましたが、訓練としては合格です」


「クラッカーとは何でしょうか?」


「外敵がシステムに侵入して、一時的に信長の人格を乗っ取ったのです。前回のこともありましたから、セキュリティ強度を上げていたのですが…」


「いったい誰がそんなことを?」


「ここのシステムに入る能力があるのは深圳軍閥くらいですが、証拠はありません」


クラッカーは、恋子さんの正体を知っていると言っていた。


「歴史シミュレーターは復旧に暫く時間がかかりそうなので、訓練の第一フェーズは今日で終了します。第2フェーズに入ってもらう前に、清明さんに言っておかねばならないことがあります」


斯波さんが、もったいぶって咳払いする。


「僕の父のことですか? だったら…」


「もうお気づきでしたか。そう、あなたのお父君は旧皇族の青桐清晴氏です。つまり、あなたも皇族の末裔ということになります。これが何を意味するかお判りになりますか?」


「わかりません。父が何者であろうと、僕は僕です。一民間人に過ぎません」


「これは非常にセンシティブな問題ですが、国家の大事ですのでお伝えします。先般、皇室典範が改正され、女性皇族は旧皇族の末裔を婿とする場合に限り、結婚後も皇族のお立場を維持できることとなりました」


変な汗が出てきた。胸騒ぎがする。これ以上、斯波さんの話を聞きたくない。


「僕には関係のないことです」


「今日あなたがお護りした方は、皇姪孫・恋子女王殿下です」


   *


「もう死にたい…」


こんなに自暴自棄になったのは、生まれて初めてかも知れない。あのあと、僕は中央情報局を飛び出し、ひたすら走った。ずっと走り続けたが、不思議に息は切れず、疲れもない。


そしていま、服を着たままザブザブと海水に入る。周囲の海岸には誰もいない。水平線の向こうの夕陽が真紅に輝いている。海水浴を楽しむには、もう夏の盛りは過ぎている。海面の下の方が温かいほどに、風は冷たい。


ムシャクシャする。僕を勝手にコールドスリープさせた父親には、もう怒りしかない。そして斯波管理官も、美月さんも、もはや信用できない。特に美月さんには、裏切られたような気分だ。


あの人たちは、他人の人格を何と思っているのか。


僕は平成時代にも、ちゃんとした恋愛というか、女性と交際した経験がない。しかしそれは、僕の世代では決して奥手すぎるわけではなかったように思う。この時代では婚姻制度が廃止されたと聞いていたが、男女の機微も失われたのだろうか。


僕の内部を駆け巡る感情の正体は、たぶん恥だ。とにかく恥ずかしい。


斯波管理官は、別に僕に対して恋子さんとの交際や結婚を勧めたわけではない。ただ、客観的事実を縷々述べたに過ぎない。


しかし僕はいたたまれなくなって、話を最後まで聞く前に部屋を出てしまった。


恋子さんの顔が目に浮かぶ。徐々にだが、彼女の芯の強さに惹かれ始めている気持ちがどこかにあった。自分でも気づかないほどの淡い感情を、斯波さんに指摘されたかのような気もしていた。


「僕なんかが、とても無理だ…」


もう足がつかないところまで来た。僕は仰向けになって全身を波に預けた。プカプカと浮かびながら、赤い鱗雲と群青色の空を見上げていた。


暫く漂っていると、一際大きな波が打ちつけ、揉みくちゃにされながら砂浜に打ち上げられてしまった。


   *


「何か気づいたことある?」


砂まみれのまま横たわっていると、美月さんが僕を見下ろしてきた。


「もう、キミはそう簡単には死ねない身体なのよ」


「は? どういうことですか?」


「体力はほぼ無限だし、水中でも呼吸できる。さすがに空は飛べないけど。ちょっとした病気や怪我であれば、すぐに治るのよ」


「それってVRの話ですよね」


「違うの。現実空間の、あなたの肉体の話」


確かに、波に揉まれても全然苦しくなかった気がする。僕はヨロヨロと立ち上がって、海面に顔をつけた。海水を鼻に入れるのは勇気がいったが、やってみて驚いた。少し塩辛いが、苦しくない。


気づけは、すっかり日は暮れていた。美月さんは波打ち際にいて、裸足で波を蹴っている。


「僕の身体に、何をしたんですか?」


「ナノボットっていう、分子コンピュータを注射したの。VRで訓練したのはそれに慣れてもらう意味もあったという訳。でも安心して。あなただけじゃなくて、いまは軍人とか、警官とか、私たち情報局員も使ってる。とくにあなたは元々コールドスリーパーだから、生命維持のためにも必要だったのよ」


「そんなの頼んでない!」


カッときて叫んでしまい、すぐに後悔した。別に美月さんが悪い訳じゃない。そんなことはわかっている。それでも、誰かに怒りをぶつけたかった。もう、何をどう整理したら良いのかわからない。


「そうよね…。あなたが怒るのはもっともよ。全部、周りが勝手に決めて、勝手にしてしまったことだもんね。ごめんなさい」


僕は、自分の大人気のなさに情けなくなってきた。平成時代の年齢でいえば、美月さんはずっと年下なのだ。涙を隠したくて海の方を向いていると、後ろから美月さんが腕を回してきた。背中が温かい。


「あのね、清明さん。これだけはわかって欲しい。あなただけが特殊で、特別なわけじゃないの。もう日本人の人口はだいぶ減ってしまった。平成時代の3分の2を切ったわ。それでも日本のGDPは減っていない。なぜだと思う?」


耳朶のそばで美月さんが囁く。僕は相槌もせずに、耳を澄ませていた。


「日本人一人ひとりの役割が、とてつもなく大きくなっているの。AIも随分発達したけど、AIで出来ることが増えた分、人間の責任はより大きくなった。コンピュータには、未来を拓く意志なんてないから」


美月さんの体温と言葉が、僕の皮膚を通して沁み入って来るような気がした。


(続く)

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