第百十七話 不要不急
どうにも「北斗」七・八月合併号に載せる短篇のアイディアが浮かんでこないので、「不要不急の外出ではなく、必要急務で致し方ない外出なのだ」と自己弁護しながら、魚釣りに行くことにした。
四月二十一日の朝、どうせならアオリイカが釣れないものかと、二十年以上ぶりに知多半島先端にある豊浜漁港に行くことにして、とりあえず稲沢市の釣具店に向かう。エサ屋で生きたアジを買って、それを活かした状態で海辺まで運ぶにはポンプで空気を送るブクブク装置が必要なのだが、それが全く使い物にならなくなっていたからだ。
しかし、知多半島の釣りエサ屋はどの店も生きたアジを売っていないような気がするので、途中のヤマナカに寄って、「調理済みの真あじ二匹三百九十八円」と、「頭腹抜き真いわし四匹二百円」をそれぞれ二パックずつ買う。運良く腹ぺこのアオリイカの目の前にこれらを差し出すことができれば、抱きついてくれるかもしれぬからだ。
豊浜の魚ひろばなら新鮮なアジが手に入るかもしれぬと行ってみるが、あいにく火曜日は定休日だった。豊浜漁港の人気の釣り桟橋に行ってみると、新型コロナウィルス感染症対策として、五月十日まで使用休止の貼り紙を見てから、予定していた中須漁港の堤防先端に向かう。
竿は二本出すことにして、アオリイカ釣り専用の仕掛け針をイワシとアジにそれぞれ引っかけ、ウキをつけて海中に投与する。流れがあるので巻き上げたり、落としたりを夜まで八時間ほど繰り返すが、アオリイカの登場はなかった。
普段から運動不足のところにぶっ通しでほぼ八時間立ちっぱなしだったので、翌日は昼過ぎまで実によく爆睡した。しかし、疲れが取れてくると、負けず嫌いの性分がメラメラと湧き出でて来る。今は願ってもない「不要不急の外出自粛の時代」である。木曜日は魚ひろばが朝八時に開場するので、それに合わせて出発することにする。
朝七時頃に家を出て、豊丘インターを下りてすぐの釣りエサ店でオキアミブロックと青虫一杯と氷を買い、コンビニで昼食のパン類と飲み物を買って魚ひろばに行く。
一通り店舗を眺めたが、アジの季節ではないらしく開きや干物しか並べてなかったので、頭も腸も付いた小型のキスを三十匹くらい税込み五百円で手に入れる。
広い豊浜漁港の東側にある人気の釣り桟橋付近には車が多く駐まっていたが、幸盛は西側のはずれに向かう。海に投入する前の大きなテトラポットがゴロゴロ並べてある場所の裏手の海に、竿を四本出すことにした。
この日は風速五~六メートルの風が吹いているので先客はひと組だけだ。釣り竿を柵に立てかけても強風でなぎ倒されてしまうので、予め準備してきたヒモを鋏で適当な長さに切って、一本一本柵に縛り付けていく。
竿二本はウキ仕掛けで、キスを中層に漂わせてアオリイカが抱きつく奇跡を待つ。本来は生きたアジを泳がせてやる釣法だが、イカは食い意地が張っているので、獲物にかぶりついてスイッチが入ったら、たとえ一度針に掛けるのに失敗したとしても再び食らいついてくることが多い。
幸盛が死んだアジやキスでも釣れるはずと考えるのには根拠がある。それは、昭和二十九年九月の洞爺丸台風の時のことで、死者・行方不明者が一一五五人にも及んだらしいが、その後、漁師が捕獲したイカの胃袋から人間の髪の毛が多く発見された、という話を聞いた覚えがあるからだ。
三本目の竿には、市販の仕掛けに青虫を刺して何らかの根魚を狙い、四本目の竿には、太めのラインで自作した二本針にキスと青虫を刺し、重めのオモリをつけて投げ込んだ。
ところが、三時間が経過しても何も釣れない。キスはそのまま残ってくるし、青虫にはヒトデが食いつくだけだ。昼時になったので車の中でパンをかじり、気を取り直して午後の部に突入する。
そしてついに、相変わらず風が強いので竿のアタリは分かりづらいが、四本目の竿の動きがどうも変だ。クイ、クイと時たま引っぱられているような気がする。ヒモを解いて竿を手に持ってリールを巻き始めると、グイ、グイととてつもなく強い引きだ。しかし残念ながら、アオリイカやタコだったらここまで強く引くことはない。
この重量感のある強い引きには覚えがある。間違いなくエイだ。強引に引き寄せて来るが、エイはその巨体にモノをいわせてリールのドラグをジジッ、ジジーッと鳴り響かせるから心地良いったらありゃしない。
高い堤防の足元まで引き寄せてから、ふと迷う。このまま強引に引き上げていって途中でラインが切れて海に落としてしまうのもオートリリースで悪くはないが、練習がてら、落としタモに入れられるか試してみよう。
ところが、打ち寄せる波にエイとタモが翻弄されてなかなかタモに入らない。しかし気長に十分間ほど挑戦し続けていると偶然エイがタモに入った。両手に軍手をしてヒモを手繰り寄せるが重いったらありゃしない。
堤防の上に置いてスマホで証拠の記念撮影だ。この一時間ほど後にもキスが一匹釣れて写真を撮ったから、これで孫の桃太郎に自慢できるというものだ。