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ログ006 土産

イスカは、立ち止まり、何度か深呼吸する。

読みかけだった本のことを想い出すと、イスカは、何かちょっとした決断をしたような表情を浮かべた。


(読み直すことになるが、それもまたよし。)


自分の内に向けて意識を集中し、魂憶の一部を外へ抜き出す。

魂憶は、かすかな霊気の気配となって、吹き散らされていく。

魂の器を空けるために、読みかけていた物語の記憶を消したのだった。


肩掛けの袋から、本を取り出す。

白金の栞を、最初の頁に戻してから、再び本をしまい込んだ。


イスカが誰にも話していない術の一つ、「ひみつの本棚」(ヒドゥン・ライブラリ)

「ひみつの本棚」には、圧縮すると失われがちな日々のちょっとした思い出などを、魂憶の形で分離して収めてある。


通常、勇者は、任務中は戦いにまつわる記憶以外は「圧縮」されていて、新たに覚えたり思い出すことがほとんどできない。

当然、任務の遠征中に読書をすることなど誰も考えない。


だが、イスカは、魂の器の中に自分で独自の領域を作り、任務中であっても他の勇者の魂憶以外に好きな記憶を残せるようにしていた。


ある時、器の容量の関係で仕方なしに行った読みかけの本の記憶を消すという行動だったが、新たな発見があった。

自分が気に入ると分かっている物語を、「知らない」状態から再び読むことが出来る。

「ひみつの本棚」の術の、思いがけない副産物だった。


回収者としてのイスカの評価は、容量が少ないこともあって高くはない。

が、実際には、イスカの魂の器は知られているよりも、はるかに大きい。

不平不満を述べつつも、イスカは周囲の人間を欺きながら、自分のお気に入りの環境を整えているのだった。


(帰ったら、今度はじっくり読もう。

 一度目は、勢いに任せて読んでしまったからな。)


胸の奥の、重苦しさが消えている。

身体まで軽くなったようで、イスカは気分よく走り出した。




暗灰色のマントをはためかせ、濡れた岩肌の崖を滑り降り、勢いを殺さぬまま再び駆けていく。

イスカが周囲の人間に秘密にしている術は、他にもある。


精霊の力を視ることのできる者であれば、現れては消える何体もの小さな精霊に気づくかもしれない。

その一挙手一投足に合わせて、火花のように、残像のように、一瞬で現れ、すぐに消えていく。

多数の精霊術を、目まぐるしく不規則に発動させているのだ。


水精の本質は、減速。

崖を滑り降りてきたその身体は、着地を前に、ぬるり、と見えない粘液に滑り込んだかのように速度をゆるめる。


土精の本質は、凝縮。

足元の空気が身体を包むように固められ、残る着地の衝撃を引き受けると同時に、次の動作へ向けて力の方向を変えていく。


風精の本質は、拡散。

背後で爆発的に膨張する空気は、その身を跳ねるように前方へし出す。


火精の本質は、加速。

勢いのままに再び走り出したイスカは、その脚が地を蹴る以上に速度を増していく。


王国の精霊術の中にも、機動力や敏捷性を高める術式はある。

だが、通常は数分間しか効果は持続せず、改めて足を止め、「手続き」(プロシジャ)を実行しなおす必要がある。

ここぞという時に一度だけ使うのが一般的である。


だが、イスカの使っている術は、術式とも言えないような、ひどく原始的なもの。

一つ一つの力も、強く束ねられたものではない。

精霊達は、縛り付けられておらず、勝手気ままに働いている。

だから、瞬時に現れ、発動する。

魔力の消費もごくわずかであり、術を使いながら半日でも走り続けることが可能だった。


翔ぶように、滑るように、走るイスカの周りには、寄り添うように、踊るように、幾重にも精霊の力が重なって見えている。


この「手続き」を無視した精霊術を、イスカは秘密にしている。

回収者は、「回収」という任務のために全力を尽くせと、それ以外のものを持つなと、言われてきたからだった。

イスカは、奪われることにうんざりしていた。


ふと、その視線が雨上がりの靄に包まれた、木立の中に向かう。

甲高い、不吉な響きの鳴き声が聞こえる。


(ヨモツ鳶の狩りの声……。ちょっと、土産を貰っていくか。)


ヨモツ鳶は、鹿や山羊、猪まで狩りをする。

死肉も喰うが、ヨモツ鳶の狩りの声は、狙った獣をすくませ、逃げ足を止めると言われている。

つまりそこに、狩りの対象がいるということだ。


ヒトツリアの辺りでは、新鮮な肉は貴重だ。

金に換えてもよし、料理屋に持ち込んで貸しにするのもよい。

駐屯地にも肉好きはいるが、任務の帰りに狩りをしてきたというのは、いい顔をしない者もいるだろう……


イスカは、少しばかり進路を変えて跳躍する。




雨露に濡れて輝く木立の中、赤い眼をしたその猛禽は、鋭い鉤爪を構え、風切りの音も無しに滑空していた。

捕食の視線の先には、木の幹の前で呆けたように固まる少年が一人。


イオが瞬きする間も無く、鋭い爪が、くちばしが、赤い目が、目の前に浮かぶ。

あまりにも、甘く見ていた。

必死で逃げる草食獣を狩れるほどの猛禽の襲撃を、子どもが枝で払えるなどと。


(ああ……、すみません、お師さま……。)


激しい羽音に続き、空気をぐ音が肌で感じられる。

震える腕で構えた枝が呆気なく弾き飛ばされ、イオは強く目を閉じる。


しかし、その後の衝撃も、痛みも伝わってこない。

イオは、背後の幹にもたれかかるようにしゃがみ込んでいる。


足元の方から聞こえる小さな音に目を開けると、地面に叩きつけられたヨモツ鳶がパクパクと嘴を動かしている。

見たところには傷は無いが、声も上げられないようだった。


「なんだ、人間か。」


木陰から現れたのは、イオと数歳しか変わらないように見える少女だった。

上空の、もう一羽の様子をうかがっており、イオの方にはろくに目もらない。

武器を持っているようには見えないが、この少女がヨモツ鳶を打ちとしたのだろう。


灰色のマントは濡れてしわになり、銀の髪も暗い色の服も、泥で汚れている。

痩せた体付きは十代の半ばと見えるが、ねたような顔つきは、苦労の年月を重ねている気配を漂わせていた。



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