4月19日 ないものねだり
今日は日曜日だ。明日は月曜日で、明後日は火曜日で、その次の日は水曜日だ。少し前まで日曜だから部活が休みで、月曜だから1限がだるくて、火曜は体育が嫌で、水曜日は楽な教科ばかりみたいにそれぞれの特徴があったわけだが、今はもう全部同じだ。しいて言えば、可燃ゴミの日、不燃ゴミの日くらいなものである。
そのときはあんなに嫌だった体育やらなんやらも終わってしまえば大したことでもなかったわけで、むしろ今は懐かしいくらいだ。楽しいものや嫌なものでメリハリのある毎日を送れるというのはとても幸せなことなのだと今ならわかる。きっと過ぎてしまえば今のこの生活もいいものだったと思えるようになるのだろう。だが過ぎないとわからないところが私の残念なところだ。
友達もそうだ。基本的に人付き合いが得意ではないので友達も多くはなかったが、友達と話すのは楽しかった。もちろん常に楽しかったわけではないが、直接会って話すことができて、一緒に他愛もないことで笑いあえるというのは当たり前でなくとても恵まれたことだったんだと実感している。
「当たり前なことなどない」というのは大人がよく言うことで、そんなことはわかっていると聞き流しながら今まで生活してきたが、全くわかっていなかったことがコロナ騒動でわかったわけだ。ただそれも喉元過ぎればなんとやらとなりがちなのでここに書き留めておく次第である。